陽光の中
1
真達は、来た道をそのまま辿って皇城からの脱出を図る。皇城の中にいた衛兵は全て倒した。メイドや執事は元から姿を見せていない。ゲームでは、ボスを倒せば、帰り道に敵が一切出なくなるということは、よくあるパターンではあるが、今がまさにその状況だった。
皇帝ブラドを倒し、魔人も倒した。イルミナはどこかに逃げて行ったため、ゲームとしては用済みの場所なのだろう。後は、敵のいない広い城内を走っていくだけ。
深夜の誰もいない城の中。真達が走る足音だけが大理石に響いていく。
繊月が照らす光はか細く頼りなく、城の中の明かりもどこか荒廃した光に見える。それでも、皇城はゲーム化した世界のエリアだ。どれだけ、光源が乏しくても、視界がなくなることはない。
真達は難なく皇城の地下へと戻ってくると、隠し通路に入り、出口を目指す。
隠し通路は入り組んでいて、帰り道も複雑だ。当然、方向を見失わせる罠は健在だが、それはアーベルが解除していく。
後は帰るだけなのだが、深夜にわたって激しい戦闘を繰り広げていたことで、真達の中に疲労の色が見えてきていた。
ゲーム化したことによって、体力は現実のものと比べても、かなり増強されているのだが、疲労がないわけではない。
特に酷かったのは美月だった。顔色は悪く、額には脂汗が滲んでいる。
「アーベル、止まってくれ」
真が先頭を歩くアーベルに声をかけた。
「はい……。どうかされましたか?」
流石にNPCは疲れた表情を見せることはない。アーベルは平然とした顔で真に返事をした。
「少し休憩させてくれ」
「それは……構いませんが。ここは通路の真ん中ですけれど……。もう半分以上来てますので、外に出てしまってからでもいいのでは?」
真の唐突な提案にアーベルが首を傾げた。アーベルの返答もごく自然なもの。ここはまだ敵の領域内だし、休憩するような場所でもない。ただの地下通路だ。留まる理由もないのだから、さっさと外に出てしまった方がいい。
「いや、そうだけどさ……。ここで休憩したらダメな理由もないだろ?」
ここで真が美月の方をチラリと見た。
「そう言われますと――」
「私は大丈夫だから!」
アーベルの返答を待たずして美月が割り込んできた。真がこんな場所で休憩の申し出をした理由はすぐに分かった。
「大丈夫じゃないだろ! 今どんな顔になってるか、分かって言ってるのか?」
真がきつく言い放った。美月が戦いのダメージを引きずっていることは一目瞭然だった。おそらくブラドの攻撃は、美月からすればほとんど致命傷だったのだろう。いくら肉体的には傷がないと言っても、回復のために消費した体力は、真達の比ではない。
「大丈夫……。これは、私の責任だから……」
美月が言い返す。表情は辛そうだが、目は力強い。
「大丈夫じゃないから言ってるんだよ! 自分の責任だって思うこともねえよ!」
真だって、美月が飛び出してきた責任を感じている。自分が半狂乱にならなければ、美月は無謀な行動には出なかった。
「違うの! これは、私の意志だから! 皆に心配をかけたから……私が責任を取りたいの!」
「だから、そんなこと誰も思って――」
「足を引っ張りたくないの!」
叫ぶようにして美月が言う。頑として譲ろうとはしない。
「…………ッ」
真は言葉に詰まった。美月が足を引っ張りたくない理由は二つある。一つは、言葉通りの意味だ。皆に迷惑をかけたくないということ。そして、もう一つは、美月の力不足のせいで、真を発狂させてしまうこと。
美月にもっと力があれば、どれだけの強敵が現れたとしても、真が発狂に至るまでの戦いにはならない。極論を言ってしまえば、美月一人で事足りるのであれば、真が戦う必要すらない。だが、そんな力は到底持ち合わせていない。
どちらかと言えば、美月が言う『足を引っ張りたくない』というのは、後者の意味が大きい。それを真が理解できたからこそ、言葉が詰まってしまった。
「もう、美月も頑固だよね――仕方ない、真。このまま進もう」
お手上げのジェスチャーをしながら翼が言った。
「いや、でも……」
「仕方ないじゃない。美月はケジメを付けたいわけなんだからさ。それに付き合ってあげようよ。もう敵はいないんだしさ。それくらいいいでしょ!」
