狩場
1
グレイタル墓地が狩場として機能しなくなったことで、今まであまり注目されなかった狩場が注目されるようになった。その代表的な狩場がズール鉱山だ。かつては、集団で襲ってくる蝙蝠や毒を持った蛇、固いゴーレムがいる場所で、危険を伴うところであったが、グレイタル墓地の稼ぎで装備を整え、さらには今回のバージョンアップの一つである、ギルドに加入すると支援効果が受けれらるようになったことで、ギルドに所属する人が増えたことがズール鉱山への進出を進めていた。
ギルドに入ることが促進されたことで、今まで単独で行動していた人も、ギルド単位で行動するようになる。今まで以上に集団で動くようになり、より安全且つ効率的に狩りをすることができるようになっていく。
今はキスクの街周辺までしか開放されておらず、それより外に行こうとしても封鎖されていて、限られた狩場で稼がないといけないため、ズール鉱山以外にも、アースアントの巣やミドガ湿地帯等の前からある程度人が行っていた場所も当然のことながら人が流れてくるようになった。
だが、それでもギルドに加入していない人はいる。ギルドに加入しない人の理由はそれぞれで、一人の方がやりやすいという考えの人や、ギルドという形を取らなくても一緒に狩りをするパートナーがいる者、そもそもギルドというものが今一つ分かっていない者など様々であった。
そういう、ギルドに所属していない人が行く場所は、ズール鉱山やアースアントの巣等ではなく、現実世界の方であった。
現実世界にもモンスターは徘徊している。だが、現実世界を徘徊しているモンスターは大人しく、積極的に人を襲ってはこない。ほとんどが草食動物のような見た目の危険性の少ないモンスターであった。グレイタル墓地が危険地帯に変化した影響もあってか、安全に狩りをしたいと考える人が増えたのも事実だった。ただし、こういう危険の少ないモンスターを狩っても大して金にはならない。
そのため、数を狩る必要が出てくる。そうすると、一度狩りに出ると暫くは現実世界の方に滞在することになる。前から、現実世界の方を拠点にしていた人はいたが、今回のバージョンアップによって現実世界の方に拠点を置く人も増えていた。
そして、真と美月は現実世界の方で狩りをしていた。ズール鉱山に人が流れてきたことで真が籠っていた狩場に旨味が無くなったため、やむを得ず、ズール鉱山を捨てることにした。
他の狩場に行ってもよかったが、ズール鉱山と同じく、ギルド単位で動いている人が多くいるため、競争が激しくなっており、やはり稼ぎは不味い。それに長らくMMORPGをやっていた真のポリシーとして、高レベル者が低レベルの狩場を荒らすというのはあまりやりたくない。
そういう理由から真と美月は現実世界の方に狩りに来ていた。場所はキスクの街からは離れた場所にある商業ビルが多く建ち並ぶ区域。アスファルトで舗装された大きな道路を挟むようにして、大型の店舗がそびえ建っている。本来であれば、休日に多くの買い物客で賑わう場所であっただろうが、今は真と美月以外に人の姿は見えない。
この狩場は、現状で行くことのできる範囲内では端の方にある場所で、来るだけでもキスクの街から半日近くかかる。できるだけ人のいないところを狙うとこいういった街から離れた場所になってしまう。食料などの事前準備を万端に済ませておいてから出発し、しばらくの日数を現実世界の方で過ごすことにした。
今回のバージョンアップでグレイタル墓地の変更とギルド加入のメリット追加で狩場には様々な影響を及ぼす結果となった。だが、バージョンアップの内容は3つあり、最後の一つである新しく追加されたダンジョンというのがどこにあるのかはまだ誰も見つけていなかった。
2
現実世界に徘徊しているモンスターを狩り始めてから、二日目の昼。曇り空の下、真と美月は早めの昼食をバス停の椅子に座りながら食べていた。
「ねぇ、真。ちょっと聞きたいんだけど……」
美月が少し聞きづらそうな顔で真に話しかけてきた。手には食べかけのバケットサンドがある。
「うん? なんだ?」
「私……臭くない……?」
美月が神妙な面持ちで聞いてくる。
「へっ……?」
突然、女の子から『臭くない?』と聞かれても、真の引き出しの中に答えは入っていない。
「いや、あの、だからね、世界がこんなになってから、お風呂に入る機会って、すごく減ったから……。宿屋に泊まった時くらいしか、浴場使わないっていうか、でも、髪の毛とか全然ぐしゃぐしゃになってないし、ギルド……の人たちも風呂に入らなくても大丈夫な理由は分からないって言ってたし……」
