修練場 Ⅰ
アルター真教の修練場がある場所は、スマラ大聖堂から半日近く歩かなくてはならない。
アルター教は、世界の浄化を教義として掲げており、浄化される世界の中にはアルター教徒自身も含まれている。そのため、アルター教徒は常日頃から自らを研磨し、自身の浄化に努めている。
その自己浄化には、戦闘訓練も含まれいてる。それは、四方を他国に囲まれた立地と、侵略を防いできた歴史にある。
他国からの侵攻という、大きな穢れを浄化するためには、アルター教徒に高い戦闘技能が要求されたのだ。
その歴史の中で、アルター教は二つの考え方に分かれることになった。一つは、防衛のみに特化し、侵略者に対してだけ暴力を行使する、アルター正教。
もう一つは、積極的に異教徒の国を浄化しようとする、アルター真教だ。
アルター教は、正教も真教もどちらも戦闘技能が高い宗派である。だが、真教はその極端な思想から、人間の限界を超えるような自己研鑽を積む方向へと進んでいき、その修行の中で命を落とす者も少なくはなかった。
故にアルター真教はアルター教の中でも少数派で、現存する真教派の人間も少ない。
その分、残っている真教派の人間は非常に高い戦闘能力を有している。その筆頭ともいえる人物が、真達の前に立ちはだかったガドルである。
ガドルを含む多くのアルター真教派の人間が修練を積んだ場所。岩砂漠の真ん中にあり、昼間は非常に強い直射日光が降り注ぎ、夜になれば逆に寒いくらいに冷え込む過酷な環境。
アルター真教の修練場は、他のタードカハルの建築物と同様に石材を組み合わせて作られていた。壁に囲まれた大きな正面の入口を越えると、広い前庭と大きな建物が見える。四角い石畳が敷かれた前庭では、おそらく実戦さながらの模擬戦が行わるのだろう。
真は小高い丘の上から、アルター真教の修練場を観察しながら、そんなことを考えていた。
「遠目に見る限りでは人がいるようには見えませんね……」
サリカが目を凝らしながら、修練場の様子を観察する。真達がいるのは、修練場から少し離れた場所にある丘の上。
岩砂漠の中にある丘であるため、身を隠せるような木々は一切ない。腹這いになって、丘の影から修練場の様子を覗いている。そこから見る限りでは、今のところ修練場に人影はない。
時刻は既に朝になっている。焼け付くような太陽の光を遮る物は何もない岩砂漠。腹這いになっている真の背中には容赦なく熱線と化した太陽光が照り付ける。
「まだ起きてきてないとかじゃないんですか? もう朝ですけど、夜が明けてからそれほど時間は経ってませんし」
サリカの横で腹這いになっている翼が口を開いた。夜通し歩いて来たから、真達は起きているが、時間はまだ早朝だ。それでも、太陽の光はかなりきつくなっているのだが。
「起きていないことはないはずです。アルター教徒は日の出と共に起きて、修練を始めます。誰も起きていないなんてことはあり得ません」
サリカが即否定をした。アルター正教でも日の出とともに起きて修練に励むのだ。より厳しい真教派がまだ寝ているなど考えられることではない。
「もしかして、ここはハズレじゃないのか?」
真は腹這いの状態から体を捻ってナジの方へと目を向ける。真達がアルター真教の修練場に来ているのは、ナジの意見を採用したからだ。アルター真教は奪った浄罪の聖人の遺骸を修練場に運ぶだろうというのがナジの意見。だから、真達は夜通し歩いてきたのだ。
「お言葉ですが、ここがハズレであるとはまだ言えないと思います」
ナジが真の目を見返した。修練場に人影が見えないことに対して、動揺している様子は一切ない。
「いや、でも誰もいないようだけど?」
「はい。誰もいないことが逆に怪しいのです。サリカが言うように、アルター教徒であれば、この時間には起きていて当然。それが見えないということは、普段とは違う行動を取っているということです」
「普段と違う行動……。もしかして、修練場の中に籠って……」
「はい。その通りです。ここから見えます奥の建物は、礼拝堂もあるはずです。そのあたりの造りは正教も真教も同じです。今は、そこに浄罪の聖人を安置し、中で警護を固めているものと思われます」
ナジが修練場の奥にある建物を指差しながら説明をした。
「ナジ、そうなると、作戦はどうなる? 外に出ている真教派を私達が引き寄せる手はずだが、これでは囮になることもできないぞ?」
ナジとサリカが囮になって、アルター真教の注意を引いている最中に、真達が修練場の建物内部に侵入して、浄罪の聖人の遺骸を奪取するというのが、今採用されている作戦だ。
だが、肝心の誘き寄せる対象が見当たらないのでは、囮になることもできない。
「そうですね……。建物の中に籠られているのでは、囮作戦は使えませんからね……」
「中に入って引きずり出してきたら駄目なの?」
考え込んでいるナジとサリカに華凛が言った。誘き寄せる対象が建物の中にいるのなら、中に入っていけばいいのではないかと。