半ば強引に翼が意見を出す。
「その……まぁ……」
「それじゃあ、先に進むよ! でも、美月、外に出たらちゃんと休憩するからね! それと、私の肩を借りなさい!」
真の曖昧な返事を勝手に是と捉えた翼が美月に手を取って肩にかける。
「つ、翼。私は大丈夫! 一人で歩けるから」
「そんなのダメに決まってるでしょ! これ以上まだ足を引っ張りたいわけ?」
この先も一人で歩こうとしている美月に対して、翼が呆れた声を上げた。
「そ、それは……」
痛いところを突かれて美月が反論に詰まってしまった。
そこに華凛が近づき、美月の背中に優しく手を添えた。
「美月の負けよ。ここは翼の言う通りにした方がいい」
華凛も翼の提案には賛成だった。静かな口調で、翼の言葉に甘えるよう促す。
「う、うん……」
ここは素直に負けを認めるしかなさそうだった。美月は翼の肩を借りることにした。
「華凛にしては良いこと言うじゃない」
ニヤリと笑いながら翼が言う。
「うっさい……」
少し頬を赤らめながらも華凛はそっぽを向いた。
そして、真達は再び歩き出した。狭く、長く、暗い地下の通路を歩きだした。
2
地下の隠し通路を歩くこと数時間。ようやく地上へ向かう階段まで戻ってきた。
翼の肩を借りながらとはいえ、これだけの距離を、美月はよく耐えたのだと感心するほど。人一倍辛い思いをしているであろう美月は、弱音一つ吐くことなくここまでやって来た。
これで、ようやく美月を休ませることができる。真は安堵の気持ちと同時に逸る気持ちもありながら、地上への階段を上っていった。
「うっ……」
地上へ出た真を最初に迎えたのは陽の光だった。長い地下通路を歩いているうちに、夜が明けたのだ。しかも、日が昇ってから数時間は経過しているだろう。東からの日差しが真の顔を直に照らす。
深夜の城の中と、暗い地下の隠し通路に長時間いたため、目が完全に暗闇に対応してしまっていた。そこに来ての、直射日光。真は目を開けることができず、顔を顰めている。
強い日差しに目の奥が痛むが、だんだんと慣れてくる。徐々に視界を広げていき、陽の光と森の緑を目の中に入れていく。
「さっさと目を開けろ、蒼井真」
まだ目が開ききっていない真に、権高な少女の声が聞こえてきた。
「管理者!?」
その声を聞いて、真がぱっと目を見開いた。入ってきた強い光に目が痛むがそれどころではない。
真の目の前には、森の中に佇む少女の姿があった。長く伸ばした髪は、血のように濃い色をしている。白いブラウスと紺色のロングスカート。綺麗すぎるその顔は、逆に現実味を帯びない。
それは、真のアバターの元となった姿。管理者が突然現れた。
「お前とは周知の仲だ。それほど驚くこともないだろ」
無表情のまま管理者が鼻で笑う。
「いつも突然すぎるんだよ……。お前がいるっていうことは……、やっぱり、皆の姿はないか……」
真が周囲を見渡した。管理者が真と会う時には必ず、誰もいない空間が作られる。その空間に入れるのは管理者が招いた者だけ。現状では真ただ一人だ。鳥の鳴き声すらしていない空間。おそらく、地を這う虫さえも追い出されているのだろう。
そして、もう一つ、管理者が作り出した空間には特徴がある。それは、外に出れば、ここでの記憶は全て切り取られてしまうということ。逆に、この空間に戻ってくれば、切り取られた記憶も元も戻してもらえる。
だから、真はこの空間にいる間だけは、管理者を認識できるし、今まで管理者と話したことも思い出すことができる。
「いい加減慣れてもらいたいところだな」
「慣れるわけないだろ。いつまでこんなゲームをさせる気だ?」
「それはいずれ分かることだ」
管理者は冷たく答えるのみ。これもいつものことだ。ゲームの中核に当たる質問はなかなか答えてくれない。管理者が必要だと判断した時にのみ、回答をくれる。
「俺の勘だけどな、もう終わりは近いんじゃないのか? 敵がかなり強くなってる。それに、イルミナの存在だ。あいつは何を企んでる? イルミナを倒せば、このゲームは終わるのか?」
期待はしていないが、真は質問を並べた。答えてくれないとは思いつつも言葉が勝手に出てきてしまう。
「いずれ分かると言っただろ。くだらない質問に時間を使うな」
