皇帝ブラド Ⅰ
1
黒い靄を破壊して、敵の出現を阻止した真達は、そのままヴァリア皇城の本殿を進んだ。
目指すは玉座の間。そこに、ヴァリア帝国の皇帝ブラドがいるはず。そして、その傍らにはイルミナ・ワーロックと残りの上級魔人もいるはずだ。
これ以上、イルミナの好きにさせるわけにはいかない。無暗に戦争を引き起こし、意味もなく犠牲者を増やす。ゲームの世界の出来事だが、それに巻き込まれるのは現実世界の人達。『ライオンハート』もその同盟も、イルミナの仕掛けた戦争のせいで多くの犠牲が出ている。
広い広い皇城の中を進みながら、真はイルミナ・ワーロックの姿を思い起こしていた。手駒を揃えるためだけに異界の扉を開く狂気。艶美な容姿をしていたのは覚えている。男を虜にする魔性の肉体だった。だが、それ以上に狂っている。行動も思考も思想も意思も何もかもが狂っている女がイルミナ・ワーロックだ。
その女と再び相まみえる時がもうすぐやって来る。真の足は勝手に速くなっていた。
「アオイマコト様、もう少し慎重に進みませんと……」
アーベルが足早に進む真に注意をする。今は潜入活動中である。できる限り静かに動きたい。
「大丈夫だ、衛兵はもういない。さっきので打ち止めだ」
真は即答した。皇城に残っている衛兵は全て、黒い靄から出てきてデーモンになった。という仮定はどうやら正しかったようで、ロビーでの戦闘後、衛兵の影すら見ることはなくなっていた。
「先ほどの待ち伏せで、残りの全ての衛兵を投入してきたということは、こちらの動きを見破られているということになります。ですから、今まで以上に慎重に――」
「逆だ」
アーベルが言い切る前に真が遮った。
「『逆』と言いますと?」
「動きがバレてるんなら、堂々と行けばいい。イルミナは分かってて待ってるんだよ」
「そうだとしても、こちらは攻撃を仕掛けらたのですから、慎重に行動しないと」
アーベルが反論する。単に城に残っている衛兵を嗾けられただけではない。その衛兵をデーモンに変えて襲わせたのだ。そんな手段を使ってくる相手に慎重になるのは当然のこと。
「だから、その必要はないって言ってるだろ。現に衛兵どころか、メイドも執事もいない。イルミナは俺たちが来るのを待ってるんだよ」
「アオイマコト様……。その、『待っている』という根拠を聞かせていただいてよろしいでしょうか?」
アーベルの口調が厳しくなる。今まで真に甘えるようにベタベタとしてきたアーベルとは別人のような口調だ。
「……お前もイルミナがどんな人間なのか知ってるだろ? あいつは単に楽しんでるんだ。ヴァリア帝国を滅亡させるっていう目的もあるかもしれないけど、それ以上に楽しんでる。だから、俺たちの到着を待ってる」
真がアーベルの目を見返して言った。正直なところ、ここまで言ってしまっていいのかどうかは判断に迷うところなのだが、真は“あること”を内包して言った。
「アオイマコト様、一つお尋ねします……。今、『お前も』と仰いましたね……?」
やはりと言うべきか、アーベルはそこに気が付いた。
「ああ、言ったよ」
「アオイマコト様もイルミナという女を知っている、ということでよろしいしょうか?」
アーベルの口調はさらに険しいものになっている。
「そうだ。俺はイルミナを知っている……。というか、会ったことがある」
「……それほど重要な情報……。今まで隠していた理由は……僕ですか?」
「そうだ……」
真が静かに答えた。真がイルミナと会ったことがあるという重大な情報。イルミナを倒しに行くための仲間であるアーベルにそのことを話さなかった理由を、アーベルはすぐに理解したようだ。
「僕は裏切りません! ……っと言って信じてもらえるかどうか」
「その問いに対しては答えない……」
