封鎖地域探索 Ⅱ
1
『フォーチュンキャット』専用の豪華な馬車の内装は、5人掛けのソファーが対面する形で二つあり、中央に木目が綺麗なテーブルがある。足を延ばしても十分なスペースがあり、非常にゆったりとした空間になっている。
それだけでも驚くことなのだが、真達がさらに驚いたのは揺れが少ないこと。王都を出るとどうしても道の整備というのが疎かになっているところがある。それは、王都を離れると顕著になってくるため、馬車に乗っていると、ガタガタと揺れて不快な感じがするのだが、この馬車にはそれがない。
多少揺れることは揺れるのだが、その揺れが優しいのだ。まるで揺りかごにでも乗っているかのような心地になる。おそらくは、揺れを軽減するための機構が付けられているのだろう。
夜明け前から起きて行動していた真にとって、それは抵抗できるものではなかった。王都を出発してから1時間ほど、真は美月の隣で静かに寝息を立てていた。
「ふふふ、完全に寝てるね」
真の寝顔を可笑しそうに見ながら、美月が紅茶に口をつける。豪華な馬車には高級紅茶も付いてくる。口に含んだ瞬間に広がる深く上品な香り。それでいて、後味はすっきりとして飲みやすい。普段の生活でこれだけ良い紅茶を口にすることは初めてのことだった。
「ほんとこうしてると、こいつが化け物を一人で倒せるなんて、想像もできないわね」
対面に座る翼も面白そうに真の寝顔を見て、紅茶と共に出された焼きがしを頬張る。たっぷりのバターとハチミツが染み込んだ焼き菓子だ。外はサクッとしているが、中はしっとりとした焼き上がり。濃厚な味わいが紅茶とマッチしている。
「翼ちゃんの言う通りだよね。ほんとに綺麗な寝顔してる……。これで男性って、なんだか不条理な気が……」
翼の隣から彩音も真の寝顔を見ていた。赤黒い髪と非常に綺麗な顔立ち。一部の隙もない美が無防備にも寝ている。それはまるで芸術品のようにも見えた。
「…………」
黙って真を見ているのは華凛だった。翼の横からじっと真の寝顔を見ていると――
ガタッ!
馬車が大きく揺れた。ほとんど揺れのない馬車だが、さすがに揺れを吸収しきれない悪路があったのだろう。
だが、真は起きることはなく、馬車が揺れたことで隣にいる美月の方へと傾いた。
「!?」
美月の肩に真の頭が触れるか触れないかという微妙なところで止まる。真は体を斜めに向けたまま、器用に寝ていた。
美月としはこのまま真が自分の肩に寄り掛かってきてほしい。だが、真のことが好きなのは自分だけではない。同じく真に好意を寄せている仲間の手前、自分から真を寄り掛からせることはできない。
触れるか触れないかの微妙な距離に、美月の胸は高鳴り、頬に熱を帯びていた。。
「あっ……」
美月は対面からの強い視線を感じてハッとなる。
そこにはティーカップに口を付けたまま、真と美月の隙間を凝視している華凛がいた。この距離感が華凛にとっては羨ましくして仕方がない。言葉こそ出てきてはいないが、それがまじまじとと伝わってくる。
「……華凛、席を変わろうか?」
「ブーーーッ!!!」
想定外の言葉に華凛が紅茶を噴出した。
「ちょっと華凛!? いきなり何よ!?」
華凛の対面に座る美月は、噴出された紅茶をまともにかぶってしまった。ただ、ゲームの紅茶なので、すぐに消滅して無くなる。
「ゲホッ、ゲホッ――み、美月が突然そんなこと言うから! わ、わわ私は別に、真君の……その……隣は……」
「座りたいんでしょ?」
はっきりと言えない華凛に代わって翼が明言した。
「ちょっ、翼! ま、真君が起きてたらどうするのよ!?」
「大丈夫よ、まだ寝てるみたいだし」
別に起きていても構わない翼は、気楽に答えた。実際のところ、真の意識はまだ夢の中だ。
「ほら、華凛どうする? 変わるなら真が寝ている今のうちだよ?」
美月が華凛に問いかける。真が起きてしまってからでは、華凛は恥ずかしくて真の横に行くことができないだろう。
「美月は……いいの? 美月だって真君の横がいいんでしょ?」
華凛にとって美月の申し出は喉から手が出るほど欲しいものだ。ただ、美月も真が好きなのに、席を譲ってもいいのだろうかとも思う。
「私はサブマスターとして、最近は真と二人で行動することができてるしね。でも、華凛は真と二人で行動することってほとんどないでしょ? だから、たまには交代しないとね」
美月が優しく微笑んだ。『フォーチュンキャット』のサブマスターとしてマスターの真を独占できる機会は多い。普段、真を独占することができない華凛にも少しくらいお裾分けしてもいいと思っていた。
「美月……」
華凛は美月の優しさに感謝の涙が出そうになるほどだった。
「ほら、何ぼさっとしてるの。今のうちに席を変わるよ」
「う、うん!」
美月が立ち上がり、華凛も意を決したように立ち上がる。後はお互いの席を変わるだけ。数秒で終わる簡単な作業だ。
そして、美月が対面の席に座り、華凛が真の横の席に座ろうと――
ガタッ!!!