やはり、管理者は答えなかった。冷静に真をあしらうだけだ。
「それなら、もう一つ質問させろ! この世界は最初、人数調整のために平行世界に人々を分散させたって言ってたよな。もう、このゲームをクリアした平行世界はあるのか?」
「平行世界のどれかが、お前より先にこのゲームをクリアしていると思うのか? そう思うなら、その根拠は何だ?」
管理者の口からは明言しないものの、これはほとんど答えだった。
「……まだ、どこもクリアしてないってことか。もし、どこかの平行世界が先にクリアしていれば、とっくに世界は元に戻ってるはずだ」
真はそう言いながら管理者を見る。
「お前の期待には沿えないな」
だが、管理者は真の狙いなどお見通しだった。ここで、『その通りだ』とでも答えていたら、最終的な答えに繋がることになる。このゲームをクリアすれば、全ての世界が元に戻るという言質を取れるという目論見だった。
管理者は、世界が元に戻るかどうかを、真の行動次第としか答えていない。だから、何も答えなかった。
「なら、他の平行世界はどうなってる?」
「どれだけの数の平行世界があると思っている。その詳細を知ってどうする? 大体のことは想像できるだろう?」
この質問に対しても管理者は取り合わなかった。
「想像できるから訊いてるんだよ! 俺たちが、このゲームをやる理由はそれだけだろ! 平行世界に飛ばされた人と再会するために戦ってるんだ! 美月も翼も彩音も華凛も、紫藤さんも赤嶺さんも千尋さんも! 真辺さんだってそうだった!」
「お前はどうなんだ?」
ここで管理者が真の心臓を突くような質問をした。真は何のためにここまで必死になって、このゲームをやっているのか。
「俺は……」
真は即答できなかった。
「お前にとって、このゲーム化した世界は都合が良いだろ。誰にも追い付けない力を最初から持っている。誰からも頼られ、誰からも認められる。世界が元に戻れば、その全て失う。何もない現実に戻る。お前にとって、このゲーム化した世界を元に戻すメリットはなんだ?」
「違う……。俺は、世界を……」
管理者が言うことは半分正解だった。現実世界ではゲームに逃げて、高校も中退した。社会人として働いたこともない。それが、ゲーム化した世界ではどうだ。美少女のような見た目に変えられた不満は大きいが、真は英雄だ。真に勝てる敵もいない。表立っては行動していないが、裏では本当の実力者として確固たる地位を手にしている。
それでも、真はこのゲーム化した世界を現実の世界に戻したいと思っている。
「母親か?」
管理者には答えが分かっていた。分かっていてあえて聞いた。真が答えるかどうかを。
「……そうだ」
真が静かに頷く。誰のためでもない。それが真の本心だった。
「お前が母親のことを話したことはほとんどなかったが? それでも、お前は母親のために世界を元に戻したいのか?」
「そうだと言っているだろ……」
真が苛立ち交じりに返した。管理者は分かって言っているのだ。真が母親に対して、何を思っているのかを。
「そうか。否定するかと思ったが、案外素直に答えたな」
管理者はそう言いながら、真の横を通り過ぎていった。すれ違う瞬間、管理者の表情が少しだけ緩んだように見えた。鉄のように無表情な少女の顔が、一瞬だけ微笑んだように思えた。
「ェッ!?」
思いもよらない管理者の表情に、真が咄嗟に振り向いた。
「ん? どうしたの?」
目が合った美月が不思議そうに言った。美月に肩を貸している翼も同じような様子だ。
「えっ? あ、いや……。なんでもない」
真はなぜ振り向いたのか。その理由が分からなかった。振り向かないといけないようなことがあったわけでもない。ただ、何かに目を奪われたような気がする。何かをもう一度見てみたかったような気がする。それが何なのかは分からない。
(また、あの症状か……。くそ、なんなんだよこれ……)
管理者が立ち去ったことによって、管理者と会っていた記憶は、真の中から切り取られていた。そのため、真がなぜ振り向いたのかという記憶も切り取られている。だが、切り口は残ってしまうため、真には何か理由があったという、漠然とした感覚の残滓だけがあった。