茶番
真達が見えない壁の中から出ることができたのは、聖人の遺骸を奪われてから10分ほど後のことだった。
壁を叩くことにも疲れてきて、諦観していたところ、何気なく壁があるかどうかを確認したら、もうそこには見えない壁はなくなっていたのだ。
「ようやくかよッ!」
真が吐き捨てるようにして毒づく。あの程度の数であれば、範囲攻撃で一掃できたのだ。初手でソードディストラクションを放ってほぼ壊滅させられる。残った敵もスタン状態になるため、そこにブレードストームかイラプションブレイクを打ち込めば終わりだろう。ガドルという奴は残るかもしれないが、どっちにしろ真とまともに戦えるとは思えない。
「真……、これどういうことなの……?」
美月が真に訊いてきた。美月は今の状況が掴み切れていなかった。突然、見えない壁に閉じ込められて、どうしようか迷っていたところ、気が付いたら見えない壁がなくなっていたのだ。困惑したとしてもおかしくはない。
「ゲームのイベントだよ! くそっ、こんな茶番をやらされるのかよ!」
真は苛立ちを抑えきれずにいた。真は完全に虚仮にされている気分だったのだ。
「ゲームのイベント?」
「このミッションもゲームの一部だ。ゲームの進行の中には、ここでアルター真教に遺骸を奪られることが予定されてたんだよ!」
真は歯噛みしながらも、美月に説明をする。苛立ってはいるが、ここで冷静さを取り戻さないと、余計に手玉に取られる気がしていた。だから、何とか心を落ち着かせようと努める。
「ね、ねえ、真君。それじゃあ、さっきの見えない壁みたいな物ってさ、私達がアルター真教の妨害をしないためにあったってことなの?」
次いで華凛が質問をしてきた。状況が飲み込めていなかった華凛だが、真の説明を受けて一定の理解を示していた。
「そうだ。ゲームの進行では、アルター真教に囲まれて、身動きが取れないまま、遺骸を奪われてしまうっていうイベントだ。俺達を強制的に身動き取れなくするための見えない壁ってことだ」
かき上げた赤黒い髪をギュッと握る。言葉で説明すると余計に腹が立ってくるが、どうにか心を落ち着かせる。
「だったら、なんで私達はここまで来たのよ! 最初から、聖人の遺骸を奪われる前提なんだったら、わざわざ来る必要なかったじゃないのよ!」
納得がいかないという顔で翼が声を荒げた。一体何のために、タードカハルまできて、1週間も待機していたのか。
「そういうゲームイベントだ。これをやらないと、ミッションが進まない。俺達は強制的に茶番に付き合わされてるんだよ!」
真が家でゲームをやっているのであれば、よくあるイベントとして楽しむことができただろう。それを実際にやってみると、ここまで滑稽な寸劇だとは思いもしなかった。
「なによ、それ……」
説明を聞いた翼は怒りすら覚えていた。最初から納得できない内容のミッションだった。だけど、世界を元に戻すために、我慢して来たのにこの有様だ。こんなことをするのがシークレットミッションなのか。真が茶番というのも頷ける話だった。
「これからどうするんです……?」
不安そうに彩音が尋ねる。周り苛立っていることで、空気がピリピリとしているのも、彩音としては居心地が悪かった。
「取り返しましょう……! このまま真教に浄罪の聖人を奪われたままにはしておけません!」
返答したのはナジだった。決意の籠った眼差しで真達の方を見ている。
「そんなことは分かってるんだよ……。で、どこに行けばいいんだ?」
諦めない強さを宿したナジの目を、真は呆れながら見返す。NPCは本気なんだろう。こんな茶番でも、疑うことすらない。そういう存在なのだ。
「アオイマコト殿! ご協力いただけるのですね! なんとお礼を申していいものか」
浄罪の聖人を奪われたことで、心底落ち込んでいたサリカが感極まったように口を開いた。
「協力もなにも、取り返すしかないんだろ?」
それ以外に選択肢はないのだから、そこまで感激されるほどのことでもないと思いながら真は応える。
「はい……。アオイマコト様のおっしゃる通りです。ですが、この度のアルター真教の襲撃……。こちらの不手際としか言えないのも事実……。どうして、こちらの動きが相手に知られていたのか……。それが、分からない中で、協力を要請することは恐縮ではございます……。それでも受けていただける、器の大きさに感謝の言葉しかございません」
ナジが深々と頭を下げた。顔には悔しさの色が滲んでいる。だが、まだ諦めたわけではない。そういう顔をしている。
「そこなんだ……。ナジ、どうして私達の行動が真教に知られていたんだ?」
神妙な面持ちでサリカが訊く。
「それは……、僕にも分からない……。ただ、どうして真教が僕達の行動を把握してたかということは、ここで考えていても答えは出ません。だから、今は動くしかないと思いますよ……」
「それで、どこに行くんだ?」
