新たなミッション Ⅰ
真や翼たちが現実世界の地下に鍾乳洞があることを発見してから、一週間もしないうちに他の人も鍾乳洞を発見し、その情報は広まっていった。特にマッドマンがたまに落とす方解石はそれなりにお金になることが分かり、人が鍾乳洞に集まった時期があった。ただ、それは一時的なもので、暫くすると鍾乳洞へ来る人数は落ち着いていくことになる。理由は二つ。キスクの街から離れていること。もう一つは鍾乳洞と地下鉄を徘徊する巨大なムカデ。巨大ムカデに関してはしっかりと装備を整えて複数人で挑めば倒すことは可能だが、情報が少なかった時期には何人かの犠牲者が出ている。
そして、何も変わらないまま、さらに2カ月以上が経過した時、その声は以前と同じように唐突に響いた。
― 皆様、『World in birth Real Online』におきまして、本日正午にバージョンアップを実施いたします。繰り返します。本日正午を持ちまして、『World in birth Real Online』のバージョンアップを実施いたします。バージョンアップの内容につきましては、皆様それぞれにメッセージを送付いたしますので、各自でご確認ください。 ―
晴れの日の昼。つい先ほどまで見えていた太陽は雲に隠れているが、位置から推測するに正午間近であることは間違いないだろう。それに、バージョンアップの告知はいつも直前にされる。
【メッセージが届きました】
キスクの街の中で空を見上げていた真の頭の中に声が響いた。これから昼食を取ろうと思っていたところで、大音量で響き渡る声を聞き、立ち止まっていたのだ。周りを行く人も同じような反応で訝し気な顔をしている。何も変わらずに動いているのはNPCだけだ。
「真……また……」
真の隣に居る美月も当然、同じ声を聞いているし、頭の中に響いた声も同様だ。
「分かってる……。ほんとに事前告知っていうのをしないよな」
頭の中に『メッセージが届きました』という声が聞こえたということはつまり、同時にバージョンアップも完了して、その内容を送ってきたということだ。今までもそうだったし、時刻も正午なのだろう。
「前にも言ってたよね。ゲームだったら何日も前にバージョンアップの内容を告知するって」
美月が真との雑談を思い出した。どういう経緯でその話になったのかまでは思い出せないが、真からバージョンアップが普通はどうやって行われるのかを聞いたことがあった。
「大きなバージョンアップの時は数カ月前から告知されてるよ。内容は一度に公開せずに徐々に明かされていくんだけどな」
MMORPGをやったことがない美月にとってゲームのバージョンアップがどのようなものかは知らなかったが、真からの説明で一定の理解はできていた。
「……また、前みたいに……」
美月の表情が暗くなる。前回のバージョンアップでは突然、グレイタル墓地のNMの行動が変更され、人をゾンビに変えるようになった。安全だった狩場がその日の正午を境にして、人が人でなくなる危険極まりない場所に変わった。その被害に遭った人は大勢いる。そして、ギルド『ストレングス』はそのバージョンアップのせいで美月一人を残して壊滅した。前回のバージョンアップから3カ月ほどが経過しているが、たったそれだけの時間で気持ちを切り替えることは難しい。
「俺が先にバージョンアップの内容を見てみるよ」
真としても前回のバージョンアップには思い出したくない記憶がある。出会ってから短い時間しか一緒に過ごしていない仲だったが、ゾンビと化した美月の仲間を真が斬った。そのことが今でも真に罪悪感を持たせ、美月は仲間を失った喪失感と真に十字架を背をわせてしまったという無力感に苛まれている。
普段は表に出さず、お互いが胸の内に秘めているが、何かをきっかけとして容易に表出する。例えば、普段の会話であったり、目の前を通るギルド集団だったりがそれだ。そして、今のようにバージョンアップの告知があった時にも癒えてない傷を抉るようにして出てくる。
自分よりも美月の方が抱えている傷は大きい。真はそう思っていたから、バージョンアップの内容を先に確認すると言った。
「大丈夫だから……私も確認する」
「そうか……」