「それは無理だろ。相手が籠城作戦を取ってるんなら、建物の中から追い出した時点で目的は達する。わざわざ外に出てまで追っては来ないよ」
華凛の疑問には真が答えた。誰も外に出てきていないということは、敵は守りに徹しているのだろう。守りが薄くなるような真似はしないはずだ。
「アオイマコト様のおっしゃる通りです。それに、籠城されている状態だと、囮になるために中に入っても、囲まれて終わる可能性もあります」
ナジも真に続いて答えた。籠城されている場合は、建物の中に普段よりも多い人数が待機しているということになる。その中に入って囮としての役割を果たすことは非常に困難だ。ただでさえ、建物内という狭い空間で、囮として逃げ回ることは難しいのだ。今の状況で囮作戦を採用する利点はない。
「あの……。ちょっといいですか? 籠城作戦だったとしても、見張りすらいないっていうのはおかしくありませんか?」
今度は彩音が疑問を投げかけた。籠城しているということは、敵の侵攻を想定しているということだ。だったら、見張りの一人や二人いるのが普通だ。
「ああ……それもそうだな……。見張りすらいないっていうのは不自然だな……」
真が改めて修練場の方へと目をやる。小高い丘の上から見える範囲では人一人見えない。その横で真と同じように修練場を凝視している翼も人影を見つけられないでいるのだ。視力が良いこの二人でも見えていないということは、見張りすらいないということで間違いない。
「ねえ、もしかしたら、本当に誰もいないんじゃないの?」
話を聞いていた美月が言う。あれこれ考えているが、結局のところ、最初に真が言ったとおり、ここはハズレなのではないのか。
「かもしれないな……」
少し疲れた様な顔で真が返事をした。夜通し歩いてきたところが、ハズレの可能性が高い。そう思うと、疲れが一気に出てきてしまう。
「はぁ……、なによ、ハズレなの……? ここまで徹夜して来たのに……。だったら、一旦帰りましょう」
翼も疲れたような声を出している。元から乗り気ではなかったミッションだ。さらに茶番に付き合わされ、やって来た場所もハズレとなれば、モチベーションは下がる一方。
「そうするか……。昨日から寝てないしな。一旦休息を取った方がいいだろう」
この場所には誰もいない。そうなると緊張感もなくなり、我慢していた眠気がやってくる。腹這いになって修練場を見ていた真だが、ここで起き上がり伸びをした。
「いや、待ってください! 誰もいないと決めるにはまだ早計かと思います!」
帰ろうとしている真達に向かってナジが強い口調で言ってきた。
「いや、見張りもいないんだしさ、ここには誰もいないだろ? 他の場所に集まってるんじゃないのか?」
思いのほか強い口調で言ってきたナジに、真が少し驚きながらも返事をする。
「ですが、確認は必要かと思います。誰もいないというのは推測でしかありません。敵が裏をかいて、見張りを出してない可能性も否定できないのです。万が一にでもここに浄罪の聖人が運び込まれていたら、僕達は見つける機会を失ってしまいます!」
ナジが真っ直ぐ真の目を見る。どうやら下がるつもりはないらしい。
「まぁ……言われてみればそうだけどさ……。可能性は低いだろ?」
「はい。可能性は低いです。しかし、僕が思う問題は、可能性が低いことではありません。確認をしていないことの方が問題であると考えます。それに、推測通り、誰もいないのであれば、確認の手間もそれほどかからないと思います。もしかしたら、何か手がかりもあるかもしれません」
「何もないっていうことを確認するだけしておいた方が良いだろうってことか……」
「はい、その通りです。もし、今後手がかりが見つからなければ、確認をしていない、この場所に再度来ることになります。そうなる手間を省いた方がよろしいのではと愚考しますが」
ナジは饒舌に話を続ける。サリカと違い、人を説得する時のナジは論理的で説得力がある。そこで、真は思い当たることがあった。
(言ってることは正論だけど、ここまで食い下がってくるのはなんでだ……?)
真はナジに違和感を感じていた。ナジは慎重で優秀な男だ。それと同時に合理的なところもある。そのナジが無駄になる可能性が高い行動を強く推してきているのだ。
(考えられるとしたら、これがNPCとしての行動だから……。この修練場に行く必要があるからナジは食い下がってきてると考えるべきか……。となると、修練場に入ったら何らかのイベントが発生するということになるな……)
真が思索した結果は、ナジの言う通りにすること。おそらく修練場に行くことで、ミッションが進むのだろう。
「はぁ……、眠いけど仕方ないな……。皆もそれでいいか?」
どうやらナジの意見を聞かないわけにもいかないようだ。諦観した真は仲間の方へと目を向ける。
「ナジさんの言う通りだと思うわ……」
返事をした美月と同様に翼も彩音も渋々頷いている。華凛は真が行くなら反対はしないので、一応は満場一致という形で、これから修練場の中へと入ることとなった。