魔竜 Ⅲ
「高木!? 返事をしろ! 高木!」
総志が高木の元へと駆け寄るが、完全に石になってしまっている高木からの返事はない。
高木の顔は真剣そのもの。まだまだ戦うという意思がその顔から滲み出ている。高木は自分が石化することに気が付いていなかったのだろう。振り向いた矢先に、フィアハーテの邪眼を直視してしまい、状況を理解する間もなく石に変えられた。
「ビショップ! ピュリフィケーション! 早くしろ!」
怒鳴り声にも似た総志の声が木霊する。
「や、やってます! ですが――石化解除できません!」
最初に返事をしたのは美月だった。総志が『邪眼だ』と叫んだ直後に、状況を把握。すぐさま目を閉じていた。同時に考えたことは、誰かが魔竜の邪眼を見てしまうのではということ。
嫌な予感の通り、複数の人が石像にされていたのを見て、すぐさま状態異常を回復するスキル、ピュリフィケーションを使ったのだが……。
「こっちもダメだ! ピュリフィケーションでは石化を解除できない!」
同じくビショップの時也も声を上げた。
「ぐっ……。石化された奴は一旦放置! 全員フィアハーテに集中!」
総志が苦渋の決断をする。今は戦いの真っただ中。石化した人をどうするかなど考えている余裕はない。ここで、総志が迷いを見せてしまえば、それは瞬く間に伝播してしまう。
「は、はい!」
椿姫や咲良が動揺しながらも、何とか返事をした。敵がどれほどの化け物であるかは、事前に理解していた。犠牲者が出ることも最初から分かっていたこと。
何度も経験してきた生死を分ける一線。自分たちは常にその一線の上にいる。これからも来るであろう、死線の一つを越えたに過ぎない。
すでにフィアハーテは、次の行動に移るべく姿勢を元に戻していた。
「グルルルル!」
唸り声を出しながらフィアハーテが標的に目を向けた。高木が石化したことによって、フィアハーテの敵対者リストが書き変わっている。
フィアハーテの敵対心一位だった高木が脱落したことによって、2番目にヘイトが高い者が繰り上がることになる。
「ガアァッ!」
フィアハーテは大きな手を振り上げると、鋭い爪を翳して襲い掛かってきた。
その狙いは総志。
ブンッ! と風を斬り裂く音が聞こえて来る。総志はギリギリの所でフィアハーテの爪を回避すると――
<スラッシュ>
待っていたかのように踏み込みからの袈裟斬りを喰らわせた。
<フラッシュブレード>
続けざまに瞬くような一閃を放つ。
フィアハーテは再び腕を上げて、総志を睨みつける。そして、そのまま勢いよく爪を振り下ろしてきた。
総志はその攻撃を深く体を沈み込ませるようにして回避。頭上を巨大な爪が通過すると、風圧で体ごと押しつぶされそうな感覚になる。
だが、総志は笑っていた。防御力の低いベルセルクが、フィアハーテの爪をまともに喰らえば、ただでは済まない。その緊張感がたまらなく楽しかった。
<ヘルブレイバー>
沈み込んだ体勢をバネにして、総志が大剣を斬り上げた。
飛び上がった姿勢で、総志とフィアハーテの目が合う。
まるで感情のない無機質なフィアハーテの目。喜びも快楽も悲しみも怒りも、何もかもが抜け落ちたようなフィアハーテの目が、総志だけを見ている。
「総志下がれ! 高木の交代要員はどうした? 早くフィアハーテの注意を引き付けて!」
そこに時也の声が割り込んできた。高木が倒された場合のことを考えて、代わりの盾となるべくパラディンやダークナイトが配備されている。