再び馬車が大きく揺れた。しかも振動も強い。
「んん……」
目を細めながらも真は目を覚ました。傾いてた体をまっすぐに戻し、大きく伸びをする。
「あー……。寝てた……ん?」
目が覚めた真は、今にも座ろとしている姿勢で固まっている華凛を見つけた。
「――ッ!?」
真と目が合った華凛は頭の中が真っ白になる。ただ、顔の温度が上がって真っ赤になっていることだけは自覚できた。幸いなことに寝起きの真はその状況が理解できていない。
「あ、真さん。そっちは寝る人の席になりましたから。華凛さんも今から寝るので、そっちに行ってもらったんです」
彩音が咄嗟に思いついた嘘を口に出した。
(ナイス彩音!)
咄嗟に出たにしては巧妙な嘘に、華凛は心の中でグッと親指を立てた。これで、華凛が真の横に行く正当な理由ができた。
「ん、そうか。分かった。俺はもう起きたから、そっちに行くな。華凛、横になっていいぞ」
真なりに状況を理解し、対面の席に移るために立ち上がった。自分は起きたので、華凛がソファーで横になって寝れるように席を空ける男の優しさ。
「「何してんのよーッ!!」」
その真の対応に翼と美月が大声を上げた。
「えぇ――ッ!?」
真は非難される理由が分からず、彩音の方を見た。
「今のは真さんが悪いです!」
「な、なんでだ……?」
全く意味が理解できていない真はどうしていいか分からない。とりあえず周りをキョロキョロするも答えはない。華凛は不貞腐れた様子で横になっている。
その後、美月達から、『無神経過ぎる』だの『女心が分かってない』だの散々文句を言われたが、結局のところ、何に対して怒られているのかは教えてもらえず、真は理不尽な説教を受けることになった。
2
王都グランエンドを出発してから三日目の午前。周囲の景色はすっかり岩砂漠に囲まれていた。荒野の中にある国、タードカハル。もうすぐその街並みが見えて来るころだ。
タードカハルは岩砂漠の中にあることから、木材は貴重品。街並みもほとんどが土壁と石灰で作られた白い塗装がしてある。
「もうすぐタードカハルですね……」
馬車の窓から彩音が外の景色を見て呟いた。王都グランエンドからタードカハルへは馬車が出ているからいいのだが、タードカハル周辺の岩砂漠は歩いて探査くしないといけない。以前も灼熱の太陽が降り注ぐ中を歩き回ったことがあるが、今回もそれをやらないといけないと思うと億劫になる。
「サリカさん元気にしてるかな?」
美月もふとそんなことを思い出して呟いた。サリカはシークレットミッションでは世話になったNPCだ。最後まで従者としての立場を貫いたが、今度再会できた時には友達として会ってほしい。
「サリカはNPCなんだから、大丈夫だろう」
美月の呟きんに真が答える。サリカは現実世界の人間とは違う、ゲームの世界の存在だ。不意な事故でケガをするようなこともないだろう。
「もう! そういうことじゃないの!」
だが、美月は不満気に返してきた。
「え……?」
なぜ美月が不満を持っているのか真は分からない。
「あのね、真。やっぱりあんた無神経だわ……」
呆れたという表情で翼も言ってきた。ここでの正解は、『そうだね、サリカならきっと元気にしてるよ。時間があったら会いに行ってみないか』なのだが、真の口からそんな回答が出てくるわけがない。NPCだからという本質的な答えは不正解なのだ。
「いや、訳わかんねえよ……」
思えば、今回の旅の始まりの時から、意味も分からないまま怒られてきたような気がする。それは今に始まったことではないのだが、やはり釈然としないところはある。とはいえ、女性4人対男性1人。数での不利は覆せない。
「真さんには分からないと思います……。それはさておき、時間があればサリカさんに会いに行ってみませんか?」
言ったところで真には無駄だろうし、これ以上責められるのは可哀そうだろうと、彩音は正解の内容に話題を変えた。
「あっ! いいね! 私もサリカさんに会いたい」
彩音の提案に翼がすぐさま反応した。
「私もサリカさんに会いたいな。華凛もそうでしょ?」
美月も嬉しそうに言っている。シークレットミッションが終わってからサリカには会っていなかった。
「えっ……、うん。私も……サリカには会っておきたいかな……」
華凛が照れ臭そうに言う。人とのコミュニケーションが苦手な華凛だが、サリカは従者としてこちらを立ててくれていた。何気ない一言で場の空気を悪くしてしまう華凛にとっては気楽な相手だった。
「そうと決まれば、さっさと、何とか帝国に行く道を見つけて時間を作らないとね!」
「翼ちゃん、何とか帝国じゃなくて、ヴァリア帝国――」
そんな何気ない会話をしている時だった。
【メッセージが届きました】
突然頭の中に声が聞こえてきた。その声に、和んだ空気が一転して張りつめる。目の前にはレターのアイコンが浮かぶ。
このメッセージはゲーム側から何かしらの通知が来た場合に送られてくるものだ。目の前に現れたレターのアイコンに触れることによってメッセージを見ることができる。それが良い内容なのか悪い内容なのかは見てみないと分からない。
「確認するぞ」
緊張した声で真が言った。美月達は無言で真の方を見て頷く。何の脈略もなく届いたメッセージ。内容に関して全く予想ができない分、どうしても不安が大きくなっていた。
一呼吸置き、心を落ち着かせてから、真は目の前に浮かぶレターのアイコンに手を触れた。
【ただいまの時刻より12日後、ヴァリア帝国からの侵攻が開始されます】