王都襲来 Ⅱ
1
轟音をまき散らした突然の大爆発は、この火竜王アグニスから吐き出された火球だった。
たった一撃で、『王龍』の防御陣形は崩されてしまっている。どれだけの被害が出ているのかは、まだ分からないが、直撃を喰らった者はおそらく即死だっただろう。
「蒼井! 無事か?」
最前線を一人で戦っている真に、総志が駆け寄ってきた。
「あ、ああ……。俺は大丈夫だ……」
真は手で口元を押さえながら応えた。
「……蒼井、あのドラゴンは何だ? あんなのもゲームにはいたのか?」
総志が質問を続けた。真が口元を押さえている理由は分からない。ただ、何かを必死になって抑え込もうとしているようにも見える。見開いた真の目が異様なまでに高揚しているのも関係しているのか。それは、総志には分からない。
「あいつが火竜王アグニスだ……」
興奮状態が声に出そうになる。真は何とか抑えているものの、総志には違和感があっただろう。
「アグニスだとッ!? ディルフォールが従える二匹の竜王の内の一匹がここに来たと言うのか!?」
総志は驚愕に声を震わせながらも、上空に佇む赤い竜の姿を見る。火竜王アグニスは、矮小な人間どもを睥睨するようにして滞空していた。
「そうだ……。なんであいつが王都に来たのかは分からない……。ヴァリアの時は配下のドラゴンしかいなかったのに……」
真もアグニスから目を離さない。火竜王と真の目線が交差すると、アグニスはゆっくりと地上へと降りてきた。
「蒼井、あいつを任せられるか?」
当初案では、真がディルフォールとイルミナを同時に相手にする作戦が立案された。これは、美月の反対により、まだ正式に可決されていないが、総志は、この作戦を無理矢理にでも通すつもりだった。
真の案を通すなら、ディルフォールの配下であるアグニスも相手にできて当然のはず。だが、実際に目にしたアグニスは、想像を超える巨大さと火力を持っている。果たして、真一人に任せてしまっていいのかという疑問が脳裏に浮かぶ。
「大丈夫だ! あいつは俺のモノだ!」
真は早口に答えるとアグニスに向かって走り出した。
真が走り出した瞬間。ほんの僅かな時間だが、真の顔が見えた。
(あいつ……笑ってるのか……?)
総志は悪寒を感じた。真はただ笑っているのではなかった。なんと形容していいのか分からない。一言で言えば、見たことのない顔。本当に人の顔なのか疑問に思えるほどの異様さ。真の綺麗な顔と合わさって、より一層、それが得体の知れないモノに見えてくる。
(真田が言っていたのは、このことか……)
総志は会議での美月の姿を思い出していた。以前、美月は総志のことを怖がっていると聞いたことがあるが、それにしては、怯むことなく噛みついてきていたのが不思議だった。
だが、美月も真のあの顔を見ているのだとすれば話は違ってくる。
同じベルセルクの総志だからこそ分かる真の状況。総志自身も戦いに高揚してしまうことは自覚していた。真も同じように戦いの中で高揚しているのだろうと分かる。ただ、あそこまで異常なほど高揚している理由は分からない。
(蒼井は必死に抑えようとしていたが、戦いの衝動は顔を出していたな……。あれだけの相手に怯むどころか、抑えないといけないほどなのか……)
総志はアグニスの姿を見て、真一人で戦うことが可能なのかという疑問に駆られていた。だが、真は負けるかもしれないなどと微塵も考えていない。だったら、任せてみるのも一つの手だ。
「赤い奴は蒼井に任せろ! 俺たちは雑魚どもを蹴散らすぞ!」
真の背中から視線を外した総志が指示を叫ぶ。
総志は感覚で理解していた。真がやろうとしている戦いは、人間の入れる領域ではないということを。
2
強大な敵を前にして、真は興奮状態を抑えきれずにいた。全身を駆け巡る血が燃えるように熱くなっているのが分かる。
指の先から、髪の毛の一本に至るまで、全ての感覚が研ぎ澄まされている。こうなれば何も見る必要はない。何も聞く必要ない。全てが分かる。どんな攻撃が来ても、どんな方向からの攻撃でも、どれだけの数の攻撃が来ても問題ない。全て分かる。
そして、その先にある領域。まだ、真が辿り着いていない、未知の領域。戦いの権化たるベルセルクの本性が解放された先にあるモノ。アンノウンスキル ブラッディメスクリーチャーが発動した先にあるモノ。それに辿り着くことができるかもしれない。
「グァオオオオーーーーーー!!!」
アグニスが威嚇の咆哮を上げる。その声は、常人であれば、心臓を叩き潰されたような激しい恐怖を感じただろう。
だが、今の真には心地良い響きでしかない。燃え滾る炎の中にくべられた薪でしかない。より一層、真の血を沸き立たせる。
真は一直線にアグニスに向かって駆けていく。迷いや怯えは一切ない。
対するアグニスは鋭い爪を振り上げている。生意気にも単騎で駆けて来る、小さな少女を叩き潰さんと構えを取る。
「――」
真はアグニスの迎撃態勢など無視して一気に懐まで潜り込んで行った。
<スラッ――
そこで真は唐突にスキルの発動を止めた。
「ぐッ……!?」
痛いほど歯を食いしばって、必死になってスキルの発動を抑え込む。全身の力を使って、自身の動きを止めた。
そこに――
ズガシュッ!!!