美月は慌ててフォローするように説明をしだした。だが、ギルドという言葉には思うところがあり、そこで詰まっていた。
ゲーム化による浸食を受けてから身体の面でも変化はある。大きな変化の一つは体力。何時間も歩いたり、慣れない戦闘をしたとしても、体力の消耗は低かった。もう一つは入浴しなくても、汚れが溜まらない。宿屋に小さな浴場が付いてるところがあるので、気分的に入りたくて入るが、特に体を洗わないといけないということはなかった。
「たぶん、ゲームだからだ」
「ゲームだから?」
美月は真が言ったことの意味をまだ理解はしていない。
「ゲームの世界では、食事や睡眠を取る描写が結構描かれてるけど、入浴っていうのはあまりないんだよ。だから、ゲーム化の影響が風呂に入る必要がないっていうところにも出てるんだと思う」
回復アイテムとしての食料、宿屋に泊まっての睡眠。それらは特にRPGでは当たり前のように使われている。しかし、入浴となると、一部のイベントのみで、ゲームの中で恒常的に風呂に入るということはほぼない。
「そうなんだ」
あまりゲームをやらない美月としてはピンとくるものはなかったが、そういうものであると思うしかない。ただ、その話からすると、自分は臭くないということになるため、それで納得しておいても良かった。
「あ、ごめんね、食事中に」
「ああ、大丈夫だよ。臭いもしてないしな」
真が悪戯っぽく笑いながら、最後に残ったバケットサンドの欠片を口の中に放り込んだ。
「もう! それは分かったからいいのよ!」
臭いのことは自分から言い出したことだが、そこを真に揶揄われて、美月が少しむくれながら、バケットサンドの残りをかじる。
「よし、それじゃあ、そろそろ行くか」
「うん」
昼の休憩を終えて、真と美月が狩りを再開した。安全な現実世界での狩りであるため、攻撃が苦手なビショップである美月も狩りをすることができている。最初は真が傍について、危険だったらすぐに助けに入ろうと考えていたが、どうやらその必要もないようであった。
狩りを再開してから10分ほど、どんよりとした雲から、ポタポタと雨が降り始めた。
頭に冷たい雨の感触を感じて真が空を見上げると分厚い雲が空一面を覆いつくしていた。やがて、分厚い雲からはゴロゴロと雷の音まで聞こえ始めてきた。
「真、雨きつくなりそうだよ」
美月も手を目の上にかざしながら雨雲を見上げていた。
「そうだな……本降りになる前にどこかに入るか」
「そうだね。取りあえずあそこに入ろう」
美月が指を指す方向にはデパートがあった。ショウウィンドウには奇麗なピンク色の服を着たマネキンがすました顔で立っている。周りを飾るバラの花は造花だが、マネキンを引き立てるパーツとしての役割を果たしていた。
「あぁ」
真は美月の提案を受け入れて、デパートの中に入っていった。中にある商品に手を触れることはできないが、置いてある椅子になら座ることができるはずだ。雨が止むまでそこで待つことにした。
デパートの一階は婦人物のアクセサリーや化粧品が売られているフロア。真はそういう物にはまるで興味がないため、完全スルーだったが、美月はそうではない。煌めくアクセサリーや大人の化粧品に目をキラキラと輝かせていた。
真は手近な椅子に腰かけ、美月が嬉しそうにショウケースの中を覗いている姿を見ていた。商品は奇麗に並べられているのに、二人しかいないデパートというのも不思議な空間だった。
「ねえ、真ってさぁ、化粧してみたらどうかな?」
「はぁッ!?」
「ふふ、冗談よ、冗談」
驚いた顔をした真を見て美月がクスクスと笑っている。真としてはこの女顔は気に入らない。子供の頃から強い者への憧れがあったため、もっとがっちりとした姿の方が良かった。
「化粧なんて嫌だからな、勘弁してくれよ」
「分かってるわよ――ん?」
「どうした?」
美月が話の途中で何かに気が付いたように真の後方を見つめていた。その視線に気が付き真も後ろを振り返る。
「あれ、なんだろ?」
美月が真の後ろのさらに奥を指さした。その方向には地下の食料品売り場に続くエスカレーターがあるように見えたが、何かが違う。
真は椅子から立ち上がり、剣を抜いて美月が指さした方向へ歩いて行った。警戒しながら歩みを進めていくと、そこに現れたのは――
「鍾乳洞?」
デパートの地下へと続いているはずだったエスカレーターは階段の部分だけを残して、周りは天井からツララのように伸びたいくつもの石灰岩に覆われた鍾乳洞になっていた。