皇帝ブラド Ⅱ
「さあ、皇帝よ立ちなさい」
祭服にデスマスクを付けた魔人、ゴルドーがブラドに声をかけた。ブラドは言われるがままに従い、スッと立ち上がる。どう見ても完全に操り人形だ。そこに、ブラドの意思は欠片も見当たらない。
「それでは、始めるとしましょう――シャンティ嬢、よろしいですかな?」
「ええ、あちきは何時でもいいでござんすよ」
ドレスと鉄仮面の魔人、シャンティが応える。まるでこれからダンスでも踊るかのような会話だ。
「皇帝、あなたの素質、見せていただきますよ!」
ゴルドーはそう言うと、ブラドの左側に立った。それを見たシャンティはブラドの右側へと移動する。
「何を始める気だ……?」
真の喉から声が漏れてきた。見えない壁はまだそこにある。この壁がある限り、二人の魔人に近づくことはできない。ただ、事が終わるまで見ているしかない。
「ここに大器あらば、異なる空より融合せしめよ。内なる闇を、内なる怒りを、内なる暴力を。心を、体を、魂を。理を破り因果を結べ!」
ゴルドーが叫ぶようにして呪文を唱えると、ブラドを中心に黒い魔法陣が出現した。その魔法陣はどす黒い光を放つと、ブラドとゴルドー、シャンティの3人を飲み込んでいった。
「な、何をしてるの……?」
美月が怯えたような声を出していた。それは、黒い光の中から見えたものがあったから。黒い光に飲み込まれた2人の魔人とブラドは、ドロドロに溶け、混ざり合い、激しく蠢いていた。
それは、さながら大量の寄生虫が、芋虫の体を食い破って出て来るような、そんな悍ましい光景だった。
やがて、その形は安定しはじめ、一つの造形を作り出した。それは、巨大なデーモンだった。身の丈3メートルから4メートルはあるだろう。太い腕と足。隆起した筋肉と灰褐色の皮膚。鋭い牙と長い角。背中には蝙蝠のような羽が生えている。
先ほど戦った、デーモン化した衛兵達よりもさらに一回りも二回りも大きな体をしている。しかも、衛兵のデーモンとの違いはそれだけではない。最大の違いは両肩だった。デーモンの左肩にはデスマスクが、右肩には鉄仮面が一体化していた。
「ふぅ、ようやく意識がはっきりしたか……。あの女、忌々しい術を施しよって――これが余の新しい体……。ふむ、悪くはないな」
低く野太い声がデーモンの口から出て来た。手を開いたり閉じたりして、自らの体を確かめている。
ここで、真達の前にあった見えない壁が消えた。
「お、お前は……なんだ……?」
一歩前に出た真がデーモンに言った。その問いかけに対して、ブラドはギロリと真を睨みつけた。
「貴様、余に向かって『お前』呼ばわりするとは、どういう了見だ! 我はヴァリア帝国を統べる皇帝、ブラドぞ!」
デーモンは怒りを露にして怒鳴った。その声には、押しつぶすような圧力がある。
「ブ、ブラド陛下……!? あなたが、ブラド陛下だと言うのですか!? 意思が戻ったというのですか!?」
次に声を荒げたのはアーベルだった。最早、意思など欠片も感じられなかった操り人形が、自らをブラドと名乗った。しかも、デーモンの姿となって。
「貴様、見たことある顔だな。余の家臣か? ならば、理解できるであろう。余がブラドであるということを。意思を取り戻したということを」
ブラドと名乗ったデーモンがアーベルを睥睨する。
「い、いや……それは……。し、しかし……その姿は……」
アーベルは理解できていた。このデーモンが紛れもなく皇帝ブラドであるということが。話し方もそうだが、何より決定的なのはその威圧感。皇帝ブラドが持つ、独特の威圧感がこのデーモンにはあった。こればかりは、他には存在しないものだ。
「貴様、余の家臣でありながら、見た目に惑わされるとはな。余は新しい体を手に入れたのだ。老いることもない、病に侵されることもない、力に溢れた新しい体だ! イルミナの術さえ、この力の前には無力だ! もう、あの女の精神支配に惑わされることもない!」
ブラドは満足気に言う。どうやら、この体を気に入っているようだ。不老にしてイルミナの術式すら克服してしまう完璧な体。それは、時の権力者が求めて止まなかったもの。だが、誰一人として、その願いを叶えた者はいない。
「フフフ、ブラドはこの体がえらく気に入ったようでありんすね」
その声はブラドの右肩から聞こえてきた。正確に言えば、右肩にある鉄仮面から聞こえてきた。
「えっ!? 魔人が……?」
それに驚いた声を上げたのは美月だった。完全に融合してしまって、デーモンになったのだから、魔人は吸収されたものだと思っていた。
「これは、これは、どうやらお嬢さんを驚かせてしまったようでね。まあ、それも無理のないことですかな。何せブラド皇帝は、あのアークデーモンとなったわけですから! イルミナ様の精神支配すら脱してしまうほどの悪魔なのです!」
この声はブラドの左肩にあるデスマスクから聞こえてきた。