「……分かりました。それで構いません。僕は力を貸してもらっている立場ですからね……。ただ、一つ、差し支えなければ教えていただきたいのですが……、アオイマコト様はどこでイルミナと会ったんですか?」
「タードカハルだよ」
嘘は言っていない。真が初めてイルミナ・ワーロックと会ったのはタードカハルにあるスマラ大聖堂だ。そこは聖域とされており、イルミナ・ワーロックの遺骸が安置されていた。
「そうですか、やはり、あの女はタードカハル出身で間違いないようですね――すみません、余計なことで時間を取らせてしまって……。アオイマコト様の言う通り、堂々と玉座へ向かいましょう」
いつの間にかアーベルの口調は落ち着いていた。だが、どこか影のある声だ。この場に来てもまだ裏切り者の疑いが晴れていないのだから、当然と言えば当然のことだろう。
2
そこからは、一気に玉座の間に向かって走った。誰に見つかるかなんて考えずに進んだ。イルミナは既に真達の動きを把握していると見ていい。そのうえで、衛兵を全てぶつけてきた。その後の防衛は何もない。これは、警戒している人間の行動ではない。
楽しんでいるのだ。いきなり、城の中の残存戦力を全て投入するような暴挙も、一種の遊びでしかないのだろう。イルミナならそんなことをしてくる。真は感覚でそれが分かった。
そして、真達は、何ら妨害を受けることなく玉座の間の前までやってきた。目の前には白く大きな扉がある。金で縁取られた立派な両開きの扉だ。
「行くぞ……」
真が静かにそう言うと、美月達は緊張した面持ちで首肯した。
そっと真が扉に手を添えて、少しずつ力を入れる。大きな扉なのだが、見た目ほどの重さを感じることなく、扉はゆっくりと開いていく。
扉の先は黒い大理石と白い絨毯が敷かれた広い空間だった。幾本の柱が広いその空間を支えている。
真達は一歩一歩前に進む。踏みしめる絨毯の柔らかい感触が足の裏から伝わってくる。だが、その優しい感触を楽しむ余裕はない。それは、目線の先にいる人影のせいだ。
玉座の間の奥。そこに座っている一人の老人男性と横に立っている若い女性。そして、その女性の後ろに付き従うようにしている、二人の魔人。
「ようこそ、ヴァリア帝国へ。歓迎するわよ」
女性の声が玉座の間に響いた。綺麗な声なのだが、どこか耳障りな感じがする。声に悪意が染み込んでいるような声だ。
「イルミナ、逃げなかったことは褒めてあげますよ!」
アーベルが威嚇するように言い返した。しかし、その声はかなり緊張しているのが分かる。
「私は、ここまで来るお馬鹿さんの顔を見るために待ってたのよ。誰が来るのかと思ったけど、やっぱりあなたなのね、ベルセルクのお嬢さん」
イルミナは真のことを覚えていた。イルミナにとっては、思っていた通りの人間が来た。
「まさか、俺のことを覚えていたとはな……。どうせすぐ記憶ごと消してやるから構わないけどよ」
真がイルミナを挑発する。イルミナをこの世から消してしまえば、真の記憶もろとも無くなってしまうのだから。
「あら、口だけは相変わらずね。でも、私はそういうところも気に入っているのよ。ねえ、前に話したこと覚えてる?」
「前に話したこと……?」
言い知れぬ寒気を覚えながらも、真は聞き返した。
「私のペットにしてあげるっていう話よ。私ね、あなたが欲しいのよ。その綺麗な顔がどんな風になるのか見てみたいの」
「ああ、覚えてるよ! その首に噛みついてほしいって話だろ?」
真はさらに挑発をする。イルミナの会話のペースには乗らない。
「ふふふ、いい度胸してるわね――そうね、タダとは言わないわ。あなたが私のペットになったら、ヴァリアを無条件降伏させる。私もこの国から出ていく。それでどう? 悪い話じゃないと思わない?」
