聖域 Ⅰ
沈みかけた夕日が地平から伸び、空を漂う雲は赤く染まる。強い日光を避けるために、白い土壁で作られてた街並みは、夕焼けに照らされ、茜色に染め上がる。
早々に狩りを切り上げた真達は、拠点となる安宿に帰ってきていた。タードカハルの建築物は基本的に、陽射し対策をしているため、この宿の窓も少なく、小さい。
それでも、傾いた西日がピンポイントで窓から差し込んでくるのは、意図した設計ではなく、何も考えずに建てた結果なのだろう。
窓の外を眺めていた真が、眩しい夕陽に目を顰め背を向ける。半分沈んだ太陽が照らす真の髪は、まるで燃え上がるような深紅の色をしていた。
「ただ、ここで待ってるだけっていうのも辛いわね……」
ベッドに腰かけ、翼が愚痴をこぼす。
「翼ちゃん、私達さっき帰ってきたばかりだよ。本格的な待機には、まだ入ってないよ」
彩音は若干驚いた声を出していた。そろそろミッションが動き始める頃だから、それまでは体力を温存するために、部屋で待機しておこうということになったのだが、狩りから帰って来たのは少し前のこと。早めに切り上げたとは言え、まだ、普段の生活の延長くらいでしかない。
「何もせずに待ってるっていうのが性に合わないのよね」
体育会系の翼からしてみれば、何もせずにただ待っているだけというのは、動き回るよりもしんどい。時間の経過が殊更遅く感じてしまう。
「翼の気持ちも分かるんだけどね……。真も言ってたみたいに、アルター真教の襲撃には万全の状態で備えておきたいのよ」
隣のベッドに腰かけている美月が翼を宥める。何もせずに待機しているというのは、確かに辛い。しかも、その先にミッションがあるのだ。何かしていた方が不安も紛れる。
「私も分かってるんだけどさ……。動いてた方が気が楽なのよね。長時間ずっと待ってことができる人って凄いなって思うわ。ほんと、張り込みをしてる警察の人って、凄い人たちなんだなって思うわ」
警察のドラマでは何日も張り込みをしている場面がある。交代で張り込みをしているとしても、何時間もずっと見張りをしているのだ。翼からしてみれば、それは超人の忍耐力。素直に尊敬する。それに比べれば、宿で待機しているだけの、自分たちはかなり楽なほうなのだろ。それでも、苦手なものは苦手なのだ。
「剣崎さんも張り込みしてたんだろうな……」
真は夕焼けで伸びた自分の影を見ながら呟いた。警察と聞いて、真が剣崎晃生のことを思い出していた。剣崎晃生は、ギルド『ライオンハート』の元ナンバー3だった人物。50歳前後で、『ライオンハート』の重鎮。世界がゲーム化される前は警察官だった。
「あっ……、ごめん……」
翼は自分の迂闊な発言に後悔した。真にとって剣崎晃生という人物が与えた影響は大きいことは知っていたのだが、考えなしに言ってしまった。
「あ、いいんだ……。別に翼は剣崎さんのことを言ってるわけじゃないんだしさ……。俺が勝手に剣崎さんのことを思い出しただけだし……。それに……」
真が少し困った笑顔で返す。晃生は真を一人の男として認めてくれた人物だ。それ故に、晃生が真を庇って死んだことは、真の心に深く刻み込まれている。
そして、晃生は死ぬ間際に、その意志を真に託した。この世界を元に戻せるのは真だけだと。晃生は『ライオンハート』のギルドマスター紫藤総志ではなく、真にその意志を託したのだ。
「それに……。いや、いい。大丈夫だ。剣崎さんのことは大丈夫だ……」
だから、真は晃生の死を気に病んでいる場合ではない。託された意志を果たすため、前に進んでいくと決意したのだから。
「うん……」
翼が小さく返事をする。それしか返事のしようがない。真が晃生のことを引きずっていないことくらいは、翼も分かっているのだが、こうも悲し気な笑顔を見せられると、胸がギュッとなる。
気まずい沈黙の間ができたその時だった――
コンコンコンコン
木の扉をノックする音が響く。
「はい……どうぞ……」
美月がノックに返事する。気まずい空気だったが、来客によって場の雰囲気が変わるのであれば、歓迎したいところ。
「失礼します」
部屋のドアを開けて入ってきたのは、ナジとサリカだった。着ている服装こそ、普段と変わらない麻の服だが、顔つきが違う。真剣な表情で真達を見つめる。どうやら、この場が和むような話を持ってきたわけではなさそうだ。
「良かった、皆様お揃いですね」
全員が揃っていることを確認できた、ナジが少しだけ表情を緩めた。
「もうすぐ来るだろうって思ってたからな」
真はすでに気持ちを切り替えていた。こういうことは、周りの人間よりも、当事者である真の方が、気持ちを切り替えやすい。
