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新月の夜

        1



深淵の龍帝ディルフォールの配下による襲撃があった日、会議を終えて、真が宿に帰ってきたのは陽が沈んでからだった。


真も翼や彩音、華凛の安否は心配していた。3人の無事な姿を見た途端、気が抜けたのか、どっと疲れが出たのを実感するほど。


実力から考えれば、慎重に立ち回ってさえいれば、雑魚のドラゴンに負けるようなことはない。ただ、如何せん数が多かったことと、中には強大な力を持った個体もいたはずだから、3人の姿を見るまでは気が張りつめていた。


華凛はかなり疲れた様子で、部屋のテーブルにへたり込みながら食事を摂っていたくらい。真に対して、散々『疲れた』だの『しんどかった』だの『自分だけが』といった愚痴を延々と溢していた。


それを聞いている真の方が疲れるくらいなのだが、真にとってはもっと他に気になることがあった。


美月がベッドから出てこないのだ。今いる宿の部屋は大部屋で、個室がないため、嫌でも美月の姿が目に入ってしまう。


頭から深く布団をかぶり、寝返りもしない。まるで石のように、じっと動かずにいた。


「…………」


真は美月の方を見るが何も言い出せない。どう話していいかも分からない。それどころか、話しかけていいかも分からない。


ただ、美月が寝ているベッドを見ることしかできない。


「今はそっとしておいてあげて……」


小声で翼が言う。翼も美月の様子が心配だった。真と喧嘩したというわけではなさそうだが、何か思いつめたような顔をしていた。


「何かあったの?」


テーブルにうつ伏せになりながらも、顔だけは真の方に向けて華凛が訊いてきた。


「……かなり強いドラゴンが来てな……。『ライオンハート』と『王龍』に犠牲が出た……」


真がどう話すか迷ったが、出した回答は事実に即したもの。このことで美月が無力感に苛まれていることは事実である。


しかし、美月が悩んでいることはもっと他にある。真の発狂を止められない自分の無力さだ。アグニスに襲われた惨状を目にして、真が戦うことを止められなくなったことは、その場にいた真自身もよく分かっている。


「美月さんはそういうところ気にしますからね……」


彩音が小声で同意した。頭から布団をかぶっている美月にはこの会話は聞こえていないはずだ。


「特に美月は生命線だからね……。私らアタッカーとは責任の感じ方が違うのよね……」


それにしてもへこみ過ぎではないか。翼は言いながらも違和感を感じていた。美月は今までにも、助けられなかった経験はある。だが、それは仕方のないこと。人間ができることには限界がある。そのことは美月だって理解しているはずなのだが。


「椿姫さんや咲良は無事だったんでしょ?」


うつ伏せた顔を持ち上げながら華凛が言う。


「……あの二人は街中で戦ったんじゃないかな? 会議には参加してないし、王城前広場でも姿を見なかった」


ドラゴンの襲撃の際、王城前広場には1000人を超える規模で人が集められていた。急遽集められたにしては、かなりの人数が揃ったものだと感心したほどだが、椿姫と咲良の姿は目にしていない。


大人数が集まったとしても、あの二人なら必ず総志の下に来るはずだ。それを目撃していない。


「椿姫さんと咲良さんなら休暇中ですよ。オースティンに海の幸を食べに行くって言ってました」


椿姫と交流の深い彩音が答えた。少し前に、椿姫と会った時に、咲良を連れて港町オースティンに行ってくると話をしていた。


「そうか、あの二人は巻き込まれなかったんだな……」


戦闘能力でいえば、椿姫と咲良はかなり強いから、王都にいたとしても問題はない。特に椿姫は状況判断能力にも長けているから、咲良のことも任せられる。それでも、真は椿姫と咲良が心配ないことが分かってホッとした。


「そうだったんだ――っていうか、彩音、それを知ってるならもっと早く言いなさいよ!」


翼も椿姫や咲良のことは気になっていたが、それを確認する余裕はまるでなかった。


「えっ!? そんな、私だって、いっぱいいっぱいだったんだよ……」


いきなり襲ってきたドラゴンの群れを退けるため、彩音も奔走していた。目の前のドラゴンを何とかすることに手一杯で、椿姫と咲良のことを話すことまで頭が回っていなかった。


