迷路 Ⅺ
真を残して部屋を出てきた美月たちは、もしかしたらと思い、奥にある両開きの扉に手をかけたが、真が言っていた通り、鍵はかかったまま。開く気配は一切しなかった。
嬉しい誤算があるわけでもなく、予定通り真が待機している部屋とは反対側の部屋へと入っていく。
念のために扉は開けたままにしておく。これも、もしかしたらという思いがあった。真は閉じ込められると言っていたが、扉を開けておけば閉じ込められないのではという考えからだ。それが甘い考えだということは、美月たちだって十分承知している。それでも、開けておきたかった。
「華凛のノームがまず敵の注意を引き付けて、少し間を置いてから翼が攻撃。様子を見てから彩音が攻撃。私はノームの回復に専念するね」
ミノタウロスとの距離、約10メートルのところで美月が作戦を示す。まず、華凛が召喚した土の精霊ノームが盾役としてミノタウロスの攻撃を引き付ける。
サマナーの召喚するノームは高い防御力と敵の攻撃を引き付ける能力を持っている。本職の盾役であるパラディンやダークナイトに比べると安定性は低いが、疑似的な盾としては機能する。
そのため、美月は翼と彩音に攻撃を遅らせることを指示した。パラディンやダークナイトがいるのであれば、そんなことをする必要はない。最初から全力を出してもしっかりと敵の注意を引き付けてくれる。だが、疑似的な盾であるノームではそうはいかない。いきなり本気で攻撃すると、すぐに敵はノームから注意を逸らしてしまう。
「了解。いつも通りにやれば大丈夫よ」
明るい声で翼が言うが、声に震えが混じっている。真抜きで狩りをする時には、美月が提示した作戦を取ることが多く、慣れてはいるのだが、相手は普段狩るような雑魚モンスターとはわけが違う。
「いつも通りに……いつも通りに……」
<ノーム>
自分に言い聞かせるように『いつも通りに』と繰り返す華凛。土の精霊ノームの召喚もいつも通りに行う。
「えっと……スイッチには誰が乗ります……?」
彩音が心配そうに言う。真はすでにスイッチの上に乗っている。誰かがこちら側のスイッチに乗れば、仕掛けが発動し、両開きの扉が開くはず。同時にミノタウロスも動き出すだろうという想定だ。
となると、誰がスイッチの上に乗るかが問題になる。乗らない人は離れていることができるが、スイッチに乗る人はミノタウロスとの距離5メートルほどまで近づかないといけない。
「私がやるわ!」
手を挙げたのは翼だった。顔つきは強張っているいるが、目線は睨みつけるようにミノタウロスを見ている。
「翼、ミノタウロスが動き出したらすぐに後退ね! 華凛もすぐにノームをけしかけて!」
「う、うん……。大丈夫」
美月の指示に華凛が何とか反応する。緊張で手が震えているが、今はやるしかない。ノームをけしかけることは特段難しいことではない。問題なくやれるはずだ。
「準備はいい? 乗るよ?」
翼が全員に確認をすると、緊張した面持ちで全員が頷いた。
「いくよ!」
翼はそう言うと、躊躇することなくスイッチの上に足を運んだ。
翼が乗ったスイッチはゆっくりと沈みだし、周りの床と同じ高さまで下がると、カチッと音を鳴らして止まった。その瞬間――
バタンッ!!!
