死の大地 Ⅳ
「ほう。娘よ、我が何者であるか知っているようだな?」
降下してきたディルフォールは、一度大きく羽を羽ばたかせると、そのまま花壇の中心に着地した。
「ああ、よく知ってるよ……。深淵の龍帝 ディルフォール……」
真から緊張した声が出て来る。心理面で余裕を見せておきたいところだが、深淵の龍帝と呼ばれる、最強のドラゴンを前にして、声が震えてしまっていた。
「よもや、こんな小娘が我の名を口にするとはな。人間とはさも面白いものよ――なら、その方らは、ここに来ることの意味を理解しているということだな?」
ディルフォールは真達を値踏みするように笑っている。どれほどの大馬鹿でも、死の大地に踏み入れば、その意味を理解できる。本能がこの場所を拒絶するからだ。それでも、この人間達は死の大地を進んできた。
「そうだ。俺たちはお前を討伐に来た!」
総志が一歩前に踏み出して言い放った。そこには一切の動揺は見られない。微塵も臆することなく、堂々とディルフォールと対峙している。まさに百獣の王の威厳といったところだ。
「威勢がいいな小僧。嫌いではないが……、果たして、汝に我を楽しませることができるか?」
深紅の瞳が総志を見据える。
「貴様の遊びに付き合うつもりはない!」
総志は突き放すように言った。ただでさえ、強大な敵だ。会話の時点でペースを持っていかれるわけにはいかない。
「ふふふ、つれないことを言いおる。だが、汝はなかなか我好みだ。イルミナの戯言に付き合うよりも遥かに心地よい」
ディルフォールは舌なめずりしながら総志を見つめた。
「イルミナ……。そうだ、イルミナがいない!?」
ディルフォールの一言で、真が気が付いた。一緒にいるはずのイルミナ・ワーロックの姿がどこにも見当たらないのだ。
「おい、イルミナ・ワーロックはどこだ?」
すかさず総志がディルフォールに問い詰める。
「イルミナ・ワーロック? ふん、あの女のことなど、我の知ったことか」
ディルフォールは不機嫌そうに答えた。折角楽しめそうな相手が来たというのに、イルミナのことを聞かれるのは興ざめというもの。
「ど、どういうことだ? お前らは仲間じゃないのか?」
意外な回答に姫子が声を上げていた。こちらの想定では、イルミナとの戦闘もあるはずだったが……。
「仲間? あの狂人と我が仲間と申すか? ふざけた妄言を許すほど我は寛大ではないぞ人間ッ!」
縦に割れた瞳孔が姫子を睨みつけた。殺意の籠った鋭い目だ。
「――ッ!?」
その目の圧力に、姫子が後ずさりしてしまう。今までに感じたことのない、圧倒的な威圧感だった。それは、純粋な恐怖と言っていいだろう。喰われる側の気持ちというのが、嫌というほど実感できた。
「元より、許しを請うつもりはない! イルミナの居場所を知らないなら、貴様に用はない! ここで朽ち果てろ!」
総志は姫子を庇うようにして前に出た。横目で姫子の方を見ると、足が震えているのが分かる。ディルフォールの放つ圧力は人間の比ではない。総志は、自分でもよくこんな化け物の前に立っていることができるなと驚くほどだ。
「ああ、そうだ。雄はそうでなくてはな! だが、汝では我の相手が務まるかな?」
ディルフォールは満足げに総志に目を向けている。何物にも屈さない強さ。それこそが、ディルフォールの求める雄というもの。存分に喰らいつくしたいところだが、威勢だけでは足りない。
「安心しろ、貴様の相手は、俺よりも強い奴だ! むしろ、貴様が役不足じゃないことを願いたいくらいだ!」
総志にしては珍しく、ニヤリと笑って返した。こんな顔は『ライオンハート』のメンバーでも見たことがないだろう。
「汝よりも強い?」
ディルフォールは、総志の後方に控えている人間達を見渡した。
(この威勢のいい男は確かに強い。だが、我の相手をするには力不足……。あの女騎士ではない。我に怯えている時点で論外……。なら、どいつだ? そいつがイルミナの言っていた、『強者』だ。アグニスを単独で退けるだけの力を持った人間……)
訝し気な表情で人間達を見ているディルフォールの視線が一瞬止まった。
「挑発するだけ挑発しておいて、結局退くのかよ……」
不平を言いながらも真が一歩前に出て来た。そして、ディルフォールと視線が交差する。その瞬間、真の腕が震えた。
「ハハハッ! まさかその娘とはな! なるほど、そういうことか!」
(こやつ、我に恐怖して震えていたわけではない! 自らの昂ぶりを抑えておったのだ! 我と戦えることが嬉しくて仕方がないということか!)