「も、森永さんは……、石化しています!」
これには椿姫が返した。2番目の盾役として控えていた、ダークナイトの森永だが、先ほどの闇の刻印で、高木と同様に刻印の対象となり、そのまま石化させられていた。
「――ッ、広瀬さん! 繰り上げです! 行ってください!」
時也は歯噛みしながらも、盾役の3番手、ダークナイトの広瀬に声をかける。だが……。
「だ、ダメです! ひ、ひろ、広瀬さんも、石化して、してます!」
今度は咲良が返答した。広瀬は闇の刻印の対象ではなかったが、他の人の行動に気を取られてしまい、魔竜の邪眼への対応が遅れてしまっていた。
「次ッ! 広瀬さんの次は――」
「出さなくていい! 俺がやる!」
総志の大きな声が、時也の指示を遮った。
「な、何を言ってるんですか、紫藤さん!」
思わず声を上げたのは美月だった。盾役でもないベルセルクの総志が、巨大な魔竜王の攻撃を一身に受けると言っている。死にたがりにもほどがある。
「俺がこいつを引き受けると言ってるんだ!」
「無茶を言わないでください! そんなの、死んでしまいます!」
「蒼井は一人で戦っている!」
「…………ッ!?」
総志の一言に美月が息を詰まらせた。その間にも、総志はフィアハーテの攻撃を掻い潜って、一撃を入れいてる。
「蒼井にできて、俺にできない理由はない! 俺がこいつを引き受ける! 全員、攻撃に集中!」
「「「はいッ!」」」
総志の命令に『ライオンハート』のメンバーが応える。そこには美月が抱いているような不安はない。絶対的な信頼が、総志の命令を通した。
「なッ……、そんな……どうして……?」
その光景が美月には信じられなかった。いや、知っていたはずだ。『ライオンハート』における、紫藤総志という人間がどういうものかを。
総志が『やる』と言ったのだから、『やる』のだ。それが『ライオンハート』の不文律。何者にも曲げられない信念だ。
「美月さん、大丈夫だから。ああなった紫藤さんは、もう止められないよ」
椿姫が美月の肩にそっと手を置いた。その表情にはまるで不安というものがない。
「でも……」
美月だって、総志の強さくらいは知っている。戦闘能力だけでなく、瞬間的な判断力も優れている。現実側最大規模のギルドのマスター。
最強は誰かという問いに対して、一般的な回答として出て来るのが総志だ。
だが、それでも真よりは弱い。
「私たちはこうやって、生き残ってきたの」
椿姫はそう言い残して、戦線へと復帰していった。
(強い……。凄く、強い信頼関係……。分かっていたことだけど、ここまで紫藤さんのことを信頼できるなんて……。なんだか、羨ましい気もするけど……)
美月はギュッとワンドを握り直した。
(だけど、私はやっぱり心配する。椿姫さんの言う通り、大丈夫だとしても、私は心配だ。真のことだって、勝てると信じてるけど心配はする)
美月は総志と真を重ねて見ていた。真は離れたところでディルフォールと一人で戦っている。真が負けるなんて思ってもいない。だけど、愛する人が化け物と戦っているのに、心配しないなんてことは、あり得ない。
(やっぱりそうだ。皆だって、本当は紫藤さんのことを心配してるはずなんだ。紫藤さんへの信頼と、不安と緊張の中で戦ってるんだ。だったら、私が絶対に紫藤さんを死なせない! 勝って、真の下に行く!)
