遺骸の行方 Ⅰ
荒野の街を焦がす西日が、風に漂う砂埃を照らす。
多少の起伏はあるものの、タードカハルには高い山がない。差し込む西日は沈むまで容赦なく照り付け、風が運んでくる砂埃はどこから来たのかさえ分からない。
タードカハルの人々は直射日光と砂埃の中で生活している。だから、服装は光を反射する白地の服になり、口元を服と一体化したネックウォーマーで覆う。
「これからどうすればいいのか……」
サリカがネックウォーマーを下げ、口を開いた。
真達はアルター真教の修練場から、拠点として使っているタードカハルの安宿に戻ってきていた。激しい戦闘の後で、真昼の岩砂漠を歩き続けてきたこともあり、全員が備え付けのベッドに腰かけて、疲れた表情を見せている。
必要最小限の家具しか置いていない部屋なのだが、炎天下の下でないということだけで、オアシスにいるような気分になってくる。
「修練場以外に浄罪の聖人が運ばれてそうな場所はないのか?」
傾いた陽射しが真の顔に当たる。眩しそうに顔を顰めて、横に移動しながら真が尋ねた。
「考えられる場所は……。まさか、街中の寺院に運び込むとも思えませんし……」
真の質問にサリカが頭を抱える。アルター真教の寺院は少ないながらも、タードカハルの中にある。ただ、そんな分かりやすい場所に、奪い取った聖遺物を運び込むとは思えない。
「でも、他に運び込まれる場所に心当たりはないんでしょ?」
言いあぐねているサリカに対して、翼が口を開いた。
「ええ、まぁ……、そうなんですが……」
「それなら、行ってみるしかないじゃない?」
「……それは……」
翼の言っていることは間違ってはいない。だが、サリカは同意しかねるという様子。サリカ自身は街中の寺院に浄罪の聖人の遺骸が運び込まれたとはどうしても思えないでいるのだ。
「罠が張ってあるとしか思えません。修練場ですら読まれていたのですから、街中の寺院は絶対に待ち伏せされています」
サリカが答えないため、ナジが代わりに返答した。
「灯台下暗しっていう言葉もあるじゃないのよ」
翼が食い下がってきた。確かめてもいないのに結論を出すのは早すぎるのではないかというのが、翼の考えだ。
「翼、それは止めておいた方がいい」
しばらく考えていた真が翼を止めた。
「どうしてよ?」
「真教は一時的に浄罪の聖人を隠してるわけじゃないんだ。これからずっと浄罪の聖人を真教が持っていようと考えている。でないと、センシアル王国側に浄罪の聖人が渡った時点で、人質として真教解体の材料にされるからな。だから、いつバレるかもしれない、センシアルの属国の街中に隠しおくなんてリスクは避けると思う」
理屈としては言った通りなのだが、真はもう一つ、タードカハルの街中の寺院に浄罪の聖人が運び込めれていないと思う理由があった。
それは、NPCが否定しているということ。ミッションの案内役であるNPCがそこにはないと言っているのだから、そこにはないのだ。そうでないと、ゲームの進行に支障が出る。
ナジとサリカのどちらかが、『ある』と言うのであれば、行ってみる価値はあるのだが、二人とも否定している。
「手詰まり……とは言いたくないですが……」
ナジはそこまで言うが、後が続かない。どこに運ばれたのかという候補すら上がって来ない。
「本当に他にないんですか? 修練場と街の寺院だけしか候補がないっていうのは少なすぎませんか?」
俯いているナジに美月が問いかける。浄罪の聖人の遺骸がどこに運ばれたか見当もつかないのでは、これからどうすればいいのか分からない。
単にセンシアル王国とアルター真教のいざこざであるなら、構いはしないのだが、これはミッションだ。世界を元に戻すという目的のためには、こんないざこざでも解決せざるを得ない。
「そもそも、アルター真教は規模が小さいので、使っている寺院などの施設も非常に少ないのです……。普段の修行も修練場ではなく、荒野の中で行うことが多いのです……。ですから、荒野のどこかに隠されたりでもしたら、見つけようがありません……」
美月とは目を合わさずナジが答える。
「荒野のどこか……。荒野の……!? それだ! ナジ、それだ! 荒野だ!」
パァッと顔を明るくしたサリカが立ち上がり声を上げる。
