撤収
「お見事です、アオイマコト様」
真の背後からアーベルが声をかけてきた。落ち着いた口調だが、かなり疲れが見える。そんな声だ。
「……ああ。終わったよ――で、これからどうすればいい?」
真は振り返らずに返事をした。灰となって崩れていく、ブラドの体をじっと見ている。
「隠し通路から外に出ます。その後はウォルバート様の別荘を経由して、センシアル王国へ戻ります」
アーベルも横たわるブラドの遺体を見ていた。かつての君主であった男が、まるで灰燼のように消えていく様を見つめている。何を思って、その光景を見つめているのだろうか。真には知る由もない。
「同じルートで帰るのか……。戦いの結果を見届けなくてもいいのか?」
アーベルに目線を合わさずに真が訊いた。
「僕たちの仕事はイルミナの討伐です。結局、逃げられはしましたが、イルミナの参戦を防ぐことはできました。ですから、後は連合軍とレジスタンスの仕事です」
「そうか……。それなら、戦争の方はセンシアル騎士団とロズウェル、レジスタンスに任せて、俺たちは帰還したらいいってことだな……。一応、確認しておくが、勝てるんだよな?」
「もちろん勝てます。ヴァリア帝国の残存戦力から考えて、センシアル王国騎士団とロズウェル将軍の連合が負けるはずがありません。それに加えて、帝都はレジスタンスが襲撃しています。懸念材料だったイルミナは逃亡。負ける要素がありませんが……」
「何かあるのか?」
唐突に言葉を切ったアーベルに真が疑問を抱いた。何か引っかかることでもある様子。
「いえ……、そうではありませんが……。もしも、ブラドを倒すことができなかったらと思うと、素直に喜べないと思いまして……」
「まぁ、あれが外に出てたらレジスタンスはどうなってたか……」
真がブラドの遺体を見返した。アークデーモンと化したブラドは、全身から炎を噴出して襲ってきた。レジスタンスがどれほどの力を持っているか知らないが、センシアル王国騎士団やヴァリア帝国兵と同等の力だとした場合、ブラドの前になす術もなく蹂躙されていただろう。
「ええ……。当然、ブラドは公言した通り、レジスタンスを蹴散らした後、センシアル王国騎士団とロズウェル将軍を狙うでしょう……。そうなれば、戦局も大きく変わっていたかもしれません……」
「だろうな……」
「僕たちは、イルミナだけを警戒していました……。その認識が甘かったんです。ブラド皇帝があれほどの怪物になるなんて全く想定していませんでした……。僕たちはイルミナを理解していなかった……。そのイルミナはどこに行ったのか分からない……。ヴァリア帝国の陥落という目的は達成できますが、一番の脅威を見逃すことになってしまいました……」
「…………」
真は何も言えなかった。イルミナの脅威はまだ残っている。となると、今後のミッションでもイルミナが関与してくる可能性がある。あの狂った女とまた対峙しないといけない。
「――ともあれ、僕達の任務は終わりました。もう、ここにいる理由はありません。帰還しましょう。今回のことを報告しないといけませんし」
「ああ、そうしよう」
真は俯き加減で返事をした。イルミナという不安がどうしても心の中に蟠りを残している。
「ところで、アオイマコト様……。不躾なことを訊いて申し訳ないのですが、僕の疑いは晴れたということでよろしいですか?」
アーベルは背中を向けている真に質問した。
「肝心のイルミナが逃げて、ブラドが倒れた時点で、俺たちを裏切る理由がねえよ」
振り向かずに真が答えた。
「ええ、まあ、仰る通りなのですが……。ただ、何時でも僕を斬れる状態でしたので……」
苦笑いを浮かべながらアーベルが言った。ずっと背中を向けている真だが、妙な真似をすれば、即座に斬り捨てるという空気が滲み出ていた。
「戦いの直後だからな。気が張ってただけだ……」
努めて冷静に真が答えた。本当は、アーベルの言う通り、何時でも斬れるように意識を張っていた。そのことをアーベルは気付いていた。魔道将軍の副官の名前も伊達ではないということか。
とはいえ、実際にはアーベルは裏切り行為をしなかった。ブラドとの激しい戦いの最中も邪魔をしてくるようなことはなかった。
裏切られるかもしれないという懸念は完全に徒労に終わったということだ。
「そうでしたか、失礼なことを訊いて申し訳ありません――それでは、長居は無用ですので、帰りましょう」
