荒野の街で Ⅱ
これ以上サリカに余計なことを口走られたら堪らないとばかりに、ナジは場所の移動を提案した。真もその提案を即受け入れる。
向かう先は、拠点となる宿。タードカハルでは一般的な宿で、土壁に石灰で塗装がされ、強い日材から建物を守っている。
ナジを先頭にし、サリカはその横でシュンとした表情で俯きながら付いてきた。重要な任務に就くことができて、サリカ自身も何とか気合を入れて、自分の役割を全うしようとしていたのだが、完全に空回りしたのだ。
こういうサリカの顔を見ていると、サリカもナジもNPCであることを忘れてしまう。同じ人間ではない、ゲームによって作り出されたモノであるという意識すらなくなってしまう。
「こちらです」
ナジの案内でやってきた、宿の二階。間取りはいたってシンプル。土づくりの床に麻製の絨毯。乾燥地域の暑さ対策のために、窓は小さい。ベッドは6台。椅子やテーブルはない。ただ単に泊って寝るだけの部屋だ。
「もっといい部屋を用意できればよかったのですが、今はできるだけ目立たないようにしていただきたいので、この部屋になります。しばらくの間ですが我慢してください」
ナジが申し訳なさそうにしている。真達5人の拠点として、この宿で一番大きな部屋を取ったのだが、所詮は一般的な宿の部屋。決して裕福な国とは言えないタードカハルの一般的レベルでしかないのだ。
「いえ、そんな。十分ですよ。私達、野宿にも慣れてますので、ベッドのある部屋で寝れるだけで十分なんです」
あまり低姿勢になられると、美月の方が申し訳ない気持ちになってしまう。しかも、相手は年上だろう。
「そうですよ。私達は客として来てるわけではないんですから。あくまで仕事できてますし。それに必要なことなんですから、こういう部屋が一番都合が良いんですよ」
彩音も美月に続いてフォローを入れた。とは言いつつも、王都の安宿でも、もう少しマシな部屋に案内される。これは、国力の差なのだからどうしようもないのだろう。
「そう言っていただけるとこちらも助かります」
ナジはそれでも、申し訳ないといった顔の笑顔で応えた。
「ナジさんとサリカさんはどうするんですか?」
ふと疑問に思った翼が訊いた。これからしばらくの間は、ナジとサリカと行動を共にするのだ。だが、この部屋のベッドの数は6台。一台足りない。
「僕とサリカさんは家に帰ります。僕達はあくまで普段通りの生活をしていることになっていますので。それでも、定期的にこの部屋には来させていただきます。連絡事項や必要なことがあれば、なんなりとお申し付けください」
ナジはそう言うと恭しく頭を下げる。それに倣って、サリカも頭を下げた。
「えっ、あ、そうなの? だったら――」
ナジの言葉からするにパシリでも喜んで引き受けてくれるだろう。それならと華凛が口を開いた時だった。
「あ、だ、大丈夫です。私達のことは私達でやりますので……。その、連絡だけしてもらえればいいです」
美月が慌てて口を挟んできた。年上にパシリをやらせるなど、気が引けてしまう。彩音や翼、真も同じだろう。ただ、華凛だけは、何も気にすることなくパシリをやらせそうに思えた。
「そんな、遠慮されることはありません。私達に命じていただければ――」
「うん、あの、それは大丈夫ですから」
サリカの言葉も美月が遮った。ナジとサリカの意識としては、自分たちは従者であるということ。だが、日本で育ってきた者にとって、それをすんなりと受け入れることは難しい。
「そうですか……。そう仰るのであれば……」
少し寂しそうにサリカが返事をした。先の失敗を少しでも取り戻したいという思いがある様子。だが、その機会はどうやらまだ先のようだ。
「で、ナジさん。これからの予定はどうすればいい?」
やり取りが一段落したところで、真が口を開いた。
「はい、今後の予定なのですが、皆さまには少しの間、待機していただくことになります」
ナジの顔が柔らかい笑顔から、真剣なものに変わる。
「待機か……。すぐに動くわけじゃないんだな?」
「はい。あくまで、皆様は冒険者ということで行動をお願いします。タードカハルにモンスターを狩りに来た一団、ということで周りに溶け込んでいただきたいのです」
「慎重だな……。それで、どれくらいの間、待機していればいい?」
すぐに浄罪の聖人の遺骸を運ぶものだと思っていた、真はすこし肩透かしを食らった気分になっていた。だが、よくよく考えてみると、これは隠密行動なのだ。慎重に動くことは当然だと考えを改める。
「概ね7日から10日とお考えください」
「それほど長く待機するわけじゃないんだな」
「はい。一刻を争うわけではありませんが、無駄に時間をかける必要もありません。それに、アルター正教が秘密裏に浄罪の聖人の遺骸を動かすための準備期間として、これくらいの日数が必要なのです」
