終わりに向けて Ⅰ
次の日の正午。薄っすらと広がる雲の下、センシアル王国の王都グランエンドでは重たい空気が流れていた。
原因は先日実施されたバージョンアップで、強力な天使が出現するようになったこと。
一般的な認識では、天使というのは、神の遣いであり、人間にとっても救いをもたらす聖なる存在だ。清らかさや優しさの象徴ともいえる存在。
それが、ゲーム化した世界ではどうか。問答無用に人間に刃を向けて来る。最早、モンスターと変わらない。しかも質の悪いことに、空を飛べる分、どこからでも襲ってくる。山でも湖でも森の中でも関係なく天使は襲ってくる。
天使の個体としての強さも相まって、既に何人もの犠牲者が出ていた。この天使の出現に対応するには、手練れの集団でなければ難しい。
そのため、『ライオンハート』と『王龍』からは、街の外へ出ることへの警告が発せられ、これからの日々の糧をどうするかという不安を抱きながら、時間が経過していくのをただ眺めているしかなかった。
そんな重苦しい空気は、王都グランエンド屈指の豪華ホテル『シャリオン』の一室にも伝染していた。
「これより、バージョンアップに伴う、『ライオンハート』の同盟会議を開催する」
声を上げたのは、会議室の上座に座る総志だ。
ホテル『シャリオン』の会議室を貸切って開かれる『ライオンハート』の同盟会議。巨大ギルド『ライオンハート』と『王龍』の同盟幹部が一堂に集まる重要な会議だ。真と美月も『フォーチュンキャット』を代表して参加している。
会議室中心には、大きなテーブルがあり、白い壁と大きな窓には金細工で装飾がされている。部屋の脇を飾る花瓶には深紅のバラが活けれらていた。
優雅さと気品を兼ね備えた広間なのだが、今はそれどころではない。緊張が会議室を支配している。
「皆様もご存知の通りかとは思いますが、先日のバージョンアップでは、今回が最後のミッションであると通知されております。我々、『ライオンハート』の見解としては、このミッションを成功させれば、ゲームによって浸食された現実世界を元に戻せるのではないかと考えております。それゆえに、今回のミッションは今までとは比べ物にならないほど重要なミッションであると考えてください」
総志に続いて、サブマスターである時也が声を上げた。その言葉に会議室に集まった同盟の幹部達の目が変わる。
会議室を支配している緊張の正体がこれだ。つまり、これが最後のミッションであるということ。そして、このミッションをクリアすれば、世界を元に戻せるかもしれないということ。
「俺はゲームのことは詳しくない。だが、一つだけ分かっていることがある。それは、ゲームとはクリアするために作られているということだ。今回のミッションは、かつてない程の苦戦を強いられるだろう。だが、決して不可能ではない。必ず成功に辿り着ける道筋が用意されている。それを見つけ出す」
総志が力強く宣言した。不安も緊張も吹き飛ばすような力を持った声だ。その声に応えるようにして、会場内の空気も熱を帯びていく。
「それでは、今会議における議題を提案します。まず一つ目は、『天使』対策。二つ目は『天使の心臓』と『大天使の心臓』の収集。そして、最後に調律者ラーゼ・ヴァールの討伐メンバーについて。以上の3点について話し合いをしたいと思います」
時也が眼鏡の位置を直しながら会議を進めた。そして、そのまま話を続ける。
「まずは、一つ目の議題である、『天使』対策です。これは天使の討伐という意味ではなく、現在、各地で出現している天使のせいで、モンスターを狩ることに著しく危険が伴うようになったことへの対策と考えてください。この件に関しては、『王龍』ギルドの方から提案があります」
時也はそこまで話をすると、『王龍』のサブマスタである悟の方へと目を向けた。
「はい。天使対策――つまりは、天使の出現に伴う、現実世界の人々の生活支援対策について、『王龍』から提案いたします」
悟は立ち上がって、会議室を見渡した。実は、昨日も真達を帰らせた後、総志と時也、悟と姫子の4人で夜遅くまで話し合いをしていた。その話し合いの中で、『王龍』から出た案を悟が代表して話すことになった。
「現実世界の人々の主な収入源は、モンスターを討伐した際に入手できるアイテムを換金することです。ご存知の通り、街のNPCにアイテムを換金すると税金がかかり、税率分を引かれた額が手に入るという仕組みになっています。そして、その税金の行き先が、センシアル王国領において支配地域を有している『ライオンハート』及び『王龍』です」
悟は淡々と話を続けた。モンスターを倒して入手したアイテムを街のNPCに売るというのは、世界がゲーム化してからずっとやってきたことだ。そこに、税金が課されるようになったのは、以前のバージョンアップで、センシアル王国領と攻城戦が追加された時だ。
細かく言うと、攻城戦によって、現実世界の人の中から、センシアル王国領に支配地域を獲得した者が現れた時からだ。
「我々は長らく支配地域を所有し続けております。さらに言えば、支配地域を手に入れてから、一度もその所有権を失ったことはありません」
攻城戦とはオンラインゲームにおけるプレイヤー VS プレイヤーのこと。これが、現実世界にゲーム化の浸食として入って来ると、人間同士の殺し合いということになる。
そのため、現実世界の人間が支配していない初期状態、すなわち、NPCが領地を支配している状態の時に攻城戦に参戦したギルド以外に、攻城戦を仕掛ける者は、ほとんどいなかった。
こういう事情があるため、『ライオンハート』と『王龍』は、攻城戦実施当初から、今までずっと支配地域を持ち続けることになった。