ここでディルフォールが理解した。深淵の龍帝と呼ばれる存在を知っているから、それに恐れをなして、声が震えていたのだと思っていたが、どうやら真逆のようだ。
「ああ、そういうことだよ。お前の相手は俺だ!」
真はそう言うと大剣を構えた。装備の外見を変更するアイテムで、見た目こそ変えているが、真が手にしている大剣は『インフィニティ ディルフォールグレートソード+10』。
この世界の元となったゲームで、深淵の龍帝を倒した報酬として手に入る武器で、しかもレアドロップ。ただの『ディルフォール グレートソード』なら、ディルフォールを倒せば比較的楽に手に入れることができるが、“インフィニティ”を冠する武器は、手に入る確率が格段に低い。何度も何度もディルフォールを倒し、数カ月かけてようやく手に入れた、まさに超レアアイテムだ。
「汝がアグニスを単独で退けた“強者”か。なるほど、よく見れば、ただの人間ではないようだな。特別な力を感じるぞ」
ディルフォールは改めて真の目を見つめた。ここに来ている人間達は確かに強い。並の人間の強さではないことは確かだ。その中でも真の強さは別格だ。見た目が少女であるため、最初の第一印象では気が付かなかったが、注意して見れば、周りの人間とは別次元であることが見て取れる。
「別に特別な力なんてねえよ。俺はただの人間だ!」
真はディルフォールの言葉を強く否定した。そうしないと、自分を抑えることができないから。自身の中にある狂戦士は、戦いたくて戦いたくて仕方がない。今にも飛び出して、ディルフォールに斬りつけそうな勢いだ。
だけど、そんなことを認めるわけにはいかない。これは人と化け物の戦い。真は人として化け物を倒すと心に決めている。
「ただの人間か。そうか……。汝が何に怯えているかは知らぬが、我に臆してないということだけは褒めてやろう」
ディルフォールは真に違和感を感じていた。これから最強のドラゴンと戦うというのに、その相手が自分ではない別のものを見ているような感覚。それが何かは分からないが、ディルフォールにとっては些末なこと。楽しむことができればそれでいい。
「何も怯えちゃいねえよッ!」
真はムキになって反論した。真自身が抱える問題をディルフォールが知っているわけがない。だが、真の中にある不安を見透かされて、それしか言い返すことができなかった。
「それなら構わん。だが、我を存分に楽しませることだけは忘れるでないぞ!」
「心配するな。約束してやるよ、お前を満足させてやるってな!」
「その言葉確かに聞いた。では、始めるとするか――降りて来い、アグニス、フィアハーテ」
真の返答に満足したのか、ディルフォールは不敵な笑みを浮かべると、上空で旋回していた二匹の竜王を呼んだ。
アグニスとフィアハーテは、命じられた通りに静かに高度を下げて来る。ズシンッと鈍い音を轟かせて、ディルフォールの両脇に降り立った。
「我の子供たちも遊びたがっておってな。人間よ、少しばかり相手をしてもらえるか? なぁに、時間は取らせぬよ。ただ餌になるだけの遊びだからな」
それが合図となった。
「「グオォォォーーーーーンッ!!!」」
アグニスとフィアハーテは鼓膜が痛くなるほどの咆哮を上げて突進してきた。
「お前の遊び相手はこっちだ、アグニス!」
<アンガーヘイト>
向かってくる巨大なレッドドラゴンに対して、姫子が敵対心を上げるスキルを使った。
「グルルルゥ!」
アグニスはすぐさま標的を姫子に定めると、唸り声を上げながら突っ込んでいく。
「龍帝様のお坊ちゃんか、お嬢ちゃんかは知らねえが、お相手させていただくぞコラー!」
<アンガーヘイト>
『ライオンハート』第二部隊所属のパラディン、高木がフィアハーテに対してスキルを使用した。高木は、死の大地シン・ラースの調査をする役割から、ディルフォールの討伐には参加しない予定であった。
だが、死の大地シン・ラースの調査が予定より早く切り上げられたことと、高木のパラディンとしての実力は、『ライオンハート』精鋭部隊である第一部隊と遜色がないことから、急遽討伐メンバーに抜擢された。
「ついて来い、フィアハーテ! 面白い遊びを教えてやるよ!」
高木は大声で叫びながら走りだした。向かうのは『アロニーファンタジア』の中央広場から東の方角。ダイナソーパークというエリアだ。
高木の後を追いかけるようにして、フィアハーテも方向転換。大きな足が地鳴りを上げていく。
総志を中心に『ライオンハート』のメンバーも後に続く。
「アグニス、お前はあたしについて来い!」
姫子も負けじと声を張り上げると、『ライオンハート』が向かった方とは逆方向に走り出した。向かったのは、『アロニーファンタジア』の西側。マジックマウンテンというエリアがある方角だ。
「ガアアァァァーー!」
アグニスが威嚇するように鳴き声を上げると、ドカドカと地響きを鳴らしながら姫子を追いかけた。
「姫に続けー!」
「「「おおおおおーーー!!!」」」
悟が檄を飛ばすと、『王龍』のメンバーが雄たけびのような声を上げて応える。そのまま、アグニスと並走する形で、中央広場から離れていった。