「サリカ……。あなたは何を言っているのですか? 荒野に隠されたら見つけようがないっていう話をしているのですよ? それとも、何ですか。荒野を虱潰しに調べていくとでも言うのですか? それこそ無謀ですよ。見つけられないようにカモフラージュされてたら、絶対に見過ごしますよ。それに、荒野に浄罪の聖人が運ばれている確証もありません」
ナジが不信気にサリカを見る。広大な荒野の中を調べるなど正気の沙汰とは思えない。
「確かに、浄罪の聖人が荒野に運ばれたという情報はない。それに、虱潰しに探せるような場所でもない。だが、候補はあるんだ! そこに賭けてみる価値ある!」
拳を握り、サリカが力説する。
「何を馬鹿なことを……。荒野の中にある唯一の候補が修練場なのですよ? それが、罠だったんです。他に候補になるような場所なんてあるはずが――」
「サーラム寺院」
ナジの言葉を遮ってサリカが言う。サリカの目は一筋の光明を見出していた。
「はっ、何を言いだすかと思えば、サーラム寺院ですか。それこそあり得ないでしょう。あんなところに浄罪の聖人を運ぶなんて」
サリカの意見を聞いたナジが鼻で笑った。くだらないとばかりに両手でジェスチャーを加える。
「荒野を虱潰しにするよりはよっぽど現実的だ! 浄罪の聖人が運び込まれている可能性だって否定できないぞ! 絶対にないとは言い切れないはずだ!」
鼻で笑われたことにサリカが少し腹を立てて、声を荒げる。
「サリカ、そのサーラム寺院っていうのは?」
サリカの意見に興味を示したのは真だった。手がかりがない状態で、少しでも可能性があるところなら、その情報は突破口になるかもしれない。
「荒野の真ん中にある、かつて、アルター教の寺院だった場所です」
「アルター教の寺院だった?」
過去形で言うサリカに、真が訊き返す。『だった』ということは今は違うということだ。
「ええ……。寺院だった場所です……。タードカハルの歴史は侵略に対する防衛の歴史です。これまで他国からの侵略を防いできたからこそ、今の国があるのですが、全ての侵略を防いできたわけではありません……」
「それじゃあ、サーラム寺院っていうのは……」
「過去に他国からの侵略により破壊された寺院です……。場所が街から離れていたせいもありますが、守り切ることができなかった寺院……。私達にとって汚点ともいうべき場所なのです……」
伏し目がちにサリカが答えた。言いたくない自分たちの歴史。その一ページにサーラム寺院が破壊されたという苦い史実があるのだ。
「だから、そんな場所に浄罪の聖人が運ばれるなんてありえないでしょう! 浄罪の聖人は侵略者からの勝利の象徴ですよ! その勝利の象徴を、侵略によって壊された寺院の跡に移すはずがないでしょう!」
サリカの説明にナジが声を荒げながら加わった。浄罪の聖人は、かつてタードカハルが他国からの侵略で危機的状態に陥った際に、その窮地を救った英雄だ。タードカハルを勝利に導いた英雄の遺骸を、敗北の歴史である場所に移すなど考えられるものではなかった。
「そのサーラム寺院っていうのは、まだ使えるんですか? 話を聞いている限りだと、破壊されてしまっているんですよね?」
彩音が疑問に思ったことを口にする。ナジがサーラム寺院に浄罪の聖人があることを否定している理由は、歴史的なことと思想的なことによる。だが、それが物理的に運び込めないという理由にはならない。ただ、完全に破壊されて、跡形もないような状態であるのなら、大切な浄罪の聖人の遺骸を運ぶ可能性はないだろう。そこのところはどうなのか。
「サーラム寺院は辛うじて原型を留めています。先ほどは破壊されたと言いましたが、石材で作られているおかげで、実際のところは半壊で済んでいます」
サリカが質問に答える。タードカハルは木材に乏しい地域だ。だから、建物は必然的に石材を使うことになる。組み立てることが大変なのだが、容易に壊すことができない。火を放たれても燃え残る。それが幸いして、サーラム寺院は原型を残している。
「だったら、決まりだな。サーラム寺院へ行こう」
サリカの答えを聞き、真が決断を下した。ナジは否定しているが、サリカは可能性があると言っている。NPCのどちらかが、行先を示しているのであれば、行ってみる価値は十分にある。
