迷路 Ⅵ
「勘でいいなら、右でいい?」
翼が徐に進む方向を提言してきた。右に進む理由は翼の言うように勘でしかないのだろう。だが、こういうことをすぐに決めることができるのは翼の強みといったところか。
「ここは翼の直感を頼りにするしかないか……」
どっちに進むか迷っていた真だが、勘で行くしかない以上、明確な答えなど出るわけがない。だったら、翼の言う通り、進んでみるのも一つの手だ。
「そうだね……。正解かどうかは行ってみないと分からないわけだしね」
美月も翼に同意する。考えたところで、運試しする以外に方法はない。
翼の意見に対しては、他に意見はなく、真達はヒドラの死体がある十字路を右に曲がって進むことにした。
そこから歩くこと30分ほど。見える景色は全く変わらない。奇麗な青空にバラの花壇。ゴミ一つない石畳の道。風もなく、鳥の声もなく、まるで真達が異物であるかのうように思えてくるほど。
真がそんな庭園を歩ていて思ったことは、『無菌室』だった。徹底した洗浄を行い、面会も制限された隔絶された部屋。病気の治療のため必要な物なのだが、この庭園は、それが自体が病的なまでに無菌状態なのだ。
そこから、さらに歩くこと30分。周りを囲む造形は全く変わりないのだが、目線の先に何か赤い大きな物が見えてきた。
それが何なのかはまだ分からないが、真達は手がかりになりそうな物が見えてきたことに、足取りが早くなっていた。
「あった!」
真が思わず声を上げた。見えていた赤い大きな『何か』は、巨大なバラの花だった。十字路の真ん中に居座るようにして、巨大なバラが待ち受けていた。問題はそのバラが巨大なだけではないということ。
その巨大バラの中心には口があり、鋭い牙が幾本も並んでいる。それに加えて、蔓にはバラ特有の棘がいくつもあり、うねうねと動かしていた。これが鞭のように飛んでくることは容易に想像ができる。
「なんで、これを見て喜べるのよ!?」
翼が嬉々として声を上げている真に苦言を呈した。目の前にいるのは、有体に言えばバラの化け物だ。さっきのヒドラよりは小さいサイズだが、人と比べれば十分に大きい。真はそれを見て『あった』と声を上げたのだ。
「そのあたりの真の感覚って……分からないかも……」
美月も何とも言えない表情で真を見ている。バラの化け物と遭遇して、『怖い』とか『どうしよう』とかではなく、それを見つけたことに高揚している真の感覚というのは、美月も理解がし難いところだ。
「いや、だって、新しい目印だろ? こっちの道で合ってたってことだよ!」
翼と美月が言いたいことは真も理解できないわけではない。だが、今は選んだ道が正解だったことに喜んでもいいのではとも思う。
「いいから、さっさと倒すわよ! 真も準備して!」
真はまだ何か言いたそうだが、翼がそれを遮る。翼は既に弓を構えて臨戦態勢だ。
「――ああ、行くぞ」
若干納得がいかないところがある真だが、今それについて言及している場合ではない。あと数歩近づけば、敵の射程範囲内に入る距離だ。前衛職は真しかいないため、先陣を切るのは真しかいない。
<レイジングストライク>
射程距離内に入った真が一気に距離を詰めるため、レイジングストライクを発動させた。獲物に襲い掛かる猛禽類のように巨大バラに向かって強襲をかける。
それを合図に美月達も一斉に攻撃スキルを発動させた。すると、無菌室のような庭園は爆発炎上し、驟雨のような矢が降り注ぐ。
真も負けじと連続攻撃スキルを発動させていく。巨大バラも真に向けて、棘の付いた蔓を鞭のようにしならせて攻撃を仕掛けてくるが、巨大な身体に肉迫してきた相手に対して、長い鞭は不利だ。小回りが利かずに、真に難なく避けられてしまい、追撃も許してしまう。
巨大バラが大きく口を開けて、真に喰らいつこうとするも、真は動きを見て回避。カウンターもいれて応戦した。
「キィイイイアァァァァァーッ!!!」
真の猛攻に晒された巨大バラに打つ手はなく、奇怪な声を上げた。そして、紫色の液体が涎のように口から吐き出されると、ぐったりして動かなくなった。
「ヒドラよりは楽だったな」
巨大バラの蔓は完全に力が抜けて十字路の真ん中に垂れ下がっている。その様子を見上げて真が呟いた。
しばらく待っていても、アイテムを落としたことを示す白い靄も出なければ、死体が消えることもなく、そこにあり続けている。
「これが目印で間違いありませんね」
真の横から彩音が口を開いた。予想通り、この巨大バラが次の道に行くための目印だ。
「真君、どう進むかはやっぱり勘なんだよね?」
少し離れたところから華凛が声をかけてきた。さっきのヒドラの時もそうだが、華凛としては気持ちの悪い生物に近づきたくはない。でも、真がその生物の傍にいるのだから、ある程度近寄らないといけないのがもどかしい。