アグニスの爪が真の体を斬り裂いた。
巨大な爪の直撃を受けた真は、まるで蹴飛ばされた玩具のように、大きく空中を舞う。
「ぐは……ッ!?」
そのまま地面に叩きつけられた真から苦悶の声が漏れた。
「くそっ……。このままじゃ……飲まれる……」
大剣を地面に突き刺して、真が立ち上がった。胸の辺りに痛みが残っている。真が痛みを感じるほどに、アグニスの攻撃は強いということだ。
だが、この痛みが更なる興奮を呼ぶ。求めている戦いがあるかもしれないと叫んでいる。真の中のベルセルクが更に活性化している。
「抑えろ……、抑えろ…、抑えろ……」
ここでブラッディメスクリーチャーを発動させるわけにはいかない。あの異常なまでの発狂状態は、隠しきれるものではない。たとえ、ドラゴンと戦っていようが、美月は真の発狂に気が付いてしまう。また、あの姿を見られてしまう。そうなれば、真を止めるために、美月が戦いの中に飛び込んでくるかもしれない。
アグニスの攻撃をビショップの美月が受けたら、助かる可能性はゼロに等しい。それだけは絶対に避けないといけない。
だから、本当はこの戦い自体を避けないといけなかった。だが、それはできなかった。突然現れたアグニスに、戦いたいという欲求が思考を鈍らせた。
総志にアグニスを任されたことで、真の責任が転嫁されたのも原因だった。真が自らアグニスに戦いを挑んだわけではないという免罪符。それは、単なる甘えでしかないのだが、戦いたいという欲望が、理性を上回ってしまった。
問題の原因が分かったところで、解決にはならない。むしろ、問題はこれからの方が大きい。
本格的な戦いはこれから始まる。アグニスは、まだ倒れていない人間に向かって再び大きく爪を振り上げた。
ブオンッ!
空を斬るアグニスの爪の音ですら、体に響くほど。
真はその爪を後ろに飛ぶことで回避。
(避け方が雑になってるな……)
焦りや動揺から、真の動きに繊細さが失われてしまっていた。本来なら、あの攻撃は、前に出て、アグニスの懐にまで入って、攻撃を加えていたところだ。
それができていないのは、真の中のベルセルくを強引に抑え込んでいるから。目の前の戦いに集中しきれていないせいだ。
(このままじゃ駄目だ……、集中しろ! 次の攻撃は絶対にカウンターを入れる!)
そんな真の事情などアグニスは知ったことではない。今度は大きく口を開けて、噛撃を放ってきた。
真はこれを横跳びに回避。巨大なアグニスの顔と牙が真のすぐ傍を通り過ぎると――
<スラッシュ>
避けたと同時に真が踏み込みからの袈裟斬りを放った。自身の中にあるベルセルクを抑えながらの攻撃だが、何とか一撃を入れることに成功。
<シャープストライク>
真は続けざまに鋭い二連撃をお見舞いした。
<ルインブレード>
更に連続攻撃スキルの三段目を発動させると、目の前に円形の魔法陣が出現。真はその魔法陣ごと斬り裂くようにして、アグニスに攻撃を加えた。
ルインブレードはスラッシュから派生する、ベルセルクの攻撃スキルの3段目。高い攻撃力と、一時的に敵の防御力を下げる効果がある。
他の雑魚ドラゴンなら、この一連の攻撃を耐えることができる個体はいない。
当然のことながら、アグニスはこの程度ではびくともしない。レベル100の最強装備をした真ではあるが、敵は火竜王アグニス。そう簡単には倒れてくれない。
アグニスは一旦顔を引くと、今度は真に向けて火球を吐き出してきた。
一撃で『王龍』の防御陣形を崩した、あの火球攻撃だ。それも一発だけではない。2発3発と連続して吐き出されていく。
真は火球の弾道を見ながら、アグニスの周りを走りながら避けていく。
(対処法はゲームと同じだな。火球を誘導してやれば、あとは走って避けるだけだ)
ゲーム中での火竜王アグニスの攻撃の一つである火球攻撃。これは、アグニスとの距離が一番近い1人が狙われる範囲攻撃だ。対処方法は、狙われた人は離れていくことで、他の人に被害を出さないという回避方法がある。
真はゲーム中と同じ方法でアグニスの火球攻撃を回避。合計5発の火球全てを完全に回避してみせた。
(大丈夫だ。アグニスの攻撃方法は分かる。ベルセルクを抑えたまま戦える!)
