高原 Ⅰ
1
真、美月、翼、彩音の4人が新しく追加された地域、エル・アーシアへ足を踏み入れた。地上から一歩でいきなり高地に切り替わる異常な場所。遥か上空に浮かぶ雲が、たった一歩踏み出しただけで眼下に雲が流れる場所に変わる。
ゲーム化している世界の設定として高地に位置するエル・アーシアの大地は現実世界との境界線付近は開けた斜面が広がっており、大きな樹木は見えないものの、背の低い草は一面に生い茂っていて、その隙間を縫うようにして高原の小さな花が咲いていた。
傾斜角度は20度もないくらいだろうか、今いる場所の斜面はまだマシな方であり、遠くに見える山はもっと切立っている。
この辺りに生息しているモンスターは今のところ、確認できるので体毛の長いバッファローのような大型の生物と空を飛んでいる鳥。鳥の方はかなり上空を飛んでいるが、肉眼で見ても大きいことが分かる程で、翼を広げて優雅に空を飛んでいた。
他にも飛ばずに山の斜面を走っている大型の鳥や、茶色い大きなウサギのようなネズミのような生き物の姿も見られたが、やはり目立つのはバッファローだろう。狩って毛を取ればそれなりの値段になりそうだと、思いながら真はバッファローの姿を見ていた。
2
雲一つない冴えわたる空の下を真達4人が下界を目指して歩いていく。正確に言えば雲は真達の下にあるのだが、今いる場所は間違いなく雲一つない空の下。雲すら存在しないほどの高高度というわけではないと思う。そもそもエル・アーシアが標高何mの場所に位置するかもはっきりしていないし、情報は皆無だ。出発してから2、3時間歩いているが、見える景色は一向に変わらない。山と草の緑とたまに見えるむき出しの岩。聞こえてくるのは空を飛ぶ鳥の甲高い鳴き声と時折吹く強い風の音くらい。昼にはまだ早い時間であるが、一度休憩することにした。
「それにしても広いな」
真が山の斜面から出っ張っている岩に腰を下ろして思わず愚痴のような声が出てしまった。
「予想はしてたけどね……。でも、少しくらい何か見えて来てもいいと思うんだけど……」
真の隣に座る美月も変わらない景色に辟易とした表情をしている。まだ疲れたというわけではないが、どれだけ続くのか分からない道のりというのはそれだけで精神的に疲労する。
「世界の山っていうのはね、そういうものなのよ。何日もかけて山頂に挑むんだから!」
真と美月が座っている大きな岩の先端に立って遠くを見つめている翼が感慨深く言ってきた。簡単に乗り越えられるようなものではない。山を舐めるなとでも言いたげな口ぶりである。
「翼ちゃんって、山に詳しいの?」
一人だけ岩の下の草原に腰を下ろしている彩音が翼の言葉に質問を投げた。翼が山に詳しいなんて話は今まで一度も出てきたことがない。
「テレビで見たのよ!」
遠くを見つめたまま翼が返事をする。
「ほぼ知らねえじゃねえか!」
芸能人が世界の高い山に挑戦するというテレビ企画はたまにある。普段はふざけたことを言っている芸能人がここぞとばかりに努力し、時には挫けそうになりながらも高い山を制覇するのは見る者を感動させる。が、それはそれ、それを見たからと言って山に詳しいとは到底言えない。医療番組を見たから医者ですと言えるわけではないのだ。
「ごめん、今更だけど、山に詳しい人っている?」
ふと、不安に駆られて疑問に思ったことを美月が言う。今更といえば今更の疑問ではあった。
「俺はインドア派だ」
真が即答する。ゲームの世界でなら山登りどころか氷山や切立った崖にも登ったこともある。だが現実世界では山に登ろうとすら考えたことがない。
「私もインドア派です……」
何故か申し訳なさそうに彩音が答える。別に山に詳しくないからと言って責めているわけではないし、誰も彩音が登山に詳しいと期待をしていたわけでもない。見た目通りの回答をしただけだ。
「私は小学校の時に遠足で山に登ったことがあるわよ」
翼の方は何故か堂々と答えている。小学生が登れるレベルの山であるので、国内でも低い方の山だろう。全く自慢できるようなことではないが、どこか自信ありげな感じがしていた。こういうことを冗談でもなく臆することもなく言えるのは翼の良いところなのかどうかは疑問符がつくところだ。
「美月は?」
逆に真が聞き返した。先ほどの会話からも翼が山に詳しくないことは分かっていたし、彩音がインドア派であるということも見た感じから言われなくても想像できていた。
