混乱の中 Ⅲ
バージョンアップがあってから既に5時間は経過しただろうか。強い西からの日差しも、紫紺色に染まった空に阻まれ、今は力ない。
センシアル王国の王城まで辿り着いた真達は緊張した面持ちで城門を見つめる。城門の前にはいくつもの兵士の死体が転がっていた。センシアル王国の騎士団の死体だ。倒れてもまだ剣と盾は離さない。城を守り切れなかったのは無念だっただろう。
「行こう……」
真が静かに口を開いた。いつもは閉まっている城門も今は開いている。魔人に殺された騎士団の山を乗り越えて一歩ずつ踏み出していく。
「……うん」
美月も静かに返事した。凄惨な光景に不安が押し寄せてくる。見上げた空の異常さにも不安を煽られる。王城の上空は黒紫色の空をしていた。他の場所よりも濃い異常性を示した色だ。ここが異常の中心であることは容易に想像がつく。
翼も彩音も華凛も同じ気持ちだった。見たことのない空の色に心穏やかではいられない。怖いという闇はどうしても心の中に生まれてしまう。
「まだ時間はある……。慎重に行って大丈夫だ」
美月達の不安を察してか真が声をかけた。制限時間は36時間。ここまでの道のりで消費した時間は5時間ほど。王城に異界の扉があるのは明白。あとは異界の扉を閉じるだけ。
「そう……よね。真君がいるんだもん。魔人が出てきても大丈夫……だよね」
自らの不安をかき消すように華凛が言った。王城の中にも魔人がいるだろう。それも外にいるのより強い魔人がいてもおかしくはない。だとしても、真の敵になるかどうかといえば、相手にもならないというのが正解だと思う。
「真さんがいれば大丈夫だとは思いますけど……」
彩音の言葉は煮え切らないものがあった。はっきりと言ってしまってもいいのだろうかという迷いだ。余計な不安を煽ってしまうのではないかという危惧が口を閉ざしてしまう。
「どんな罠があるか分からない。真が言うように慎重に行きましょう。魔人より真が強くても……死んじゃうことだってあるから……」
それを言ったのは美月だった。真が死ぬかもしれない、というのは言葉に出すだけでも辛い。だが、今までの経験上、敵が想定外の攻撃をしてくることは多々あった。中には即死するであろう攻撃もある。魔人がそういった類の攻撃を仕掛けてくる可能性は十分にあり得る。
「そう……だな……。即死攻撃は警戒しておく必要があるな……」
真がそう返事をする。とは言いながらも、肝心の即死攻撃の種類が想像もつかない。今まであったものは、ゾンビにされる、カエルにされて食われる、氷に変えられて壊される、奈落に落とされるといったもの。攻撃の方法が分かれば回避する手段も見えてくるだろうが、問題は初見で対応しないといけないということ。誰も攻略方法を確立してはいない。
そこからは無言で進んでいった。大きな城門を越えると、王城の玄関にあたる建物がある。両開きの大きな扉があり、その前にも兵士の死体が横たわっている。
王城の玄関と言っても、それだけで一つの大きな建物として機能している。メイドや兵隊の詰め所があり、天井も高く、床も大理石が敷き詰められている。この玄関にあたる建物の先には庭園があり、その奥に王城の本殿がある。宰相や国王がいるのは、その本殿の中だ。
真が半開きになっている玄関の扉を押す。扉は静かに開いていった。来るもの拒むほどの力はもう残されていないようにも思える。
玄関は閑散としていた。普段であればメイドや執事、兵士などの王城で働く人たちが忙しなく往来している場所なのだが、聞こえてくるのは真達の足音だけ。意外だったのは死体もないこと。外と違い、王城の玄関内には一人たりとも死体が転がってはいなかった。
その代わりと言うのは不謹慎だろうが、一人の男が立っていた。
「ようこそいらっしゃいました――っと、おやおや5人だけですか? よろしいのですか? もっと人を呼んだ方が得策かと愚考しますが?」
玄関のロビーの中央に立っている男が声をかけてきた。シルクハットにタキシード姿。顔はピエロのような奇妙な仮面。身長は2メートルほどある長身だ。
「魔人……か?」
真が思わず聞き返した。妙に芝居かかった物の言い方と落ち着いた雰囲気。この混乱した惨状の中ではどう考えても似つかわしくないその風貌。考えられるのは、こいつも魔人だということ。そして、外にいる魔人とは格が違うということ。