「ま、待ってください、アオイマコト様! 僕の考えでは――」
「くどいぞナジ! アオイマコト殿が行くと仰っているのだ。私達はそれに従うまでだ! それに、ナジ。ここでアオイマコト殿に良いところを見せておかないと、修練場に案内した失態は拭いきれないぞ!」
サリカがビシッと言い放つ。ナジとサリカはあくまで真達の従者として行動を共にしているのだ。主人である真が行くと言うのであれば、それに従うまでのこと。
「なっ!? 別に僕はアオイマコト様に良いところを見せようとは思っていない!」
「ん? そうなのか? アオイマコト殿のことを奇麗だと言っていたのはナジだろう? ああ、そう言えば、アオイマコト殿は男性であったな。すまん、すまん。忘れていた。好みの人が女性でなくて残念だったなナジ」
ニタリと笑いながらサリカが言葉を並べる。いつになく饒舌なのは、先ほどナジに意見を全否定されたことに対する意趣返しのようにも見える。
「なっ!? 何を言い出すんだサリカァッ!」
ナジが恨めしそうにサリカを睨み付ける。だが、サリカはその目を見て満足そうに笑うだけ。
「まぁ、アオイマコト殿は実際に奇麗な顔をしているのだ。女性と間違えても仕方のないことだろうさ」
「それを言うなら、サリカだってアオイマコト様のことを女性だと思っていたでしょう!」
「そうだな。私もアオイマコト殿のことを女性だと思っていたさ。女性である私の目から見ても美しいと思える顔立ちをされているのだ。ナジの目にもさぞ美しく映っただろうな」
「くっ……もういい。止めてくれ……。死にたくなる……」
ナジが両手で顔を覆い、沈み込む。真が男性だったことに対するショックは大きかったが、それをここで暴露されるとは思ってもいなかった。
「ナジさん! そんなこと気にしなくても良いですよ! 真さんの性別は男ですが、そういうことだってあるんですから、変なことではないですよ!」
歯を食いしばっているナジに彩音が声をかけた。いつになく早口になっているのはどういうことだろうか。興奮気味と言ってもいい状態だった。
「ヤガミアヤネ様……。同情は結構です……。このことは忘れるように努力します……」
「忘れないといけないようなことじゃないですよ! たまたま真さんが男だったっていうだけなんですから!」
彩音はかぶりを振りながらナジを励ました。ナジは何も可笑しなことはしていない。笑われるようなことを言っていないのだと、力を込めて言う。
「おい、むっつり腐女子。何を期待してるんだ?」
真が半眼になって彩音を見る。
「だ、誰がむっつり腐女子ですかッ!?」
ハッと我に返った彩音が顔を真っ赤にして、真の言葉を否定した。ついつい夢中になってしまい、周りに仲間がいることを失念してしまっていたのだ。
「むっつり婦女子?」
聞きなれない言葉に翼が疑問符を浮かべている。『むっつり』の意味は知っているが、『婦女子』とどう繋がるのかが分からない。そのままの意味で考えるなら、『口数が少ない女性』という意味。彩音がここまで顔を赤くして否定するようなことでもない。
「翼ちゃんは興味を持たなくてもいいから!」
「彩音、腐女子の意味は分かってるんだな?」
赤黒い髪をかき上げながら真が嘆息する。彩音は必死で抵抗しているが、そっち方面に興味があることは一目瞭然。だから、腐女子の椿姫からも同志として認定されているのだ。
「エッ!? あっ、し、知りません! 腐女子なんて知りませんから!」
「婦女子っていう言葉くらい知ってるでしょ?」
「華凛さんは黙っていてください!」
意味を分かっていない華凛に対しても、彩音は声を張り上げた。何とか言い訳をしたいのだが、思い浮かばない。もう力尽くで止めるしかなかった。
「まあまあ、婦女子のことはこれくらいにしておきましょうよ。それより、サーラム寺院に行くことを話合わないとね」
当然、美月も腐女子のことは知らない。だから、何故彩音がここまで必死になっているのか分からないのだが、普段見せないような、彩音の慌てぶりに気圧されて、話題を変えた方がいいだろうと判断した。それに、今は本当にサーラム寺院のことを話さないといけないのだ。
「そ、そうです! そうですよ! サーラム寺院! 今はこれが最優先です!」
そして、美月が出した助け舟に彩音が飛び乗った。