「今まで、ミッションを遂行する際には、寄付金を集めてきました。それは、ミッションというのは全ての現実世界の人の問題であると捉えている側面の他、不測の事態に備えるために、ミッションにかかる費用は寄付金で賄うようにしてきたからです。そして、その不測の事態というのが、まさに今この時であると断言します」
悟がここまで言えば、誰しもが理解できた。真も美月もこの先、悟が何を言いたいかというのは容易に想像が付いている。いくらかの支援金を出すのだろうなと。
「ここで、『ライオンハート』と『王龍』の持つ資金を全て、現実世界の人々の暮らしのために支出することを提案いたいします」
悟は声高らかに宣言した。何の迷いもなく言ってのける。だが、それは、会議の参加者達が想像していたことよりも、かなり上を行く内容。逸脱してると言ってもいいだろう。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 刈谷さん、今、『資金の全て』と言いましたか!?」
思わず声を上げたのは、サマナーの男。『王龍』の傘下に入っているギルドの幹部だ。他にもどよめきが起きている。
「ええ、そう言いました。もう一度言いましょうか? 『ライオンハート』と『王龍』の持つ資金の“全て”を現実世界の人々の暮らしのために支出します」
臆することなく悟は言い切った。
「あの、私からも、一つ聞かせてください! その、『ライオンハート』と『王龍』の持つ資金というのは、私達に支給される同盟資金も含まれていますよね? それはどうするつもりなんですか?」
サマナーの男の横にいるアサシンの女が質問を投げかけた。
「当然、同盟資金の支給も停止します。各ギルドのことは各ギルドの持つ資金で対応してください。ちなみに、今回のミッションは、『ライオンハート』と『王龍』の持つ、多くの在庫で対応する予定です」
悟は半笑いで返答した。相手からしてみれば挑発されているとも受け取れる返し方だ。
「それは、いくら何でも極端すぎませんか? 私達だって同盟ギルドとして、働いてきたんです。それなのに、いきなり同盟資金を停止するなんて」
悟の言い方が気に入らなかったのだろう。アサシンの女が悟に噛みついてきた。
「何か問題でもありますか?」
へらへらとした表情で悟が返す。
「大ありですよ! どうして、私達の活動資金まで止められないといけないんですか? おかしくないですか?」
アサシンの女は苛立った声で不平をぶつけてくる。
「だから言ってるでしょう。外は天使が襲ってくるので、まともに狩りをすることができないって。そのために、資金を放出するんですよ」
「それが極端すぎるって言ってるんです! 何も資金を全て出さなくてもいいじゃないですか?」
悟の説明では納得がいかないアサシンの女は、なおも反論をしてくる。そこに――
「ウダウダ言ってんじゃねえよ! 紫藤さんも言っただろうが! これが最後だって! あたしらが持ってる金はな、ゲームの金なんだよ! お前は、ゲームが終わった後にも金を残すのかよ? 何に使うんだ? ええ? 言ってみろ!」
姫子がブチギレて入って来た。横では悟がニヤニヤしている。どうやら、これを計算に入れての言動だったようだ。
「い、いや……。でも……、その……。いつミッションが終わるかも分からないですし……」
アサシンの女はたじたじになりながらも、何とか言葉を出す。
「これが最後だって言ってんだろ! そのためにここに集まってんだよ! あたしらがミッションできればいいんだよ! それだけの物資は残ってんだよ!」
「わ、私達だって、ミッションを遂行するためには資金が必要なんですよ」
「お前は、ラーゼ・ヴァールと戦いに行くのかよッ!」
「そ、それは……。で、でも、ラーゼ・ヴァールと戦うためには『天使の心臓』と『大天使の心臓』が必要なんじゃないんですか? それを集める必要があるんですよね?」
アサシンの女は突破口を見つけたという感じで声を上げた。
「そんなもん、お前らの持ってる資金でも十分だろうが! 何のために活動資金を渡してると思ってるんだ!」
しかし、姫子は聞く耳持たず。力で押し返す。
「私たちの資金で十分って……。『天使の心臓』は100個集めないといけないんですよ! 天使がどれだけの強さか知ってるんですか? それを100個なんですよ!」
「あたしらは、シン・ラースで天使どもと戦ってんだよ! 巨大なドラゴンと戦って半壊した状態でな! 『天使の心臓』なら、そん時に1個手に入れてんだよ!」
姫子は怒り治まらず更に大きな声を上げる。
「…………」
流石にこれには反論することができず、アサシンの女は黙り込んでしまう。
「赤嶺さん、言いたいことは分かるが、今は抑えてくれ」
総志は静かに言った。
「――ッチ。分かったよ……」
まだ言い足りないという感じだが、姫子はこれで引き下がることにした。
「それと、赤嶺さんも言った通り、俺達はシン・ラースで、死に物狂いで戦ってきた後だ。ディルフォール討伐から帰ってきた者は半分にも満たない。それを理解したうえで口をきけ! いいな!」
総志が怒気を含んだ声でアサシンの女とサマナーの男を睨んだ。二人とも青ざめた表情で沈黙している。まるで獅子を前にした鼠のようだ。
「先ほど、『天使の心臓』の話が出ましたので、ご意見がなければ、議題を移りたいと思いますが、よろしいですか?」
時也は眼鏡の位置を直しながら声を上げた。この空気の中で、意見を言える者がいるはずもなく、次の議題へと移っていった。




