修練場 Ⅲ
聞き覚えの無い声にハッとなり、真達が声が聞こえてきた方へと意識を向けた。目線の先には一人の小柄な男がいた。アルター教の物と思われる法衣にターバン。腰にはシャムシールを下げている。
眉は薄く、三白眼。ほっそりとした小柄な男だが、顔つきが悪いため、体形以上の圧迫感を持っている。年齢は40歳~50歳といったとろこか。
小柄な男がやってきたのは、正面の祭壇に向かって右奥の方。柱の陰に隠れて見えにくいが、小さな扉が開いている。おそらく祭壇の裏に続く扉なのだろう。
「性懲りもなく、また浄罪の聖人を盗みに来たか!」
しわがれた声には怒気が含まれていた。無駄のない歩行は一切の音を立てずに、祭壇の前へと進んでいく。
「ダウード……。どうして、ここに……?」
サリカが驚愕に震えていた。目を見開き、額から汗が流れ、身体は硬直している。
「知れたことよ。浅はかな貴様らの行動などガドル様は全てお見通しだ! ここに浄罪の聖人が運ばれると考えて来たのだろう?」
ダウードと呼ばれた男は真達を見下すように言ってきた。ニタリとした嫌味な笑みを浮かべている。
「よ、読まれていたのか……!?」
ナジの声も震えていた。サリカと同様に体が強張り、目の前の相手から視線を外すことができない。
「その通りだ。だから、ガドル様は私をこの場所に遣わしたのだ!」
「ということは、ここに浄罪の聖人の遺骸は運ばれてきていないということですね……?」
ナジの声にはまだ緊張が含まれいてた。当たり前のことを聞くだけでも、警戒をしていることが真達にも伝わってくる。
「当然だ。私は貴様らを待ち伏せするために、ここに来ただけだ。浄罪の聖人は別の場所に運ばれている。ただ、ガドル様からは、貴様らを生き証人として使えと言わているのでな。このまま大人しく引き下がるのであれば、命だけは助けてやる。ただし、女は置いて行け。我らアルター真教に対する忠誠の証としてな!」
「くっ……!?」
サリカが剣に手を伸ばそうとしたまま固まっていた。ここで剣を抜いていいのかどうか迷っているのだ。剣を抜けば戦いになる。だが、抜かなければ、サリカを含めた女たちはアルター真教の慰み者になる。
「別にお前に助けてもらう命なんてねえよ!」
真はそう言うと、一歩前に踏み出して大剣を構えた。ナジとサリカがここまでダウードという男を警戒しているのは、この男が相当な手練れだからだろう。だが、真にはそんなこと関係ない。戦闘技術で負けているかもしれないが、力では真が圧倒的なのだ。
「アオイマコト様、待ってください! 相手はダウード上僧です!」
ナジが慌てて真を止めに入った。ナジにしては珍しく焦りの色が濃く見える。
「知らねえよ、そんなこと!」
相手がダウード上僧だと言われても、真はその名前を今さっき聞いたところだ。身に纏っている法衣はたしかに、高位の僧が着るような物に見えるが、どんな奴なのか知っているわけがない。
「ダウードはアルター真教の上僧です! 過酷な修行を生き抜いてきた真教の中でも、さらに熾烈な試練を潜り抜けた猛者が上僧です。ダウードはその中でもガドルに次ぐ実力を持った人物! ガドルの右腕と言われるほどの強さを持っているのです!」
ナジが必死に真に訴えかけてくる。それでも、真は大剣を仕舞うことなく言い放つ。
「だから知らねえって言ってるだろ!」
真はそのままダウードを睨み付けた。このまま引き下がれば、ミッションが進まないだけではない。ダウードは美月達も渡せと言ってきているのだ。そんなこと絶対に許すわけにはいかない。
「落ち着いて下さ――」
「ナジさん、私達は戦います! あんな奴に私達を好きにさせるなんて我慢できません!」
ナジの言葉を遮ったのは美月だった。前に出て、真の横に並ぶ。
「いや、しかし、相手は――」
「私達は最初から戦う準備ができてるんですよ! ナジさんが止めて私達はやりますよ!」
今度は翼が前に出てきた。弓矢を構えて、ダウードの方を真っ直ぐ見据える。
「あのオヤジきもいんだけど……」
ゴミを見るような目をしているのは華凛だ。真のすぐ後ろに隠れるようにしている。
「私も、あの人には黙っていられませんので!」
彩音もダウードに対しては嫌悪感を抱いていた。女性をまるで物のように考えている。そういう文化なのだろうが、あまりにも古い考えに我慢がならなかった。
