宰相 Ⅱ
「次に、タードカハルの歴史についてだ。これも知っておいてもらった方がいいだろう」
アドルフは饒舌に話を続けた。元々話をするのが好きなのだろう。若者にものを教えることも好きなようだ。若干一名、シルバーグレイの長髪をした少女が興味なさそうにしているが、他はアドルフの話に食いついている。
「歴史、ですか……」
美月の表情は曇っていた。アルター教徒以外の者を消し去ることを目的としている危険思想集団が今回のミッションに絡んでいるのだ。今から話される歴史も、アルター真教と関係があるのだろう。
「そう、歴史だ。とは言っても、知ってもらう必要があるのは一部の歴史のみ。タードカハルの歴史の全ては語り切れん。今も研究中だからな」
一名を除いて、真剣な顔でアドルフの話に耳を傾ける。
「タードカハルがセンシアル王国の属国であることは知っているな?」
「はい……一応は」
代表して美月が返答した。ただ、タードカハルがセンシアル王国の属国であることは、バージョンアップの告知で知ったに過ぎない。どういった経緯があるのかは全く知らない。
「タードカハルの歴史は防衛の歴史と言ってもいいだろう。タードカハルがセンシアル王国の属国になる前は、周辺諸国による侵略を受けていたのだ」
「センシアル王国もタードカハルを侵略したんじゃないのか?」
アドルフの言い方に違和感を覚えた真が疑念をぶつけた。アドルフの言い方だと、自分たちは侵略者ではなく、他の諸国が侵略をしようとしていたという風にも聞こえる。
「昔のセンシアル王国は小国に過ぎなかった。それを先々代と先代の国王が二代で大国にまで成長させた歴史がある。その時代にタードカハルを属国としたわけだが、戦争をしかけたというわけではない。タードカハルを属国とする代わりに、周辺諸国からの守護を我が国が約束したのだ」
「物は言いよう……まぁ、いい。続けてくれ」
真からすれば腑に落ちないところがあった。守ってやるから、支配下に入れというのがセンシアル王国とタードカハルの関係なのだろうが、本当は脅迫じみたことをしていたのではないかと勘繰ってしまう。
「言いたいことは分かるがな……。だが、実際にタードカハルの自治を認めているのも事実。宗教にしてもアルター教を排除しなかったわけだからな」
アドルフの言う通り、タードカハルはある程度の自治権が認められていた。ただ、首長となる者はセンシアル王国の指名を受けた人物であり、傀儡であることには変わりない。
「話を戻すが、タードカハルは防衛の歴史だと言ったな。それは、内陸に囲まれており、大きな山もなく、平坦な岩砂漠が続いているという立地に原因がある。他国からすれば攻めやすいわけだ。それにも関わらず、タードカハルは他国の侵略を阻止してきた。何故だか分かるか?」
流暢に話を進めるアドルフが問いかけてきた。
「センシアル王国が守ってたからじゃないんですか?」
問いには翼が答えた。
「違うな。我が国がタードカハルを属国とする前から、タードカハルは周辺諸国の侵略を受けていたのだ。その頃の我が国は小国に過ぎない。タードカハルを足掛かりにして、周辺諸国が我が国に攻め入ってくるという危惧はあったが、当時、隣国の防衛にまで手を回す余裕はなかった」
「それでは、どうしてタードカハルは侵略を阻止してきたんですか?」
興味ありという顔で彩音が質問を投げかける。
「アルター教徒の活躍によるものだ。アルター教の教えは世界の浄化だ。浄化の対象は信徒も含まれる。肉体の研鑽も自らを浄化する行為とみなされている。さらに、侵略者を浄化するという名目で、戦闘技能も向上されていった。タードカハルの国民全員が潜在的な兵士としての訓練を受けていたということになる。軍であろうがなかろうが、ほぼ全員が戦えるのだ。数の不利を覆すことも可能だったのだ」
守備に向いていない立地でありながら、他国の侵略を防いでいたのは、個々の戦闘能力の高さから。アドルフが答えたのは実に単純な理由だった。そして、アドルフは話を続ける。
「だが、そんなタードカハルも窮地に立たされたことがある。いかに屈強な兵士が揃っていようが、タードカハルは内陸の国。最初から四方を囲まれている状態だ。周りから数で押されれば、いつまでも侵略を阻止し続けることは難しい」
「どうなったんですか……?」
美月はいつの間にかアドルフの話に聞き入っていた。アドルフも自分の話を真剣に聞いている若者に満足している様子。
「一人の救世主が現れた。その者はアルター教の敬虔な信者で、高位の僧だった。自ら先頭に立って、激化する侵略に対して真っ向から立ち向かったのだ。タードカハルの歴史書を見る限りでは一騎当千の強者。侵略者という罪人を浄化していくことから、いつしか浄罪の聖人と呼ばれるようになった人物だ」
「浄化って……要するに殺してまくったんだろ?」
真が怪訝そうに言う。本当に歴史とは言い方一つだ。とはいえ、侵略を受けていたのだから、正当防衛なのだろう。
