高原 Ⅱ
真達一行は再び高原の斜面を歩き始めた。舗装された道など一切なく、人が通った跡もない山の斜面。基本的に下を目指して進んでいくが、地図もない場所を勘だけで進むため、下っては登り、また下っては登りを繰り返すことになった。
太陽の位置を頼りに方角だけは見失わないようにして、山の下を目指して歩き続ける。帰りのルートは分かるように進むことを優先する。誰も本格的な山登りに経験はなく、そもそも地図もなしに知らない山を下っていくなどという無謀は誰もやらない。そのため、慎重になり過ぎるくらいが丁度良いと判断していた。あくまでも目的は情報収集。NPCの村を見つけることができればそれに越したことはないが、深追いはリスクが高い。
数時間に一度休憩をいれながら只管歩き続ける。ほとんど景色が変わらない中をただ歩くだけ。次第に会話もなくなり、黙々と歩くだけになっていた。そして、やがて日は沈みだし、遠くの山々の間を滑るようにして真っ赤な夕日が一日の終わりを告げようとしてた。
「今日はここまでにしないか?」
夕日に照らされて赤黒い髪の毛を鮮やかに染めている真が提案した。髪の毛の鮮明さに比べて表情は疲労で曇っている。
「そうしましょ……もう疲れたわ……」
翼はそう言うと、すぐさま腰を下ろして、そのまま草原に寝転がった。普段は元気いっぱいの翼も長時間斜面を歩き続けたことに、流石に疲れを隠せない。
「私も、もうダメ……」
翼につられるようにして美月が腰を下ろした。
「はい……そうですね……もう限界です……」
最後に彩音も疲労に音を上げた。
「彩音、あんた、何だかんだ言ってちゃんとついて来れてるじゃない。山登りなんて絶対無理とか言ってたのに、案外体力あるのね」
草原の斜面に寝ころびながら翼が彩音の方を向いた。今まで翼は彩音と一緒にいることが多かったが、ここまでぶっ続けで歩いたことはない。しかも、山の斜面であり余計に体力を消耗する。適度に休憩を挟む普段の狩りとはわけが違う。
「いや、ほら、ゲーム化の影響だから。私、ほんとに山登りとか、アウトドアとか苦手で、こんな山を進むなんて、みんなについて行けるわけないって思ってたから」
長い黒髪にメガネをかけた少女の彩音。見た目の通りインドア派で運動は苦手。体力を使うことはもっと苦手。そんな彩音だが、遅れることなく、皆の足を引っ張ることなく付いて来れていた。
「たぶんだけど、ゲーム化の影響による体力の増強は、みんな一定のレベルになるように調整されてるんじゃないか?」
真がふと疑問に思ったことを口に出した。
「どういうこと?」
言っていることの意味が分からず美月が聞き返す。
「要するに、元々体力が100ある人がゲーム化の影響で体力が200になったとするだろ。で、元々体力が50の人もゲーム化の影響で体力が200になるんじゃないかってことだ」
「ゲーム化の影響で体力が皆一緒になってるってこと?」
「いや、みんな体力が一緒になってるのかどうかは分からないよ。もしかしたら年齢によって体力に差が出るかもしれないし、性別によっても差があるかもしれない。ただ、元々の体力の差がゲーム化の影響で少なくなってるんじゃないかってこと」
真が言っていることはあくまで推測。年齢が離れている人と一緒に行動することがないため、小学生や60歳を超える人でも体力が同じであるかどうかは知らない。増えていることは確かだろうが、一番体力がある年齢と比べて差がないかどうかは分からない。ただ、ゲームをやっていて、PTメンバーが体力差でついて来れなくなるというような設定のゲームは見たことがない。どんなところにだってPTメンバーは主人公の後を付いてくる。
「そうですね。みんな同じくらいの年齢だから、同じ体力の枠に入れられているのかもしれませんよね」
彩音が真の推測に追従した。確証はないが、仮説としてはおかしくはないと思った。
(俺は25歳なんだがな……)
見た目は10代後半の真だが、実年齢は25歳。見た目と言っても無理矢理姿形をボーイッシュの少女のような中性的なアバターに変えられているせいだが、アバターではない美月も翼も彩音も10代であることは間違いないだろう。分かっているのは翼よりも彩音の方が年上ということ。おそらく、美月よりも彩音の方が年上だろう。そして真が一番年上であるということ。彩音が『みんな同じくらいの年齢』と言ったことに対して真はとりあえず、黙っておくことにした。