真の質問にナジが丁寧に返答する。無駄な情報を挟まず、必要な情報だけを提示している。
「遺骸を動かすのにそんなに時間がかかるのか?」
そこで、真は一つ疑問に思った。浄罪の聖人の遺骸は、当然、人一人分の大きさだろう。しかも、遺骸なのだから、質量は生きている人よりもかなり小さいはず。それなのに、その遺骸を動かすために7日から10日もかかるとはどういうことなのか。
「浄罪の聖人の遺骸を動かすこと自体は問題ありません。問題なのは、聖域の結界を人知れず解くことにあります。聖人の遺骸は、普段人目に触れることのない場所に安置されているのです。そこには、強力な結界が張られていますので、解除するにはかなり労力が必要なのですが、秘密裏に動くとなると、どうしても時間がかかってしまうのです」
「なるほどな。人知れず運ばないといけないから、結界を解除するのにも、大人数でやるわけにはいかないってことか」
真はナジの説明で納得がいった。目立たないように動くとなれば、当然のことながら、少人数でやらないといけない。動ける時間帯も限られるだろう。人が寝静まった時間帯などに集中して作業をするしかない。
「その、聖域の場所なんですが、タードカハルから徒歩で半日ほどの場所にある、スマラ大聖堂の地下にあります」
「で、俺達は結界が解除された聖域に入って、浄罪の聖人の遺骸を運びだせばいいんだな?」
「はい。その通りです」
ナジも理解の速い真に満足気な表情を見せている。
「あ、あの、ちょっと質問なんですが、いいですか?」
一通り話が終わったようなのだが、彩音は気になることがあり、小さく手を上げた。
「はい、どうぞ」
ナジはすぐに返事を返した。
「あ、ありがとうございます。そのですね……、ナジさんもサリカさんもアルター教徒なんですよね……?」
言いにくそうにしながらも、彩音は質問を投げかけた。
「はい、そうです」
「私もアルター教徒です」
ナジとサリカが端的に答えた。
「あの……。お二人ともよろしいんですか……? 浄罪の聖人は、アルター教にとって重要な人物だったんでしょ?」
彩音がじっと二人を見つめながら言った。
「ヤガミアヤネ殿のお気遣い痛み入ります。仰りたいことは良く理解できます。たしかに、私達アルター教徒にとって、浄罪の聖人とは、窮地に立たされたタードカハルを救った英雄です」
質問に答えたのはサリカだった。静かな口調で彩音に返す。
「だったら、どうして?」
その英雄の遺骸を支配国に運ぶことをよしとしているのか。それが彩音には分からなかった。
「私達の国がどういう歴史を辿ってきたかはご存知ですか?」
「他国からの侵略に対して戦ってきたと聞いています」
「そうです。私達は常に他国からの攻撃に怯えてきました。ただ、それはセンシアル王国の属国になる以前の話。祖父も祖母も口を揃えて言うのです。怯えずに暮らせる毎日が幸せだと……。センシアル王国の属国である以上は他国もおいそれと手を出すことができません。ですから、浄罪の聖人の遺骸をセンシアル王国に引き渡せと言われた時、正直迷いましたが、渡すことを決断したのです……」
サリカの表情は暗かった。浄罪の聖人の遺骸を支配国であるセンシアル王国に引き渡すというのは、アルター教徒であるサリカにとっては断腸の思いだったのだろう。それは、横にいるナジも同じはず。それでも、センシアル王国の要請に従って、真達に協力するのは、平和を維持するため。
「でも、遺骸を渡すことを大っぴらにしたら、正教の人たちは反発するんでしょ?」
黙っていた華凛だが、腑に落ちないところがあって話に入ってきた。
「ええ……そうですね……。皆、平和を望んでいるのは確かなのですが……。それでも、浄罪の聖人の遺骸をセンシアル王国に渡すというのは、反発が強いですね……」
苦笑いをしながらナジが答える。ナジはセンシアル王国に協力している立場だ。同時にアルター教徒でもあるため、返答に困る。
「真教の方はどうなんだ? こっちの動きがバレているようなことはないよな?」
続いて、真が質問を重ねてきた。平和的なアルター正教であっても、聖人の遺骸をセンシアル王国に渡すことは反発があるのだ。過激派である、アルター真教にこのことが露見したら、暴力的な手段をもってして妨害に来るはずだ。
「今のところ、真教側に動きはありません。聖人の遺骸のことも知りません」
ナジが表情を引き締めて返答する。今回の件で、何よりも情報が露呈してはいけない相手が、アルター真教だ。
「そうか……。だったら、いいんだけどな……」
「他に質問はございますか?」
ナジが真達を見渡した。どうやら、これ以上、質問はなさそうだ。それを確認することができたナジは、「それではこれで失礼させていただきます。また、定期的に来ますので、よろしくお願いいたします」と頭を下げ、サリカと共に部屋を去っていった。