遺骸の行方 Ⅱ
サーラム寺院は、かつてアルター教徒の修行の場としても使われていた。その場所は、タードカハルの街から歩いて半日以上かかる距離にある。
岩砂漠の真ん中にあり、隣国との国境から一番近い寺院でもあった。そのため、寺院の守備は薄く、隣国から侵攻された際に陥落されたとしも仕方のないこととして、責めを受けるものではない。
それでも、アルター教徒としては、信仰の拠点となる寺院を異教徒に落とされたという事実は受け入れがたいものだ。
世界の浄化を目的とした教義の中で、異教徒の手により、浄化の拠点を落とされたという穢れ。それは浄罪の聖人と呼ばれる英雄がこの世に現れる前の出来事なのだが、サーラム寺院を守り切れなかった当時の人達をアルター教徒は汚点として見ている。
特に強さを追求するアルター真教からすれば、当時からアルター真教派が存在していれば、サーラム寺院を守りきれたという思いが強い。
「そういうわけですから、アルター真教派がサーラム寺院に浄罪の聖人の遺骸を運び込むなんてことはあり得ないんですよ。力こそが至高と考える集団が、負けた場所に拠点を構えるはずがないんです」
未だに納得いかないという様子のナジが、その理屈を説明している。
真達一行は炎天下の中、延々と続く岩砂漠を歩いていた。真がサーラム寺院へ行くと判断したため、さっそく、翌日の早朝からサーラム寺院へ向けて出発したのだ。
タードカハルの街を出発してからまだ2時間も経過していない。岩砂漠でも陽が昇り始めたばかりの早い時間帯は比較的涼しいのだが、それも陽が昇ると同時にみるみる内に気温を上げていき、すでに猛暑と言っていいほどの暑さになっている。
「ナジ、いい加減にしろ! アオイマコト殿が決定したことなのだぞ! その決定に異を唱えると言うのか? それに、他国に落とされた寺院だからこそ、今度はアルター真教の手で守り抜いて見せるという意気込みがあるやもしれないだろ!」
慣れた様子で岩砂漠を歩くサリカがナジへと一喝する。ナジとサリカは先頭を歩いて、サーラム人への案内をしてくれている。
「いや、僕は決してアオイマコト様の決定が間違っているとは――すみません、出過ぎた真似をしました……」
ナジが振り返り、すぐ後ろを歩いている真に頭を下げる。
「あ、いや、いいんだ……。そんなに重く考えてなくて大丈夫だから……」
真は気まずそうに返事をする。最初からナジとサリカの従者という立場はやりにくかったのだが、それに輪をかけて、昨日の出来事が尾を引いている。
ナジの好みのタイプが真だったとうこと。それが、余計に気まずさを助長していた。真が男性であることが分かったから、ナジは身を引いているのだが、もしダウードのような趣味の人間だったらと考えるとゾッとする。
「そうですよ。ナジさんにはナジさんの考えがあって言ってるんですから。真の意見に反対したって問題ないですよ。ね、彩音もそう思うでしょ?」
翼がフォローを入れると同時に、唐突に彩音に話題を振った。
「えっ!? な、なんで私に訊くの?」
何の前触れもなく、突然やってきた翼の振りに、彩音が困惑の色を見せる。
「だって、昨日あんなにナジさんのことをフォローしてたじゃないのよ」
「ブっ――あ、あれは、あ、あれはそういうことじゃなくて――あ、えっと、そういうことってどういうことなのかって、分からないけど――」
彩音は取り乱しながらもなんとか言葉を出そうとするが、全然上手くいかない。むしろ、何を言っているのか分からない状態に陥っていく。
「どういうことって――彩音が言ってたんじゃない。ナジさんが真のことを好みの女性だと思ってたことは、別におかしいことじゃないってさ。それって、事実としては間違っていたとしても、どういう風に思うかは個人の自由なんだから、考え自体は否定しないっていうことでしょ?」
(凄い解釈の仕方してるな、こいつ……)
呆れつつも感心したように真が翼の方を見ていた。腐女子の意味を全く理解していない翼からすれば、そういう解釈にもなるのだろうが、彩音はそんな高尚な考えで物を言ったのではない。
「えっ? ええー!?」
彩音も翼がそんな解釈の仕方をしているとは露とも知らない。翼との付き合いが長い彩音でも、椎名翼という少女の思考回路は、時として全く予想のつかない方向へと飛んで行っていることがある。
「だからさ、彩音が昨日言ってたのって、思ってることがあるなら、間違っていてもいいから、言っていいっていうことだったんでしょ? 私、そういう考え方好きよ」
翼は突き抜ける青空のような顔で彩音に微笑む。
「そっかぁ、彩音ってもっと人に合わせるタイプだと思ってたけど、そういう考え方になってきたんだね」
美月も共感したような声を上げている。消極的だった彩音も、人の意見を受け入れ、そして、自分も意見を言うようになってきたのだろう。今まで彩音も頑張ってきたのだ。変われるということは、成長しているということ。美月も昔よりも変わることができたと思っていたが、もっと頑張らないといけないと思った。
(お前まで乗っからなくていいぞ、美月……)
事実を知る真としては、美月の解釈も間違っていることは火を見るよりも明らかなのだが、ここは黙って見守ることにした。余計なことを言わない方が上手くいくことだって世の中には多々あることだ。
