イルミナの魔書
暗転していた視界が光を捕らえると、先ほどまでいた場所とは全く別の場所に来ていた。
今いる場所は20畳ほどの部屋。古い石材で囲まれた部屋は数本の松明で照らされている。どこからか隙間風が入ってきているのか、時折松明の炎が揺る。
ヴィルムを倒し、アイテムを入手したことで、ワープのトリガーを引いたのだ。
暖色に灯された部屋の奥には台座があった。これも部屋と同じ石材で作れている。古く所々風化した台座。元々は華やかな装飾が施されていたのだろうが、それは面影を残す程度のボロボロの台座だ。
「これが、目的の魔書か……」
姫子が台座の上に目をやり呟く。台座の上には一冊の古い本が置かれていた。
「まぁ……他に見当たる物はないですしね……」
他に何かないか探しながら悟が答える。非常に簡素な部屋で、台座と本以外は松明しかない。
「本を取った瞬間、落とし穴が開くとかないよな?」
眉間に皺を寄せながらも、どこか不安げに姫子が言う。誰に対してというわけではないが、誰かに答えてほしいように見える。
「それは……保障できない……」
真は大丈夫だと言えればいいのだが、最後の最後に罠を仕掛けている可能性も十分考えられるため、無責任なことは言えない。
「分かってるよ、それくらい……」
少し苛立った声で姫子が返す。柄にもなく不安な事を言ってしまったことへの後悔もそこには含まれていた。
「罠は警戒しておかないといけないと思いますが、どうします? どんな罠があるか分からないので対処方法も分かりませんが……」
椿姫も不安げな声を上げていた。こういう時に総志なら率先して本を取りに行くだろう。しかも、最大限罠を警戒したうえで、本を手に取り、罠が発動しても咄嗟の判断で対処してしまう。
「それが問題なんだよな……。おい、悟。どうする?」
「ええと……そうですね……。この場合、どんな罠が発動するかを仮定して、それに対応できる形で行動するべきだと思います」
突然姫子に答えを求められた悟だが、こういう突然の振りはいつものこと。悟も慣れたものだ。瞬間的に思いついたことを話す。
「結局どうするんだよ?」
だが、悟の答えは漠然とし過ぎている。具体的にどうすればいいのか姫子には分からない。
「一つは、姫がおっしゃった通り、落とし穴を警戒するっていうことですね。他には……、敵が襲ってくるとか、矢が飛んでくるとか、上から何か落ちてくるとか……それくらいですかね?」
悟はさらに考えて推論を展開する。ぱっと思いつく限りの罠はこれくらい。それ以上の突飛容姿もない罠が発動されてしまったら対処の仕様がない。
「ってことは、罠が発動しても生きていられる奴が取るしかねえよな……」
姫子はそう言うと、徐に真の方に目をやった。悟や椿姫、咲良も同様に真の方を見ている。フォーチュンキャットメンバーも無意識に真の方を見てしまったが、その意味に気が付いて、すぐに目線を外した。
「俺かよっ!?」
真は視線が集中していることと、その意味を理解してい声を上げる。
「お前しかできる奴いねえだろ? 落とし穴に落ちた先にキマイラみたいなのがいたらどうする? お前以外に単独で勝てる奴がいるのか?」
驚いた声を上げる真に対して、姫子は冷静に言い放つ。
「そ、そうだけどさ……」
姫子が言っていることはまさにその通りだった。だから、真も言い返せない。真なら余裕で勝てる敵も他のメンバーでは死に至る。
「ま、待ってください! 真にだけそんな危ないこと……」
美月が抗議しようとするが、途中で止めた。今までの道中で姫子は率先して先頭に立ってきた。最初の部屋に入った時も、まず姫子が部屋の安全を確認していた。何も真にだけ危険なことを押し付けようというわけではないのだ。状況から判断して、最も安全な方法を模索した結果、真を指名するとう結論に至ったに過ぎない。
