出発
1
真、美月、翼と彩音はエル・アーシアの探索に備えて、現実世界とエル・アーシアの境目にあるファーストフード店で夜を過ごした。この場所には昼間に到着していたため、特にやることはなく、準備をし直すために戻るにしてもキスクの街は遠い。結局、美月と翼と彩音は女同士で色々と話をしていたようだが、真は暇だけを持て余して適当に過ごしていたという状態だった。
世界がゲーム化していなければ、真は今頃ゲームで時間を潰していただろう。なんとも皮肉なことか。そんなことを思いながらも無理矢理にでも眠るため目を閉じる。
日が出たら起きて、日が沈めば眠るいう生活にも慣れてはきたが、それでも、やることなく無為に時間だけを過ごしたとなれば疲労もなく、簡単に寝付けるというわけではない。
夜が明ければ新しい地域の探索を本格的に始めることになる。あくまで情報収集のための調査探索が目的であるが不安はあった。真自身は大丈夫だろうが、美月や翼、彩音の身の安全のことを考えるとどうしてもベルセルクという職は守ることに穴がある。家でMMORPGをやっていた頃は新しいエリアで初見殺しにあっても、それはそれで面白かった。仲間同士で何故死んだのか検討することも楽しかった。何度でも死ねるゲームは恐怖何てなかった。
どれくらい時間が経ったのだろうか、いつの間にか真は眠りに落ちていた。
ようやく夜が明けて、東の空から太陽が昇り始めると、光が窓から差し込み、ファーストフード店のソファーで寝ていたそれぞれの顔を優しく照らしだすと目を覚まし出した。
「ほら、真、起きて! 朝だよ!」
店の一番奥のソファーで寝ているため、日の光が一番弱い場所にいる真に対して美月が声をかける。大体、真は起きるのが遅い。
「ん……? 朝……?」
まだ半分寝ている真がぼやけた声を出してきた。いつも以上に眠い。昨日はあまり深く眠れてはいないようだ。疲労していないせいだろうか、考え事をしていたからだろうか、よく眠れたとは言えない。
「起きろ! 真!」
ドカドカと後ろからやって来た翼が背もたれ側の真の肩と腰をグイッと掴むとそのまま勢いよく手前に引っ張った。
「おわぁっ!?」
真はソファーで寝ているので、体を手前に半回転させられると身体を支える物が無くなり、そのまま床に落下する。突如襲い掛かる落下感。咄嗟に何かに捕まろうと手足をばたつかせるも、掴める物は空気しかなく、重力に導かれるままにドサッと落ちて行った。
「起きた?」
翼が床に激突した真を覗き込んだ。横では美月が口に手を当てて笑っている。
「『起きた?』じゃねえよ! 起きてたよ! 落ちる前から起きてたよ!」
夢の中で急に落下する夢を見ると体がビクンッと反応して目を覚ますことがある。リアルにそれをやると完全に目が覚める。
「あはは、真、大丈夫?」
まだ笑っている美月が一応形だけ心配してきた。
「ああ、お陰様でな!」
美月にも揶揄われているようで釈然としなかったが、仕方なく体を立たせる。それでも美月がこれだけ笑ったのは何時ぶりくらいだろうか?美月と知りあってからそれほど長い付き合いではないが、思い出の中にある美月の顔は泣き顔の方が多い。
「あ、真さん、おはようございます。あの……翼ちゃんがいるところでは、早めに起きた方が……安全ですよ……」
彩音が翼と美月の後ろからそっと顔を出してきた。活発そうな翼と違い、大人しい感じの彩音はどちらかと言えば朝が弱そうなタイプ。それでも真より先に起きている。
「彩音も相当苦労してきたんだな……」
今までも、翼と行動を共にしてきた彩音がどのようにして朝起こされていたのかを想像して、真の中に憐れみにも似た感情が沸いてきた。
翼は速攻で寝て速攻で起きるタイプだ。昨日も女子同士で話をしていたとはいえ、それは日が沈むまで。日が沈んだ後はすぐに寝ていた。見た目からも性格からも非常にはっきりとしている。それに比べて、彩音は色々と物事を考えてから行動するタイプ。寝る前にも色々と考え事をしていそうだった。事実、彩音はそれほど寝つきが良い方ではない。
「ええ、まあ……でも、私、慣れてますから……」
朝を幾度となく乱暴に起こされてきたわけだから、頭の良い彩音は対応もしてきただろう。だが、単純にすぐに起きればいいだけのことだが体質とはそう簡単に矯正できるものではない。結局、順応するしかないのだろう。