「前に富士山に――」
「えっ、美月凄いじゃない! 富士山に登ったことあるんだ!?」
翼が感心したような目をして美月を見た。
「いや、そうじゃなくて……友達の家族と富士山に登ろうっていう話があったんだけど、その前の日に風邪を引いちゃって……」
「登ってないってこと?」
早とちりした翼が改めて聞いていた。
「準備はしてたんだけどね、また今度の機会に登ろうってことになって……。今度が来る前に世界がこんなことになって……」
美月の声が低くなっていた。周りもその空気を感じ取っていた。美月と一緒に富士山に登ろうと言っていた友達が今どうなっているのか分からない。
「そっか……。私もね、友達とか家族とか心配でね。弟がいるんだけどさ、歳が少し離れてて、まだ小学生なんだけど、しっかりしているようで、頼りないところがあるからさ、それが凄く心配でさ……」
翼も話の途中で言葉が詰まっていた。猪突猛進で何も考えていないように見える翼だが、やはり不安は抱えていた。当然と言えば当然のことだろう。こんな状況で家族や友達がどうなっているのか何も情報がない中で何も考えずに生きていくことはできない。
「でもさ、私って考えても分からないことばかりだから、とにかく前に進むしかないんだよね」
「そうだよね……。私もそういうところは翼を見習わないといけないね」
美月はどうしても行動する前にあれこれ考えてしまう。それが普通なのだが、こんな世界になってあれこれ考えても答えを出すことは難しい。それなら、翼のように、えいやあっ!と勢いをつけて前に進むことも必要になってくるかもしれない。
「あの、あまり無茶は……しないでくださいね……」
いつの間にか立ち上がっていた彩音が不安げな声をかけていた。彩音としても翼の言っていることは理解できるが、こんな世界だからこそ、一旦立ち止まって考えないといけないというのが彩音の考え方だ。
「もうっ! 水を差さないでよ! そんなに心配しなくても分かってるわよ」
(いや、お前たぶん分かってないだろ!)
翼が彩音に反論するが、その反論に対して真が思わず口を出しそうになった。普段の会話だったら迷わず言ってただろうが、流石に空気を読んでここは声を引っ込める。
「無茶なことはしないから大丈夫だよ彩音。心配してくれてありがとうね」
美月が優しく彩音に声をかけた。翼の言い方がきつい感じはするが、そのことを彩音が気にしてはいないというか慣れているのだろう。なかなか決断をすることができない彩音を翼が引っ張る形でこの二人は上手くやっている。お互いの立ち位置がはっきりしているため、多少言い方がきついくらいでは問題はなかった。
「えっ、いや、あの、そんなつもりじゃないんですけど……。でも、美月さんはそんな無茶しないと思いますけど……真さんが……」
「俺っ!?」
思わぬところから弾が飛んできたかのように、彩音の言葉に真が面を喰らったような顔をして声を上げた。
「いえ、なんというか……一番無茶をしそうなのが真さん……かなと……。いや、別にそんな悪い意味ではないです。何となくです、何となくそう思っただけです。すみません……」
彩音が慌てて両手を振りながらフォローを入れる。
「いや、謝らなくてもいいよ……」
彩音の率直な意見なのだろうが、一番無茶をしそうなのが翼ではなくて自分だということに真は驚いていた。今までに全く無茶をしたことがないかと言われればそうでもないが、直感で動く翼と違い、考えて行動している彩音が何となくそう思うというのは意外であった。
「真、あんたもこっち側の人間なのよ。だから、無茶なことはしたら駄目だからね!」
翼がビシッと言い放った。
「こっち側ってなんだよ!? 俺はそっちじゃないからな!」
翼の意見はどうしても受け入れがたい真が力いっぱい否定した。断じてそっち側の人間ではない、と思う。
「真、彩音の言うこともあながち間違いってことはないんじゃないかな……」
美月が静かに意見を言った。だが、それ以上は言えない。真が無茶をしたことの原因が美月自身にもあることは重々承知している。真が無茶をしないように注意するなんてことは言えた義理ではないことも分かっている。それでも、彩音の言葉を聞いて言わずにはいられなかった。それは、真に向けた言葉だけではなく、美月自身にも向けての言葉だった。