再会
真と美月は眼前に広がるエル・アーシアの光景に言葉が出てこなかった。アスファルトの道路の先には背の低い草が海原のように広がり、所々に小さな花が咲いている。傾斜のある地面を擦るようにして雲が浮かんでいるため、場所としてはかなり標高の高い高原なのだろう。
「先に行ってみるよ……」
「うん……気を付けて」
真がアスファルトの道路と高原の境目を越えて踏み出す。一歩前に進むと風が吹いていた。それ程きつい風ではないが、ほぼ無風状態であった現実世界の道路を一歩超えただけで急に風が吹き出したことに少し驚く。空を見上げるとそこには快晴の空が広がっている。
高原の雲は真がいる位置よりも下に浮かんでいるが、一歩後ろの現実世界の空は遥か上空に曇天が広がっている。現実世界の標高が何mの場所にあるのかは知らないが、普通に考えて数m~数十mのはずだ。だが、今、真が立っている場所は雲より高い標高ということになる。下層雲でも標高2000m以上の場所に発生するため、標高数mの場所から一歩で少なくとも標高2000m以上の場所に来たことになる。
「真、だ、大丈夫なの……?」
美月が心配そうな顔で真を見ている。
「ああ、平気だ。特に問題はない」
「そ、そうなの? そこってかなり高地の場所だよね? いきなりそんな所に行って、気圧の変化とか凄いことになってない?」
「あっ……!?」
美月に言われて気が付く。登山の速度で山を登って行っても、標高が高いところでは空気が薄くなって酸欠になり、高山病にかかる。気圧も急激に変化すれば頭痛等の体の症状が出る。
「いや、大丈夫だ。うん、今のところ何も問題ない。美月も来てみろよ」
真が体のあちこちを確認する。吐き気や頭痛はない。どこか体が痛むような場所もない。いたって平気、現実世界との境界を越えて感じたことは風が吹ているということと晴れているということくらい。
「う、うん」
少し不安げな美月が現実の道路とゲームの高原の境界線を一歩踏み出す。高原に吹いている風が、美月の茶色いミドルロングの髪の毛をとかすように流れていく。
「な、大丈夫だろ?」
「ほんとだね、普通だったら、体に影響が出てもおかしくないのにね」
美月は大丈夫だということが分かると、改めて周りの景色を見渡した。広く大きな斜面を覆いつくす草原の先には切立った山々があり、遠くの方には断崖から流れ落ちる滝も見える。
「これもゲーム化の影響だろうな」
ゲームでは特にラスト近くになると、空に浮かぶ要塞に行くような場合がある。大体が雲よりも遥か上に位置しているように描写されており、成層圏にも達しているのではなかいと思えるくらいだ。そんな超上空に行っても平然と動き回っているのがゲームの世界。
「そういうことなのね……。にしても広いところだよね、こんなに広い高原に来たのは初めてだよ」
「そうだな。俺もこんなところに来たことはないよ。これだけ広いと探索のしがいもあるよな」
と、真がそこまで言って黙り込む。美月も黙り込む。お互いが黙りこんで静かに顔を見合わせる。そして、ポツリと美月が言い出した。
「……これ、探索するのよね……?」
「……うん」
再度、遠くまで景色を見渡す。広大な山の斜面に深い谷。山に阻まれて先を見通すことができないので、どこまで広がっているのか分からないが、相当広いのだろう。
「平地じゃないのよね……?」
「かなり斜めってるな……」
マール村の周りもキスクの街の周辺も当然、現実世界の道路も平坦な道を歩くことができていた。一部ダンジョンでは鉱山等の場所があるが、そこまでの道のりは平地だ。だが、今から進もうとしている場所に平坦な場所は見当たらない。
「……」
「……」
すでに今日は朝から4~5時間は歩いている。その状態で目の前の山登りをするというのは非常にハードだ。とは言っても、まだ時刻は昼前後、活動時間はまだまだあるし、体力も残っている。
「場所は分かったんだし、改めて来よっか」
「そうだな、場所は分かったんだしな」
時間はまだあるが、それでも朝から歩き詰めであるため、これからどれだけの時間がかかるかも分からないところに進むのは気が引けた。しかも進む先は山である。体力が残っているとはいえ、ここは一旦引くのが賢明な判断だろう。そんな真と美月の心情を知ってか知らずか、現実世界の道路の反対車線の方から甲高い声が聞こえてきた。
「うわー! 凄いよ、彩音! 来てみなって! 凄い景色だよ!」
「翼ちゃんっ!? いきなりそんなところに飛び込んでいったら危ないよ!」
「平気! 平気! 全然危なくないよ。大丈夫だって」