「美月もやられたのか?」
翼と同じく、はっきりと目を覚ましている美月に真が質問した。
「ええ、まぇね。真よりマシだけど」
どんな起こされ方をしたのかは知らないが、少なくともソファーから落とされるようなことはされていないようだった。
「いいじゃない! 真は男なんだからさ! それくらいは我慢しなさいよ!」
腰に手を当てて翼が言ってきた。確かに女相手にソファーから落として起こすようなことはしないでいただきたい。相手が男だからといってもしないでいただきたいものではあるが、こういう時、男は乱暴に扱われるのは仕方がない。
「くそ……分かったよ……でも、もう落として起こすようなことはするなよ!」
「ちゃんと起きたら落とさないわよ」
「落とさない起こし方を覚えろよ!」
この先もしばらくは翼と彩音と行動を共にすることになる予定だ。毎朝こんな起こし方をされていたのではたまったものではない。
「ほら、いつまでやってるのよ。真も翼も朝食を食べたら出発するわよ」
くだらないことで言い合いをしている真と翼に美月が声をかけてきた。手にはロールパンを持っている。
「ああ、すまん。すぐ食べる」
「私はもう食べたわよ」
「えっ、翼、もう朝ごはん食べてたの?」
いつの間に食べていたのだろうか。誰よりも早く起きて、寝ている人を起こして回っていたとばかり思っていたが、しっかり自分のことはしているようだった。美月は少し驚いていた。
「すぐ行動するのが私のモットーだからね」
自身の動きの速さを自慢するような顔ので応える。モタモタしていては怒られる体育会系というのはこういうものなのだろう。
「少しは考えてから行動しろよ」
すぐ行動するを言い換えれば、考えなしに衝動的に動いているようなものだ。前科もある翼に対して真が落とされたお返しとばかりに突っ込んだ。
「もうっ、うるさいわね! 分かってるわよ!」
むくれている翼を横に、真は朝食用のパンをアイテム欄から取り出して一口かじった。
2
朝食を終えた真達4人は現実世界とゲームの世界との境界に立っていた。この先はバージョンアップで新たに追加されたエル・アーシアという地域になる。
昨日、4人で話し合った結果は残りの食料を考えて、行けるところまで行ってみること。マール村からキスクの街に行った時のように1日~2日でどうにかなるのならいいが、見える範囲では村や街は見えない。現実世界から一歩踏み入れた場所はエル・アーシアの中でも標高が高いところに位置していると思われる。見晴らしのいいそこからの景色でも、見えるのは高原と滝と切立った山々と眼下に浮かぶ雲。どれくらいの広さがあるのかは未知数だった。あくまで情報収集のための探索。どこでミッションを受けることができるのかまで分かれば御の字といったところだ。それも高望みし過ぎかもしれないが。
「いきなり目的地に着こうとは思わなくていい。そもそも、どっちに向かって進めばいいかも分からないしな」
真が三人に向けて声をかけた。
「そうね、焦っても仕方ないもんね」
美月が真の言葉に追従する。それは自分に言い聞かせるための言葉でもあった。焦って事を急いで大切なものを失った経験がある。
「まずは動かないと話にならないでしょ、行くわよ」
「ちょっと、翼ちゃん待ってっ!?」
翼はそう言うなり歩き始めた。それを彩音が静止しようとしているが、関係なく進んでいく。
「真、美月、何しているのよ、行くわよ!」
翼が振り返って真と美月に声をかけた。目の前に広がる広大な景色を前にしても臆することなく、我が道を行っている翼はある意味逞しくもあり、頼もしくも見えた。
「相変わらずだな、あいつは」
「ふふ、そうね。でも、今は間違ってないんだし、いいんじゃない?」
「まぁ、そうだな」
真も美月も翼と彩音に習って歩き始めた。どの方向に向かうかは決めている。決めているというよりは情報が少なすぎるのでとりあえず、下に行けるルートを探すことしかなかった。
おそらくこのエル・アーシアという地域にもNPCがいる村なり街があるはずだ。それが山頂付近のところにある可能性は低いと考えていた。ゲームの世界だから、あり得なくもないが、現実世界でも山の頂上に付近に村や街を作るようなことはマチュピチュ遺跡といった世界遺産の例もあるが、普通はもっと標高が低くて平らな場所に村や街を作るものだ。それを基準に考えて下に向かうことに決めた。