「勘で行くしか……ないな」
辺りを見渡しながら真が答える。できれば、進む方向を示すようなヒントがあればいいのだが、それはない。
「翼ちゃんはどっちに行けばいいと思う?」
彩音が翼に声をかける。自分ではなかなか決めにくいことでも翼はすんなりと決めてしまうことは素直に感心するところだ。
「私が決めてもいいの? だったら、真っ直ぐ行こうと思うけど」
迷いなく翼が答えた。直感で生きている翼からしてみれば、勘以外で選ぶことができない状態は得意な場面なのだろう。思うがままに進めば良いだけだ。
「翼はさっき正解を当てたからね。今回も翼の言う道で進んでみましょうよ」
美月も翼に対して異論はなかった。
「俺もそれでいい」
真も翼の言うことで問題はなかった。というより、勘なのだからどうしようもない。
巨大バラの死体を放置したまま、真達は十字路を真っ直ぐ進むルートで歩き出す。心なしか足取りは軽くなっている。それは、この庭園から出るための光明が見えたからだろう。例えるなら、暗闇の中をどこに行けばいいのかさえ分からなかった状態で照らされた光だ。それは大きな光ではないし、はっきりと見える光でもない。ぼんやりとしているが、光であることに違いはない。
だから、歩きながらも期待していた。翼が選んだ道の先に、また別の目印があることを。あわよくば出口があるかもしれないという甘い期待も持っていただろう。
そのせいもあってか、1時間ほど歩いてから、巨大バラの死体を見つけた時には落胆の色が見えた。
「……ごめん」
謝る翼が下唇を噛む。さっき倒した巨大バラの死体があるということは、翼の選んだ道が不正解だったということだ。
「翼が悪いわけじゃない……。最初から勘で進んでるんだ。外れることだってある」
真も翼を責める気はさらさらなかった。翼が直感で行動しているとしても、それが合っている保証はどこにもない。ただ、迷わないというだけのことだ。それに乗っかった真達にも同じく責任があるというもの。
「そうだよ、翼は何も悪くないよ。私達が決められなかったことを翼が決めてくれただけなんだからさ」
美月もフォローを入れた。翼が選んだ道が正解であってほしいという期待は確かに抱いていたが、それを外したからといって、期待を裏切られたなどと言うつもりは毛頭ない。
「となると、右か左かですね……」
彩音は頭を切り替えて、どの道を選ぶかを模索しだす。翼に道を選ばせたのは彩音だ。その責任もあるため、率先して次の道を示さないとと思っていた。
「左」
「ん?」
ポツンと言った翼の声に真が反応した。
「左だと思う」
再度翼が口を開いた。今度は明確に、左に行くことを提案してくる。
「分かった。左に進もう」
それに対して真は素直に従う意志を示す。他の皆も頷いている。翼は行く道を外したことに対して挽回したいのだろう。そもそも、翼は悪くないというのは皆が分かっていることだが、翼の気持ちも理解できた。
気を取り直して、巨大バラの死体がある十字路を左に進む。人は道に迷った時に約70%が左に行こうとするという研究がある。翼がこの研究データを知っているかどうかは不明だが、翼が左に進むことを選んだのは3回目の選択で初めてだ。翼の直感というのが単に人間の心理的な要素に起因しているものとは少し違うのではないかと、真はそんなことを考えながら歩いていた。
それから、歩くこと約1時間。今までのパターンを考慮すれば、そろそろ回答が出るはず。外れていたなら巨大バラの死体が、合っていたとすれば別の何かが出てくる。
(どうせモンスターなんだろうけどな)
真が内心独りごちる。ヒドラも巨大バラも真達に襲い掛かってくるモンスターだった。それを倒して目印にするというのが、この庭園の攻略方法。
そして、それは見えてきた。
「翼、正解だ」
まだ距離があるのではっきりとは分からないが、真の目にはヒドラでもバラでもない、緑色の大きなモノが見えていた。
「うん!」
翼もそれが見えていた。勘を外して仲間に迷惑をかけてしまったが、次の選択で見事正解を引き当てることができた。
そうなると、皆の足取りも自然と早くなる。ぼんやりとしか見えてなかった、緑色の大きなモノがその姿を明確にしていくと……。
「うッ――」
最初に声を上げたのは華凛だった。正解の道に出現したモノが確認できたことで、思わず目を背けてしまった。
華凛と同様に美月と彩音も顔を顰めて、露骨に嫌そうな顔を浮かべている。
「これは……俺でも気持ち悪いな……」
真も嫌そうな声を上げていた。正解の道にある十字路に居座っていたのは巨大な芋虫だった。緑色の身体に、黄色のラインが体に幾本も走り、赤い斑点が所々にある。全長は6~7メートルはあるだろうか。太くて、長くてブヨブヨとした気持ちの悪い芋虫がそこにはいた。