「アークデーモンだと……!?」
聞いたことのある単語に真が反応を示した。アークデーモンはデーモンの中で最上級に位置する魔物だ。悪魔の君主であったり、統治者であったりする。
「そう、アークデーモンです! 事前にお見せした、並みのデーモンとは格が違います! このブラドという男が持つ素質! その素質の高さがアークデーモンを召喚し、融合せしめた! これはまさに奇跡! そう、奇跡なのです! これほどの奇跡と融合できた私めは何と幸福なことか! イルミナ様の部下になれたことを心より感謝しております!」
ゴルドーが興奮気味にしゃべる。その口調も早口で、次から次へと言葉が出て来る。
「お前が、衛兵をデーモンに変えたのか……!」
真は、ゴルドーの話の中から、その能力を割り出した。ゴルドーの能力は人をデーモンに変える能力。衛兵達もゴルドーの力によって、強制的に魔物にされたのだ。イルミナの仕業だと思っていたが、それは間違いだったようだ。
「左様でございます! 私が城に残った衛兵をデーモンへと変え、皇帝をアークデーモンへと昇華させました! そして、私とシャンティはアークデーモンと同化し、更なる力を手に入れたのです!」
ゴルドーは誇らし気に言った。自分のやっていることが、素晴らしいことだとでも言いたいようだ。
「ブラドがどんな姿であろうと関係ない。ブラドはここで殺す。それだけだ!」
ミルアが短剣を握りしめながら言い放った。ミルアにとっては、ブラドがアークデーモンであろうがなかろうが、どっちでもいい。自分たちを苦しめた人間が、相応しい姿になっただけのことだ。
「フハハハハ! 余を殺すと申すか。面白いことを言う小娘だ。虫けら風情に何ができる? 貴様らはここで無残に死ぬだけだ! 特に貴様、余の家臣でありながら、裏切った罪は存分に償ってもらうぞ!」
ブラドが声を荒げた。特に怒りの矛先が向いたのはアーベルだった。ブラドを裏切って殺しに来たということは、それだけの覚悟ができていると判断していた。
「お前はそれでいいのかよ! イルミナに散々操られてきて、人ですらなくなって、それでも俺たちと戦う気か? 本当の敵が誰なのか分かってねえのかよ!」
強烈なブラドの威圧感に耐えながらも、真が言い返した。ブラドの意識が戻っているのなら、この状況を由とする意味が分からない。
「ふんッ、何を言い出すかと思えば、そんなことか。余の邪魔をする者は全て排除する! イルミナも例外ではない! だが、まずは目の前の貴様らだ! その後は、外のレジスタンス。その後はセンシアル王国! 余が手に入れた力で、全て薙ぎ払ってくれる! そして、最後にイルミナだ! これまで受けた屈辱は倍にして返してくれようぞ!」
「そんな都合よく行くわけねえだろ! 現にお前の両肩にはイルミナの部下がいるんだぞ! 良いように使われてるだけだろうが!」
「小娘、貴様は何と矮小なことか。よいか、これはイルミナからの挑戦状だ! あの女は余が殺しに行くことも分かっていて、この力を与えたのだ」
「なッ……!?」
真は次の言葉が出てこなかった。どう考えても馬鹿げていることだ。そんなことをする意味も理由もない。
「お嬢さん、イルミナ様のことを少しでも理解しているのなら分かるはずですよ。あのお方はそういうことをされる方です。私もシャンティ嬢もイルミナ様の意向に沿っているだけに過ぎない。たとえ、アークデーモンと化したブラドが、イルミナ様の前に立ったとしても、それはイルミナ様が望まれたこと。私は全力でその望みを叶えるだけ」
ブラドの左肩からゴルドーが言った。全てはイルミナが望んだ通りだと。
「狂ってる……」
真の喉から声が漏れる。イルミナが狂っていることは分かっていたことだが、ここまで意味不明な行動をするとは想像もつかない。
「まぁ、小娘には、イルミナ様の崇高な考えなど、分かるわけもありんせん」
ブラドの右肩から、呆れたようなシャンティの声が聞こえてきた。
「理解する必要はない。貴様らのような下賤な人間には、遠く及ばない領域の話だ――さて、そろそろ、話をするのも飽きてきた頃だ。貴様らでこの力を試させてもらうことにする」
ブラドは再び真達を睥睨した。そして、その身体からは、沸き立つように黒いオーラが溢れてきた。
「来るぞ!」
真が警戒を発すると、武器を構えて臨戦態勢に入った。
「本来ならば、神聖な玉座の間を汚したくはないのだがな。今宵は許そう。どれだけ泣き叫んでもよい。どれだけ嗚咽を漏らしてもよい、どれだけ藻掻いても良い、どれだけのた打ち回っても良い。今宵は全て許そう。その臓物をまき散らしても、その脳髄をまき散らしても、血反吐をまき散らしてもよい。今宵は余の新たな旅路の始まりなのだからな!」
ブラドはそこまで言うと、突然爆ぜるようにして、真に飛びかかってきた。




