異変 Ⅳ
1
「『ライオンハート』……!? 『ライオンハート』だ!」
群衆の中から声が上がった。それは希望の籠った声だった。おそらくゴ・ダ砂漠の出身者なのだろう。ゴ・ダ砂漠は『ライオンハート』の出身地域でもある。
ゴ・ダ砂漠出身者にとって、『ライオンハート』はミッションの遂行や巨大モンスターの討伐を遂行してきた英雄だ。その『ライオンハート』が動いているということで心の支柱ができた。
「皆さん落ち着いてください! 出現した魔人は我々『ライオンハート』とその同盟で討伐しています。倒すことのできる敵です! 腕に覚えのある人は協力してください! それ以外の人は我々の誘導に従ってください!」
この場にいる6人の『ライオンハート』のメンバーの内、一人の女性が大声で呼びかける。奇麗に通る声は瞬く間に群衆の中を駆け抜けていった。
「『ライオンハート』が来てくれた!」
「よかった……。助かった……」
「大丈夫……? 大丈夫なのか……?」
センシアル王国領に各地域の人々が集まってからも『ライオンハート』の活躍は目覚ましく、名声を轟かせているとはいえ、ゴ・ダ砂漠出身者とそうでない者では多少感覚のズレはある。
「大丈夫です! 大丈夫ですから、我々『ライオンハート』の指示に従ってください! 繰り返します。我々『ライオンハート』の指示に従ってください!」
『ライオンハート』のメンバーの一人がさらに大きな声を上げた。殊更に『ライオンハート』の名前を連呼するのはヒーローがやって来たことを主張するためだろう。そのことで人々が希望を持ち、誘導しやすくなる。要は旗印の役割を果たしているということだ。
「わ、分かりました!」
「みんな、『ライオンハート』の指示に従って!」
「大丈夫! 『ライオンハート』が来てくれたから!」
ゴ・ダ砂漠出身者が率先して声を上げていく。恐怖から生まれた混乱という泥沼に差し込んだ一条の光。『ライオンハート』という名の光が次々と照らしていき、獣のような群衆を人に戻していく。
そうなれば早かった。腕に覚えのある者は名乗りを上げ、護衛に回る。ミッションでは裏方として『ライオンハート』に協力した経験がある人は誘導役をする。
無秩序に蠢いていた人の群れは、整備された流れへと姿を変える。
『フォーチュンキャット』のメンバーは、その手際の良さを感心しながら見ていた。そこに『ライオンハート』の6人のリーダーと思わしき男性と、先ほど声を上げた女性が真に近づいてきた。
「蒼井さん。お久しぶりです――っと言っても覚えてませんよね」
男性が真に声をかけてきた。歳は20歳代半ばくらいのスナイパー。爽やかな青年だ。少し苦笑いをしているが、基本的には友好的な態度で接してきている。
「えっと……。ごめん、誰だっけ……?」
リーダー格の青年が言うように、真は誰なのか分かっていなかった。完全に初対面だと思っていたが、どうやら一度会っているようだ。
「そうですよね……。あ、気になさらないでください。覚えてなくて当然ですから……。僕は坂下といいます。こちらの女性は篠原さん」
「篠原です。面と向かって会うのはこれが初めてなので、覚えていなくて当然のことです」
篠原と呼ばれた女性は、気にしなくていいと微笑んだ。魔法書を専用ホルダーに入れてを持っていることからサマナーだろう。この二人は同い年くらいに見える。どちらも好印象が持てる容姿と言動だ。
「あ、ど、どうも……」
実年齢で言えば、真と同じくらいなのだろうが、こういう社交的で絵に描いたような好青年というのは、日陰者の真には近寄り難い。
「僕達は『ライオンハート』の第二部隊に所属しています。ゼンヴェルド氷洞でのミッションの時には蒼井さんの後ろから同行させてもらっていました。だから、蒼井さんのことを知ってるんですが、蒼井さんは僕達のことを知らなくても当然ですよ」
坂下と名乗った男性が説明する。『ライオンハート』の第二部隊は、精鋭部隊である第一部隊に準ずる位置にいる部隊だ。危険を伴うミッションにも第一部隊と同行する。精鋭部隊から一歩下がった立ち位置だが、それでも実力は十分にある。パニックになった群衆を纏め上げた手腕も、『ライオンハート』の第二部隊ということであれば頷ける話だ。
「あっ! あの時の……」