美月は改めて、フィアハーテも見上げた。
今までに見た、どんなモンスターよりも、巨大で、不気味で、禍々しい、魔竜の王。
そのアンバランスなまでに大きな顎が、総志を狙って噛みつこうとする。
大振りなその攻撃を、総志は冷静になって避ける。同時に反撃の連続攻撃を叩きこむ。
「うおおおおーーーー!」
総志の勢いは止まらない。それどころか、今まで以上に果敢に斬りかかっている。
闇の刻印と魔竜の邪眼の同時攻撃。この攻撃で何人が犠牲になったのか。正確な数字は分からないにしても、かなりの被害が出たことは確かだ。
だからこそ、総志は自分の戦いをギルドメンバーたちに見せつける。
それは、何物にも屈しない百獣の王としての威厳。どんなに状況が悪かったとしても、覆すだけの力があると証明する。
「紫藤さんに遅れを取るなー!」
「いけー! 叩き潰してやれー!」
「油断はするな! まだ攻撃が来るぞ!」
総志が巻き起こした風は、『ライオンハート』のメンバー達によって、どんどん力を増していく。
その風は、やがて嵐となり、巨大なドラゴンすら飲み込むほどの大きさにまで成長する。
苛烈さを増す『ライオンハート』の攻撃に、フィアハーテが一歩後退した。
「フィアハーテが退いたぞ!」
「このまま押せー!」
流れが来たと感じた、『ライオンハート』のメンバーから、雄叫びのような声が上がってきた。
対する、フィアハーテは、一度、大きな翼で自身の体を包みこむようにした。その体勢は、余りにも強烈な攻撃に耐えきれず、翼で身の守りを固めているようにも見える。
だが――
「全員攻撃中止ー! 『歪な翼』が来るぞ!」
総志が大声を張り上げた。
その声に、全員が攻撃の手を止めて、フィアハーテに注目する。
直後、フィアハーテは開放されたように、大きく翼を広げた。同時に、視界を奪われるほどの黒い靄が吹き荒れる。
「「「うっ……」」」
所々で呻き声が上がる。黒い靄は痛みを伴わないが、不気味な靄に辺り一面を覆われることによる、精神的な圧迫感は相当なものだ。
そして、黒い靄は、数秒間暴れまわると、まるで何事もなかったかのように霧散して消えていった。
「狂化対象者を探せ! サマナーはスリープリーフ!」
再度、総志が大声で指示を出す。
フィアハーテの特殊攻撃『歪な翼』は、複数名がランダムで狙われる。狙われた者には黒い靄が残り、全身を黒く覆われてしまうため、それで判別ができる。
問題は歪な翼に狙われた者への対処。歪な翼の対象となった者は、『狂化』という状態異常が付与される。
一言でいえば、味方を敵と勘違いして攻撃する、混乱状態なのだが、ただの混乱ではない。攻撃力が異常に強化された状態で、味方に対して攻撃するという凶悪な状態異常。
対象方法は、歪な翼の効果が切れるまで対象者の動きを止めるというもの。
そこで重宝するのが、サマナーのスキルであるスリープリーフだ。搦め手を得意とする精霊、シルフィードの状態異常スキルであり、ターゲットを睡眠状態にすることができる。その際に、一切ダメージを与えることがないため、無傷で歪な翼の対象者を無力化することが可能だ。
ゲームでは、この歪な翼の対策のために、フィアハーテ戦では多くのサマナーが投入される。
それは、ゲーム化した世界でも同じ。歪の風対策に投入されたサマナーの華凛もシルフィードを召喚して、黒い靄に覆われている人を探す。
本来であれば味方に対して、攻撃をすることはできないのだが、歪な翼の効果中は、一時的に“敵”という判定に変わる。
「いたわ! こっち――」
最初に歪の風の対象者を見つけたのは翼だった。すぐさま、声を上げるが――
「ギャァオォォォォーーーーッ!!!」
突然、フィアハーテがけたたましい鳴き声を発した。まるで鼓膜を直接引掻かれるような痛みが耳を襲う。
――と同時。身を斬り裂くような激しい風が暴れ回った。
辺り一面を蹴散らすような猛烈な風が暴れまわると、全員に強烈な痛みが襲い掛かってきた。
「うぐぁッ!?」
何の前触れもなくやって来た激痛に、誰のものとも分からない、苦痛の声が聞こえてくる。
「ふ、腐敗の風だッ! ビショップは全体回復! 急げ!」
激しい痛みに顔を歪ませながらも、総志が大声で指示を飛ばす。腐敗の風は、ほとんど攻撃の予兆がなく、しかも回避不能の広範囲攻撃。さらには、強力な毒の効果というおまけまで付いている。
「はいッ! すぐに――うああああーーー!?」
返事をしたビショップの男が、悲鳴を上げた。
あまりにも悲痛な叫びに、注目が集まる。そこには、味方に斧を振り下ろす、ダークナイトの姿があった。