「左様でございますよ、美しいお嬢さん。私はアルラヒトと申します。またの名を迷いの魔人とも言われております」
丁寧な口調でアルラヒトと名乗った魔人は返答した。真はこの雰囲気に覚えがあった。
「ヴィルム……あいつも魔人だったのか……」
イルミナの迷宮の最奥にいた敵。そいつはヴィルムと名乗り、伝説のサマナーと言われたイルミナ・ワーロックの下僕だと言っていた。そのヴィルムと目の前のアルラヒトはよく似ている。
「ふむ、どうやら、他の上級魔人をご存知のようで。それはそれは博識でいらっしゃる」
アルラヒトは満足げに手を叩いた。
「上級魔人?」
「外で下品に暴れている、人の形をしたモノがいたかと存じます。それらを魔人と呼ぶのもおこがましいのですが、便宜上は下級魔人と呼んでおります。知性も品性も何もない、同族としてお恥ずかしい輩でございます」
やれやれといったジェスチャーでアルラヒトが返答する。そもそも、外にいる魔人を魔人と認めたくない様子。
「どっちも魔人で変わりないなら敵ってことだろ? お前に恨みはないが、ここは通してもらう!」
真は大剣を構えてアルラヒトを睨んだ。それに合わせて美月達も戦闘態勢に入る。
「その様なはしたない言葉使いはお嬢さんには似合いませんよ。言葉というのは使うの者の品位を表わします。奇麗な顔をしているのですから、もっとお淑やかになった方がよろしいかと」
戦闘態勢に入る真たちに対してアルラヒトは敵意を向けてはこなかった。代わりに出てきのは、真の言葉使いに対する説教。
「俺は男だ! お嬢さんじゃねえよ!」
相変わらずNPCであっても真が男であることが分からない。見た目だけで判断されている。思えばヴィルムも真を女性だと思っていた。
「おっと、それは失礼。あまりにも奇麗な顔をされているものですから、てっきり女性かと思ってしまいました」
アルラヒトは丁寧な所作で頭を下げた。まるで敵対行動を取って来ないアルラヒトに対して真は苛立ちさえも覚える。
「あ、あの……アルラヒト……さん」
恐る恐る美月が声をかけた。相手は魔人。敵であることには間違いないのだが、襲ってくるような気配がない。どう話しかけていいか分からず、取りあえず敬語になっている。
「なんでしょうか、可愛らしいお嬢さん」
あくまで友好的な態度でアルラヒトは返事をする。それが返って不気味でもある。
「えっと……。戦う意志がないのでしたら、ここを通してもらえませんか? 私達、どうしてもやらないといけないことがあるんです」
ここで無駄な会話を続けている意味はない。まだ時間があるにしても、浪費する必要性は皆無だ。
「そうですね。ここを通ってもらっても構いませんよ。私のことはお構いないく、どうぞお通りください」
「えッ!? 通してくれるの!?」
翼がびっくりして声を上げた。まさか敵である魔人アルラヒトがあっさりと通してくれるとは思っていなかったからだ。
「ええ、先に進んでください。嘘は申しておりません」
アルラヒトはそう言うと、道を開け、手を差し出してこの先に行くように促してくる。
「…………」
だが、誰も動こうとはしなかった。真も黙ってアルラヒトの方を見る。
「どうする? 通してくれるって言ってるけど……」
華凛が真に訊ねた。どう考えても罠だとしか思えない。相手は魔人だ。何を考えているのか分からない。
「どうするって……どうするよ?」
真も決めかねていた。相手の言うことをそのまま鵜呑みにしていいわけがない。罠であるという可能性が高い。だが、罠だとしたらあからさま過ぎる。こんな警戒されるような罠を仕掛けてくるのだろうか。
「…………」
真の問いに答えられる者はいなかった。誰もが沈黙して意見が出てくるのを待つのみ。直観で物事を言う翼ですら何も言ってこない。
「皆さまが慎重になられるのは当然のことかと思いますよ。ですが、どうしてもやらないといけないことがあるのではなかったのですか?」
どう動いていいのか分からないでいる真達にアルラヒトが声をかけてくる。
(アルラヒトはまたの名を“迷いの魔人”と名乗った……。言動で人を迷わせる魔人ってことなのか……? でも、それを自分から名乗るか……?)