真剣なナジとサリカとは逆に、真は冷めたような呆れ顔をしていた。アルター真教にこちらの動きがバレていることなど、真は最初から想定済み。どうやってバレたのかなどは特に気にしていない。どれだけバレないように行動したところで、バレるというシナリオなのだ。
「真教の奴らがどこに浄罪の聖人を運ぶのか……。おそらく、アルター真教に関係のある場所だとは思うんですが……。すみません、私には見当がつきません……」
申し訳なさそうにサリカが頭を垂れる。どちらかというと、サリカは戦闘でこそ本領を発揮できる。頭を使うことは苦手な部類だった。
「そうか……」
真はそう言うだけで、ナジの方を見た。元からサリカに頭を使うことを期待してはいない。それよりも、真に『どこに行くんだ?』と訊かれてかれてから、ずっと考え込んでいるナジの意見を聞きたい。
「……僕の考えなんですが……」
真に答えるようにして、ナジが静かに口を開いた。
「おそらく、タードカハルの街から出た場所にある修練場ではないかと思います……」
「根拠は?」
ナジの回答に真が質問を重ねる。
「はい……。タードカハルの街中にもアルター真教の道場はあります。ですが、タードカハルのほとんどは正教派です。正教と真教は、対立こそしていませんが、センシアル王国側についている正教に周りを囲まれた場所に浄罪の聖人を運ぶとは思えません。そうなると、考えられる場所は、街からは離れた場所。しかも、真教派の教徒が常駐している場所になります」
「そこが修練場っていうわけか」
「そうですね。ただ、問題は……」
ナジの言葉はそこで止まっていた。難しい表情で黙考している。
「何か問題があるのか?」
ナジの様子が気にかかった真が再度訊ねる。
「ええ……。問題なのは、真教の教徒が常駐していることなんです……。おそらく、ガドルもいるでしょう。先ほど襲撃に来た連中もいるはずです。その中からどうやって浄罪の聖人の遺骸を取り返すか……。こちらは秘密裏に動いている以上、タードカハルの軍を動かすわけにもいきませんので……」
問題自体は単純なものだった。相手の戦力が大きいこと。そこに少人数で挑まないといけないことだ。複雑なのは、タードカハルの内情。主にアルター教の内情だ。浄罪の聖人をセンシアル王国まで運ぶことは、大々的にやってしまうと、アルター正教派であっても、反感を買うことになる。そうなると、戦力を集めて、アルター真教の修練場に攻撃を仕掛けるわけにはいかない。そもそも、それができるのなら、最初から隠密行動などしていない。
「私が囮になります!」
それを言ったのはサリカだった。
「囮って……!? でも、それじゃあサリカさんが危ないじゃないですか!?」
サリカの言葉に美月が驚きの声を上げた。サリカが何を考えているのかはすぐに分かった。だが、それは命の危険が伴うこと。
「心配していただき、ありがとうございます。そのお心遣い、胸に染みます……。ですが、私にできることは戦うことのみです。そんな私が皆様の役に立てるのであれば、この命を使ったとして後悔はありません……」
そう言うサリカの唇は小刻みに震えていた。死ぬかもしれない恐怖はあるのだ。
「サリカが囮になっている間に、修練場に忍び込んで、浄罪の聖人を取り返す……。あなたが考えた作戦にしては、有効的な作戦ですね。ただし、申し訳ないですが、あなたでは役不足です!」
覚悟を決めようとしているサリカに、ナジがキッパリと言い放った。
「なッ!? 私が役不足だと!? 見くびるなよ、ナジ! たとえこの命に代えても、浄罪の聖人を取り返すだけの時間は稼いでみせる!」
ナジの言葉に自尊心を傷つけられ、サリカが激高した。戦うことで自分の価値を見出してきたサリカだ。それを全否定された気分だった。
「見くびってはいませんよ。この作戦を成功させるには、あなた一人の命を使わないといけない。それが役不足だと言うんです。僕が一緒に囮になれば、二人とも助かる可能性はありますよ!」
ナジがしてやったりという顔で笑う。サリカ一人でもなんとか時間を稼ぐことはできるだろう。だが、それはかなりギリギリになる。だったら、ナジが一緒に囮になることで、稼げる時間を増やし、さらには二人とも助かるという道が開けるかもしない。
「ナジ……。お、お前がそうしたいなら、そうしろ! で、でもあれだぞ! アオイマコト様の許可がなかったらダメだからな!」
ナジに手玉に取られたようで気に喰わないところがあるが、サリカは照れながら声を上げる。一緒に囮になってくれると言ってくれことは嬉しかったのだ。
「ああ、分かったよ……。その作戦で行こう……」
ナジとサリカの視線に促されて、真が答える。アルター真教派の教徒が常駐していたとしても、真が正面から斬り込めばいいだけの話なのだが、それはできないのだろう。これは、ナジとサリカを囮にして、修練場に忍び込むというイベントなのだ。付き合うしかない。
真は諦めて、赤黒い髪をかき上げ嘆息した。