アーベルは微笑んで返すと、再び帰還するよう促した。
「ああ、分かってる……。だけど、その前にちょっと話をすることがある」
真はそう言うと、翼に支えられながら立っている美月の方へと歩いて行った。
アーベルは何も言わずにその背中から視線を外した。
真が足早に美月に近づいていく。靴が大理石を叩く音が、殊更に大きく聞こえる。
翼がそっと美月から手を放して、後ろに下がった。
「……真」
最初に口を開いたのは美月の方だった。ビショップである美月は自分にも回復スキルを使用したので、ダメージはほぼ回復している。ただ、痛みは残っており、今でも体の内部から斬りつけられているようだった。
「美月……」
真は言葉が続かなかった。どう言っていいか分からない。まず最初にあるのが、美月に対する怒りだ。無茶なことをして、下手をすれば死んでいたかもしれないことを美月はやった。そのことに対しての怒り。
もう一つは、自身が発狂する寸前だったという慙愧の念。
真は美月に話をしないといけないことがあった。しかし、美月に対する怒りと反省の気持ちがごちゃごちゃになり、話を切り出すことができなくなった。
「真……。言いたいことは分かってる……。皆にも散々怒られたから……」
美月は真の目を見て言った。皆に心配をかける大変なことをした自覚はある。悪いことをしたというのも分かっている。それでも、真の発狂を止めることができて、良かったと思っている。良かったと言える。
ウォルバートの別荘で、翼が話たことは、こんなことではないというのは重々承知だ。それでも、美月は真の発狂を止めることができて良かったと、心から思えていた。
「こんなやり方……二度としないでくれ……」
真はそれしか言えなかった。今回の美月の行動に対して、真に責任はないとは言い切れない。
真の中のベルセルクが活性化するのはゲームとしての問題だ。だが、それを分かっていて、真はブラドと戦った。発狂するリスクを知っていて、積極的にブラドに狙われるように行動した。
冷静な状態であっても、無意識のうちに戦いを求めてしまっているのだ。
もっと、仲間を頼る方法もあっただろう。だけど、真はそれをしなかった。意識せずに戦いの中心に進んで行った。
「うん……。ごめんなさい……。私も反省してる……」
美月が静かに言った。目線は真から外してはいない。今回の行動に対する反省はあるが、それ以上に確固たる意志があったからだ。
「……ああ」
真が曖昧な返事をした。もっと言いたいことはあったのだが、結局言えずじまい。それに、この話をするには、真の発狂について言わなくてはならない。周りに仲間がいる状況でそれは言えない。
「話は終わったか? 何時までもこんな所にいるつもりはない。さっさと帰るぞ」
黙っていたミルアだが、業を煮やして言ってきた。概ね目標は達成できたのだ、ここにはもう用はない。
「あっ、はい……。そうですね」
彩音が返事をした。真と美月の空気に妙な違和感を覚えるが、それを追及している場合ではない。
「…………」
華凛も真と美月の様子が、どこかおかしいというのは分かるのだが、聞くことはできない。今は、ミルアの言う通り帰るしかなかった。
「美月、肩貸すよ」
翼が美月に寄り添って支えようとする。意識を失うほどの大きなダメージを受けた直後だ。休息もなしに帰るには一抹の不安がある。
「ありがとう、翼……。でも、大丈夫だから……。一人で歩けるよ」
やんわりと美月が断る。本音を言えば肩を貸してほしい。だが、迷惑をかけてしまったという心苦しさはある。自分の行動に後悔はないが、反省はあるのだ。だから、翼に甘えるわけにはいかない。
「本当に? 無理してない?」
翼が美月の顔を覗き込む。美月は我慢する傾向があることを翼もよく理解している。
「うん、大丈夫。ほら、皆待ってるよ、早く帰ろう」
美月が笑顔で返した。こうしている間にも、体中が痛みで悲鳴を上げているが、それは出さない。この痛みはゲーム化した世界での痛みだ。実際に体が壊れているわけでも、傷があるわけでもない。放っておいたら、いずれ痛みは消えて、後遺症も残らない。
「そっか……。美月がそう言うなら……」
翼はこれで引き下がった。
「心配してくれてありがとうね」
美月がそう返事をすると、待っている仲間たちと合流して、皇城から脱出するため、来た道を引き返していった。