迷路 Ⅹ
真と翼のひと悶着があったものの、気を取り直して再び迷路を進むことさらに数時間。迷路の進み方をアルラヒトの分身がいた部屋から遠ざかる方向ではなく、その近くを回る方針に変えてから、一度もアルラヒトの分身がいた部屋に戻されることなく進んでいた。
あれだけ何度も同じ場所をぐるぐる回らされていたのが不思議に思えるくらいに、進んでいるという実感がある。
とはいえ、広い中であることに違いはない。行き止まりなどはいくつもあり、時間の消費は避けられない。残り時間も余裕があるというわけではなくなっている。
だから、ひたすら前に進み続ける。昨日のバージョンアップがあってから24時間以上は経過している。不眠不休で進み続けているが、休むわけにはいかない。
(外はずっと魔人と戦い続けてるんだろうか……)
真たちには外の状況が全く分からない。もしかしたら、魔人を全て倒して、真たちの帰りを待っているのかもしれないし、今もまだ魔人と戦い続けているのかもしれない。
総志の『ライオンハート』と姫子の『王龍』がいれば対応できるとは思うが、どうなっているのかは気になるところだった。
気にはなるが、真たちがやらないといけないことは、一刻も早く異界の扉を閉じること。そうしなければ、どんなペナルティが課せられるか分からない。
不安や焦りを抱えつつも、迷路の中を歩き続けた結果、真たちは大きな部屋に辿り着いた。
部屋の内装は迷路と化した王城と同じ。豪奢ではあるが、人間味をまったく感じない不気味な部屋。その部屋にはまっすぐ行った先に両開きの大きな扉が一つ。両サイドの壁には片開の扉が向かい合うようにして一つずつ、計3つの扉があった。
「これは、先に何かありそうな扉だな」
真が奥にある両開きの扉に近づきながら口を開いた。こういう大きな両開きの扉というのは、何か特別な場所へと続いているはずだ。王城であれば謁見の間であったり、教会であれば聖堂に続くような扉だ。普通の小部屋に続くのに、大きな両開きの扉を付けることはしない。
「いよいよなのかな……?」
緊張した口調で美月が言う。この両開きの扉の奥に、迷いの魔人アルラヒトがいるかもしれない。そう思うと否応なしに心拍数が上がる。
「可能性は十分にある――開けるぞ」
返事をしながらも両開きの扉の前まできた真が取っ手に手をかけた。王城の扉だけあって、取っ手一つにも意匠がこらされた物だ。
真はその取っ手を強く握りしめ、ゆっくりと引いた――が……。
ガンッ
「あれ……? 鍵がかってるぞ」
真は何度か扉を引くが、両開きの扉には固く閉ざされており、開けることはできなかった。逆に押してみるも結果は同じ。試しに横にスライドさせたり持ち上げようともしたが、鍵がかかっていることに間違いはなかった。
「鍵を探すしかないんじゃないの?」
押しても引いても開く気配のない扉を前に翼が呟いた。
「ねえ、翼ちゃん。鍵を探すって言ってもこの扉、鍵穴がないよ?」
まじまじと扉を観察していた彩音が言う。鍵を探すという発想は彩音にもあったが、扉に鍵穴がないことに早々に気が付き、どうしたものかと思案していたところだった。
「あっほんとだ……えっ!? でも鍵穴がないならどうやって鍵を開けるの……?」
彩音に言われて鍵穴がないことに気が付いた翼が疑問符を浮かべる。
「そうだな……。たぶんだけど、あっちの扉を先に調査する必要があるのかもな」
真がそう言うと、他の4人が全員真の向けている目線の先に目をやった。それは、部屋の両サイドの壁に一つずつある片開の扉。何の変哲もない普通の扉だ。
「あの二つの扉のどらかに鍵を開けるヒントがあるってことですね」
彩音が真の言葉を補足する。正面にある大きな両開きの扉には鍵がかかっていて開けることはできない。なら、残された道は二つ。両開きの扉に向かって右側の扉か左側の扉のどちらか、その先に鍵を開ける何かがあるはず。
「ああ、そうだ。どっちに行けばいいのかは行ってみないと分からない――翼、どっちがいい?」
「えっと……こっち」
真の投げかけに翼がすぐに指さす。翼が示した方は、両開きの扉に向かって右側の壁にある扉。それを選んだ根拠は特にない。ただの勘だ。
「よし、行ってみるか」