「ッ!?」
入ってきた部屋の扉が勢いよく閉まった。その大きな音に驚いた美月たちは思わず振り返り、扉の方へと目を向ける。
そこで、美月がハッとなる。
「華凛! ノームを!」
意識を集中させないといけないのは、扉ではなく目の前にいるミノタウロスだ。動き出すと想定しているのに、それから目を離すのは失態でしかない。
「ブオオオオオオオオーーーーー!!!」
ミノタウロスは大きな雄たけびを上げながら、手に持っている両手斧を振り上げた。狙いは一番近くにいる翼。
<アースクラッシュ>
美月の声でやるべきことを思い出した華凛はすぐにノームのスキルを発動させる。
床から岩が迫り出し、すぐに破裂して砕け散る。アースクラッシュは、威力こそ低いが、敵の敵対心を高め、注意を引き付ける効果を持っている。
<アースシェイク>
華凛は続けてノームのスキルを発動させた。ノームが持っている両手持ちの大きなハンマーがミノタウロスの足元の床を思いっきり叩くと、地面が揺さぶられた。
アースシェイクも威力は低いが、敵のヘイトを上げる効果を持っている。しかも、その効果はノームを中心として円形範囲上に広がるため、複数の敵にも効果を発揮する。
敵は一番脅威となる者を狙って攻撃してくる。それがヘイトである。敵にとっての脅威とは、攻撃力が高いことや回復をされてしまうことなのだが、パラディンやダークナイト、ノームはそういった直接的な脅威とは関係なく、無理矢理ヘイトを増加させるスキルを持っている。
だから、攻撃力が低いパラディンやダークナイト、ノームでも盾役として敵の注意を引き付けることができる。
「華凛、ありがとう! 助かった!」
ミノタウロスの標的は完全にノームに移っていた。だから、翼は難なく距離を取ることに成功し、今は攻撃のタイミングを計っている。
「う、うん……。ま、任せておいて!」
ミノタウロスから目線を逸らしてしまった華凛だが、間一髪、ノームのスキルが間に合った。美月が声をかけてくれていなかったら、もしかしたらもう一歩タイミングが遅くなっていたかもしれない。そう思うと額から嫌な汗が出てくる。
ミノタウロスは小柄なノーム目掛けて巨大な斧を振り下ろしてくる。その攻撃に対して、ノームは必死に耐え続ける。
<ヒーリングプラス>
美月はそんなノームに止めどなく回復スキルを使っていた。少しでも気を緩めるとすぐにでもノームが倒されてしまいそうな状況に、一瞬たりとも目が離せない。
<スタンアロー>
遅れて翼が矢をいった。電流が走る矢がミノタウロスの腹部に突き刺さる。
スタンアローはスナイパーの持つからめ手の一つだ。命中すれば数秒だけだが敵を気絶させる効果がある。
「やっぱ、効かないか……」
最初から分かっていたが、やはり翼のスタンアローはミノタウロスにスタンの効果を発揮していなかった。スタンアローを食らったミノタウロスは何事もなかったようにノームへの攻撃を続けている。
雑魚にはスタンなどの妨害スキルはほぼ100%発動するのだが、特別な敵や巨大なモンスターは妨害系のスキルに対して耐性を持っているため、翼のスタンアローは効果を発揮しなかった。
「それなら!」
<アシッドアロー>
翼が放った矢は途中で液状化し、ミノタウロスの体にベチャリと絡みつく。
アシッドアローは初手の威力こそ小さいものの、強酸が敵にへばりつき、継続的にダメージを与え続けるスキルだ。時間経過とともに累積したダメージはかなり大きなものになる。
<スラッシュアロー>
翼は手を休めることなく連続攻撃の起点となるスキルを発動させる。
<クイックショット>
クイックショットは矢を番える動作をすっ飛ばして発動できるスキル。ゲームでしかできない動作だ。
<ラプターアロー>
3段目の攻撃スキルがラプターアローが発動する。矢から光の羽が生え、一直線にミノタウロスの体に突き刺さる。
ラプターアローは攻撃力の高いスキルだが、ミノタウロスの標的はノームのまま変わらない。
「彩音、牛頭の狙いは安定してる。大丈夫そうよ!」
翼の連続攻撃を受けてもミノタウロスは翼の方を一瞥もしなかった。それは、翼が弱いわけではなく、ノームがしっかりとミノタウロスを引き付けてくれているという証拠。だったら、彩音も攻撃に参加して大丈夫だと判断した。
「うん、私も攻撃に参加するね!」
<ウィンドブレード>
