迷路 Ⅳ
美しいバラの庭園には似つかわしくない、巨大なヒドラ。9つの首を動かしながらも、先頭にいる真に視線が集中した。
「シャアァァーーーーッ!!」
ヒドラが大きく口を開けると、耳を劈くような威嚇音が空気を震わせる。
「うっ……」
不快な威嚇音に真が思わず顔を顰めた時だった。鎌首をもたげたヒドラの9つの頭が、一斉に真目がけて襲いかかってきた。
「――ッ!?」
真は一瞬動作が遅れるものの、大きく横に飛んで、ヒドラの攻撃をギリギリ回避できた。
<スラッシュ>
真はバランスを崩しながらも、すぐさま反撃に出る。巨大なヒドラの身体に真の大剣が斬りかかった。
<シャープストライク>
真は間髪入れずに、スラッシュで踏み込んだ姿勢から、切り返す刃で素早い二連撃を放つ。
そこで、ヒドラの首の一つが真の方へと向いた。明らかに攻撃を仕掛けてくるのだと分かる。だが、真はここで手を止めることはしなかった。
<ルインブレード>
目の前に魔法陣が現れると、真は魔法陣ごとヒドラの身体を切り裂いた。
ルインブレードはスラッシュから派生する連続攻撃スキルの3段目。攻撃と同時に敵の防御力を下げる効果を持っている。
真はそのまま、勘だけで地面を蹴って後ろに飛んだ。
「シューーーッ!!」
その直後だった。真に狙いをつけていてヒドラの首の一つが、口を開けて噛みついてきた。だが、ヒドラの牙は虚しく空を噛むのみ。
真はヒドラの攻撃のタイミングが分かっていたわけではないし、見ていたわけでもない。ただ、狙われているということだけを感じ取り、攻撃と同時に後ろに飛んでいたのだ。
<アイスジャベリン>
<イーグルショット>
<フレアボム>
真に続いて、彩音のアイスジャベリンが、翼のイーグルショットが、華凛のフレアボムが次々とヒドラの身体に突き刺さっていく。
静かだった庭園は一変し、炎と爆音が鳴り響く戦場へと化していった。
それでも、ヒドラの首は全て真の方へと向いている。まるで、真以外に敵がいないと言わんばかりに、真以外の攻撃を無視している。
実際にヒドラが翼や彩音たちを認識していないというわけではないのだが、真の攻撃力が苛烈過ぎて、ヒドラの標的が真から離れない状態になっていた。
このゲーム化した世界は基本的にMMORPGのシステムを採用している。そのシステムにある敵対心という概念。敵にとって一番痛いことをしてきたプレイヤーを狙うというシステムだ。それにより、ヒドラの標的が真以外に向くことがなくなっていた。
<レイジングストライク>
真は一旦は慣れた距離を取り戻すために、ヒドラ目がけて飛びかかっていった。まるで、猛禽類が空中から獲物に襲い掛かるような強襲で、ヒドラに飛び込んでいく。
「フシューーーッ!!」
真の攻撃が直撃した時だった。ヒドラの首の一つが頭を上げた。大きく息を吸い込むように仰け反り、真を上から見下ろすと、そこから一気に頭を突き出してきた。
ビシャーーッ!!!
裂けんばかりに開かれたヒドラの口からは大量の液体が噴出された。汚れた緑色をした吐しゃ物のような液体。それが真に向けて噴き出された。
「うわッ! 汚ねえっ!」
真は咄嗟に逃げたが、ヒドラの吐いた緑色の液体の量は多く、液体の一部が真の腕についてしまった。
ヒドラが吐いた液体が奇麗な庭園に小さな沼を作ったように広がり、美しい庭園の一部を汚した。だが、見た目の汚さに反して臭いはまるでない。
ヒドラが吐いた液体が腕について真だが、痛みはほとんどない。しかし、徐々にHPが減っていくのが分かる。真の膨大なHPの内のほんの一握りだが、それでも減っていくのが分かった。
「毒か……。見た目通りってわけだな」
ゲームの毒の特徴は徐々に生命力を削っていくというもの。現実の蛇毒であれば、呼吸困難や失血性ショック、多臓器不全等を引き起こすが、なぜかゲームの毒というのは、そういう類の物ではない。蛇に限らず、どんな毒でも少しずつHPを減らしていくというのがゲームにおける毒のお決まりである。
「ヒドラが吐いたものは毒だ! 中に入るなよ!」
「入るわけないでしょッ!」
真の注意喚起に翼が言い返した。言われなくても、こんな汚い嘔吐の沼に入ろうなんて考えない。
「確かにそうだわな」
<ソニックブレード>
毒のダメージ自体は大したことがないと分かり、真は再び攻撃を再開した。大剣を振り、真空のカマイタチでヒドラに斬りかかる。
<クロスソニックブレード>
続けて大剣を十字に振ると、再度カマイタチが甲高い音を立ててヒドラに飛んでいく。クロスソニックブレードはソニックブレードから派生する連続攻撃。近接戦闘専門のベルセルクにとっては貴重な遠距離攻撃だ。
威力もそこそこあるスキルなのだが、ヒドラはまだ倒れない。
「デカ物だからHPは高いよな……」
レベル100の最強装備をした真が攻撃をしていてもヒドラは倒れていない。ゲーム化した世界のモンスターはその大きさに比例して生命力が上がるという傾向がある。特別なモンスターはその例外になるが、巨大なヒドラの生命力は非常に高いと見ていいだろう。
「シャアァッ!!」
