異界の扉 Ⅵ
「邪魔な奴は片付いた! 異界の扉を閉じるぞ!」
青鈍色の怪物を倒したのも束の間、真が振り返り声を張り上げた。もう、異界の扉を閉じることを邪魔する者はいなくなった。
「うん、お願い」
すぐに美月が返事をした。真の推測では、中空に浮いているイルミナの魔書を破壊すれば、異界の扉を閉じることができるだろうということ。
それが、正解なのかどうかは美月には分からない。だが、もしもイルミナの魔書を破壊することができるのであれば、それは正解だからというとこだろう。ゲーム化した世界の物は不必要に壊すことができないようになっている。壊せるということは、壊す必要性があるということだ。
イルミナの魔書は王城のメイドや兵士達の死体の山の上に浮かんでいたが、その山は怪物が出現した時に崩された。今は、バラバラと床に散らばる死体の上で紫紺色の光を放ちながら浮いている。
「…………」
真は黙したままイルミナの魔書を見ていた。美月達は、真がすぐにイルミナの魔書を破壊するものだとばかり思っていたため、この行動が不可解に思えた。
「何かあるの……?」
真が何を躊躇っているのか分からず華凛が声をかけた。華凛は一瞬、怪物が死体の山から出てきたことで、山が崩れてしまっているので、浮かんでいるイルミナの魔書の高さまで、どうやって登ろうか考えているのかと思った。しかし、真は別のことを考えている様子だ。そもそも、死体の山を登るという発想も猟奇的な発想だ。浮いているイルミナの魔書を破壊するだけなら、遠距離攻撃スキルで壊してしまえばいいだけのこと。
「何かあるかもしれない……。皆はもっと下がっていてくれ」
じっとイルミナの魔書を見ながら真が答えた。
「イルミナの魔書を壊そうとしたら、罠が発動するってこと?」
真の返答に美月が訊き返した。もう終わりだろうと思わせておいて、最後の最後に罠を仕掛けてきてもおかしくはない。
「いや……まぁ、念のためだ。一応安全なところまで下がっていてくれ」
イルミナの魔書を見つめたままで真が答えた。真は罠が仕掛けられている可能性は五分くらいだと考えていた。その根拠は、イルミナの行動だ。イルミナは何としてでも異界が閉じることを阻止したかったわけではないこと。
イルミナは上級魔人を呼び寄せるために異界の扉を開いたのだ。その目的は達成されているため、これ以上真達の妨害をする必要はない。青鈍色の怪物を召喚したのは単に遊んでいるだけなのだろう。要するにイルミナにとっては、どっちでもいいことのなのだ。
(イルミナにとっては、異界の扉は、もうどうでもいい物なんだろうが……。あいつは絶対に性格が悪い……。最後に嫌がらせをしてくる可能性は捨てきれない……)
イルミナにとっての合理的な理由はなくても、愉快犯的なことをしてくる可能性はあり得る。だから、真は念のために美月達を下がらせた。
真が肩越しに美月達の位置を確認すると、言われた通りに十分な距離を取っていることが分かった。
(やってみるか……)
真は息を整えてから、大剣を構えた。
<ソニックブレード>
真が大剣を振り払うと、見えない刃は甲高い音をたてながら中空に浮かぶイルミナの魔書へと向かって飛んでいた。
ソニックブレードの直撃を受けたイルミナの魔書は、真っ二つに斬り裂かれた。だが、それでもイルミナの魔書は床に落ちることなく、そのまま中空に浮いていた。
(まだ足りないか?)
今の一撃でイルミナの魔書を完全に斬ることができたが、まだ力を失っていない様子に真が顔を顰めた。
それならと、今度はソニックブレードからの派生攻撃であるクロスソニックブレードを撃とうとしたが、スキルは発動しなかった。
(スキルが発動しないってことは、すでに壊すことはできているってこと――)
真が思案している時だった。宙に滞空しているイルミナの魔書が放つ紫紺色の光が一際強くなった。真が攻撃する前は安定していた紫紺色の光だったが、今はガタガタと震えるように不安定な光を放っている。
「――まずい!? 逃げろー!」
何かに気が付いた真が慌てて叫び声を上げた。振り返って、脱兎のごとく走りだす。
「――ッ!?」
美月達も異様な状況に気が付いた。何が起こっているのかは皆目見当もつかないが、ただ分かることはここにいては危ないということ。生存本能が鳴らす警笛のままに駆けだした。
真に言われた通り、イルミナの魔書との距離を取っていたおかげで、すぐさま玉座の間から出ることに成功。
そのまま全速力で走ること数秒。美月達の後方から、凄まじい爆発音が響いた。
「「キャーーーーッ!!!」」
王城全体が揺れたのではないかというくらいの爆音と衝撃に少女たちが悲鳴を上げる。あまりにも強烈な爆風に晒され、美月達は立っていることができず、床に転がってしまった。
「真はッ!?」
床に倒れつつも、美月が振り返り玉座の間へと視線を向ける。この爆発の原因はイルミナの魔書以外に考えられない。そのイルミナの魔書からの距離が一番近かったのは真だ。受ける被害も当然一番大きいものになる。