相手がどれだけ強大であったとしても、真はゲームの中で散々アグニスと戦ってきた。対処方法も全て熟知している。知っているということは、それだけで強力な武器になる。
続いて、アグニスは両足で立ち上がると、翼を大きく広げた。
(この動作は……フレイムウイングか!)
アグニスが取った予備動作。この直後に来る攻撃が、フレイムウイングという、前方180°の範囲攻撃だ。
広げられた翼で前方に炎の嵐を巻き起こすというもの。喰らえば大ダメージを受けるが、後ろに回れば回避可能。
知っていれば、予備動作中に後ろに回ることができる。
真がアグニスの巨体の後ろに回り込んだところで、フレイムウイングが発動。荒狂う熱波がアグニスの前方を焼き尽す。
<スラッシュ>
だが、後ろに回り込んでいた真には関係のないこと。遠慮なく袈裟斬りをお見舞いする。
<パワースラスト>
真は止まらずに、大剣を勢いよくアグニスに突き刺した。
<ライオットバースト>
大きな隙を作ったアグニスに対して、真が容赦なく連続攻撃を叩き込む。ライオットバーストが発動すると、突き刺さった真の大剣は炸裂したように光を放った。
ライオットバーストは、スラッシュから派生する連続攻撃スキルの3段目で、スキル発動後も、しばらくの間継続してダメージを与え続ける効果をもったスキルだ。
アグニスは、後方にいる真に振り返ると、再び鋭い爪を振りかざしてきた。
真はそれを前に入り込むことで回避。巨大な敵に対しては、懐に入り込む方が有利になる。大きすぎる体が邪魔になって、攻撃が難しくなるからだ。
<グリムリーパー>
真は地面スレスレから、掬い上げるようにして大剣を振り切った。その軌道はまるで死神の大鎌のよう。
グリムリーパーは単発のスキルだが、威力は高い。また、連続攻撃スキルに組み込まれていないので、任意のタイミングで発動させることもできる。
(大丈夫だ。いつも通りの戦いができてる)
自分の有利な立ち位置で戦う。戦いの基本であるが、ベルセルクの活性化により、迷いと動揺が出ていたせいで、基本すら見失ってしまっていた。しかし、今はアグニスの手の内が分かるということが真を冷静にさせていた。ベルセルクも大人しくさせることができている。
アグニスは纏わりつく真に対して、後ろ足による踏みつけ攻撃や、尻尾による攻撃を加えるも、真は全て回避。そして、反撃を加えていく。
炎による攻撃も同じだ。爪や牙のような単調な攻撃ではないが、回避方法を知っていれば特に問題はない。難なく回避して、きっちり攻撃も加えていく。
ただし、気を付けないといけないことはある。アグニスを『ライオンハート』と『王龍』が戦っている方に向けてはいけないということだ。
もし、アグニスの火炎攻撃が『ライオンハート』や『王龍』の方へと飛んで行ってしまうと、犠牲者がでてしまう。
それが分かっているからこそ、真は位置を考えながら戦っていたのだが――
アグニスが唐突に真から視線を外すと、『ライオンハート』と『王龍』が戦っている方へと体を向けた。
「――なッ!? ど、どうしてッ!?」
真が驚愕の声を上げる。想定外のアグニスの動きに、真の心臓がビクッと大きく鼓動する。
そして、アグニスは、王城前広場の地面に四肢をどっしりと付け、巨大な体を大きく沈み込ませた。まるで、そこに岩山ができたかのように、深く地面に四肢を食い込ませている。
「この構え……もしかして、フレアブラスターッ!?」
アグニスの構えを見て、真の背筋が凍った。これはゲームでもよく知っている構えだ。
アグニスは、その構えを取ったまま、大きく顎を開くと、口の中に膨大なエネルギーが収束していった。
「全員逃げろーーーッ!!!」
真が張り裂けんばかりにの声を上げた。
「「「――ッ!?」」」
真が上げる必死の声に、雑魚ドラゴンと戦っている『ライオンハート』と『王龍』のメンバーが振り返った。
真の叫び声の方を見てみると、レッドドラゴンが、その身を巨大な戦艦砲のようにして、自分たちの方を向いていることに気が付いた。
「全員退避ー!!!」
事の危険性を理解した総志が声を張り上げる。
「逃げろッ! 死ぬぞッ!」
姫子も同時に声を上げる。何が起こっているのかは分からない。ただ、分かることは、アグニスがこっちを狙っているということ。そして、逃げないと死ぬということ。
ドッゴオオオオオオーーーーーーーー!!!
アグニスから発射されたのは超高密度の収束火炎砲。あり得ないほどの膨大な熱量が、『ライオンハート』と『王龍』がいる戦場を貫いた。