「いいじゃな、二人とも無事なんだしさ……。それより、私も疲れたわ……。もう寝るね……」


華凛は重い体を持ち上げて、自分のベッドへと潜り込んだ。


「そうよね……。流石に私も疲れたし、早いけど寝るわね」


既に頭が切り替わっている翼も、自分のベッドへと向かう。


「それじゃあ、私も休みますね。真さんも早く休んでくださいね」


「ああ、俺も寝るよ」


こうして、彩音も真も自分のベッドに入り、ランプを消した。


今夜は何故か部屋が暗く見える。月がないせいもあるのだろうか。ゲーム化した世界にしては、暗い夜だった。



       2



誰もが疲れて寝静まった時刻。美月だけはずっと眠ることができずにいた。宿に帰ってきてから、すぐにベッドに入ったが、意識は覚醒したままだ。


心も体も消耗しきっているのに、眠ることができない。眠ったところで、朝が来るだけで何も解決しないのだが、それでも、何も考えずに眠りたかった。


夜に真達が小声で会話をしていたようだが、おそらく自分のことを話しているのだろうと美月は思っていた。


内容は聞き取れなかったが、急に小声になったのだから、他に理由はない。その後聞こえてきた、椿姫と咲良の情報。それには美月もホッと胸をなでおろした。


「…………」


結局一睡もできないまま、寝ることを諦めた美月はベッドから腰を上げた。ふと周りを見ると、全員寝静まっている。相変わらず翼の寝相は悪く、布団を蹴飛ばしている。かけ直したところで、またすぐに蹴飛ばしてしまうのだが、朝になると何故かちゃんと布団をかぶっているのが不思議だ。


「はぁ……」


溜息だけが部屋に漂う。翼の寝相に微笑むこともできない自分が嫌になる。


ただ居心地の悪さだけが残っている。ここは自分の居場所のはずが、知らない所にでも来たような感覚になる。


美月はそのまま部屋を出ていった。


行く当てはない。ただ、この部屋から出ていきたかった。


宿の外に出ると、当然のことながら誰一人としていない。街全体も寝静まっている時刻だ。見上げた空には月はなく、星の輝きも弱々しい。


なんと薄暗い夜か。ゲーム化した世界では珍しいくらいに暗い夜だ。


それでも、真っ暗闇に視界が奪われることはない。月がなくても、薄暗くても、一定レベルでの視界は確保されるのが、ゲームというものだ。


「…………」


どうしようか。どうすればいいのか。どこに行けばいいのか。美月は分からないまま、結局、宿の入り口にある石階段に座り込んでしまった。


(このままシン・ラースに行ってみようかな……。どこにあるかは分からないけど、真より先に辿り着けば、私がディルフォールを……)


ふと、そんな考えが美月の頭に浮かぶ。真が発狂しない方法。単純に戦う機会をなくせばいいのだ。ディルフォールという強大な敵がいるのであれば、先に美月が倒してしまえば、真が戦うことはなくなる。


(どうやって……?)


ディルフォールの配下にいるドラゴンの軍勢だけでも、美月は一人で対処しきれない。ましてや、アグニスやフィアハーテという二匹の竜王までいる。それを乗り越えて、深淵の龍帝ディルフォールとイルミナ・ワーロックを倒さなければならない。


それは、絶対と言い切れるほど不可能なことだ。実現可能性は限りなく0に近いというより、完全に0だ。


「美月……」


「――ッ!?」


唐突に声をかけられ、美月は驚いて振り返った。


「あ、ごめん……。驚かせるつもりはなかったんだ……」


真が困った表情で言う。


「真……。どうして……?」


寝ているはずの真が何故外に出てきているのか。美月は分からずにいた。


「俺も目が覚めたんだよ……。そしたら、そのまま寝れなくて……。美月が外に出ていくのが見えたから……」


それは若干の嘘が混じっていた。真はずっと寝ていなかった。美月とはちゃんと話をしないといけないと思いながらも、どうしていいか分からず、ただ眠れないだけだった。そんな夜の中、誰かが起きた気配を感じて、見てみると美月だったというわけだ。


