闇底の龍 Ⅰ
アロニーファンタジアの中央広場。その中心にある花壇には、色とりどりの花で、主役であるビーグル犬のマーフィーが描かれている。
ゲーム化の浸食によって、どれだけ時間が経過しても、この花は枯れることはない。季節が巡っても、色褪せず、同じ形を保ち続ける。
その奥には、アロニーファンタジアのシンボルとでもいうべき古城がある。
本当なら平日でも、この広場には大勢の客で賑わい、楽しそうな声で溢れているのだが、今は二人だけしかいない。
「もう一度聞く。イルミナはどこに行った?」
閑散とした広場で、真が正面に立つ女に問いかける。紫色の肌に長い金髪。ドラゴンの角と尻尾、それに羽を生やしたドラゴニュート。深淵の龍帝ディルフォールに問いかけた。
「知らんと言ったはずだが?」
ディルフォールは興味なさそうに答えた。同じ質問を二度もされて辟易としている様子だ。
「お前らの関係は何なんだ? お前を復活させたのはイルミナなんだろ? お前はイルミナと手を組んだんじゃないのか?」
それでも、真は質問を続けた。ここで、イルミナも含めて戦うと思っていたが、肝心のイルミナが姿を見せていない。
「確かに、我を復活させたのはイルミナだ。だが、それだけのこと。あの女が何を考えているかなど、どうでもよい」
「そうか……」
(今すぐイルミナと戦うことにはならないってことか……。ディルフォールもイルミナの居場所を知らないってことは、またどこかに逃げたのか?)
「汝はそんなにイルミナに会いたいか?」
ディルフォールは、黙考している真に言った。
「……ああ、そうだな。何としてでも会いたいね」
「ふん、あのような狂人でも、まあ見た目は美しい方なのだろう。えらく恋焦がれたものよな。一夜を共にしたいというのであれば、我が可愛がってやってもいいぞ? なぁに、我は男でも女でも構わん」
ディルフォールは不敵に微笑んで返した。
「その必要はねえよ。今からたっぷり楽しませてやるからな!」
真はそう言い放つと、大剣を抜いて、ディルフォールに向き直った。
「ふふふ、そうでなくてはな! いいぞ小娘! 存分に我を楽しませてみよ!」
ディルフォールは獰猛に笑うと、地面を蹴って、真に突進してきた。
人間の脚力では不可能なほどの加速で、一気に真との距離を詰めて来る。
真は寸でのところで、ディルフォールの爪を回避。他のドラゴンと比べて、手の大きさは人間サイズなのだが、鋭さがまるで違う。
他のドラゴンが大振りの斧だとすると、ディルフォールの爪は対人用ライフル。見た目の派手さこそないが、確実に仕留めてくる武器だ。
すれ違いざまに、真とディルフォールの目線が交差する。
だが、真はまだ手を出さない。
そこに、ディルフォールが振り向きざまに爪を突き立ててきた。
これも、真はギリギリの所で回避。
続く、3撃目、4撃目も真は躱していく。
ただ爪で引掻いてくるだけの攻撃だが、その全てが異常なまでに速く、鋭い。人間を遥かに超えるドラゴンの筋力のなせる技だ。
だが、それだけ。速いだけ。鋭いだけ。そこに技術はない。ただの暴力であって、武術ではない。そんな攻撃を真が今更喰らう訳もなく。完全に見切って、攻撃を回避していた。
「手加減なんて必要ねえよ。お前は近接戦闘向きじゃないだろ? 術者らしくしたらどうだ?」
真は反撃を一切せずに、ディルフォールに言った。
「ふふ、なるほど。汝は、本当に我のことを知っているのだな」
真の言葉に嬉しそうに応えると、ディルフォールは、ここで一旦距離を取った。
「嫌というほどな」
真はゲーム内で何度も何度もディルフォールと戦ってきた。目当ての最強装備を手に入れるために、苦行ともいえるほどに、時間を費やして戦ってきた相手だ。
ディルフォールの本分は物理攻撃ではない。無限ともいえる魔力を源とした数々の魔法だ。いわば、ディルフォールというのはソーサラーなのだ。
「それは悪かったな。汝を舐め過ぎていたようだ。ならば見せてやろう! 我の力の神髄を! これが最強と謳われたドラゴンの力だ!」
ディルフォールは右手を大きく天に向けて上げた。すると、瞬時に巨大な火球が出現。中央広場を真っ赤に染め上げるほどの火球が、ディルフォールの頭上に現れた。
「イル ゲヘナ!」
ディルフォールが呪文を唱えると、巨大な火球から無数の火の玉のが飛び出してきた。四方八方、縦横無尽に火の玉が飛び出してくる。
「いきなりこれかよ!?」
真は無数に飛来する火の玉を避けながら毒づいた。この攻撃自体はゲームで知っている。ただ、いきなりやってくるような攻撃ではなく、戦いの中盤からの難所として仕掛けて来る攻撃だった。
「ほらほら、どうした? さっきの威勢はどこにいった?」
本来の戦い方になり、ディルフォールが嬉々として声を上げる。
「今から見せてやるよ!」
そこら中から、爆発音が飛び交う中、真は火の玉の軌道を見切り、次々と回避していく。だが、火の玉の密度が濃い。一気に距離を詰めるということはできそうにない。
(どこかで打ち止めになる。それまで、避け続ければ)
無数に飛散する火の玉は、確かに強力な攻撃であるが、ずっと続くわけではない。玉切れになったところが反撃の糸口だ。
そして、その機会はすぐにやって来た。全ての火の力を使い果たした火球は、急速に萎んで消えていく。
(ここだ!)