「なんか納得いかないわね。私はアーチェリー部で厳しい筋トレで鍛えてきたのに、体力勝負で並ばれるなんて不公平よ!」
翼が真の仮説に不満をこぼす。あくまで仮説にすぎないので、事実かどうか分からないが、それでも、彩音が付いてきていることには変わりなく、翼が疲労困憊であることにも変わりはない。
「アーチェリー部の筋トレってそんなに厳しいのか? 弓撃つだけだろ?」
真が疑問を投げかける。中学、高校と帰宅部所属の真にとって運動系のクラブの練習量は分からない。ただ漠然としんどいということくらいしか知らない。しかも、野球部やサッカー部、テニスやバスケットボールといったどこにでもある部活なら、筋トレも厳しいということは想像できるが、アーチェリー部に関してはほぼ知識がない。
「ああーーっ! 出た! アーチェリー部が弓しか撃ってないと思ってる人が!」
むくっと上半身を起こして翼が真の方を指さして大声を上げた。
「なんだよ、他に何やるんだよ? 走ったりするのかよ?」
何となくだが煽られたように思えた真が少しムキになって反論した。
「走りますー! すっごい走りますー! 弓を撃つために上半身を鍛えるけど、下半身が鍛えられてなかったら上半身は成り立ちませんー!」
小学生のような言い方をして翼が反撃を入れてきた。アーチェリー部が楽な部活だと思われることは納得ができない。体力だけでなく集中力も必要なスポーツがアーチェリーだ。
「くっそ、うぜぇ……。アーチェリー部のことなんか知るかよ」
翼の言い方は腹が立つが、真としてはアーチェリー部に関する知識は皆無であるため反論のしようがない。アーチェリー部のこと以前に、部活動をやっていないため、他の部活の方が厳しいなどとも言えない。
「はいはい、二人とも、これで終わり。疲れてるのに元気ねほんと……」
美月がくだらない喧嘩を強制的に終わらせる。疲れているところにこんな不毛な会話を聞かされたくはない。
「あの、今日はどうします? テントもないですよね?」
ようやく会話が途切れたところで彩音が心配していたことを口にした。日は完全に沈んだわけではないが、もう薄暗くなっている。ゲーム化した世界では夜になっても完全な闇に覆われるわけではなく、一定レベルの視界は確保されるが、それでも日が沈むということはここで野宿をするということだ。
「野宿よ!」
翼が即答する。相変わらず物怖じというものがない。
「現実世界は店の中に入れたからこういう問題はなかったんだよな」
真がしみじみと文明というもののありがたみを感じていた。距離が遠くても、現実世界が間にあるのであれば、建物の中に入ることで野宿をせずに済む。ゲーム化している方の世界では、日帰りでキスクの街に戻って来れる距離に狩場があるから、夜遅くなっても戻ってくることができていた。
「見渡す限り草原だと、木を燃やして焚き火することもできないのよね……」
美月が辺りを見渡しながら言った。周囲を囲んでいる青々と茂った草を燃やせるとは到底思えない。
「木があってもどうやって火を付けるんだ?」
真が疑問を浮かべた表情を浮かべている。アウトドアの経験がほとんどないため、ライターや着火剤以外で火を起こす方法は持ち合わせていない。
「ねえ、彩音。ソーサラーのスキルに炎を出すやつあったわよね?」
翼が彩音に声をかけた。彩音と一緒に狩りをしている時に幾度となく見てきた火炎系の魔法スキル。それを使えば木を燃やすことくらい造作もないはずだ。
「あるにはあるけど、命中したら爆発するよ? それにスキルはモンスター以外に発動できないし……」
彩音が困ったような顔で返事をした。ソーサラーの初期スキルである『ファイヤーアロー』は火炎系のスキル。だが、彩音が言う通り、薪に火を付けるには不向きだし、そもそも薪に対してスキルを発動できない。
「ふふっ、こういうこともあろうかと、火打石を持ってるわよ!」
他の皆の会話を聞いた美月が自慢げに言ってきた。実は真と一緒に行動をするようになる前、ギルド『ストレングス』に所属していた時に、たまたま店で火打石を見かけたので、もしもの時のために買っておいたものがアイテム欄の隅に残っていた。
「いや、木がないんだろ……?」
ポツリと真が言った。それに対して誰も意見を出せる者はなく、日は完全に沈んで、夜は静かに訪れた。