真は合点がいったように声を上げた。そもそも『ライオンハート』というギルドは超巨大ギルドだ。戦闘に参加するメンバーだけでも相当な数がおり、それ以外にも情報収集や物資集め、寄付金集めなどの裏方が大勢いるため、『ライオンハート』側が真のことを知っていても、真は全く把握していないことが多い。
「ええ、あの時の蒼井さんは凄かったです。まさに鬼神の如くといったところ。他の方々も勇敢に戦っていたのを覚えています」
篠原が『フォーチュンキャット』への賛辞の言葉を贈る。
「いえ……私達は結局、大したことはできませんでしたし……」
美月が目を合わさずに返事をした。異次元の強さを持つ真は別として、戦闘能力に関していえば、ゼンヴェルド氷洞でのミッションの時には『ライオンハート』の第二部隊にも劣っていたと自覚している。そのため、あの時はほとんどお客様扱いだったのが悔しかった。
その後、イルミナの迷宮の攻略とアルター真教と戦いは美月達に大きな成長をもたらした。だからこそ、ゼンヴェルド氷洞のミッションの時に今だけの力があれば、もっと犠牲者を少なくできたのではないかと思ってしまう。
「お話したいことはいっぱいあるんですが、今はそれどこれではありません。蒼井さん、すぐに紫藤さんのところへ来ていただきたいのです」
坂下が話を切り替えた。真に接触してきた理由はこれだった。
「ああ、そうだろうと思ってた」
真としても予想していた通りのことだった。この状況で『ライオンハート』が真に近づいてくる理由は他にない。真も総志と合流したいと考えていたところだ。
「話が早くて助かります。紫藤さんは『トランクイル』にいます。今からそちらへ向かいます」
坂下の言う、『トランクイル』とは、総志がいつもいるカフェの名前だ。名前の通り静かな店で、総志が使っているということで『ライオンハート』の関係者以外はほとんど来ない。
「すみませんが、急ぎますので走ってください」
篠原はそう言うと、着いて来いとばかりに走り出した。真達も黙って従い走り出す。
2
カフェ『トランクイル』まで、少し距離がある。走っているとはいえ、到着までにはまだ時間がかかる。そこで、真は聞きそびれていた疑問を口にした。
「なあ、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんでしょうか?」
並走する坂下が訊き返す。
「あまりにも行動が早いっていうか……。『ライオンハート』はもう事態の収拾に動き出してるんだろ? どうやって安全な退路の確保とか、場所の確保とかできたんだ?」
「退路や避難場所の確保は全くできてませんよ」
「えッ!? いや、さっき、安全な場所に誘導するって言ってたんじゃないのか……?」
坂下の返答に真が驚きの声を上げた。しきりに『ライオンハート』の名前を連呼し、誘導に従うように呼びかけていたのは、他ならない坂下と篠原だ。それなのに、誘導する場所を確保できていないとはどういうことなのか。
「そもそも、今何が起きているのかということも正確に把握することができていません。魔人がどこにいるのかも、何体出てきたのかも分かりません。まだ、情報収集の段階です」
「え、いや、それおかしいですよね? 魔人の討伐に動いてるって言ってましたよね?」
堪らず口を開いたのは翼だった。美月も翼と同じように何か言いたそうな顔をしている。翼や美月だけでなく、他の3人も、『ライオンハート』が救助活動に来たものだと思っていた。
「あれは嘘です。僕達が受けた指示は、蒼井さんを紫藤さんのところに連れてくること。他のことは捨て置いてでも最優先で蒼井さんを紫藤さんと合流させろ。ということです」
ギルドにはギルドマスターだけが発信できるギルドメッセージがある。『ライオンハート』はバージョンアップがあれば、すぐさま総志がギルドメッセージで指示を飛ばすことになっているため、『ライオンハート』メンバーは全員、メッセージを確認している。複数ある指示の内の一つが、『蒼井真を見つけ出して連れて来る』という内容だった。
「どういうことですか……?」
平然と嘘であることを告げた坂下に対して、美月は不信感を抱いた。『ライオンハート』の第二部隊ということで無条件に信用していたが、それが揺らぎだした。
「僕達、第二部隊だけでなく、『ライオンハート』のメンバーの大半は蒼井さんを見つけるために動いています。そして、蒼井さんを見つけ次第、紫藤さんの元へ連れてくる。僕達は運よく蒼井さんを見つけることができましたが、紫藤さんの元へ連れて行くというところで問題があったんです」
