帰路の夕日
1
王都へと帰る船旅は順調そのものだった。悪天候に見舞われることもあったが、海が荒れるほどではなく、翌日には澄み渡った空が顔を見せてくれる。
特に何かしないといけないわけでもなく、かと言って思い思いに自由な時間を過ごすという気分でもない。それでも、休める時に休んでおかないといけない。今は何よりも休息が必要だ。
王都へ戻れば、そこからまた忙しくなる。まず待っているのは、最後のミッションに向けての緊急会議だ。総志も姫子も、ギルドマスターだけが利用できるシステム、ギルドメッセージを使って、帰還後早急に会議ができるように準備をしておけとの指示を出していた。
真も王都へ帰ったら、すぐに会議の準備をしないといけない。予定では後1日もすれば王都グランエンドに到着する予定だ。
だから、こうしてゆっくりと甲板の上で夕日を眺めることも、最後になるのかもしれない。
真はそんなことを考えながら、海風に流される髪をかき上げて嘆息した。
「ま、真君……。どどどうしたの、そ、そんな感傷に浸ったったてて……」
甲板で一人夕日を眺めている真に、華凛が声をかけてきた。何故か声が震えていて、噛みまくっている。
「ん? ああ、感傷ってほどでもないけどな……。明日には王都に着くだろ……」
真が振り返り華凛に返事をした。潮風に流れるシルバーグレイの髪と夕日に照らされる綺麗な顔。見とれてしまうほど美しい光景だが、華凛の顔が赤く見えるのは、夕焼けのせいだろうか。
「そそそ、そうだよね……。明日には王都に着くし……。そうなったら忙しくなるし……」
華凛は真の方を見ずに、真の隣まで歩いてきた。
「華凛一人か? なんか珍しいな」
真も人見知りでコミュニケーション能力が低いが、華凛はさらに輪をかけて人見知りだ。そのため、行動範囲は『フォーチュンキャット』の中に限られており、こういう閉じた空間の中では、自主的に『フォーチュンキャット』の中から出てこようとはしないはず。
単独行動をして、誰かに声をかけられても、華凛は対応できないからだ。
「えッ!? あ、ああ……なんだっけ……。あっ、そうそう……その……、皆は今のうちに寝れるだけ寝ておくって……言ってたような……」
オロオロとしながら華凛が答えた。相当緊張しているように見えるが、真にその理由は皆目見当もつかない。
「ミッション前にまともに休めるのは今だけかもしれないからな……。皆にもかなり働いてもらわないといけないかもしれないし……。華凛もそうした方が良くないか?」
真は気を使って言った。戦闘能力でいえば、フィアハーテの担当に華凛を行かせたのはかなりの負担だったはずだ。完全に華凛の能力を超えた相手だ。それを見事にやり遂げて、今この場所に立っている。
「私は大丈夫だから! 大丈夫だからッ!」
華凛は必死の形相で、真の提案を拒否する。
「お、おう……そうか……。でも、無理はするなよ」
「私は大丈夫ッ!」
(もうっ! 本当に朴念仁ね! まぁ、知ってたけどさぁ……)
察しの悪い真に対する苛立ちを我慢しながらも、華凛はある意味諦観したような気持にもなった。真が自分のことを気にかけてくれているというのは事実なのだから、そこは嬉しく思うところもある。
「確かに、華凛は強くなったよな」
「えっ……?」
思いがけない真の一言に、華凛が思わず顔を向けた。そこにあるのは優しい顔。沈みゆく太陽が照らす赤黒い髪と、美少女然とした美麗な顔立ち。
華凛の頭の中からは、話そうと思っていたことが綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。
「こう言ったら気を悪くするかもしれないけどさ、最初に出会った頃って、華凛一人じゃ何もできなかっただろ?」
「え……。でも、それは今もそう……。私一人じゃ戦えないし……」
「そういうことじゃなくてさ。一人じゃ戦えないのは皆も同じだ。俺が言いたいのは、今の華凛は皆の戦力として成り立ってるってこと。昔の華凛は、全部誰かにやってもらわないと駄目だったけど、今はそうじゃないだろ?」
「でも……、私、皆に比べたら……」
「だったら、今の華凛は、ドレッドノート アルアインと戦えないか?」
「……あっ」
真の言葉に華凛はハッとした。そう今の自分なら……。
「流石に一人でドレッドノート アルアインに挑むのは無謀だけどさ。誰かに全部やってもらうんじゃなくて、仲間と一緒に戦うんじゃないのか?」
「……戦う」
華凛ははっきりと言うことができた。自分の見た目を武器にして、男達にドレッドノート アルアインを倒してもらおうとしていたのが昔の華凛だ。