「確かに、彩音が自分の考え方を主張するのって珍しいわよね」
華凛も彩音の考え方が良いと思っていた。それは、華凛自身が空気を読めないことや、人の気持ちを理解せずに言葉を言ってしまうことがある。そのことで、周りから嫌な目で見られてきた経験があるのだが、間違っていてもいいから、自分の思っていることを言っていいという考え方は華凛にとって救いでもあった。
「あ、そういうことだったんだ! だから、真が『むっつり婦女子』って言った時に彩音は否定してたんだね!」
何か合点がいったというような表情で美月が彩音の方を見た。
「えっ!? 何が……? た、確かに……私は、ふ、腐女子なんて言葉全然――」
美月が何に気が付いたのか。彩音にはさっぱり分からない。ただ、言えることは、『腐女子』の案件を蒸し返してほしくないということ。
「そこは、もっと怒ってもいいところなんだよ彩音! 自分の意見を言わない、むっつりとした女子が意見を言ったって真が揶揄ったんだからさ! 彩音だってちゃんと自分の意見を持ってるんだから、否定して当然のことだよ!」
力の籠った美月の目が彩音を見る。彩音にとってその視線がどれだけ痛かったか。それは本人にしか分からない。
「えっ……!? あ、ああ……。そ、そうなんですよ! だから、私はそんな『むっつり婦女子』なんて知りませんって……」
だが、彩音はその言葉に乗っかった。自分の持っていた邪な思いを、ここまで曲解された上に美化された。純粋な美月の心に対する罪悪感よりも、『腐女子』ということを隠せるならば、甘んじてその罪を犯そうと思ったのだ。
(あっさりと乗っかりやがった……)
赤黒い髪をかき上げて真が嘆息する。素直に自分の思っていることを言っていいんだ、という考え方がすばらしいと称賛されている中、当の彩音自身が思っていることを隠しているのは如何なものか。
真が彩音の方を見てみると、なんとも形容しがたい目をしている。
(……って、この流れ、俺にとっては不味くないか?)
そこで、ふと真が気が付いた。真が言った『むっつり腐女子』の意味を完全に誤解されてしまっている。真が彩音を揶揄ったというのは事実だが、彩音があまりにも有利な立場に行ってしまった。そうなると、当然――
「真! 彩音がこうしてしっかりと、自分の意見を言うようになったのに、なんで揶揄うのよ!」
翼が真に突っかかってくる。翼は直球の性格だ。曲がったことは大嫌い。彩音が間違っていても思っていることを言っていいとナジを応援したのに、それを揶揄った真に怒りを覚えていた。
「あっ……」
矛先が真に向いたことで、彩音も事態を把握する。自分の趣味趣向を隠すために、真が矢面に立たされたということを。だが、何も言えない。
「真、ここは、ちゃんと彩音に謝って!」
美月が真剣な目で真を見る。
「エェー……。なんで俺が……、いや、まあ確かに揶揄ったっていうか、なんというか……」
真が彩音の方へと目を向けると、何度も小さく頭を下げて、何かを頼み込んでいる様が見える。彩音としては、ここで真に『腐女子』についての説明をされたら全てが終わってしまうのだ。あまり目立って動けないながら、必死でそのことを言わないでほしいと懇願していることは伝わってくる。
(くっそ~、結局俺が貧乏くじを引かされるのかよ……)
彩音一人が助かることに納得がいかないところがあるものの、仲間のことを考えると、真は黙っている他ない。
それに、美月と翼が真を見る目が厳しい。華凛は直接真を睨むことはできないでいるが、思いは似たようなものなのだろう。
「ぐっ……。あ、彩音……。昨日は……、その……、揶揄って悪かった……」
悔しい思いをしながらも真は彩音に謝罪する。
「い、いいんです! もう、いいんです! 私は何も気にしてませんから! だから、皆さんもこのことは一刻も早く忘れてください! 昨日話したことは無かったことにしてください! 昨日はサーラム寺院へ行くことしか話をしてません! いいですね?」
彩音が早口でまくし立てる。彩音にとって一番都合が良いことは、昨日の話が無かったことになること。自分が犯した失態で真に揶揄われたという事実を無に帰することだ。
「彩音がそう言うなら、私はそれでいいよ」
真が謝ったことと、彩音が気にしないことに翼は満足げな笑みを浮かべている。
「そうだね。私もそれでいい。真もちゃんと謝って偉いね」
美月が優しい笑顔を真に向ける。
「あ、ああ……」
そんな美月の笑顔に、真は何とも言えない顔を浮かべた。美月はそれを照れていると思ったようで、クスクスと笑う。
「さあ、気を取り直して、サーラム寺院へと向かいましょう!」
暑さは既に陽炎が見えるほどになっている。それでも、翼は元気よく声を上げる。それに対して、美月もしっかりと返事をし、華凛も首肯する。
真と彩音は複雑な思いがあるにせよ、『フォーチュンキャット』の団結が高まり、ミッションに対する士気も上がったことは確かだった。だから、これはこれで良しとするしかない。
「良い仲間ですね」
一連のやり取りを見ていたサリカが、真に微笑んだ。
「ああ、そうだな……」
何も分かっていないサリカと、うだるような暑さに辟易としながら、真は赤黒い髪をかき上げ、嘆息した。