鍾乳洞 Ⅱ
1
真と美月は更に鍾乳洞の奥へと進んでいった。出現するモンスターは主にマッドマン、蝙蝠、大型の多足類の虫といったもの。真からしてみればどれも雑魚ばかりで、楽に勝てる相手であったが、美月にとってはまだ手強い。その中でも美月が最も苦戦を強いられたのが――
「きゃああーーー!!!」
今日何度目かになる悲鳴を美月が上げた。美月の悲鳴の原因は巨大なゲジゲジ。元々虫が苦手な美月にとって、1m~2mほどの大きさのある巨大ゲジゲジは見た目だけでお手上げ状態だった。
「大丈夫か?」
真が引きつった顔の美月に声をかけた。手に持ったワンドを強く握りしめて我慢をしているが、ローブから見えている腕には鳥肌が立っている。
「だ、大丈夫よ……こ、こ、こんなのに、負けてられない……」
強くなりたいという気持ちから真についてきた。弱さを克服するために戦わないといけないと思っていた。だが、巨大なゲジゲジに立ち向かうということは美月が思っていた弱さの克服とは何か大きく違うような気がする。
真のサポート付きで、巨大ゲジゲジを美月が倒すことができているが、精神的なダメージはかなり大きい。美月の顔は青ざめていた。
「美月、戻るか?」
「大丈夫……大丈夫だから……もう少し先に行ってみよう……大丈夫……だから……」
美月は頑張っていた。というより、ゲジゲジの見た目に負けて帰ってきましたというのは自分に負けた気がしてならない。方向性は何か違う気がするが、これも自分を強くするためのものだと言い聞かせていた。
「まぁ、そう言うなら」
真と美月は更に鍾乳洞を進むことにした。幸いなことに暫くの間、巨大ゲジゲジと遭遇することはなかった。
巨大ゲジゲジさえ出てこなければ鍾乳洞の景色は悪くない。長い年月を経て自然がおりなす造形が目を楽しませてくれる。そんな中、真が前方に何かを発見した。
「美月、あれ見てみろよ」
真が指を指す方向を美月も見てみると、そこには高い天井に開いた穴から太陽の光が差し込み、一筋の光の柱のようになっている場所があった。どうやら、外の雨は何時の間にか止んでいたらしい。
光が差し込む真下には一滴一滴、雫が垂れており、鍾乳洞の中に透き通った青い泉を作り出していた。全く濁りのない、まるで吸い込まれそうな青い泉。それはまさに自然の神秘そのものだった。
「わぁ! 奇麗ー!」
美月の顔がパァっと明るくなって、泉の方へと走り寄っていった。巨大ゲジゲジに汚された視界を洗い流すように太陽の光を浴びた透明な泉を見つめる。
「凄いな……」
真は太陽の光が差し込む高い天井を見上げた。天井までの高さは30mほどだろうか。周りには太い鍾乳石の柱が幾本も連なっている。
「凄いね……」
隣で美月も高い天井を見上げている。さっきまで青ざめていた顔はもうどこかに消えてきた。
「少し休憩していくか」
「そうだね」
この泉の周りにはモンスターはいなかった。RPGのダンジョンによくある、休憩ポイントというやつだろうか。真と美月は適当なところで腰を下ろして身体を休めることにした。
青い泉に一滴の雫が落ちると、ポチャンッという音が鍾乳洞の中に響く。小さな音だが、静かな鍾乳洞の中では可愛らしい音色を奏でていた。真と美月はそんな泉を見つめながら座っている。
「真って、よくあんな虫に平気で近づけるわよね」
美月が言っている虫とは巨大ゲジゲジのこと。それに臆することなく近づいて斬りつけている真が美月には信じられなかった。
「ミミズとかナメクジは嫌だけど、虫は平気だな」
「えっ……どこが違うの?」
ミミズもナメクジもゲジゲジも美月からしてみれば同じ。どれも触りたくない。
「なんか、ヌメヌメしているのが嫌なんだよ。それに虫ってかっこいいから」
「そ、そうなの? あれって……かっこいいの……?」
「いや、まぁ、ゲジゲジはかっこよくはないけど、虫って全体的に鎧着てるみたいでかっこいいじゃん、カブトムシとかさ」
「そうなんだ。なんかそういうところはやっぱり男の子なんだね」
少し微笑みながら美月が言った。暗い赤色の髪の毛をしたショートカットの少女みたいな見た目をした真だが、虫のことを話している顔はやはり男のものだった。
「見た目のことは触れないでくれ……」
「ふふふ、分かってるわよ」
