迷路 Ⅷ
1
バージョンアップが実施されてから18時間。異界の扉という物が完全に開き切るまでのタイムリミットの半分が経過した。
しかし、真達はまだ迷路と化した王城の中を彷徨っていた。
件の異界の扉は王城の中にあることはほぼ間違いないだろう。真はそう確信していた。
その根拠はいくつかある。まず一つは、王城の上空だけが異常なまでに濃い色をした黒紫色の空になっていること。
もう一つは、上級魔人であるアルラヒトが王城内にいたこと。そして、そのアルラヒトが王城を迷路に作り変えていること。王城内に異界の扉があるからこそ、そこに辿り着けないように妨害をしていると見て間違いない。
だから、真は余裕があると思っていた。制限時間は36時間。王城に辿り着いた時点での残り時間は約30時間。強力な敵が待ち構えているということは想定済み。だが、真を止められるだけの力を持った敵がいるなんて思ってもいないし、実際に王城内で真の足を止めることができるようなモンスターとは遭遇していない。
そこまでは想定通りだった。だが、誤算だったのは迷路の規模。あまりにも広すぎる迷路を進むだけで時間を浪費させられている。
無限ループのある庭園を越えれば、流石にアルラヒトとの対決が待っているだろうと踏んでいた真としては、その後も続いてる迷路に焦燥感を抱いていた。
「くそっ……また行き止まりか……」
吐き捨てるように真が言う。何度目になるか分からない行き止まりに、真の声にもかなり苛立ちが滲んでいた。
「戻るわよ……」
翼が低い声で返す。その言葉に対して誰も返事をすることなく、無言で来た道を引き返していく。
今、真達がいる場所は完全に迷路の中だ。内装は王城の中だけあって、白い大理石の床に奇麗な絨毯。白く清潔な壁には意匠を凝らした装飾が見られるのだが、窓は一つもなく、外の景色を見ることができない閉塞空間。
その王城の内部の道はいくつも分かれ、曲がりくねり、入り組んだ迷路になっている。
真達は、この迷路をかれこれ数時間は彷徨い続けている。外の景色が見えないことで時間の感覚が狂ってくる。明るい王城迷路では昼も夜もない。ずっと明るい。
(どこまで行けばいいんだ……。時間は足りるのか……? 外はどうなっている……?)
真の頭の中で同じ言葉がグルグルと回り続けている。一睡もせずに歩き続けていることで疲労が出てきたせいもあるだろう。ゲーム化の影響で体力が増強されているとはいえ、無尽蔵にあるわけではない。特に戦闘があれば余計に疲れがたまる。
(慎重に行くということは間違っていないんだ……。迷った方が時間のロスが大きい……。間違っては……)
真は自分の中で言葉を反芻する。当初、時間に余裕があると思っていたことから、慎重に迷路の探索を進めてきた。だが、ここに来てそれが正しかったのだろうかという疑問が生まれていた。
余計なことに時間をかけるべきではなかったのではないかと。一直線に目的地に進む方法を選んだ方が良かったのでうはないかと。だが、そこで思い返す。正解を知らない以上、最適化された道を選ぶ方法がないのだから、結局は慎重に動かざるを得ないのではないかと。
だが、時間は浪費してしまった。
美月達は何も言わずに真に付いて来ている。真は方向感覚が優れているということを皆知っている。
以前、エル・アーシアにあるウル・スラン神殿を探して地下鉄の線路を進んだ時にも、真はどこに向かえばいいのかを把握していた。この広く複雑な迷路の中でも真は必死になって迷わないように、自分たちが向かっている方向を確認し続けていた。
ただ、あまりにも広い迷路の中で、一向に出口が見えてこないため、美月達の表情は見るからに暗い。不安と焦りが顔に出ている。
そのことが真にも分かるため、余計に何も言えなくなり、ただ黙って迷路の中を歩き続けるしかなくなっていた。
そこから迷路の中を進むことさらに数時間。真達は大部屋に辿り着いた。
大部屋の広さは学校の教室くらいはあるだろうか。特になんて事の無い大部屋なのだが、一つだけ気になるものがあった。
それは、大部屋の奥に飾られている大きな絵画。描かれているのは、タキシードにシルクハットの男性の立ち姿。顔はピエロのような仮面をつけている。
「俺が見てくる」
「……うん」
真の提案に美月が短く返事をした。ただの絵画なら単なるオブジェだと判断しただろう。だが、描かれているのはどうい見てもアルラヒトだ。ここは魔人が作り出した迷路の中。しかも、目立つように飾られている。無害な物だとは考えにくかった。
「…………」
大剣を抜いて真が石像へと近づいていく。絵画の中からアルラヒトが急に飛び出してきても、すぐに対応できるように細心の注意は怠らない。
「おやおや、かなりお疲れのご様子ですね」
突然、絵画の中から声が聞こえてきた。
「ッ!?」
真は咄嗟に後ろに下がった。大剣を構え直して戦闘態勢に入ると、遠距離攻撃スキルであるソニックブレードを発動させようとした――が
(スキルが発動しない……敵じゃないのか? それとも、まだ戦う段階じゃないってことか?)