「パニックを起こした人達か……」
淡々と告げる坂下に真が相槌を入れた。
「そうです。紫藤さんのいるカフェに連れて行こうにも進路が塞がれていました。そこで思いついたのが、『ライオンハート』が救助に来たという嘘です。嘘と言っても、ある程度情報が集まれば、救助活動のために動き出すので、完全に嘘というわけではないですけどね」
「それで、『ライオンハート』が助けに来たと信じた人を誘導して、道を開けさせた……ということですか?」
美月が睨むように坂下に言う。確かにパニック状態の群衆が道を塞いでいたのでは、総志の所に真を連れて行くと言うことは不可能に近いだろう。だからと言って、信じた人を裏切るような真似をしていいとは思えない。
「真田さんの言いたいことは分かりますよ……。ですが、今、最も優先すべきことは紫藤さんと蒼井さんを合流させることです。紫藤さんの下には『ライオンハート』の同盟が集めている情報が次々に入っていきます。その情報から蒼井さんにどう動いてもらうかが鍵なんです」
これは篠原が答えた。自分たちのやったことが褒められたものではないことくらい百も承知だ。それでも、この方法を選んだ。それだけ事態は窮迫しているということを理解しているから。
「そ、それでは、今、誘導をしている人達はどうなるんですか……?」
彩音が心配そうに訊いた。彩音も『ライオンハート』が動いているのであれば、安全だと思っていた。真が感じていた疑問は彩音も持っていたが、『ライオンハート』なら、これだけ迅速に動くこともできるのかもしれないと思っていた。だが、今聞いた話では全くそうではなかった。しかし、それは当然のこと。いくらなんでもこんなに早く動けるわけがない。
「危険であることには変わりありません。誘導する時に、『魔人を倒せる』と言いましたが、実際には戦っていませんので、魔人を倒せるかどうかも分かりません。ですから、第二部隊の4人だけでは心許ないので、腕に覚えのある人にも戦いを要請したということです」
続けて篠原が答えた。その声はどこか苦し気だった。篠原にしても坂下にしても、何の迷いもなく人々を騙したというわけではない。残した仲間は必死になって人々を守ろうとするだろう。魔人の強さを把握していない現状では、仲間を危険に晒す選択だ。心が痛まないわけがない。
「魔人はそんなに強くなかったよ。動きが気持ち悪いだけで、対応もできる。1体だけなら、慎重に戦えば第二部隊の4人でもなんとかなる相手だよ」
「あ、蒼井さんは、もう魔人を倒してたんですね……。流石というべきか……、その……凄いですね……」
真は大したことないように言っているが、坂下からしてみれば驚愕に値する。敵の強さもよく分かっていない状況で、よく戦おうと思えるなと。その強さだけでなく、度胸にも驚かされていた。
「いや、別に大したことじゃないよ――それより、大丈夫なのか? 紫藤さんは誘導のことを知らないだろ? 後で『ライオンハート』に対するハレーションが大きくなるんじゃないのか?」
真はそのあたりのことが気にかかった。総志の指示ではないにしろ、安全な場所への虚偽の誘導は『ライオンハート』としてやっている行動だ。もし、無暗に犠牲者が出たとしたら、『ライオンハート』への信用問題になる。今後、ゲーム化した世界を元に戻すにあたって、『ライオンハート』という旗印が揺らぐことは避けたいところだが。
「そのあたりは心配ありません。紫藤さんと葉霧さんが何とかしてくれます。あの人たちの見た目からは分からないと思いますが、かなり狡猾な人達ですよ。これから実際に救助活動に動き出すので、何とでも言い訳をすると思います」
坂下は若干自慢げに言った。坂下たちが救助活動をしているというのは嘘であるが、今後の予定として、救助活動に乗り出すことは坂下たちにも周知されている。想定されていない異常事態に多少の失敗があったとしても、最大限、救助にあたった『ライオンハート』を責めることできない。そういう計算が坂下にもあった。
(ライオンの権威に狐の狡猾さか……。こいつも大概だな……)
戦闘能力では第一部隊に劣るにしても、自己判断で必要な行動を取ることができる第二部隊の坂下他5名。真は改めて『ライオンハート』を構成するメンバーの優秀さに、呆れつつも感心した。