イルミナは面白がるように言ってきた。まるで蛇が兎に巻き付いたまま、食べようともせずに、様子を見ているような、そんな嫌悪感を覚える。
「前にも同じことを言ったよな? お前を倒して、ヴァリアを開放する!」
真はイルミナの話を一蹴した。イルミナが約束を守る保証なんてどこにもないし、たとえ約束を守っるとしても、ペットになんかなる必要はない。イルミナを倒してしまえばそれでいいだけのことだ。
「あら、つれないわね。まあ、いいわ。今度会った時には、『ペットにしてください』って言ってくれることを期待してるわよ」
「『今度会った時』……? ――おいッ!? お前、また!?」
イルミナの言葉を聞いて、真は気が付いた。前と同じだ。『今度会った時には』と言っている。ここではないどこかで、もう一度会うことを暗示している。つまり――
「ゴルドー、シャンティ、後のことは頼んだわよ」
「御意」
「はい」
イルミナに声をかけられた魔人ゴルドーと魔人シャンティは恭しく頭を下げる。
「真!? ねえ、もしかして!?」
ここで翼も気が付いた。以前見た光景とまるで同じだ。
「止めないと!」
美月も叫び声を上げる。
「逃がさねえよッ!」
真が大剣を振り上げて走り出した。センシアル王城で、イルミナが異界の扉を開いた時と同じだ。言うだけ言って、どこかへと逃げていったあの時と同じ。イルミナはまたしてもこの場から逃げようとしているのだ。
ここで逃がすわけにはいかない。逃がせば、またどこかで災厄を振りまく。それがイルミナ・ワーロックという女だ。だが――
ガンッ!!
「ぐっ……!?」
真は何かにぶつかった。あと少しで、イルミナをソニックブレードの射程に入れることができる距離で、真の足は止まった。
「何してるの――キャッ!?」
少し遅れてやってきた翼も何かにぶつかって足を止められた。
「真、どうしたの!?」
後ろから美月が声をかけてきた。真と翼の様子がおかしいことは一目瞭然だった。
「クソッ! まただ! また見えない壁だ!」
ガンッと真が目の前にある見えない壁を叩く。
ゲームのイベントとして、邪魔をすることができない場合、強制的に行動を制限される。敵の変身中に攻撃ができないようにしたり、逃げられると決まっている敵の後を追えないようにするためのシステムだ。
いわばゲームの仕様。この後の展開が決まっているから、それを邪魔させないためのセーフティ。それが今発動している見えない壁なのだ。
「それじゃあ、シャンティお願いね」
イルミナは優雅な所作で配下の魔人に指示を出した。
「主様の仰せのままに」
シャンティはすぐさま何もない空間に黒い穴をあけた。高さは2メートルくらいだろうか。楕円形の穴だ。
真達は以前にもこの黒い穴を見たことがある。どこかの別の空間に繋がっている穴だ。空間転移能力を有する魔人シャンティの能力。
「クッソ! 待てって言ってるだろうがー!」
真が叫びながら見えない壁を叩く。だが、壁はそこにあり続ける。びくともしない。必要なイベントが終わるまで絶対にその壁は壊せないし、越えることもできない。
真の叫びも虚しく、イルミナは空間に空いた穴の中に入っていった。そして、その穴は、イルミナが入った途端、すぐに消え去った。
残ったのは、魔人シャンティと魔人ゴルドー、それに玉座に座ったままの皇帝ブラドだ。今の騒ぎですら、ブラドは何も反応していない。
「さてと、お客人。私どもは偉大なるイルミナ様より、お客をもてなすように言われております。今宵、イルミナ様のご厚意を存分に味わい、感涙し、感激し、悶え、苦しんでいただければと存じます!」
祭服にデスマスクを付けた魔人ゴルドーが声高らかに言った。これから何かを始めるつもりなのだろう。真達の前にある見えない壁はまだ消えていない。要するに、今から二人の魔人がやることを指をくわえて見ていろということだ。