美月の視線の先に映ったものは……。
「「真ー!」」
「真君!」
「真さん!」
玉座の間から出ることができなかった真が床に倒れていた。それを見つけた美月と翼、華凛、彩音が一目散に駆け寄っていく。
「いってぇ……。くっそ……地味に痛いな……」
真が苛立ち交じりに立ち上がった。
「だ、大丈夫なの……?」
心配そうに美月が真の顔を覗き込んだ。真は眉間に皺を寄せているが、特段異常はなさそうな顔をしている。
「あ、ああ……、大丈夫だ……」
美月の顔がかなり近いところにあることに気が付いた真が直視できずに目を逸らした。その動きに不自然さがないように、咄嗟の判断で玉座の間の奥へと目線を移す。
「終わった……んだよね……?」
翼が真の視線の先を追って呟く。イルミナの魔書は完全に消失しており、魔書が放っていた紫紺色の光も見当たらない。
「そのはずだ……」
【メッセージが届きました】
真が返事をした直後のことだった。頭の中に直接声が聞こえてきた。ゲーム側から通知がある時に聞こえてくる声なのだが、頭の中に入られているみたいで気分の良いものではない。
その声と同時に目の前にはレターのアイコンが浮かんだ。このレターのアイコンに触れれば、メッセージの内容を見ることができる。
「メッセージが来たんだけど、皆にも来てるよな?」
真が確認をすると、美月達は一斉に肯定した。
「確認するぞ」
バージョンアップなどのゲーム側から送られてくる重要なメッセージは、ギルドマスターである真が最初に確認することが『フォーチュンキャット』の慣例になっている。
【異界の扉が閉じられました】
メッセージはこれだけ。これだけ苦労して閉じた異界の扉なのだが、たった数文字の言葉だけで片付けられている。
「『異界の扉が閉じられました』だとさ」
余りにも簡素な文章に真が赤黒い髪を掻き上げて嘆息した。このゲーム化した世界から送られてくる文章はいつまでたっても無味乾燥なものでしかない。
「終わったのね……」
美月の口から声とともに安堵の溜息が漏れた。時間的には1日半のことなのだが、今までやってきたミッションと比べても長く感じられた。
「ようやく……」
華凛からも声が漏れてきた。ほとんど睡眠も取らずに強行軍で迷路の中を進んできた。そして、ようやく目的の異界の扉を閉じることができた。安心したというよりも、疲れの方が強く出ていた。
「かなりきつかったですけど、何とかなりましたね」
疲労が色濃く出ている彩音だが、微笑みながら言う。制限時間以内に異界の扉を閉じることができるかどうか、その不安はかなり強かったが何とかなった。
「ほんと、間に合ってよかったわ……。さすがに疲れたけど、さっさと戻りましょうか。外の様子も気になるしね」
翼も疲労が大きかった。それはミノタウロスとの戦いで大きなダメージを受けたことが原因だ。同じ理由で美月の疲労も大きい。とはいえ、外で暴れまわっている下級魔人がどうなったのかは気になる。もし、まだ下級魔人が残っているのだとしたら、討伐しないといけない。
「外のことは『ライオンハート』と『王龍』が動いてるんだ。心配するようなことにはなってないだろうさ。それより、先に国王の安否確認と“あれ”を回収していこう」
「あれって?」
真が言う『あれ』とは何なのか。美月はすぐには分からなかったが、真が指す方向を見て納得する。
「苦労して倒したんだから、貰っていかないとな」
真が指した方向にあるもの。青鈍色の怪物の死骸は白い靄を出している。敵を倒した時にアイテムが拾える場合は、このように敵の死骸から白い靄が出る。その靄に手を翳すと、アイテムを取得することでききるというシステムだ。
青鈍色の怪物から取得できたアイテムは1つだった。『デーモンマジックワンド』というソーサラー用の武器。グレードはレジェンド。今手に入る武器の中ではかなり性能の良い物だ。
「さてと、国王がどこにいるかだが……」
アイテムを回収し終えて、真が国王の安否確認に移ろうとしたが、そもそも国王がどこにいるのかが分からない。
「あの……、アドルフ宰相なら知ってるんじゃないですか?」
彩音も国王がどこにいるのかを考えていた。玉座の間にいないということは、王の私室にいるかもしれない。だが、王の私室がどこにあるかを誰も知らないため、アドルフ宰相に聞いてみるのが一番早いだろうと思っているのだが……。
「そう……だな。あのオッサンには会いたくないけど、仕方ないか……」
異界の扉が開くことになった原因を作ったのがアドルフ宰相だ。そのことに関しては真だけでなく、他のメンバーも嫌悪感を抱いている。とはいえ他に国王の情報を聞き出せそうな人は思い当たらない。広い王城内を探し回っても見つけることができるだろうが、時間と労力のロスだ。疲れている状態でそんなことをしたくはない。
そのため、渋々だが真たちはアドルフ宰相に会いに行くことにした。