リヒター宰相 Ⅱ
1
「リヒター様……、この娘と戦えと……?」
対戦相手に指定された真の方を見ながら、トーラスが困惑した顔を浮かべる。それもそうだろう。宰相に呼ばれるのはいいとして、呼ばれた内容が少女と戦えという内容なのだ。自分の耳を疑うのも仕方のないこと。
「そうだ。この赤髪のベルセルクと模擬戦をしてもらう」
リヒターの方は躊躇なく言ってのける。体格差は歴然。クマと少女の戦いくらいの差があるのだが、そんなことはお構いなしといった様子。
「それは、構いませんが……。この娘は反撃をしてはならないというのはどういうことでしょうか……?」
ただでさえ大きな体格差があるのに、赤髪の娘にはさらに反撃をしてはならないという重たいハンデをつけている。トーラスにはまるで意味が分からなかった。
「この赤髪の娘は我らがセンシアル王国騎士団を全て相手にしても勝てる強さを持っていると豪語している。それを見せてくれるということだ。反撃をしないくらい、問題ないだろう。そうだな、シドウソウシよ?」
リヒターが嫌味な笑みを浮かべて総志を見る。あそこまで言っておいて、引き下がるようなことをすれば、総志が負けを認めるということだ。トーラスもセンシアル王国騎士団を虚仮にされたことには表情を強張らせていた。
「反撃をしないだけでいいのか?」
対する総志は、涼しい顔で返した。トーラスという衛兵がどれだけの強さを持っているのかは、見た目だけでも判断できる。多少過大評価しても、真が反撃しないことなど何のハンデにもならない。
「どうやら私は貴殿を見誤っていたようだな。ここまでの馬鹿だとは思ってもいなかったぞ――おい、小娘。模擬剣を持つことも防御することも禁止する。恨むならシドウソウシを恨めよ」
「俺の方も問題はないけどさ……。面倒なことに巻き込むのは止めてくれよな……」
真としては、トーラスと模擬戦をすること自体に問題はない。できれば一撃で終わらせたいところだが、反撃ができないというルールなので手間がかかる。問題があるとすればそれだけのこと。
「おい、娘! 今なら模擬戦を止めることもできるのだぞ? 少しばかり腕に覚えがあるようだが、生半可な強さを過信すると怪我だけではすまんぞ!」
どうやら勝てる気でいる真に対して、トーラスが言った。最初は気乗りがしない命令だったが、対戦相手がまるでビビっていないのは気に入らない。
「大丈夫だ。早く本題に入りたいから、さっさと始めようぜ」
ここで口喧嘩しているのも時間の無駄。真は早く模擬戦を終わらせてミッションの話に入りたい。
「本当にいいんだな? このトーラス・バルガ、娘相手でも手加減はしないぞ!」
「いいからとっとと始めよう。場所はどこでやるんだ? ここでやるのか? それと、俺は男だ。躊躇う必要もねえよ」
「はあ!? 貴様、男か!? まあ、いい――リヒター様、裏庭の方へ移動してよろしいでしょうか?」
真が男だという発言に対して、トーラスは半信半疑なのだが、本人が男だがから気にするなというのであれば、気兼ねなく戦わせてもらうまでのこと。
「ああ、構わん。お二人も一緒に来ていただいてよろしいですかな?」
リヒターは上座に座っている金髪の男と獣人の男声をかけた。
「ええ、私は構いませんよ」
「承知いたしました。時間も惜しいので早く移動いたしましょう」
金髪の男と獣人の男はそれぞれ了承する返事をして席を立った。この二人もこれ以上、茶番に時間をかけたくはない様子だった。
2
やって来たのはセンシアル王城の裏手にある庭。本殿からは離れているが、リヒターに呼ばれた部屋からはすぐ近くにある場所だ。
センシアル王城の中央庭園のように花壇や石造などはないのだが、綺麗に生えそろった芝生があり、広さも小学校のグランドくらいはある。人気もない場所なので模擬戦をするにはうってつけの場所と言えるだろう。
そこに12人の男女が来ている。真とトーラスは少し距離を置いて向かい合う。『フォーチュンキャット』に総志、姫子、千尋。それにリヒターを加え、名前を聞いていない金髪の男と獣人の男が遠巻きに様子を見ていた。