美月の表情はまだ暗かったが、美月なりに向き合おうとしているのだろう、それを真が止めることもできないので、真は真でバージョンアップの告知を見ることにした。
【バージョンアップ案内。本日正午を持ちまして、『World in birth Real Online』のバージョンアップを実施いたしました。バージョンアップの内容は以下の通りです。
1 新たなる大地エル・アーシアを追加しました。
2 新しいダンジョンを追加しました。
3 新しいミッションを追加しました。】
バージョンアップの案内は以上だった。非常に簡素。ざっくりとした情報だけが記載されている。
「期待はしてなかったけどさぁ……雑なんだよな、説明が……」
分かっていたことだが、これを読んだだけでは分からない。詳細は行動して探すしかない。
「これって、今すぐ危なくなるってことじゃないんだよね……?」
美月が不安そうな声で聞いてきた。やはりと言うべきか、前回のバージョンアップで失ったものの影響が残っている。
「内容を見る限り、既存のものに手を加えたわけではないみたいだ。新しく行ける場所が増えたっていうことだろうな」
「じゃあ、この新しいミッションっていうのも、新しく行ける場所でやるっていうこと?」
「おそらく、エル・アーシアっていうのが新しく行けるようになった地域の名前だろう。どこにあるかはさっぱり分からないが、そこに行かないとミッションを受けることができないんだろうな」
「それならっ……」
美月が何かを言いかけて止まった。手は少し震え、目には恐怖の色を映し出している。
「……考える時間は必要だと思う。すぐに答えを出さなくてもいい」
美月が何に怯えているのかはすぐに分かった。それはミッションをやること。美月は家族や友達のことが心配でならない。そのため、最初のミッションには自ら志願して参加した。そこでミッション参加者の半分以上が殺されて、美月自身も犠牲の上に何とか生き延びることができた。こんな世界になってから最初に負わされ傷だ。
「でも……」
それでも家族や友達が心配だ。先に進むために真に付いてきている。自分の弱さを克服するために力をつけないといけない。強くならないと何も得られないどころか、また失うことになる。だから、真の強さに光を見た。
しかし、実際は新しいミッションの案内を受けて、恐怖が心を塗りつぶした。ミッションをやらないといけないと言おうとして、どす黒い恐怖という泥沼の闇に全身が縛られ声が出なくなった。最初のミッションのことだけではなく、グレイタル墓地で人がゾンビになるようになったバージョンアップのことも恐怖の根源にはあった。
「どっちにしても、エル・アーシアがどこにあるか分からないんだから、ミッションのやりようがない。探索の時間はどうしても必要になる」
葛藤に悩む美月に真が声をかけた。理屈で通しているが間違ったことは言っていない。覚悟を決めるまでの時間を正当化しているだけだとしても、必要な理論武装だと思う。
「でも……ミッションがエル・アーシアに行かないといけないっていうのは推測だよね?」
「推測だけど、まず間違いないだろう。自信はある。新しい場所で新しいミッションを受けるなんてのはゲームの中では当たり前のことだ。それに、ミッションを受けるところが、エル・アーシアじゃないとしても、どこに行っていいか分からないことに違いはない」
「……うん、そうだね。探さないといけないよね……」
俯いたまま美月が弱々しく返事をした。自らの弱さを正当化する理由を受け入れる。甘美な誘いではあるが、それを受け入れていいのかどうかに迷いが生じているのも確かだった。だが、決断の先延ばしでだとしても今は現実問題として、どこに行けばいいか分からないということは受け入れるしかない。
「ここで立ち話をしてても仕方がない。まずは食事を摂ってから、それから落ち着いて話せる場所を探そう」
周りの雑踏から聞こえてくる声も不安や葛藤、恐怖や怒りに満ちていた。しばらく音沙汰がなく、日々の生活を送る以外にできることがなかったが、突然のバージョンアップで新しいミッションが提示された。他に道は示されていないことに街がざわついていた。