対策訓練
深淵の龍帝ディルフォールの配下にある、ドラゴン達の襲撃から数日が過ぎた、ある日の午前。あの日のことがまるで悪い夢でも見ていたのではと思えるほど、透き通った青空にカラッとした空気。時折吹く風も頬を撫でて気持ちいい。
そんな爽やかな陽の光の下、1000人――いや、2000人はいるだろうか。王都グランエンドで最大の広場である王城前広場に大勢の人達が集まっていた。
集まった人達は誰もが真剣な眼差しをしている。誰一人として、穏やかな陽光を楽しもうとしている者はいない。
それもそのはず、ここに集められた人たちは、全てギルド『ライオンハート』若しくはギルド『王龍』の構成員だからだ。
数々のミッションを命がけで遂行してきた猛者たち。かけがえのない仲間の命の犠牲の上にここまで生き延びてきた歴戦の勇士達だ。
綺麗に整列をした『ライオンハート』と『王龍』の構成員達は、まるでどこかの国の軍隊を思わせるほど。
「諸君、現時刻を持って、対アグニス及びフィアハーテ合同対策訓練を開始する!」
大声を張り上げたのは総志だ。大勢の人達を前にしても、微塵も臆することなく威風堂々とした立ち振る舞い。むしろ、総志を前にしている2000人の人達の方が緊張しているくらいだ。
「事前に説明をしてある通り、『ライオンハート』は魔竜王フィアハーテを、『王龍』は火竜王アグニスを担当する。また、今作戦においては、誰かのミスが全体の崩壊に繋がる恐れがある、非常に困難な闘いとなることが予想されている。ついては、この訓練で足を引っ張ると判断された者は、作戦から除外することを予め伝えておく」
総志が厳しい口調で続けた。真の話を聞いている限りでは、アグニスとフィアハーテの攻撃には対処方法があるが、適切に対処しないと、他者を巻き込んで被害が拡大するということ。
単なる役不足で終わるならまだしも、足を引っ張るどころか、部隊の壊滅に繋がるようなミスをされては勝機は見えない。
「なお、今作戦においては、150人という人数制限がある可能性がある。これは元となったゲームでの仕様ということだ。その仕様が適用されているかどうか。現在、『ライオンハート』と『王龍』の合同探索部隊及びセンシアル王国騎士団にも協力を依頼して調査をしている。もし、150人という人数制限が適用されているのであれば、訓練に合格することはさらに厳しくなると考えてくれ」
総志はなおも説明を続けた。元となったゲームでディルフォールと戦うためには、死の大地シン・ラースのさらに最奥に行く必要がある。そして、シン・ラースの最奥にあるディルフォールの巣に入れるのは、最大で150人までという仕様になっていた。
元となったゲームと浸食してきたゲームでは設定に違いがある。同シリーズのゲームであっても、前作と続編の世界設定に繋がりがないゲームが多いのと同じだ。そうなると、同じ名前のキャラクターやモンスターであっても、続編になると別物となっていることがあるし、強さや能力、戦い方は、続編のゲーム性に適合するように作り直されている。
その辺りのゲーム事情については、総志はまるで知識がないので、真から聞いた通りのことを理解しているだけ。
それを確かめるために、『ライオンハート』と『王龍』から探索部隊を派遣。ロズウェルの口利きでセンシアル王国騎士団にも船を出してもらって、訓練と同時並行でシン・ラースの調査をしているということだ。
「では、ここで、今回の訓練の教官を紹介する。蒼井真対策訓練教官だ」
総志に呼ばれて、後ろで待機していた真が嫌々出て来た。
「何をしている。早く来い!」
とぼとぼと歩く真に対して、総志が急かすように声をかけた。
「あ、ああ……」
真は曖昧な声で返した。
正直言って、大人数の前に出て注目浴びることは、非常に苦手だった。しかも、教官として紹介されている。そんな上に立って指導するような立場にプレシャーを感じてしまう。
「蒼井教官。皆に一言お願いする」
ようやく前に出て来た真に対して総志が言った。
「エッ!? 一言!? えっ? 聞いてないぞ、そんなの!?」
突然、何か言えと言われた真が、目を丸くして総志を見た。相変わらず笑いもしない鉄面皮だ。別にふざけて無茶振りをしているわけではない。
「気の利いたことを言えと言ってるのではない。訓練にあたっての心構えを全員に教示すればいいだけだ」
総志は至極簡単に言ってくる。総志なら突然、一言と振られても問題ないのだろう。時也や悟も器用にこなしそうだ。社会人としての経験があれば何の問題もなくこなせることだ。
「いや……。急にそんなこと言われても、何も考えてきてないよ……」