ゲーム化したこの世界でスキルを発動させるには条件がある。それは相手が敵であること。また、敵であっても、変身中等は攻撃ができない仕様になっていたり、ゲーム内のイベントとして扱われている敵は、必要な演出や会話をしてからでないと攻撃対象にならない。
このアルラヒトの絵画に対して攻撃ができないということは、敵ではないか、それとも必要なイベントがあるかのどちらかだ。
「そう警戒なさらずとも大丈夫ですよ。この絵画は私の分身でございます。危害を加えるようなことはいたしません」
分身である絵画の中のアルラヒトが柔らかい物腰で話かけている。
「お前は魔人なんだから敵だろうがよ」
警戒を解かずに真が返した。友好的な態度のアルラヒトが不気味で仕方がない。
「確かに仰る通りだとは存じます。ですが、それは私の本体と合いまみえた時のこと。今、この瞬間は、私にとってあなた様方は大事なお客様でございます」
「何が大事なお客様だ! さっさと迷路を解除しろ!」
「申し訳ございませんが、それはできかねます」
「お前のお遊びに付き合ってる暇はねえんだよ! いずれ戦うって言うなら、今すぐ出て来いよ!」
「ふふふ、それですよお客様! 焦っていらっしゃいますね? どこまで続くのか不安でしょう? 後ろのレディ達も良い顔をされている! あぁ、皆様は本当に最高のお客様です! これほどの高揚を覚えたのはいつぶりでしょうか。 もっと、もっと、もっと楽しんでください!」
このアルラヒトの発言に美月達は背筋にゾクッと冷たいもの感じた。
「こいつ……ヴィルムと同じか……」
真は歯噛みしながらアルラヒトの分身を睨み付けた。最初に会った時は、まだ話ができる相手だと思っていた。だが、実際は違った。こいつも人を甚振るこっとに悦びを感じている。
以前、イルミナの迷宮の奥にいたヴィルムという魔人。そいつは女性を恐怖に陥れることに悦びを持っていた最低の奴だった。
やり方は違うにしても、アルラヒトも人を甚振ることに悦びを持っている。人を迷路に入れて、精神的に甚振ることがアルラヒトの目的なのだ。
「さぁて、お客様。この先、迷路はどれくらい続くと思いますか? もうすぐ出口があると思いますか? それとも、まだ半分も来ていないと思いますか? ああ、そうそう、ここが間違った道かもしれませんよね? もう一度引き返して最初からやり直してみますか?」
アルラヒトの嬉しそうな声が大部屋に響く。口調は丁寧だが、確実に愉しんでいる。そこには友好的というものは微塵も感じられなかった。
「この道は正解だ! お前が出てきたことがその証拠だよ! 迷路はもう半分以上クリアしてる! 首を洗って待ってろ!」
真はそう言い切ると、美月達の方へ向かって『行くぞ』と声をかけ、奥へと進んでいった。途中、アルラヒトの分身を通り過ぎる時に、薄気味悪い笑い声が聞こえてきたが完全に無視して通りすぎた。
2
「真君……その……本当なの?」
アルラヒトの分身がいた大部屋を抜けて少し歩いたところで華凛が真に声をかけた。
「本当って?」
「さっき言ってたの……。この道が正解で、もうすぐ出口があるって……」
「……いや、それは分からない」
若干迷いながらも真は正直に答えた。『そうだ』と言って、皆を安心させてもよかったのだが、それはしなかった。
「分からないって!? どういうことよ? なんでそんなこと言ったのよ?」
翼が声を上げた。アルラヒトに対してあれだけキッパリと言い切ったにも関わらうず、実は分からないというのはどういうことなのか。
「ハッタリだよ。アルラヒトは精神的に揺さぶりをかけたいんだ。俺達が動揺したらあいつを悦ばせるだけだろ? だから、俺はあいつが悦ぶことを全否定してやった」
「ああ、そういうことなのね。それを聞いて少しスッとしたわ」
納得がいった様子で翼は微笑んだ。ずっと迷路の中を彷徨っていたストレスがほんの少しだけだが、解消された気分になった。
「真さん……でも、この先に出口があるかどうかは、やっぱり分からないですよね?」
彩音が不安そうに聞いてきた。真の話は要するに、揺さぶりをかけてきた魔人に抵抗したということだ。根本的に問題が解決したわけではない。依然として迷路の中にいることに違いはないし、出口も分からないままだ。
「ハッタリだっていうことは間違いないけど、完全に的外れっていうわけじゃない。アルラヒトの分身がいたっていうことは大きなヒントだと思う。この道は正解だし、出口も近いっていうのはあながち間違いじゃないと思う」
真には一応の根拠があった。だが、その根拠は確信に至るだけの強い根拠ではない。その可能性も考えられる程度のものでしかない。それをさも正解を導きだしたかのように言った。だから、真の言ったことはハッタリであると同時にあながち間違ってはいないということだ。
「今はそれで十分だと思うよ。ハッタリでもなんでも、私は真を信じてるから」
美月が真の目を見て微笑んだ。少し照れくさいところはあるが、今の悪い空気を変えられる。そう思えた。
「あ、あぁ……。あまりプレッシャーをかけないでくれよ」
真は照れながら頭を掻く。そして、そのまま美月の方を見ずに迷路の中を進んでいった。