「こちらの動きは分かってらっしゃるのですね。流石です。すでに、皆様も予想されている通り、聖人の遺骸を運び出すための準備が整いました」
ナジが感服しましたというような顔を浮かべている。
「事前に説明を聞いてるからな――で、いつ動くんだ?」
世辞はいらないとばかりに、真が話を進めた。以前に聞いた説明からすると、浄罪の聖人の遺骸が安置されているのはスマラ大聖堂という場所の地下だ。その場所は聖域とされており、強力な結界が張られている。その結界を解除するために必要な日数が7日~10日だった。
「はい。急で申し訳ないのですが、今からスマラ大聖堂へ向かいます」
「今から!?」
華凛が驚いて声を上げた。すでに日が沈みかけている時間だ。たしか、スマラ大聖堂までは、徒歩で半日かかるはず。今から向かうとなれば、深夜に渡って動かないといけないことになる。
「申し訳ありません。聖域の結界を解いていられる時間はそれほど長くありません。それに、今から行動すれば、寝静まった時間にスマラ大聖堂に辿り着けます。我々が浄罪の聖人の遺骸を運び出せば、すぐにでも結界を元に戻します。夜が明ける頃には、結界が元に戻っているという段取りです」
「結界ってそんなに簡単に張り直せるのか?」
ナジの話の中で疑問に思った真が質問をした。結界を開けるのに7日~10日かかった。人知れず作業をしたため余計な時間がかかったとしても、その結界を元に戻すのに一晩もかからないという計算になる。
「はい。結界というのは外からの干渉を防ぐことが目的です。ですから、解除することは難しくても、再び結界を張ることは容易にできるような術式を用いております」
真の質問にナジが答えた。結界を張る目的から考えれば、解除しにくく張りやすいという性質を持っている方が都合がいい。スマラ大聖堂の結界もそのような結界が使われているということだ。
「なるほどな……」
「急な話であることは重々承知しております。ですが、今すぐに移動を開始していただきたいのです」
ナジの説明に真が一定の納得をしたところで、サリカが頭を下げた。奇麗な黒髪が夕焼けに照らされる。
「どうするの?」
華凛が真の方へと視線を移した。
「どうするも、こうするもないだろ。今から出発だ。それ以外に選択肢はない。ここでグズグズしていて、ミッションが失敗に終わったなんてことになったら洒落にならないからな」
赤黒い髪をかき上げて真が嘆息気味に返答する。もうすぐミッションが動き出すとは予想していたが、今すぐに動くとまでは予想していなかった。だが、話を聞く限りでは、今すぐに動かないといけない。
「そんなに時間の余裕がないの?」
焦っているようにも見える真に対し、少し疑問を持った美月が訊いてきた。
「言っただろ、アルター真教の妨害が来るはずだって。言われた通りに行動してないと、アルター真教に先手を取られて、ミッションの遂行が不可能になるかもしれないんだ。これはゲームだ。NPCが指示する通りに動いていないと、ゲームオーバーになる可能性がある」
アルター真教が動いているという情報は何もない。だが、ゲーム化した世界でのミッションをやっているのだ。現実的な理屈など通用するはずがない。NPCが今すぐ動けと言うのなら、そうしないとクリアできない。
「ナジ、サリカ。すぐに案内してくれ。俺達はもう動ける状態だ」
真が矢継ぎ早に返事をした。さっきの説明で美月がどれだけ納得したかは分からない。だが、納得してもらうしかない。今すぐに動くということもミッションの攻略に含まれているのだろうから。
「えっと……。確かに動けると言えば、動ける状態にはなっていますが……」
彩音が苦笑いを浮かべながら言う。現実の世界と違い、ゲーム化した世界では荷物などは、アイテム欄に収納されているため、質量を無視して持つことができ、邪魔にもならない。常に様々な荷物を持っていてる状態なのだ。だから、半日程度の旅程であれば、今のままで十分事足りる。
「ありがとうございます。では、早速ですが、行きましょう。スマラ大聖堂へは徒歩になります」
ナジは軽く頭を下げると、礼もそこそこに、スマラ大聖堂へと向かうため、真たちを促した。横にいるサリカはまだ頭を下げている。
「翼、良かったな。張り込みみたいな長い待機はしなくていいみたいだぞ」
真が少しだけ意地悪に笑いかけた。
「うっさいわね。待機ぐらいできるわよ!」
揶揄われたことに対して、翼が口を尖らせるが、その表情は軽かった。意図したことではないのだが、真の心の傷を抉ってしまったのではないかと気にしていた。そこに、真が軽口を言ってきてくれたことは、翼も素直に嬉しかった。