「ほぅ、威勢がいいな小娘ども! だが、そこがまた良い。気の強い女は屈服させてからが楽しめるからな! 特にベルセルクの女。お前は私の専属にしてやろう!」
ダウードが下種な笑みを浮かべて、舐めるように真を見る。その目を見た、真の背筋に悪寒が走った。大量のナメクジが全身を這うような、ヌメっとした不快感。思わず歯を食いしばってしまうほどだ。
「き、気持ちの悪いこと言ってんじゃねえよ! 俺は男だ!」
真が絶叫した。真の容姿は気の強そうな顔をした、ショートカットの美少女だ。それは、NPCでも真が男だと分からないくらいに、女性的なのだ。
「えっ!? アオイマコト様……お、男なのですか……?」
驚きに目を丸くしたナジが真を見た。半開きになった口はまだ閉じられていない。
「この反応、何回目だよ……。男だよ、男! 正真正銘の男だ!」
当然のことながら、ナジにも真が男だということは分かっていなかった。だから、衝撃の事実を聞いたというような顔をしている。
「貴様、男なのか!?」
それはダウードも同じだった。気の強そうな美少女を自分専用にしようと思っていた矢先に、女ではなく男だったという事実を知らされたのだ。
「そうだよ! 俺は男だ! 残念だったな、おっさん!」
仕返しとばかりに真が男であることを突きつける。だが、それで問題が解決したわけではない。美月達は間違いなく女性だ。しかも、美少女ぞろいときている。絶対に守らなければならない。
少し前にも同じようなことがあった。イルミナの迷宮の奥にいた、ヴィルムという敵だ。ヴィルムは女性を甚振ることに快楽を覚えていた。ヴィルムも真が美少女であると思っていたのだ。そこに突きつけた、男であるという真実に激高していた。
「そうか。男か……。まあ、構わないさ。その見た目なら十分だ。貴様は私の専属にしやろう!」
しかし、ダウードに動揺は見られなかった。真が男であることなど関係ない。むしろ、歓迎するという風にも聞こえる。その目は変わらず、真をいやらしく見ていた。
「構うわッ!!! ふざけんじゃねえ! だ、誰がお前の専属になんかなるかよ!」
真の絶叫が聖堂に響き渡る。あまりにも大きな声は、まるで聖堂が振るえるほど。真がこれほど大きな声で怒鳴ったのは、おそらく生まれて初めてだろう。必死の形相でダウードの言葉を否定する。
ゲーム化した世界で、今まで命に関わるようなことは何度か経験したきた真だが、貞操の危機はこれが初めて。感じたことのない種類の恐怖に真の背筋は凍っていた。
「き、気持ち悪……!?」
華凛もドン引きしていた。顔つきの悪い中年の男が、美少女のような見た目の男を狙っているのだ。気持ち悪さで鳥肌が立つ。
それは、美月や翼も同じだった。華凛と同様にドン引きしている。だが、彩音だけは、少し違っていた。若干引いてはいるが、頬を赤らめている。
「ならどうする? この私と戦うのかね?」
ダウードは余裕のある笑みを浮かべている。自分が負けるなどと微塵も思っていないのだろう。
「当たり前だ! お前だけは絶対にぶっ倒してやる!」
真は冷静さを失っていた。この手の危機は、レベルが100であっても、装備が最強であっても関係ない。全く別のベクトルから来る危機だ。
「アオイマコト殿……。分かりました。あなたがこれほどまでの覚悟を決めておられるのであれば、私も共に戦います!」
サリカは静かに抜刀した。サリカにとって、相手のダウードという男は完全に格上の存在だ。だが、真は怯むことなく勇敢に立ち向かおうとしている。その心にサリカが応えようとする。
「覚悟もくそもねえよ! こっちは貞操の危機なんだよ!」
どこかズレているサリカの認識に、真が苛立ちを覚える。第三者の立場なら冷静にツッコミを入れていたところだろうが、そんな心の余裕はない。
「よかろう! ガドル様から、抵抗するなら殺しても構わないという指示だ。これが、最後の警告だ! 私の物になれば命は保証してやる。それともここで無残に殺されるか?」
鋭い目つきでダウードが睨み付けてきた。その目はさっきまでと違い、明らかに殺気が宿っている。それは毒を塗ったナイフのように、人を殺すという目的に傾倒した目つきだ。
「何度も言わせるな! お前には手加減するつもりはないからな!」
すぐに真が言い返した。考えている必要もない。全力で倒す。それだけだった。
「そうか、残念だが、仕方がない」
ダウードはそう言うと、スッと手を上げた。すると柱の陰に隠れていた、アルター真教の教徒たち10人ほどが一斉に現れた。