翼の出した答えに、真たちは反論することなく進んだ。
両開きの扉に向かって右側の壁にある扉。その先にあったのは、幅の広い通路。現実世界でいうとろこの、4車線の道路くらいの幅がある。
だが、その幅広の通路もすでに終わりが見えていた。50メート程先で行き止まりになっているのだ。だが、それだけでなかった。
「あの奥にあるの……あれって……」
真は通路の奥にある物に注視していた。それは高さ3メートルほどの毛むくじゃらの人間のようなもの。頭部は牛のようにも見え、手には大きな両手斧を持っている。
「なんか、剥製に見えるんだけど」
翼も通路の奥に立っているものを見て言う。人間の形をしているが、頭が牛でけむくじゃら。微動だにせず立っている姿から剥製に見えた。
「俺が先に見てくる。皆は少し離れてついてきてくれ」
真がそう言うと、美月たちは首を縦に振り、真とは距離を取ってからついてきた。
(やっぱりミノタウロスか)
通路の奥へ行くにつれてよりはっきりとその姿が分かってくる。それは最初に見た時に思った通りの怪物だった。牛の頭を持った巨人、ミノタウロス。ギリシャ神話に出てくる怪物だ。
真は大剣を構えながら前に進む。いつミノタウロスが襲い掛かってきてもいいように準備はしておく。チラッと後ろを見ると、美月たちは十分に距離を取っていた。
しかし、真とミノタウロスとの距離が後5メートルというところまで来ても、ミノタウロスは動く気配すら見せなかった。翼の言うとおり、ミノタウロスの剥製であるかのように、一切動きを見せない。
(この距離まで近づいても反応しないってどういう――っと?)
ミノタウロスとの距離を縮めている最中。真は何かが足にぶつかり、躓きそうになった。
すぐさま足元を見るとそこには高さ10センチメートルほど、縦横1メートル程の出っ張った床があった。ミノタウロスに意識を集中させていたあまりに、床が盛り上がっていることに気が付かなかった。
「みんな、そこで待っててくれ」
徐に振り返った真が後続の仲間たちに声をかけた。その声で美月たちはすぐに立ち止まる。
そして、真が床の出っ張りに足をかけて上に乗った。
すると、床の出っ張りは静かに下がり、最後にはカチッという音を出して止まる。
「…………」
だが、それだけだった。何かが起こるのではと待ち構えていた真だが、何も起こる気配がない。目の前のミノタウロスも反応がない。
どういう仕掛けなのか分からず、真は出っ張った床の外へと出た。そうすると、床は再びせり上がっていき、元の10センチメートルほどの高さまで上がって止まった。
続いて、真はミノタウロスへとさらに近づいた。もう手の届く距離まで近づいたが、ミノタウロスは動かない。
「……」
真がミノタウロスの足に手を触れる。固い毛並みの感触が掌に伝わってくる。その質感は作り物ではなく本物の手触り。
真はミノタウロスに触れながら見上げるが、やはり何の動きもない。
「そっちに行っても大丈夫?」
後ろから翼の声が聞こえてきた。
「ああ、大丈夫だ」
真はそう返して、再度ミノタウロスへと目を向ける。
美月たちはすぐに床の出っ張りに気が付き、真と同じように乗ってみるが、結果は同じ。乗れば下がり、降りれば上がる。ただそれだけ。
「……一度戻って反対側の扉を調べてみよう」
真は振り返ってみんなにそう伝えた。美月たちも、それ以外の方法を思いつくこともなかったため、来た道を戻っていく。
そして、部屋を挟んで反対側の扉。両開きの扉に向かって左側の扉だ。
その扉を開けて、その先を確認すると……。
「同じか……」
真が呟いた。通路の幅は4車線ほどの道路くらい。50メートルほど行った先は行き止まりになっており、奥にはミノタウロスが立っている。
さっきと同じように真が先に進み、距離を取ってから美月たちが後に続く。
ミノタウロスとの距離があと5メートルといったところで、真が足元に目を向ける。そこは、1メートル四方の床が10センチメートルほど盛り上っていた。
真がその盛り上がった床に足を乗せると、静かに下がっていき、最後にはカチッと音を鳴らして止まる。
「……」
真は何か起こるのかと待っていたが、ここでも何も起こらず、目の前のミノタウロスは立ったまま何もしてこない。