風が剣となってミノタウロスに切りかかった。ウィンドブレードは詠唱時間の短い単体攻撃スキルで、出血の状態異常を引き起こす。出血は継続的にダメージを与える効果があり、スタンや麻痺といった動きを制限する妨害系スキルとは違い、ダメージを与える状態異常は巨大モンスターでも効果を発揮する。範囲攻撃版であるウィンドストームとは場面によって使い分けている。
<アイスジャベリン>
さらに彩音が別の魔法を詠唱すると、中空に鋭い氷の槍が出現した。狙いをミノタウロスの腹部に定め、高速で飛んでいく。
「少し本気を出しても大丈夫そうですね」
彩音はそう呟くとまた別の魔法の詠唱を始めた。ノームが盾役の場合、ヘイトを高める力がパラディンやダークナイトより低いため、攻撃力の高いソーサラーは本気を出すタイミングを計らないといけない。
だが、攻撃開始を遅らせたことによって、ノームはしっかりとミノタウロスの注意を引き付けることができている。それは、ノームのスキルの蓄積によって、高いヘイトを稼ぐことができているからに他ならない。
<ヘルファイア>
ならばと、彩音は高威力のスキル、ヘルファイアを発動させた。地面から噴出する黒い炎はまさに地獄の業火。瞬く間にミノタウロスの巨体をヘルファイアの猛炎が飲み込んだ。
ヘルファイアは単発の威力が高いだけでなく、その炎は一定時間消えることなく、敵にダメージを与え続けることができる。
翼のアシッドアローや彩音が初手で使ったウィンドブレードのように、時間とともに継続的なダメージを与え続けることができるスキルは、早い段階で使ってこそ本領を発揮する。
「ボオオオオオオオオーーーーー!!!」
翼と彩音の猛攻に晒されたミノタウロスは苦悶に満ちた雄たけびを上げ、もがく様に暴れだす。
「華凛、しっかり押さえておいて!」
懸命にノームを回復しながらも美月が指示を飛ばす。
「分かった!」
華凛はノームにアースクラッシュやアースシェイクといったヘイトを増加させるスキルをこれでもかというくらいに発動させ、ミノタウロスの注意を引き続ける。
翼と彩音も手を緩めることなく、苛烈な攻撃をミノタウロスへと浴びせ続けた。
「ブボオオオォォォーーーーーーーッ!!!」
再度ミノタウロスが絶叫にも似た苦悶の雄たけびを上げると、今度は体が真っ赤に変化しだした。その全身からは沸騰したように湯気が噴出し、まるでミノタウロスの体全体が焼けた鉄のようになった。
「な、なに……!?」
ミノタウロスのただならぬ雰囲気に華凛が気圧された声を出す。
「様子が変わった気を付けて!」
美月がすかさず警告を発した。こういうパターンは今までにも経験したことがある。イルミナの迷宮にいた鎧の像がそれだ。あの時は敵が発狂して、暴風のような攻撃をしてきた。
それと同じだと考えると――
「華凛、ノームの防御スキルを!」
すぐさま美月が指示を出した。ノームは疑似的な盾としての役割があるため、ノーム自身の防御力を高めるスキルも持っている。
「えっ!? うん!」
<アイアンシールド>
ノームの前方に盾のシンボルが出現。アイアンシールドはその効果時間の間、ノームの物理攻撃に対する防御力を高める効果がある。
「ヴォオーーッ!」
ミノタウロスは両手斧を高々と上げると、叫び声に合わせて一気に振り下ろした。
豪快に振り下ろされた両手斧は、小柄なノームに直撃。岩が砕けるような鈍い轟音を響かせると、その一撃でノームは消滅してしまった。
「ノームがッ!?」
華凛が悲痛の声を上げる。ノームが万全の状態ではなかったとはいえ、防御スキルを使用した上でミノタウロスの一撃はノームを砕いた。これほどの威力を持ったモンスターはそうそういない。
召喚したノームが倒されても、再度召喚すればまた使役できる。だから、そんなことは問題ない。問題なのはもっと別のところにある。それはノームが倒されたことによって発生する深刻な問題。
「美月、逃げてー!」
翼は喉が裂けんばかりに声を張り上げた。ノームが倒されたことによる、もっとも深刻な問題。それはヘイトの問題。
ノームがヘイトを増加させるスキルを使い続けたことによって、他に標的が移らないようにしていた。そのノームが消滅したということは、二番目にヘイトの高い者が繰り上げで狙われることになる。
敵にとって脅威になる行動の一つが、攻撃対象を回復されること。回復スキルというのは、その回復量に応じてヘイトを増加させてしまう。
そのため、懸命にノームを回復していた美月がミノタウロスの次の標的となった。