「なんだか面倒なことになったよね……」
気まずそうな顔で美月が言った。リヒターも総志も完全に喧嘩腰で話をしている。それに真が巻き込まれてしまった形だ。
「そうですよね……、でも私たちもミッションに参加する予定なので、真さんが代表して模擬戦をしてくれるなら助かるっていうのはありますけどね……」
彩音が苦笑しながら返事をした。真だけが模擬戦をすることになっているが、実際にミッションに参加するのは『フォーチュンキャット』の5人全員。他の4人まで戦ってみせろと言われたらそれこそ面倒なことになる。
「お前達が気にすることじゃない。蒼井の強さを目の当たりにしたら、ぐうの音も出ねえよ」
姫子が面白そうに言った。リヒターもかなり強い衛兵を呼んだのだろうが、その鼻をへし折られる瞬間が見られるのは楽しみだった。
「え、ええ……そ、そうですね……(赤嶺さんに初めて会った時と同じことを言われてるんですけど……)」
何ともいえない表情で美月が返事をする。『フォーチュンキャット』のメンバーが姫子と初めて会ったのは、イルミナの迷宮に挑むミッションの時だ。ホテル『シャリオン』に呼ばれて、総志から真を紹介された時の姫子の反応はリヒターとまるで同じ。姫子はそんなことなかったかのような口ぶりをしている。こういう神経の図太さが巨大ギルドのマスターとしては必要なのだろうかと、美月は密かに思った。
「さてと、これが最後通告だ。我らがセンシアル騎士団よりも強いという戯けた発言を撤回するなら、今回の件は不問するようリヒター様に掛け合ってもいい」
トーラスは侍女に持って来させた大振りの模擬剣を手にしながら真を睥睨した。どう見ても少女なのだが、センシアル王国騎士団を愚弄した発言は許容できない。とは言うものの、まだ少女(少年?)だ。謝罪をするのであればそれは許してやってもいいと思っていた。
「いいからさっさとかかってきてくれ。俺だってそこまで暇じゃないんだ」
真はトーラスに向けて指をクイックイッと動かした。かかって来いという挑発の合図だ。
「俺を前にしてそれだけの態度を取れる度胸だけは褒めてやる! しばらく動けなくなるが、死ぬようなことはないから安心しろ!」
完全に舐めた態度を取っている真にトーラスは完全にキレた。勢いよく地面を蹴って真に対して模擬剣を振り下ろす。
(結構いい動きしてるな)
それを真は半身になって躱す。かなりギリギリのところで回避したため、剣を振り下ろす音が耳に直接入ってくる。
トーラスはすぐさま模擬剣を引き戻すと、今度は袈裟斬りに振り下ろした。
真は上体をそらして袈裟斬りを回避。これも髪の毛が触れるかどうかのギリギリのところだった。
トーラスは止まらず、返す刃で横薙ぎに一閃する。真は軽く後ろに飛ぶことで回避。
「なるほど、言うだけのことはあるようだな!」
立て続けに攻撃を避けられたものの、トーラスはニイっと笑っている。強い奴と戦えるのは武人としての喜びだ。
「あんたも筋はいいと思ぞ」
流石は王城にいる衛兵といったところか。真はもっと弱いと思っていたが、なかなかどうして、結構ちゃんとした剣を振ってくることに感心していた。
とはいえ、アルター真教のガドルやヴァリア帝国黒騎士団のゼールに比べれば稚戯にも等しい。
「余裕ぶっていられるのも今の内だ、小娘が! 舐めるなよー!」
完全に上から目線の真にトーラスはさらに怒りのボルテージを上げた。先ほどにも増して勢いよく模擬剣が振り下ろされる。
「だから、男だって言ってるだろ」
だが、真は余裕で回避。完全に剣筋を見極めて最小限の動きで避けている。しかも、ほとんど剣は見ていない。
それからもトーラスは何度も何度も模擬剣を振り続けるものの、一発たりとも当たらないどころか、掠りさえしない。当たりそうで当たらない、ギリギリのところで全て避けられていた。