「ああ……そういうことか……くそっ……」
何かに気が付いた真が毒づきつつも、後方で待機している美月たちの方へと戻っていく。
「何か分かったみたいだけど……どうしたの?」
真の様子が暗いことに気が付いた美月が声をかけた。どうやら答えを見つけた様子なのだが表情が重い。それは翼や彩音、華凛も感じていた。
「仕掛けは分かった……」
「どんな仕掛けなの?」
真の言葉に翼がすぐさま聞き返した。
「通路の奥にある出っ張りはスイッチだ」
真はそう言って、奥にある床の出っ張りを指さす。美月たちもそれを見る。
「スイッチって、扉の鍵を開けるスイッチってことだよね?」
美月が真の方へと向き直って確認する。
「そうだ。あれで鍵を開けるんだと思う」
「それじゃあ、もう扉は開いてるってこと?」
真の答えを聞いた華凛がすぐさま聞き返した。
「いや、それはない。一度確認に戻ってもいいけど、絶対に開いてないと思う」
「どうして言い切れるのさ?」
これは翼が聞いた。扉を開けるためのスイッチが二つあって、その二つを押したのだ。扉が開いてると思うのは普通ではないのか。
「このミノタウロスが何もしてこない。こいつは仕掛けを解いた時の罠だ。その罠が発動してないっていうことは、仕掛けを解いてないっていうことだ」
「真さん……。もしかして、同時に押さないといけないってことですか……?」
彩音が引きつった表情で言う。彩音はもう答えに辿り着いていた。辿り着いていたからこそ、顔が引きつる。これからやらないといけないことも分かってしまったのだから。
「ああ、そうだ……」
真の表情が再び重くなる。
「ん? それじゃあ、二手に分かれてスイッチを押せばいいだけじゃ――あっ……」
そこで翼も気が付いた。美月も華凛も同じことに気が付く。
「同時にスイッチを押したらミノタウロスが動き出すはずだ……。片方は俺がやるけど……」
そこで真の言葉が止まった。みんな同じことを考えている。
「……もう片方は私たちだけで倒すしかないんでしょ?」
口を開いたのは美月だった。美月の言う『私たち』とは真を除いた4人。美月と翼と彩音と華凛だ。この4人でミノタウロスを倒さないといけない。
「そうだけど……」
真は言い淀んでいた。両開きの扉を開ける仕掛けは、同時にスイッチを押すことでほぼ間違いないだろう。だが、問題は仕掛けを解くと動き出すであろうミノタウロスの対処。
このミノタウロスと戦うと決まったわけではないが、戦わずに済むなんて甘いことあるわけがない。どう考えても動き出して戦闘になる。
「ミノタウロスが動き出したら、すぐに走って真君と合流したら大丈夫なんじゃない?」
華凛はふと思った疑問を口に出した。別々の場所のスイッチを押すからといっても、すぐに合流できる距離だ。だったら、真と合流して安全に戦えばいいだけ。
「無理だろうな……。たぶん、仕掛けを発動させたら、閉じ込められる……」
華凛が言っていることはもっともなのだが、真は即座に否定した。これはゲームである。たいていのゲームは同じような場合、罠として出現したモンスターを倒すまで出ることはできなくなる。
「一番合理的に考えれば、真さん1人と私たち4人が分かれてスイッチを押すことなんです……」
彩音が補足するように華凛に言った。真なら単独でもミノタウロスごとき相手にならないだろうが、問題は美月たち4人の方。
このミノタウロスの強さがどれだけのものかは分からないが、苦戦は必至だろう。
「迷ってても答えが変わるわけじゃないんでしょ? だったらやるしかないわよ!」
意を決したように翼が言った。顔には緊張の色が見えるが、目はまっすぐミノタウロスを見ている。
その声に美月や彩音、華凛がしっかりと頷く。
「……分かった。俺がここに残ってスイッチを押してるから、向こうのは皆のタイミングで押してくれ」
真は不安げに言った。美月たちの実力は知っている。決して低いわけではない。数々のミッションを経験してきたことによって、かなり力をつけている。それでも、不測の事態ということが起こらないとは限らない。
「真……。私たちは大丈夫だから……。行ってくるね」
美月のその言葉で、真をこの場に残し、他のメンバーは反対側の部屋へと向かって行った。