<レイジングストライク>
真は一気に距離を詰めるため、レイジングストライクを発動させた。猛禽類が大空から獲物に狙いを付けるようにして、ディルフォールに猛襲をかける。
「ソル ケラフ!」
ディルフォールは、右手と交差させるようにして、左手を高く上げると、目の前から幾本もの氷柱が迫り出してきた
「ぐっ……!?」
地面から急激に出現した大きな氷柱は、飛んできた真を下から突き上げた。
大きな氷の柱は、その一本一本が鋭利に尖った槍のようになっており、術者たるディルフォールの眼前に壁のようにそそり立つ。
「ふっ、なかなかやるではないか。あの状況でも、我に一太刀入れるとはな」
ディルフォールは肩を擦りながら、面白そうに言う。完全にカウンターとして入れた氷柱の攻撃だったが、真はディルフォールに一撃を入れていた。
「こっちは、完全に懐に入るつもりだっただけどな……」
胸の辺りに痛みを覚えながらも、真はディルフォールを見据えた。
(ダメージを受けてるな……。ゲームの方だったら、ほとんど半殺しにされている攻撃だけど、流石にそこまでのダメージは受けないか……。ただ、何度も食らえば、やばいな……)
レベル100の最強装備。その真ですらダメージを受けるほどの攻撃力。今のディルフォールが、元となったゲームよりは弱く設定されているにしても、真一人が戦うとなると、やはり、それ相応のリスクは伴う。
「宴は始まったばかりぞ。まだまだ楽しませてくれるのよな?」
ディルフォールはそう言うや否や、両手を大きく広げた。
「エムト ラ ケラハ!」
ディルフォールが呪文を唱えると、周囲の空気が一瞬にして白く濁り始めた。
「まずッ!?」
真は飛び出すようにして、方向を変えると、脱兎のごとく走り出した。
ディルフォールの特殊攻撃は、その詠唱kから判断するしかない。今回の唱えられたのは『エムト ラ ケラハ』。それは術者の周囲を瞬時に凍り付かせる攻撃。その効果範囲は広く、大ダメージを受けるだけでなく、喰らえば凍り付いて、一定時間動くことができなくなってしまう。
今の真にとっては、ダメージよりも完全に動きを封じられてしまうことの方が厄介だ。一撃でやられるようなことがないにしても、ダメージが蓄積すれば死に至る。
視界が完全にホワイトアウトする直前、真は間一髪切り抜けて、その範囲から脱出。一瞬だけ間を置て、真の後ろからガキンッと空間が凍る音が響いた。
振り向くと、ディルフォールを中心とした辺り一面が白く凍り付いている。花で描かれたマーフィーの花壇も真っ白に染め上がっていた。
「エル バラク!」
ディルフォールは、手を止めることなく、次の攻撃に転じた。
右手を真の方へと向けると、紫電が迸った。まるで数匹の蛇が唸りながら押し寄せてくるような、不規則な動き。その分、軌道が読みにくい攻撃である。
真は全力で横に走りながら、襲い来る紫電から逃れていく。
しかし、真もただ逃げ回るだけではない。大きく迂回はさせられているが、ディルフォールに周り込むようにして近づいていく。
「喰らえーっ!」
紫電が消えると同時、好機と見た真は体のばねを開放して、一直線にディルフォールへと斬りかかって行った。
「ラファ トルナド!」
再び、ディルフォールの詠唱が完了すると、その身体を竜巻へと変化させた。
荒狂う暴風の渦が、斬りかかる真とぶつかる。
「うおおおおーーーー!」
真は手を止めずに、そのまま竜巻と化したディルフォールへと踏み込んで、袈裟斬りは放った。だが――
「ぐぁ……ッ!?」
真の剣は、竜巻となったディルフォールにはじき返されてしまう。同時に、体には裂傷のような痛みが走る。
「あそこで、手を止めないとはな。ふふふ、つくづく面白い娘よのぅ」
胸の方を擦りながらディルフォールが言った。どうやら、一撃だけは届いていたようだ。
(こいつ、戦闘は素人かと思ってたけど、全然違ったな……。素人なのは格闘技術だけか。術での戦闘は超一流だ)
真はここで考えを改めた。ディルフォールは力を持っただけの怪物だと思っていた。最初の近接攻撃も、力任せの攻撃しかしていなかった。
だが、本来の戦闘スタイルである、ソーサラーとしての戦いはどうか。遠距離の攻撃は元より、近距離でも真の動きに対応して攻撃をしてくる。
ある意味ではゲームのディルフォールよりも強いかもしれない。元となったゲームのディルフォールは、ここまで巧みに攻撃を仕掛けてくるようなことはなかったからだ。
(やばいな……。これは、マジでやばい……)
真はギュッと大剣を握りしめた。
(駄目だ……。本当に……駄目だ……。こいつは……楽しすぎる……)
真は必死になって歯を食いしばるも、止めどなく湧きあがってくる歓喜の念を抑えきれずに、笑ってしまっていた。