真はアルラヒトを睨みながら考える。敵であることには違いないのだが、こちらに危害を加えようとはしてこない。もし、罠だったとしたら安直過ぎるということが余計に不可解にささせる。
「どうなさいますか? 今すぐ決めないと攻撃するなんて無粋な真似はいたしません。私は何時までも待っていますよ」
「…………」
アルラヒトはさらに言葉を続けた。だが、どうすればいいのか答えを出せない。真達は黙したまま固まってしまっている。
「そうそう、言い忘れていましたが、今ここにいる私は本体ではないのですよ。別の場所から動かしている分身でございます。皆さまが懐疑的になっているのは、私が戦う意志を見せないからですよね? それは、ご安心ください。私の本体と会いまみえるようなことがあれば、必ず戦いになりますので」
アルラヒトはそこまで言うと、糸を失った操り人形のように、その場で崩れた。よく見ると、帽子と服と仮面しかない。中身が丸々無くなっている。ここにいるのが分身で間違いないと証明しているのだろう。
「……先に進もう。こいつはただの分身。様子を見に来ただけにすぎない。あっさり通してくれるのも説明がつく」
真は戦闘態勢を解いて、先に進むことを提案した。
「そう……だね。先に進みましょう」
それに美月も追従する。他の3人も同様。真の決定に異を唱える者はいない。
とは言いつつも、床に落ちているアルラヒトの仮面や服の横を通る時は緊張感が走った。急に立体化して襲い掛かってくることも考えられたからだ。だが、その懸念は無駄に終わり、何事もなくあっさりと通してくれた。
「どうせ、この先に進んだらアルラヒトとは戦うことになるんだ。さっさと異界の扉を見つけよう」
アルラヒトが言っていたように、本体がどこかに待ち構えていて、異界の扉もそこにあるかもしれない。そうなれば戦闘を避けては通れない。この場で戦わなくてもいずれ戦うことになるのだ。
アルラヒトの分身を尻目に、真は庭園へと続く扉に手をかけた。玄関となる建物の先にある庭園は数人の庭師が毎日手入れをしている奇麗な庭園だ。花壇には真っ赤なバラの花が咲いており、初めて王城に来た時には目を奪われたものだ。
「あれ……?」
真が思わず声を上げた。玄関の先にある扉を開けると、そこには奇麗な庭園――はなく、まだ建物の中だった。長い廊下とその両脇にある扉の数々。王城の建物であることは内装から間違いないだろうが、庭園はどこにいったのか。
「庭園に出る……はずだよね?」
真の横から美月も疑問符を浮かべる。数回しか来たことのない王城だが、奇麗な庭園なので美月も強く印象に残っていた。玄関の建物を通れば、その先に庭園があるのは間違いようがない。
「うん……絶対に庭園があった場所だよ……」
翼も胡乱気な声を上げる。最近も王城に来たのだ。玄関、庭園、本殿と続く構造で間違いがないと言いきれるほど記憶に新しい。
「まさか――ッ!?」
何かに気が付いた真が振り返り、アルラヒトの分身を見る。さっきと変わらず、仮面と服だけが床に落ちている状態。だが――
「ふふふ、お気づきになられましたか?」
床に落ちたままの仮面から声が聞こえてきた。アルラヒトの声は面白そうに笑っている。
「迷いの魔人……そういうことか!」
真がアルラヒトの真意を理解して歯噛みした。戦闘という行為ではないにしろ、既に攻撃を受けていたということに気が付いた。
「そういうことです。私の二つ名、『迷いの魔人』とは、この能力のことを指しているんですよ」
「王城を迷路にしたってことか!?」
「ご名答。私が作った迷路。存分にお楽しみください」
「くそッ!」
真が毒づくも、アルラヒトは何も反応を示さなかった。分身としての役割はもう終わりなのだろう。これ以上何も言ってこない。
「ま、真さん……あ、あれ……」
青ざめた彩音がある場所を指さした。彩音は真とアルラヒトとの会話を聞いて、悪い予感がしていた。それを確かめるように送った目線の先で、悪い予感が的中していたことを知る。そして、真も彩音が言いたいことをすぐに理解し、顔を顰めた。
「ま、まじかよ……くそ……扉が……」
彩音が指した方、玄関の入口があった場所。いつの間にか、そこにあるはずの扉は無くなっており、外に出ることができなくなっていた。