分かってると言いつつ、美月が真の見た目のことをいじるのは止めない。本当に分かってるのかと嘆息しながら真が美月の方を見る。
「それじゃあ、そろそろゲジゲジ狩りを再開するか」
「ちょっと、もう、それは止めてよ!」
女顔のことをいじられたお返しとばかりに真が声をかけて立ち上がった。それに対して不満そうな顔をしつつも美月が立ち上がった。
2
鍾乳洞の探索を再開し、幸いにして巨大ゲジゲジとの遭遇はなく、10分ほど奥に進んだところで鍾乳洞の幅が狭くなっている場所に来た。
「なんだろう、ここから道が狭いな……」
真が鍾乳洞の壁に手を当てながら進む。狭いと言っても、人が二人並んで歩くことができるほどの幅はある。
「前にテレビで見たことあるんだけど、洞窟って、急に狭くなるところがあるみたいだよ」
美月が見たことのあるテレビは、お笑い芸人が自然の洞窟を専門家と一緒に冒険するという内容。数時間にもわたって洞窟の中を探検する過酷なロケだったのを覚えている。
「ああ、俺もなんか、そういうの見たことあるよ。狭い所を抜けると、急に開けた場所に出るんだよな」
テレビで見た洞窟探検では、人が一人通るだけでも窮屈な道を進んでいたが、今いる道はそこまで狭くない。他に行く道もないため、真と美月はさらに奥へと進んでいくと、急に足元が平らになりだした。
「これって……地下鉄の駅か?」
進んだ先にあった平らな地面はすでに鍾乳洞ではなくなっており、正方形のタイルが正確に敷き詰められた、人工物の床になっていた。点字ブロックもあり、視線の先には改札口も見える。
「でも、周りは鍾乳洞に囲まれてるよ」
床や改札口は地下鉄の駅そのものであったが、天井や壁は鍾乳洞のまま。半分が現実世界で半分がゲーム化した場所。
「これって、どっちの世界なんだ?」
不思議な光景だった。鍾乳洞の中に地下鉄の駅を作りましたというような出鱈目さがある。今までは、現実世界とゲーム化した世界は境界線がはっきりとしていて、唐突に線引きされていたが、今見ている光景は現実とゲームが混ざり合った世界。
「両方……なのかな? ねぇ、先に進んでみる?」
異様な光景に美月も不安があった。だが、駅の改札口付近をうろついているモンスターの姿はない。
「改札の奥に行ってみるか。地下に続いてる階段もあるからな。たぶん駅のホームに続いてるんだろう」
真の言う通り、改札口をくぐった先には地下に続く階段が見える。完全に人工物の階段で、上りと下りの人を誘導する矢印もある。
二人はもう動かなくなった改札口をそのまま進んだ。切符を通さずに改札口を通ることに若干の罪悪感を抱きながらも、先に進む。
地下のホームに続く階段は広く、ゲーム化の浸食を受ける前は、多くの人々が毎日この階段を上り下りしていたのだろう。
階段を下りきると、地下鉄のホームがあり、ホームの両脇を線路が通っている。ここも天井や壁は鍾乳洞になっている。それに対して地下鉄の床は人工物であり、キヨスク、自動販売機などの現実世界の物がそのままになっていた。
「鍾乳洞と地下鉄の組み合わせっていうのも何か変な感じがするな」
真が周囲を見渡して呟いた。
「そうね――ねぇ、何か聞こえない?」
真と同じように辺りを見渡していた美月が線路の奥に顔を向けた。暗くてよく見えない線路の先を見ている。
「ん……? 何かって……悲鳴?」
美月に言われて真も耳を澄ましてみた。最初は微かに聞こえたいたが、それは徐々に大きくなっていく。何かがこちらに近づいてきているように段々と音がはっきりと聞こえ出してきた。それは女性の悲鳴と地鳴りの音。
「いやあああああぁぁぁぁぁーーーーー!!!」
「きゃあああああぁぁぁぁーーーーー!!!」
線路の奥から必死の形相で走ってくる二人の少女が見えた。一人は軽装鎧を着て、もう一人はローブ姿。悲鳴の正体はこの二人だった。そして、その後ろから地鳴りを響かせながら黒く巨大な何かが二人の後を追いかけている。
線路の上を走る二人の少女が駅のホームに到達したところで、後ろから迫りくるものの正体も見ることができた。それは巨大なムカデ。真っ黒な甲冑のような外殻で覆われた全長13~14mほどはありそうな巨大なムカデが地を這いながら二人の少女の後に迫ってきていた。