実年齢25歳とはいえ、真はニートだった。社会経験など一切ない。心構えを教示しろと言われても、咄嗟には出てこない。
「ただの挨拶だ。簡単でいいから、何か言え。誰も未成年者に過度の期待はしていない」
真の苦情も総志は聞く耳持たず。真の見た目は10代の美少女なので、実際には25歳であることを総志も知らない。ただ、形式的に訓練開始のための挨拶をしろと言っているに過ぎない。
「何言っていいか分からないから困ってるんだよ……」
取り付く島もない総志に、真は諦観しながらも一歩だけ前に出た。
全員が真に注目している。
真は助けを求めるように総志の方へと目を向けるが、総志は真の方を一切見ていない。
(くそ……。こういうの苦手なんだよな……)
結局、逃げ場はないので、真は意を決して口を開くしかなかった。
「ええっと……。蒼井真です……。ええっと……、その……。訓練なんですが……。あの……、大事な訓練です……」
自分でも何を言っているのか分からないまま、真は言葉を続ける。
「えー、大事な訓練にあたって……大事なことなんですが……。ゲームだと最初は死にまくってたんですが……、何度も死んで覚えて……慣れていけば――あっ……」
緊張で頭が回っていない真が、とんでもない失言をしたことに気が付いた。ゲームだから何度も死ねるのであって、現実に浸食してきたゲームだと、ゲーム上の死は現実の死と同じになる。
そのため、ここに集まった人達からは、ギョッとした目が真に集中していた。
「あっ……、その……。大丈夫……。大丈夫だから……です……」
最早取り返しのつかない所まで来てしまって、真の頭はさらにパニックになる。もう何を言えばいいのか全く分からない。
「「「…………」」」
『大丈夫』という真の言葉に、王城前広場に集まった人達は何も返せない。
「……えっと……あの……」
真は自分の体温が下がっていくのを感じていた。背中が冷たくなっている。現実から逃げるようにして、思考が止まっていく。
「聞いた通りだ! 蒼井教官のことは皆もよく知っていると思うが、数々のミッションにおける、成功の立役者だ。その蒼井教官ですら、ゲームでは何度も死んだということだ! 今回の相手はそれくらい危険だということを認識してほしい! これから開始する訓練はただの訓練ではない。ミッションの成功と、自らの命、そして仲間の命も懸かった重要な訓練であるということを肝に銘じておけ!」
そこに総志が割り込んできた。おどおどとしている真のことなど目もくれずに、矢継ぎ早に言葉を並べていく。
その言葉で、王城前広場に集まった人達の目が生き返った。不安もあるが、真剣な目つきを取り戻している。これから行われる訓練の重要性を改めて認識したという目だ。
(それだけ言えるならさぁ……、最初から俺に一言求めないでくれよ……)
真は恨めしそうに総志を見た。威風堂々とした佇まい。真の失言でも、上手く士気を高める方向に持っていった。弁が立つ方ではないが、こういう人を引っ張っていく力を持っているのが紫藤総志という男だ。
「最後に、蒼井教官と同じギルドに所属する『フォーチュンキャット』のメンバーも、今回の訓練に参加してもらうことになった。担当は『ライオンハート』と同じ魔竜王フィアハーテだ。諸君らの中には何度か『フォーチュンキャット』のメンバーとミッションを遂行した者もいる。実力に関しては承知しての通りだ。お互い、負けないように尽力してくれ」
総志が美月達の紹介もする。『フォーチュンキャット』のメンバーは、『ライオンハート』側の一番前に整列しており、真の挨拶を冷や冷やとし表情で聞いていた。
「それでは、只今より訓練を開始します。事前に各ギルドの幹部から、各竜王の対策を教示してもらっていますので、それに従い訓練を進めていきます」
続いて時也が説明を始めた。真一人で2000人を超える人数の訓練を見ることはできない。それに、竜王は二匹いる。どちらかを見ていると、片方は放置ということになってしまう。
そのため、事前に総志や時也、姫子に悟だけでなく、ギルドの中枢にいる者に動き方を教えていた。
今日の真の役割は、各ギルドの幹部が指導する訓練を見ながら、動き方を修正したり、助言を与えるという立場だ。
こうして始まった二匹の竜王の対策訓練は真剣そのものだった。ゲームとは違い、本当に命を落とす恐れがある以上、中途半端なことはできない。
真が少し注意を促すだけでも、総志や姫子が怒声をまき散らして、訓練参加者を叱咤する。それは、時代錯誤とも思えるほどのスパルタ指導。
結局訓練は陽が沈むまで行われ、次の日も、その次の日も厳しい訓練は繰り返し行われた。