魔竜 Ⅱ
魔竜の邪眼を発動させたフィアハーテは、再び爪や牙による攻撃を再開した。
単純な攻撃力でいえば、魔竜王フィアハーテは、火竜王アグニスに劣る。だが、討伐が難しいのはフィアハーテの方だ。
その理由は搦め手が多いこと。確かにアグニスの攻撃力は桁違いに高いが、攻撃方法自体は単純なものばかり。
しかし、フィアハーテおいてはそうはいかない。先ほど発動させた、魔竜の邪眼は、目を閉じないといけないというリスクを背負いながらの対応を余儀なくされる。
だから、フィアハーテとの戦いは、アグニス以上に高い精度の訓練が必要とされた。
そのことを考えると、他の人より短い訓練期間にも関わらず、メインの盾役をこなしている高木に対して、総志は素直に称賛していた。
(だが、いつまでも高木に負担をかけるわけにもいかない……)
総志は横目で高木の方を見ながら剣を振った。『ライオンハート』の精鋭部隊である第一部隊と同等の実力を持っている高木だが、人間である以上、どこかに限界はある。
フィアハーテとの戦いは始まったばかりだが、機を見てメインの盾役を交代させないといけない。
それと、総志には一つ、高木に対して懸念があった。
(徐々に攻撃を受け止めることが多くなってきたか……)
パラディンやダークナイトの特性として、盾による防御がある。元から高い防御力に加えて、盾による鉄壁の守りが、両職の強みでもあるのだが……。
(盾による防御に頼り過ぎてるな……)
避けるより盾で受ける方が簡単。それが盾職の癖というか、染み込んだ戦闘スタイルになっている。これは、高木に限った話ではない。比較的避けることが得意な姫子でさえ、盾による防御に頼る傾向がある。
「ビショップは高木の回復を厚めにしろ! 攻撃は二の次でいい!」
総志が指示を飛ばす。フィアハーテは魔竜だ。ビショップが持つ聖属性の攻撃スキルはフィアハーテにも有効な攻撃手段となる。
だが、盾役が落ちてしまえば、致命的な損害を受ける可能性があるため、攻撃よりも回復を優先させた。
「「「はい!」」」
総志の指示に対して、はっきりとした反応が返ってきた。
総志はその反応に満足すると、再びフィアハーテに斬りかかる。
フィアハーテは今までに戦ったモンスターの中では、一番大きい。断トツと言ってもいいくらいだ。
そんな相手に対しても、総志は臆することなく、果敢に斬るかかる。
(蒼井が笑うのも分かる気がするな)
連続攻撃スキルを叩き込みながら、総志は自然と口角が上がっていた。それは、ベルセルクとしての特性だった。本人の意思とは関係なく、戦いを求めてしまう。
真ほどではないにしろ、総志もベルセルクとしての特性が高い。フィアハーテの正面にこそ立ってはいないが、気持ちとしては、真っ向から立ち向かいたい気分だ。
総志に負けじと、『ライオンハート』と『フォーチュンキャット』の攻撃は、どんどん苛烈になっていく。翼の弓も、彩音の魔法も、華凛の精霊も、出し惜しみなく全力で攻撃を加えていく。
そんな中、フィアハーテの攻撃がピタリと止まった。
それは、数秒のことだったが――
「ギャァオォォォォーーーーッ!!!」
突然、フィアハーテがけたたましい鳴き声を発した。耳を劈くような不快な鳴き声。黒板を尖った金属で引っ掻いた音を、更に大音量にしたような鳴き声と言えばいいだろうか。
身の毛もよだつような、奇怪で大きな鳴き声と同時、フィアハーテを中心に、激しい暴風が巻き起こった。
「ぐあああーーーッ!?」
「きゃあああーーッ!?」
荒狂う風は、辺り一面を薙ぎ払うような広がると、全員に強烈な痛みが走った。その突然の出来事に、攻撃の手を止めて、必死で踏ん張った。
「『腐敗の風』だ! ビショップ、エンハンサーは全体回復! 急げ!」
すかさず総志が指示を出した。