「そうだな。実際にはかなり残虐な殺し方をしていたそうだ。敵であれば容赦なく殺すのが浄罪の聖人だったようだ。アルター教に真教と名乗る派閥ができたきっかけも浄罪の聖人だ。だが、正教にとっても、浄罪の聖人は重要な存在。タードカハルの危機を救ったことには違いないのだからな。どちらの派閥にも聖人として崇められている存在だ」
「で、その歴史の話はまだ続くのか?」
いつになったら本題に入るのか。真はいい加減、長話にも付き合っていられなくなっていた。
「心配するな、ここからが本題だ。浄罪の聖人の亡骸は、聖遺物として、タードカハルにあるアルター教の聖堂の奥に祀られている。そこは一般には立ち入ることのできない聖域とされている場所だ。その聖域から、浄罪の聖人の遺骸を我が国に運んできてほしい」
「はぁッ!? そんなことしたら、アルター教が黙ってないだろ!」
驚愕に真が声を荒げた。浄罪の聖人の遺骸は聖遺物として祀られているとアドルフも言っていたのだ。そんな、アルター教の宝を聖域から持ち出すなど、対立のきっかけになりかねない。
「そ、そうですよ! そんな大事なものを持ち出すなんてッ!」
彩音にしては珍しく、強い反論をしていた。そんなことをすれば、真の言う通り、アルター教が黙っているわけがない。
「ど、どういう理由なんですか!? どうして、聖人の遺骸をセンシアル王国に持ってこないといけないんですか!?」
当然、美月も反論する。アルター教は浄化を目的として、自らを研鑽しているから、屈強な兵士としても活躍できたという話だ。そんな宗教と一触即発の事態になりかねない案件だ。
「先に、アルター真教が関係していると言ったな」
「は、はい……」
美月の目には疑念が浮かんでいた。何か危ないことをさせられるのではないかという疑念。だが、アドルフは話を続ける。
「アルター真教は数こそ少ないものの、非常に危険な存在だ。タードカハルの安定を守るためにも、厄介な存在なのだよ。それは、真教の思想からも分かるだろう」
「えぇ……まぁ……」
「それは、我が国にとっても、正教にとっても同じなのだ。タードカハルはセンシアル王国の属国となってから、侵略者と戦う必要がなくなった。それは、アルター正教が大半を占めるタードカハル国民も喜んで受け入れていることだ。だが、真教からすれば、それで世界の浄化が達成できるわけではない。奴らは積極的に他国に戦いを仕掛けて、浄化するべきという考え方だ。その活動が近年活発化してきている」
「それと、浄罪の聖人の遺骸を運んでくるのとどう関係してるんですか?」
黙って聞いていた翼も質問を投げた。アルター真教が危険なことは理解できた。だが、アルター教の聖遺物を運ぶこととどう関係しているのか。
「浄罪の聖人はアルター正教、真教双方にとって重要なものだ。特に、真教にとってみれば、自らの派閥が生まれるきっかけとなったものだからな。いわば、真教にとっては、信仰の中枢、信仰の柱だ。それをセンシアル王国に持ってきて厳重に保管する。その後、真教の解体に乗り出す手はずだ」
「要するに人質じゃねえか! アルター真教が解体に応じなければ、浄罪の聖人の遺骸は二度とタードカハルには戻らないってことだろ? そんなこと正教も黙ってないだろ!」
真が声を荒げる。浄罪の聖人はアルター真教からすれば、いわばアイデンティティと言ってもいいだろう。それをセンシアル王国が手にすることによって、真教を黙らせるということだ。
「正教側とは話が付いている。アルター教徒の大半は戦争をしたくないと思っているのだ。今の安定した国が良いと考えているからな。それに、正教の司祭は我が国の息がかかった者が占めている」
アドルフは静かに答えた。既に手が回っていることなのだ。そういうことであれば、アルター教と揉めることはないのだろう。だが、真は一つ疑問があった。
「どうして、騎士団を動かさない? 俺達が運ぶ必要はないだろう?」
「手回しをしているとはいえ、さすがに王国騎士団が大々的に浄罪の聖人の遺骸を運ぶと、タードカハル国民からの反発が出るだろう。それに、真教に動きがバレてしまう。王国騎士団も異教徒の聖遺物を運ぶために派遣されるなど、認めるわけがない。だから、秘密裏に事を進める必要があるのだ」
アドルフの返答は理屈が通っていた。王国騎士団ではこの任務はできない。そもそも、王国騎士団は動かないのだ。
「なんで俺達に声をかけたんだ?」
真は質問を重ねる。タードカハルとの関係から、重要なミッションであることは理解できるし、これがシークレットとされていることも分かった。大々的に動けるものではないからだ。だが、どうして『フォーチュンキャット』にだけ、シークレットミッションが発生したのだろうか。ギルドなら、他にも大きなところはあるのだ。
「イルミナの迷宮での働きだ。特にアオイマコト。お前の働きが大きい。この任務は目立たないように少数精鋭で行かなければならない。その実力をもったギルドがお前たちだということだ」