「そう……なんだ……」


美月は目を逸らしながら返事をする。


「今日はあれだな……。月が出てないせいで、凄く暗いな……」


真がぎこちなく話を振る。本当にこういう場面では器用に話をすることができない。


「うん……。そうだね……」


「…………」


「…………」


そのまま沈黙が流れる。次の話題が出てこない。


「……あのさ、美月……」


「……うん」


「俺がディルフォールと戦うのは……反対だよな……?」


会話の流れも何もなく、真は唐突に本題に入った。空気は重苦しいままだ。


「反対だよ」


美月が即答する。


「だよな……」


「それでも、真は戦うんでしょ……?」


石畳の道を見ながら美月が言う。


「……戦うよ」


「どうしても……?」


「それが、最善だと思ってる……」


真も美月の方を見ることができずに答えた。


「……私もね、皆が助かるにはそれが一番だって分かってるんだよ……。でもね、そうすると、真がまた、あの姿に……、あんな……姿に……」


思い出したくもない光景に、美月がグッと堪える。一番大切な人が、人でも化け物でもない、得体の知れない何かになってしまったあの光景は、今でも脳裏から離れない。


「…………」


真は何も言えずにいた。美月を守るためなら、発狂することも覚悟していた。だけど、発狂すると美月がどんな手段を使ってでも止めに入って来る。それでは本末転倒だ。


「もし、真が戦わずに済むならって……、私だって強くなったんだからって……そう思ったんだけど……。アグニスが襲ってきた時に、それがいかに甘い考えだったかっていうのを思い知らされた……。真が戦わないと、大勢の人が犠牲になる……。それが、翼だったら、彩音だったら、華凛だったら……。そんなの耐えられない……。でも、真が戦ったら、また……」


大勢の命を犠牲にして、一人の人間が発狂しないことを選ぶのか、一人の人間が発狂することで、大勢の人の命を助けることを選ぶのか。


答えなど考えるまでもない。真は発狂したとしても、生きている。今は発狂することなく、人として生活することもできている。大勢の命を犠牲にするなど、最初から選択肢にも入っていない。


ただ、真が発狂したまま、元に戻らなかったら。何の根拠もない不安だが、そんな不安に駆り立てられるほどに、美月が見た真の発狂姿は悍ましいものだった。


「…………」


美月の頭がぐるぐると回っていることは、真にも見て取れた。真が発狂した姿を見られた時から、美月はずっとこの問題に悩まされてきたのだ。


「ねぇ、真……。どうして真はそこまでして戦えるの……?」


「それは……。美月と一緒だと思う……」


「世界を元に戻すため?」


今、戦う理由など全員同じだ。いきなり世界にゲームが浸食してきて、家族や恋人、友人達がどこか別の世界に飛ばされたのだ。世界を元に戻して、愛する人達と再び会うこと以外に戦う理由はない。


「そうだな……」


「真は会いたい人がいる……?」


「会いたいっていうか……、ちゃんと話をしたいって思ってる人はいる……」


「そうなんだ……。誰か聞いてもいい……?」


「母さんだよ……」


「お母さん?」


ここでようやく美月が真の方へ目を向けた。


「前にさ、俺の両親は離婚してるって話をしたの覚えてるか?」


「うん……。確か、『フォーチュンキャット』を作る前の話だよね?」


「ああ、そうだったな――で、俺はさ、母子家庭で育ってきたんだけど……、高校を途中で辞めてるんだ……」


「そう……なの……?」


それは美月にとって意外な事実だった。真は知識も豊富で頭も良い。咄嗟の機転で何度も危機を乗り越えてきた。当然、学校の勉強もできると思っていた。


「地元じゃそれなりにレベルの高い高校だったんだけどな……。別に友達がいるわけでもないし、部活をやってたわけでもなかった……。趣味は前からやってたゲームくらい。それしかなかったんだけど……。結局、ネットゲームにのめり込んでいって、面白くもない高校には行かなくなった……」