総志自身にもかなり痛みがある。おそらく生命力の半分は持っていかれたか。それくらいの痛みだ。今、同じ攻撃を喰らえば、パラディンとダークナイト以外は全滅するだろう。
「は、はい……ッ!」
痛みに耐えながらも美月が返事をした。そして、すぐに範囲回復スキルを発動させる。
<ブレッシング オブ ライフ>
美月の周りに温かな癒しの光が溢れ出してくる。まるで、赤ん坊をその胸に抱く母親のように、周囲を優しく包み込んでいくような光。
ブレッシング オブ ライフは瞬間的な回復だけでなく、その後も回復効果が持続するスキル。ライフファウンテンの範囲効果版といったところか。
「ビショップは回復の手を止めるな! 腐敗の風には毒の効果が付与されている! 毒の方が危険だ! エンハンサーも回復支援!」
美月と同じく、ブレッシング オブ ライフを使用した時也が叫んだ。
訓練時の真からの説明では、フィアハーテの特殊攻撃『腐敗の風』は、全体にまき散らす範囲攻撃だけでなく、継続してダメージを受け続ける、毒の効果も付与されているということだった。
しかも、毒によるダメージが尋常ではない。トータルのダメージ量からすると、腐敗の風の発動時のダメージより、その後の毒による継続ダメージの方が大きい。
当然、一人のブレッシング オブ ライフだけでは、この毒ダメージを相殺しきることはできない。
「回避方法がないのは厄介だな……」
強烈な痛みが残る中、総志は毒づきながらも、攻撃を再開した。
対フィアハーテ訓練で、真から言われた腐敗の風対策。それは、『必死に回復してくれ』。この一言だけ。非常に広い攻撃範囲を持つ腐敗の風は、ゲームの方でも、それ以外の対処方法はなかったということだ。
腐敗の風が来る予兆は、フィアハーテの攻撃が数秒止まった時。訓練では、攻撃が止まったと仮定して回復スキルを使用するのだが、実際にやってみると、非常に分かりにくい予兆だ。
しかも、ダメージによる痛みも大きいとなると、訓練と実戦の差を思い知らされる。
「この……、トカゲの癖に……」
痛みに顔を歪ませながらも、咲良が戦線に復帰してきた。かなり痛いとは聞いていたが、ここまで痛いとは思ってもいなかった。
「即死じゃないだけ、情があると思いなさい」
横から椿姫が口を挟む。同時にエンハンサーの回復スキルである、ライフソングも発動させている。
ライフソングは、エンハンサーを中心として、回復のフィールドを展開するというもの。ビショップのブレッシング オブ ライフと違って、即発動する回復効果はないが、その分、効果時間が長い。
「別に、この程度の攻撃、なんともないですから!」
お互い、痛みに対しての苛立ちがあるのだろう。それが咲良にも分かっていたが、自分を奮い立たせるようにして、強気に返した。
「相手を軽く見るな。無理そうなら素直に下がれ」
そこに総志も口を挟んできた。はっきり言って、痛みを抱えたままの戦闘というのは、かなり厳しい。ゲーム化の影響で、肉体的な損傷は皆無だとしても、痛みは動きと判断を鈍らせてしまう。
「大丈夫です、総志様! これくらいの痛み、私は平気です!」
咲良が慌てて言い直した。咲良は、ただ総志の期待に応えたいという気持ちだけで返事をしているのだが……。
「和泉」
「はい!」
総志に呼ばれて、椿姫が意識を向ける。この声はヤバイと、椿姫は直感した。戦闘中であるため、背筋を伸ばして総志の前に行くということはできないが、気持ちだけは、背筋を伸ばしている。
「お前の判断で、七瀬を下がらせろ」
総志は咲良の発言に怒っていた。
「総志様! 私は戦え――」
「相手がどんな化け物なのか、理解していない奴は邪魔だ! 今すぐこの場から消えろ!」
再開されたソーサラーやサマナーの魔法攻撃による爆発音の中、総志の声は、突き破るようにして、咲良に叩きつけられた。