真が男だと分かった時も、篭絡して、ドレッドノート アルアインと戦える戦力を揃えてもらおうとした。
でも、その戦力に華凛は含まれていなかった。
それが、今ならどうか。華凛自身も一戦力として、ドレッドノート アルアインと対峙する。
「だろ? それに、今まで何回ミッションに参加した? その全部を生きて帰ってきてるんだ。並大抵のことじゃないよ」
真が微笑みながら言う。
「ふふふ、そうだね……。でも、それは真君がいるからっていうのが一番大きいんだよ。真君がいなかったら、今頃生きてなかったと思う――あっ、そもそも、ミッションに参加しようと思わなかったか」
華凛は単に真が行くところに付いて行っただけなのだが、結果としてミッションに参加し、成功させている。
(紗耶香たちが今の私を見たらどう言うのかな? 褒めてくれるのかな? もしかしたら、紗耶香は怒るかも……。『危ないことするな』って)
ふと、華凛は昔の仲間のことを思い出す。華凛の性格を分かっていて受け入れてくれた仲間。初めてできた友達。
「それは……まぁ、俺が巻き込んだようなもんだしな……。悪かったとは思ってる……」
バツの悪そうに真が返事をした。
華凛がミッションに参加する原因。それは、『フォーチュンキャット』というギルドに所属しているからに他ならない。真がいることで、『フォーチュンキャット』は他のどのギルドよりも多くのミッションを遂行してきた。そこに、華凛も含まれるから、能力を超えた結果を要求されてしまう。
「それ、美月や翼に言ったら怒るわよ」
困り顔の真に対して、華凛は意地悪そうに言った。
「いや、まぁ……それは……」
真は更に困った顔になった。同様のことを彩音に言っても怒るだろうが、怒り方で言うなら、美月と翼の方が断然怖い。
「言わないでおいてあげるから、安心して」
華凛が悪戯っぽく笑う。
「……あっ……。ああ……」
黄昏に染まる空の下、華凛の笑顔は、本当に人の心を掴む小悪魔のように可愛くて、真は何も言えずに見ているしかできなかった。
「ん? どうしたの?」
黙っている真を不思議に思い、華凛が声をかける。
「い、いや……。何でもない……。ああ、ほら、腹減ったなって……」
華凛の笑顔が可愛くて言葉が出てこなかった、とは言えず、真は適当に誤魔化した。腹が減っているのは本当のことだ。
「そう……。お腹減ったわね……」
(何よ、良い感じに話ができてると思ったのにさ! 私なんて、緊張しすぎて、ここ数日、碌に食事も喉を通らなかったわよ!)
如何せん、華凛も大概朴念仁だった。真が自分の笑顔に見とれていたなどとは露とも知らず。本当に真が腹を空かせているとしか取れていない。
世界がゲーム化する以前は、華凛に対して言い寄って来る男は沢山いた。そのどれもが下心丸出しの男達。綺麗な華凛を自分のものにしたいという欲望。
そんな汚い欲望を見てきた華凛は、逆に純粋な好意というものには鈍感になっていたのだ。
「もう日が沈むし、そろそろ戻るか?」
どこか拗ねたような顔になっている華凛に真が声をかける。どうして拗ねているのはかは真には不明だが。
「そうね……。そろそろ戻らないとね……。真君は先に行ってて。私は寄るところがあるから」
いつの間にか暗くなってきた空を見ながら華凛が返事をした。本当にあっという間のことだったように思える。
「そうか、分かった……。もうすぐ夕飯だから、余り遅くなるなよ」
真はそう言うと、一人で船内へと戻って行った。
「はぁ……緊張した……」
真の姿が見えなくなると、華凛は大きく息を吐いた。バクバクと鳴っている心臓は未だに治まらない。
華凛は心を落ち着かせるため、少しだけ夜風に当たってから船内へと戻った。
2
「どうだった?」
センシアル王国騎士団所有の船の一室に華凛が入って来るや否や、翼が声をかけた。
この部屋は真達『フォーチュンキャット』メンバーが使っている船室ではなく、『ライオンハート』所属の椿姫と咲良の二人部屋だ。
今は、食事のため出ているので、特別に貸してもらっている。
この船室に集まっているのは4人。美月に翼に彩音。そして、入ってきたばかりの華凛だ。
2人部屋に4人が詰めかけているので、多少窮屈さを感じるが、贅沢は言っていられない。
「どうだったって……。普通よ……」
顔を赤らめながら華凛が答える。
「普通ってなによ? せっかく私たちがお膳立てしてあげたんだからさ、もっと、他にないわけ?」
華凛の回答に不満のある翼が追及してくる。