まだ倒れないヒドラの首の一つが真に向かって牙を立てて突撃してきた。頭ごと地面にぶつける勢いで真に襲い掛かる。
それを、真は冷静に見極めて避ける。大きな回避行動はしない。必要な動きだけで攻撃を回避する。
ヒドラの首は9つある。他の首も次々と予備動作に入り、攻撃準備が完了した首からどんどん真に向かって突撃してきた。
9つの首がそれぞれ独立しているような連続攻撃。一度に来られるよりも、この連続攻撃の方が避ける手間がかかって厄介だ。
そんなヒドラの猛攻に対して、真はしっかりと見極めて回避行動を取っていた。いかに巨大で、首が9つもあったとしても、所詮は変温動物。思考回路が単純だ。目の前にいる獲物に向けて攻撃を仕掛けているだけ。
タードカハルでアルター真教と戦った経験を持つ真からしてみれば、至極単純な攻撃方法でしかない。フェイントもなければ虚を突いてくる攻撃でもない。こちらの攻撃に合わせてカウンターを狙えるような技術もない。ただ、大きなだけのモンスター。
だから、やることは簡単だ。
<ソードディストラクション>
強烈な攻撃を浴びせればいい。
真は最後の9つ目の首が攻撃を仕掛けてきたのにタイミングを合わせてスキルを発動した。ソードディストラクションは発動時に飛び上がる。それを利用した回避と攻撃。
身体ごと空中で大剣を一回転させると同時、凄まじい破壊の衝動が庭園の中を蹂躙するかの如く暴れ回る。
「さすがに生命力だけは凄いな」
ヒドラはまだ倒れてはいなかった。ソードディストラクションはベルセルクが使える範囲攻撃スキルの中では最強の攻撃力を持っている。それをまともに喰らったのだが、ヒドラはまだ動いていた。
<ショックウェーブ>
真は手を緩めることなく大剣を振り下ろすと、獣の咆哮のような激しい剣圧がヒドラに向かって牙を剥く。
ショックウェーブはベルセルクの範囲攻撃スキルだが、その効果は直線状に限定される。その分威力は高い。
ヒドラの身体が倒れそうになったように見えたが、すぐさま持ち直した。これで終わりだろうと真は思っていたが、ヒドラは口を大きく開けて威嚇する。
「まだ生きてるのかよ」
巨大なモンスターはHPが高いことは承知の上だったが、流石は蛇の生命力といったところか。普通の巨大モンスターならとっくに倒れているはずの攻撃にも耐えているヒドラに真は驚嘆した。
「シャアァァーーー!!」
ヒドラは真の攻撃に晒され瀕死の状態になっているはずなのだが、知ったことかと言わんばかりに、持ち上げた9つの鎌首を一気に真に向けて突っ込んできた。
<スラッシュ>
真はヒドラの攻撃に対して前に出ていった。そして、懐に入ると同時、踏み込みからの斬撃を放つ。
巨大な身体ゆえの死角。近づくことによって、敵の攻撃範囲から出て攻撃をすることが可能になる。
真は続けて連続攻撃スキルを発動させようとしたが、できなかった。スラッシュが止めの一撃になったのだ。ほどなくして、ヒドラの9つある首は全て力なくへたり込んでいった。
「うわっと!?」
真は巨大な体躯の懐まで潜り込んだせいで、倒れてきた9つの首の下敷きなりそうになりながらも、ヒドラの首と身体の間にできた空洞に真が入る形で難を逃れた。
「ふぅ……」
予想以上に手間どった真が、倒れ込んだヒドラの内側から這い出てくる。もうヒドラはピクリとも動かない。
「真、大丈夫だった?」
戦いが終わり、美月が真の方へと駆け寄ってくる。いつの間にか、ヒドラが吐き出した毒溜まりはなくなっていた。
「ああ、大丈夫だ。想像以上にタフな奴だったけどな」
そう言いながら、真はヒドラの死骸を見つめる。後はヒドラがアイテムを落とした場合は、身体から白い靄が立ち込めて、それに手を翳すとアイテムを入手することができる。これが確実に倒したという証拠にもなる。
「…………ん?」
だが、ヒドラの死骸からは一向に白い靄が出てこない。当然のことながら、敵を倒しても何もアイテムが出ないこともある。そういう時は、すぐに死骸が消えてしまうのだが、ヒドラの死骸は残ったまま。
「真さん、これはどういう状況なのでしょう?」
彩音も今の状況が分からず疑問を投げかけてきた。
「倒した……とは思うんだよ。もしかしたら、復活するかもしれないけど……可能性は低いか」
アンデットの中には一度倒しても復活するような敵がいる。そのあたりの扱いはゲームによって様々だが、ヒドラが復活するようなモンスターだったとは真の記憶には無い。
「動かないなら、それでいいんじゃない? 放っておいて先に行こうよ」
特にヒドラのことに興味がない華凛は先に進むことを提案してきた。今の状態が倒したということになっているのかどうかは、実際のところどうでもいい。動かないのなら、無視して先に進めばいいのだ。
「そうだな。こいつがどうなるのかを確認する必要もないしな。障害にならないならそれで十分だろ」
他の皆も反論はなく、倒れたままのヒドラは放置することになり、再び庭園の中を歩き出した。ヒドラがいたのは十字路の真ん中だが、曲がることはせず、真っ直ぐ進むルートで歩き出した。