噂
1
次の日は早朝から雲が多く広がっていたが、時折太陽が顔を見せる天気だった。今のところ雨が降りそうな気配はない。
真と美月はキスクの街の中央にある広場に来ていた。夜が明けてからそれ程時間が経っているわけではないためまだ人通りも少なく、広場の中央に立っている像の下に座っているのも真と美月の二人だけだった。
昨日は真と美月が同じ部屋に泊り、真が椅子に座ったまま、美月がベッドでそれぞれ寝ることになったのだが、二人とも一睡もできていない。
夜が明けてから、美月がベッドから立ち上がったところで、真が反応を示したため、そこで初めてお互いが寝ていないことに気が付いたのだ。そして、外の空気を吸いに行くことになり、こうして、街の中心の広場に来ている。
夜が明けたばかりで、靄が出ていて空気はまだ冷たいが、時折見せる日光が温かい。暫く二人はじっと石畳の街の風景を見ていた。
「ねぇ、真。私考えてたんだけどね」
美月が落ち着いた声で静かに話し始めた。
「うん」
「墓地で起こったことをみんなに知らせないといけないと思うの」
突然のバージョンアップでネクロマンサー ルーデルの行動が変わり、人をゾンビに変えるゾンビを召喚するようになった。美月の所属していたギルド『ストレングス』はそのせいで、美月一人を残して壊滅した。
「ああ、そうだな。グレイタル墓地は依然として人気の狩場だ。人が多すぎて他の狩場に行く人もいるが、それでも、まだ多くの人が行ってるからな。被害が広がる前に止めないといけないけど……」
真の言葉がそこで止まった。自分で話をしていて一つの疑問が浮かんだからだ。一体どうやってみんなにグレイタル墓地に行かないように止めるか。
「私、今日から墓地であったことを説明して回ろうと思うの」
美月がじっと前を向いて声を出した。
「……大丈夫なのか?」
墓地であったことを話すということは、仲間を失った惨劇を自らの口で話すということ。深く傷ついた傷口を自分の手で抉ることになる。
「ストレングスはね、みんな良い人ばかりだったんだ……。私があまり上手く稼ぐことができてない時に、サブマスターの由紀さんが声をかけてくれてね、回復役が必要だから来てくれって言われたの。グレイタル墓地が苦手だった私に他のみんなも付き合ってくれて、アースアントの巣に行ってくれたりしてね……。でも、虫も苦手だったんだけど……。近いうちに私が、墓地を克服して一緒に行こうって話をしてたの……バージョンアップがあった日も声をかけられてたんだけど、やっぱりまだ苦手で……」
真は黙って美月の話を聞いていた。そのまま美月は話を続ける。
「私はギルドのみんなに助けられてた……。だから、私もみんなの役に立ちたいって思ってた……。でも、結局できなかった。みんなを助ける力が私にはなかった……。だから、守れなかったみんなのためにも私がこれ以上の犠牲者を出さないようにしないといけないの」
美月は自分にできることをやろうとしている。それで、犠牲者を出すことが止められるかどうかは分からない。
「分かった。俺も手伝う」
バージョンアップでどういうことが起きているのかを知っているのは真と美月だけだ。美月だけでは犠牲を止めることは難しい。昨日あったことを説明して回る人間が一人から二人になったところでどれほどの変わるのかと言われれば、大して変わらないのかもしれないが、他にやれることは思いつかない。
「ありがとう。真ならそう言ってくれると思ってた」
「べ、別にそんな、あれじゃないよ……」
「そうね、でも、ありがとう。私はキスクの街を説明して回ろうと思うの。特に行方が分からなくなっている人のいるギルドに説明をして、この話を広めてもらいたいと思ってる」
「俺は、そうだな……グレイタル墓地に張り付いてみるよ。来た人に注意を促す。特に異臭がしたら絶対に退き返せって」
「あの異臭はやっぱり、ゾンビになった人達から……」
「ああ、それで間違いないよ。見た目は人だから、警告のために臭いが出るようになるんだろう……そういうバージョンアップだ……」
どれだけ人を虚仮にしているのだろうか。人の命で遊んでいるとしか思えないような悪質な改悪。それをみんなに知らせないといけない。だが、キスクの街の中だけでもかなりの人がいる。それに、キスクの街に滞在せずに、現実世界の建物の中を生活の拠点にしている人もいる。そういう人は大体、ホテルのロビーやファミレス等の飲食店のソファーを寝床にしていることが多い。コンビニや雑貨屋の商品とは違い、そういう物には触れることができていたため、拠点になっていた。正直言って、これで犠牲者が出なくなるとは到底思えなかった。
「……私、頑張るから」
真から見ても美月は無理をしていると分かる。一夜で仲間を失った傷が癒えるまでにはまだまだ時間を要するだろう。それでも、何かしていないと負けそうになるという思いが真にも伝わってきている。それが分かっているから真は美月を止めることはできなかった。無理をしていることが分かっていても。
2
それから、真と美月はそれぞれに分かれて事情の説明に奔走した。キスクの街にいる人で話を聞いてくれる人はそれなりにいた。姿を見なくなった人がいるギルドの人は特に話を聞いてくれた。正吾の知り合いだった人がグレイタル墓地の話を広めることにも協力をしてくれた。ただ、やはり、話を聞いてくれない人もいる。稼ぎの美味いグレイタル墓地での競争を減らしたいだけだと言ってくる人もいた。美月はそれでも手当たり次第に声をかけて、説明を聞いてもらおうと必死に行動した。
グレイタル墓地で注意を促す真はさらに酷い状況だった。ほとんど誰も話を聞いてくれない。異臭の元であるゾンビ化した人達は昨日の夜に真がすべて倒したため、証拠となる異臭はまるでしない。それで信じろというのも無理があり、しかも、グレイタル墓地の正面の入口は一つだが、崩れた壁の間から入れるところがいくつもあり、無駄に広い墓地を真一人でカバーすることは実質不可能であった。
真も美月も一日中駆け回ったが、それでも永遠に駆け回り続けることはできない。どこかで休憩をしないと身が持たない。夜になったころには真も美月も一旦キスクの街にある宿に戻ってきた。そして、次の日も同じことを繰り返す。
結果として、新たな犠牲者は出た。ネクロマンサー ルーデルが再度現れ、召喚した青いゾンビに噛まれて人がゾンビ化した。だが、前と違うのは事前に情報が入っていたということ。信じていなかったが、注意を受けていた人が事実を目の当たりにして、一目散に逃げてきたのだ。
そこからは話が広まるのが早かった。生きて帰ってきた人が話をし、実際にグレイタル墓地で異臭がするようになったため、瞬く間にグレイタル墓地に行くと人がゾンビになるという噂が広まった。
真はゾンビ化した人を倒しに行こうかとも思ったがそれは止めておいた。安息の眠りにつかせてやることがせめてもの救いだということは理解しているが、倒してしまうと異臭が消える。異臭が消えると墓地の噂を嘘だと思う人がまた犠牲になる。人なのかモンスターなのかを判別するために、ゾンビ化した人が放つようになる異臭。それが新たな犠牲者を出さないための警笛となった。