「――ッ!?」
ビクッと体を強張らせた咲良が、泣きそうな顔になる。
「手を止めるな! 目の前の敵に集中しろ!」
再び総志が怒声を上げる。
「――は、はいッ!」
咲良は意識を改めて返事をした。その声に、総志は満足したのか、少しだけ微笑んだようにも見えた――が、すぐに普段の仏頂面に戻って剣を振り続ける。
咲良とて、決してフィアハーテを軽く見ていたわけではない。総志の役に立ちたいという気持ちがあっただけなのだが、それが命に関わることになるかもしれないということを、総志が何よりも心配してのことだ。
特にフィアハーテは、真も対処が難しいと言っていたくらいの相手だ。まだまだ、厄介な攻撃は残っている。
その中の一つ、真が特に注意を促していたのが、『闇の刻印』という特殊攻撃。通称『人間爆弾』だ。
それは、複数の対象者に『闇の刻印』という状態異常が付与され、数秒後に刻印が爆発するというもの。刻印が付いた人に対しては、ダメージが少ないのだが、刻印の爆発に巻き込まれた人は、即死ダメージを受ける。しかも、猶予時間が短いというのがこの攻撃の厄介なところだ。
その、闇の刻印が発動する予兆。それは、フィアハーテの周りに大きな魔法陣が展開された時。
「闇の刻印が来るぞー!」
総志が緊張した声を上げた。そう、まさに今、フィアハーテの闇の刻印が発動しようとしているところだ。
フィアハーテの周りに広がった魔法陣は、黒紫色に光りを放つと、霧散するようにして消えた。
その直後――
「刻印対象者は走れー!」
フィアハーテと戦っている者の中で、10人ほどの体が急に紫色に発光した。その頭上には、何やらルーン文字のような物が浮かんでいる。
闇の刻印の対処方法は、まず、T字に陣形を作り、フィアハーテと戦う。闇の刻印が発動したら、対象者は時計回りに、誰もいない方へと走る。
そして、刻印が爆発したら戻って来るというもの。猶予時間が短いため、自分の体が紫色に光ったら、即走り出さないと、誰かを巻き込む恐れがあった。
「くっそ! 俺が刻印対象かよッ!?」
高木が毒づきながらもフィアハーテから離れていった。
闇の刻印の対象者は、ランダムであるため、盾役をしている者にも刻印が付与されることがある。
元々、高木以外は誰もいないフィアハーテの正面。猶予時間が短い闇の刻印といえど、巻き込む人がいないのであれば、まだ余裕はある。
それでも、刻印の爆発範囲を考えれば、その場所をから離れないと、フィアハーテの側面から戦ってる人を巻き込んでしまう。
「よし、大丈夫だ!」
総志は、闇の刻印が付与された人全員が、安全圏にまで走っていけたこと確認し、フィアハーテへの攻撃を再開させようとした時、あることに気が付いた。
(フィアハーテが立っている……?)
総志が闇の刻印の対処に気を取られて、目を離した隙に、どうやらフィアハーテは立ち上がっていたようだ。
問題はフィアハーテが立ちあがる理由。
ふと見上げると、フィアハーテの目は光を放っていた。
「――邪眼だーッ!」
咄嗟に総志が叫んだ。同時に、顔を背けて目を閉じる。
数瞬の間をおいて、ドーンっという爆発音が聞こえてきた。闇の刻印が爆発した音だ。
「振り向くなーッ!!!」
さらに総志は声を張り上げた。喉が避けんばかりの大きな声を上げる。それは、闇の刻印対象者に向けられた言葉だった。
闇の刻印が爆発したら、もう大丈夫なので、対象者はすぐに戻ることになっていた。だが、今は、魔竜の邪眼が発動しようとしている。
戻って来る際に、振り向いてしまえば、魔竜の邪眼を直視してしまうことになる。
そして、総志は、勘で魔竜の邪眼が発動したタイミングを見計らい、目を開けた。そこには――
「高木ィーーーッ!!!」
振り向いた直後の姿で石になってる高木篤弘の姿があった。