「別に、お膳立てってほどのことしてもらってないじゃない!」
恩着せがましく言ってくる翼に対して、華凛が反論した。
「ちゃんとお膳立てしたじゃない! 真が一人で夕日を見に行くのに、私達は付いて行かなかったんだしさ! タイミング計って、華凛を送り出したのも私達じゃない!」
「改めて言葉にしてみると、確かにお膳立てってほどのことはしてないわね……」
これは美月。翼は仕事をしてあげた風に言っているが、やったことは大人しくしているだけ。お膳立てというには些か物足りない気がする。
「ほら、美月だって言ってるじゃない!」
「まあまあ、華凛さん。そこは、もういいじゃないですか……。それより、真さんとは話できたんですか?」
彩音が華凛を宥めるようにして言った。翼が大袈裟に言っているだけで、彩音としてもお膳立てをしたとまでは思っていない。
「一応……。話はできたけど……」
華凛は照れながら目を逸らした。本音を言うと、華凛自身としては、良い雰囲気になれたと思っている。
「一応って何よ? はっきりしないわね……」
翼は曖昧な回答が好きではない。華凛の返答には不満が残る。
「一応は一応よ……。それなりに話せたってこと……」
最終的に腹が減ったという理由で話が終わってしまったが、途中まではかなり良い話ができたと思う。何より、真が華凛のことを評価してくれていたことが嬉しかった。
「それなりっていうのがさぁ……。『好き』の一言くらい言わなかったの?」
華凛の返答に満足いかない翼は口を尖らせている。
「それは……」
ここで、華凛の顔が真っ赤になった。
「っちょっと! 華凛、まさか告白したの!?」
慌てたのは美月だった。この反応を見たら、告白をしたとしか思えない。
「し、してない! してない! 大丈夫だから。協定違反はしてないから!」
華凛も慌てて弁明をした。
「ホントに……?」
美月の疑いの目が華凛を見る。
「ホントだから! 言いそうにはなったけど、言わなかったから!」
「言いそうになったってどういう流れですか?」
ここに食いついてきたのは彩音だ。ポロっと漏らした華凛の言葉を見逃さない。
「べ、別に大したことじゃないわよ……」
「怪しいわね……」
美月の疑いは更に濃いものになっている。
「本当に大したことじゃないから……」
「本当に……?」
「本当に……」
「じゃあ、言えるわよね?」
美月が華凛に笑顔を向ける。これは怖い。
「うっ……。えっと……。真君が、私のこと『強くなった』って……。『今なら、ドレッドノート アルアインにでも一緒に戦えるだろ』って……。なんか、そう言われた時、認められたって思えて……。でも、そうなれたのは真君のおかげで……。やっぱり、この人のことが好きなんだな――って、もういいでしょ!」
華凛は耳まで真っ赤にして叫んだ。嘘偽りない本心だからこそ、恥ずかしくて堪らない。
「なるほど……。そういう流れですか……」
彩音はウンウンと頷いている。
「確かに、それは危うく協定違反しそうになるわね……」
美月も彩音と同様に頷いている。
「あっ、その協定だけどさ。然るべき時に、皆で合わせて真に告白するっていうの。そろそろ時期決めないといけないんじゃない? もう最後のミッションなんだしさ。世界が元に戻ったとしたら、みんな帰る場所に戻るでしょ?」
華凛の回答に納得した翼が提案をしてきた。
「そうだよね……。もう、時間がないんだよね……」
美月が考え込む。真のに好きだと伝えるタイミング。ここにいる全員が確実に真に告白できるのは、ミッションが本格的に動き出す前だ。
強敵との戦いで命を落としてからでは告白はできない。今まで生き残ってこれたが、最後も生き残れる保証はどこにもない。
「王都に帰ったら、すぐに真さんと美月さんは同盟会議に参加しますよね?」
彩音が美月に問いかける。
「その予定だけど」
美月が返事をする。バージョンアップ後最初の会議なので、ギルドのサブマスターである美月も会議に参加することになっている。
「でしたら、会議でミッションの方向性が決まってからでないと、こちらのタイミングは決められないと思うんです」
「そうなるわね……」
「ある程度候補は決めておいて、最終決定は、ミッションの方針が決まってからということでどうでしょう?」
「それでいいわよ」
彩音の提案に真っ先に賛成したのは翼だった。それに追従するようにして、美月も華凛も彩音の提案に同意した。
こうして、女子会議が終わると、一人理由も知らずに残された真のいる『フォーチュンキャット』の部屋へと戻って行った。