「トーラス! 何を遊んでいる! さっさとその小娘を叩きつぶせ!」
いつまでたっても倒せないトーラスに対して、堪りかねたリヒターが怒鳴り声を上げた。
「は、はい……承知しております……」
息が切れだしたトーラスに焦りの色が見え始めた。細身だから避けることが得意なだけだろうと高を括っていた相手だが、どう考えても技術で負けている。それも、ただ負けているだけではない。圧倒的な差で負けていることに気が付き始めた。
「一撃だ……。一撃さえ当てられれば……」
いかに技術に優れていようが、トーラスとの体格差は歴然。トーラスの筋力があれば、目の前にいる細身のベルセルクなど一撃の下にねじ伏せることができるに決まっている。そう、一撃さえ当てられれば。
「なあ、その一撃当ててみるか?」
まだ諦めないトーラスに真もどうしたものかと思案し始めていたところだった。トーラスは一撃を当てることができれば勝てると思っているようだ。ならば、その希望を叩き潰すしかない。
「なッ!? き、貴様ァ、舐めるのも大概にしておけよー!」
真の一言がトーラスの逆鱗に触れた。センシアル王国の衛兵になるために厳しい訓練に明け暮れた日々。恵まれた体格だけでなく、毎日のように筋力を鍛え続けた。その一撃は丸太でも粉砕できる。それを当たってやるだのほざいたわけだ。
トーラスは渾身の力で模擬剣を振り下ろした。真の左肩を狙って斜めに振り下ろされた剣。真はそれを宣言通り避けずに喰らった。
「うん……。流石に痛みはあるか」
真は腕を組んだまま立っている。模擬剣とはいえ金属性の武器。鈍器としては十分な威力を持っている。それを筋肉達磨の大男が力いっぱい振り下ろしたのだから、普通は立っていることなどできない。
だが、真は平然と立っていた。その光景にトーラスだけでなくリヒターも愕然とした表情をしている。
「どうする? もう諦めてくれるか?」
左肩に軽い痛みを覚えながらも真はトーラスに聞いた。これくらいの攻撃なら、何度喰らっても大丈夫なのだが、やっぱり痛みのあるものは嫌だ。
「ま、まだだ……。まだだぁー!」
トーラスは喉から搾り出すようにして叫んだ。そうしないと剣を振ることができなかったから。
そして、トーラスが大きく模擬剣を振りかぶったところで、真が一歩前に踏み込んだ。そこは真の間合い。本来なら構えている大剣の領域だ。
だが、ルール上、真は反撃をしてはいけない。だから、想像の中でトーラスを斬るイメージを浮かべる。それはドンピシャのタイミングだった。
トーラスが振りかぶったところに踏み込みからの袈裟斬り。これで終わり。続く連撃に移行する必要もない。という光景が真の頭の中で再現される。
「…………ま、参った」
模擬剣を振りかぶったままの態勢でトーラスは固まっていた。顔中には脂汗が滲んでいる。トーラスには分かったのだ。真が何をしようとしたのかが。そして、本物の剣を使っていれば、自分が死んでいたこともトーラスには理解ができていた。
「あんたも十分強かったと思うよ」
慰めになるかどうかは分からないが、真がそう声をかけると、トーラスは崩れるようにして芝生の上に膝を付いた。持っていた模擬剣も力なく横たわる。
「リヒター、部屋に戻るぞ」
口が開いたままのリヒターに対して総志が言うが、リヒターは固まったまま。総志は構わず部屋へと向かって歩き出す。それに続いて『フォーチュンキャット』のメンバーや姫子、千尋も歩き出した。
「嫌味の一つでも言ってやればいいのに」
姫子が面白そうに総志に話しかけた。いけ好かないリヒターに一泡吹かせることができて、姫子も気分がいい。
「無駄なことはしない主義だ。今後、リヒターは俺たちの言うことを、少しは聞くようになるだろう」
終わったことに興味はないとばかりに総志が言う。そもそも最初から結果の分かっていた茶番だ。嫌味の一つを言うほどの価値もない。
「戻りましょう、リヒター卿」
長い金髪の男がリヒターに声をかけると、ようやく動き出して、元の部屋へと戻って行った。