「いや、でも、明らかにおかしいよね? 雲があんなところにあるし、そこって高地だよね? 空気とか気圧とか急激に変わるよね?」
「何難しいこと言ってんのよ、ほら、大丈夫でしょ」
聞こえてきた声の主は翼と彩音だった。以前、鍾乳洞の中で巨大ムカデに追われているところを真が助けたことがある。今は翼が彩音が静止するのも関係なく、高原の斜面を無邪気に走っている。
「あれって、翼と彩音!?」
美月が翼の大きな声に反応した。翼の方は真と美月に気づかず、癖のある濃紺色の髪を躍らせ、走って高原の中に飛び込んできている。
「だな……」
以前会った時と変わっていない。この勢いで今まで来たのだろう。そして、巨大ムカデに弓を撃ち放ったのだろう。
「もう、彩音も早く――って、あーーーー!?」
翼が振り返って彩音を呼ぼうとした時に真と美月の姿を見つけて叫んだ。その直後、真と美月のいるところまで走ってきた。
「美月! 真! 久しぶりじゃない!」
翼が美月の手を取ってはしゃいでる。以前、鍾乳洞で一度会って以来、今まで会うことはなかった。キスクの街でも会うことがなかったので、ここで会ったのはかなりの偶然だ。
「久しぶりだね翼」
「相変わらずだなお前は」
美月と真が翼に返事をする。相変わらず直感で行動しているのは見て取れた。
「あの、真さん、美月さんお久しぶりです」
彩音の方も真と美月に気が付いてやって来た。
「うん、久しぶり彩音」
「そっちも相変わらず苦労してるようだな」
真が彩音の苦労を察して声をかけた。真でも今回は立ち止まって、一歩を踏み出すかどうか考えてから行動している。それでも、後から美月に気圧のことを指摘されたが、それは美月も最初は気が付いていなかったことだ。
「ええ、まぁ……でも、何とかなってるんですよ。翼ちゃんってすごく運がいいから」
「確かに、翼って運が良さそうな感じがするよね」
美月がクスクスと笑いながら彩音と話をしている。
「翼は、運がいいんだろうけどな」
翼に振り回されている彩音は運が悪いのだろう。苦労が絶えない。ただ、彩音が付いてくれているということも翼の強運なのかもしれない。
「何よっ!? 私は運だけじゃないんだからね! 弓の技術だって結構凄いんだから!」
不満気な口調で翼が抗議してきた。運だけではなく実力もあるということを分かってもらいたい。
「で、翼は無暗に弓を撃つ癖は直ってるのか?」
そんな翼に対して、真が痛いところを突いてきた。
「む、無暗やたらに弓を撃つようなことはしてないわよ! ね、彩音!」
「えっ……!?」
数秒の沈黙の時間が流れる。
「ほら!」
「何が『ほら』だ! 明らかに撃ってるじゃねえか!」
「彩音……頑張ったね」
美月がそっと彩音の肩を抱き寄せて撫でる。傷つきながらも一生懸命頑張った小さな子供を褒めるように優しく撫でた。
「はい……頑張りました……」
「っちょっと!? なんでよ!」
心当たりがないわけでもない翼だが、非難を受けているようで不平を口にした。事実として翼が彩音に迷惑をかけていることは間違いないので、翼の不平に正当性はない。
「なんでよじゃなくて、そういうことだよ!」
真が不満そうな翼に突っ込むと、言い返すことができずに翼が不機嫌そうな顔をしている。
「真さんと美月さんも先に進むんですか?」
そんな翼は置いておいて、彩音が話をしてきた。
「私たちは一旦引こうかと。ここまで来るのにもかなり歩いたし、日を改めて来ようと思ってるの」
「そうなんですね。ここまで来るのにも結構歩きますしね。その方が良いですね」
「えーっ、真と美月、今日はもう進まないの?」
美月と彩音の話声を聞いた翼が口を挟んできた。
「いや、お前、話聞いてただろ? ここまで来るだけでもどんだけ歩いたと思ってるんだ。それにこんな標高の高そうな山を進むんだぞ」
まだ進もうとしている翼に真も驚きを隠せなかった。たぶん翼と彩音もここまで来るのにかなり歩いているはずだ。彩音もそう言っている。
「そうだね……。ま、仕方ないか。ねえ、真も美月もさ、明日、私達と一緒に行かない?」
「ん、あぁ、俺は構わないよ」
「私もいいわよ」
真と美月が二つ返事で答えた。翼の性格には多少難があるが、それでもスナイパーとしての腕は確かなものだ。それに、彩音の実力も悪くはない。
「やったー! よかったね彩音!」
「どちらかというと、私達が一緒に行ってくださいって頼む方だと思うんだけどね……」
彩音としては二人でこの広大なエル・アーシアを進むことに不安があったが、真と美月はそんな心配はないだろうと思う。特に真の力は彩音からしても想像がつかない。そんな二人が一緒に来てくれるというのは願ってもないことだった。