「……それで、お母さんと喧嘩したままになってるの?」


「いや、喧嘩は全くしなかった。学校に行かなくなったことも、学校を辞めたことも、母さんは何も言わなかった。ただ、俺の生活だけを守ってくれてた……」


「…………」


「母さんは何でもできる完璧な人でさ……。頭も良いし、仕事もできる。見た目も綺麗で人望もある。だから、俺は見捨てられたと思った……。高いお金を出してまで入学させてくれた私立の学校を辞めた俺を見限ったんだって……。でも、もしかしたら、そうじゃないかもしれないって思うようになってきたんだ……」


「『そうじゃない』って……?」


「母さんは完璧なんかじゃなかった。俺に対してどうしていいか分からなかったんだと思う……。叱ればいいのか、励ませばいいのか。分からなかったんじゃないかなって……」


「そうなんだ……」


「うん……。でも、俺のことは信じてくれてたんだと思う……。だから、何も言わずに、俺の生活だけをずっと守ってくれてたんじゃないかって……。そう思えるようになったのは、世界がゲーム化してからなんだ」


「世界がゲーム化してから?」


真の答えは美月にとっては不思議でならなかった。忌々しいだけのゲーム化による世界の浸食が、真にとっては、母親のことを理解するきっかけとなったというのだ。


「世界がゲーム化したことで、俺もミッションに参加してきたけどさ、何もしてない人も多いじゃないか。でも、何もしない人達を非難することはしたくない。できないことはできないんだからさ。俺にできるからって、他の人にも同じことを強要はできないって思ったら、母さんもそんなことを思ってたのかなって」


「そうかもしれないね……」


「それに、俺がここまでやれてるのは、何も力があるとか、ベルセルクとしての性質とかだけじゃない。こんなこと言うと、都合が良いかもしれないけど、母さんが何も言わないでいてくれたおかげで、俺の中でエネルギーが溜まっていってたんだと思う」


「エネルギー?」


「どう言ったって、学校を辞めてゲームばかりしてた頃は、何かしないといけないっていう衝動に駆られることがあったんだよ……。でも、学校を辞めてるから何をするにしても、臆病になって……、結局何もできないまま、ゲームの世界に逃げてたんだけど……。こんな世界になってから、自分にはできることがあるって気が付いた。俺にしかできないことがあるって、俺はそれをやり遂げてみせようって思ったんだ。それは、母さんがずっと俺を守ってきてくれたからなんだ……。そのエネルギーを母さんがずっと蓄えてくれてたんじゃないかって……。やっぱり、都合が良すぎるかな……?」


「都合が良いなんてことはない! 真が言う通りだと思う!」


「ありがとう……。美月にそう言ってもらえると、俺も自信がつくよ」


「ううん、私はただ、思ったことを言っただけだから」


「だから、俺は母さんと話をしたい。もう現実から逃げるようなことはしない。そして、証明したい。俺は母さんが信じてくれた通りの力を持った人間だってことを、俺自身に証明したい。そのためには、世界をゲームから現実に戻さないといけないんだ」


いつの間にか、真は美月の目を見たまま、話を続けていた。美月も真の目を見ながら、真剣に話を聞いている。


「そっか……。真はそこまで考えてるんだ。それじゃあ、止められないよね……」


美月は何か憑き物が取れたような顔をしていた。吹っ切れたという方が正しいか。その表情に暗い影はどこにも見当たらない。


「ああ、だから、戦うことを許してほしい。俺も発狂することは全力で止める。人のままで、この世界を元に戻してみせる!」


「うん、分かった……。本音を言うと、まだ心配はしてるんだけどね……。それと、昨日はごめんね。私のせいで会議を台無しにしちゃって……」


「まあ、気にすることはないと思うけど、昼になったら、一緒に紫藤さんの所に謝りに行くか」


「そうだね。紫藤さんは怖いけど、真が一緒に来てくれるなら大丈夫だよ」


夜空が白みだすと、美月の頬をかすかに照らす。どこか楽し気な美月の微笑みは、開いたばかりの蕾のようだった。




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