「美月……。気持ちは分かるけど、ここは引いて」
椿姫が諭すように声をかける。それは美月だけにかけた言葉ではない。フォーチュンキャット全員に向けた言葉だ。
「あんただったら、槍が刺さっても問題ないんでしょ?」
ぶっきらぼうに咲良が言う。総志でも罠によって発動した槍が刺されば問題がある。だが、真なら何の問題もない。それが悔しいとは思いつつも、今は真に頼るしかない。
「問題ないことはねえよ……。刺さったら痛いよ――くそっ、分かったよ……俺が本を取る」
「真君っ!?」
声を上げたのは華凛だった。美月は椿姫に言われて引き下がっていたが、華凛はそうではなかった。罠が発動したとしても、真なら大丈夫。それは分かっているのだが、また、離れ離れになってしまうかもしれないという不安は大丈夫ではない。
「心配ない。落とし穴に落ちた時みたいに無警戒じゃないしな。罠があることを前提に動くんだ。なんとかなる……と思う……」
これは華凛だけではなく、真自身にも言い聞かせた言葉だ。真も怖くないわけではないのだ。レベル100の最強装備だから、ゲームの槍が飛んできて頭に刺さっても大丈夫なのだが、だからと言って歓迎できるものでもない。
それに、どれだけ強くても、強さとは無関係に死ぬような罠の可能性はあり得る。
それでも、一番生き残る可能性が高い真が魔書を取らないわけにはいかない。
真は呼吸を整えて一歩踏み出す。
さらに一歩、もう一歩と台座に近づいていく。慎重になり過ぎているかもしれないが、何があるかわからないのだ。これくらいでも足りないと思った方がいいだろう。
「取るぞ……」
真は手の届く距離まで台座に近づいた。おそらく台座と同じくらいの年月は経っているであろう書物だが、不思議とそこまで風化している様子はなかった。手に取った瞬間にページが崩れ落ちてしまうようなこともなさそうだ。
「ああ……」
小さく姫子が返事をする。悟は周囲を警戒し、他のメンバーもすぐに動けるように真から目を離さない。
「ッ!!」
真は一呼吸で本を手にすると、バッとその身を後方に飛ばし、床を転がるようにして台座から離れた。
「――ッ!?」
真はすぐさま体勢を立て直すと、周囲に警戒を広げる。それは周りのメンバーも同じ、臨戦態勢のまま、何か起こらないか注意する。
が、部屋の中は静寂が包み込むだけ。松明が燃える音すら聞こえてくるほどの静けさ。何も起こらない。
「…………」
だが、警戒を緩めることはできない。この世界でミッションを生き延びてきた者なら誰しもが経験すること。それは、油断をしたところを狙われる。真が落とし穴に落ちたのもそのせいだ。
そして、変化は起こった。
視界が暗転したのだ。静寂のまま見える世界が闇に包まれた。それは数秒のことだったが、罠を警戒している時に視界が暗転すると、気が動転する。
何かしらの罠に嵌れた。そう思われたが、数秒後には視界が回復し、今までいた所とは別のところであることが理解できるようになる。視界の暗転はワープによるものだとすぐに理解できる。
「無事か?」
咄嗟に武器を構えた姫子が確認する。
「だ、大丈夫です……」
床に這いつくばるようにしている美月が答える。よく見ると彩音や華凛も同じように床に這いつくばっていた。視界が暗転したことをワープではなく、罠が発動したと勘違いしていたのだ。
「こっちも大丈夫です」
バトルスタッフを握り締めたまま、椿姫も返事をした。横にいる咲良も短剣を抜いている。
「ここって……入口か?」
ワープさせられた場所はどこなのか。それを確認しようと真が景色を見たところ、見覚えのある物があった。それは、床に描かれた各職の絵。この絵に対応する職業が乗ることによって、イルミナの迷宮の中に入っていった。1日も経っていないのだが、随分前のような気がしてくる。
「魔書は……あるな」
真は手に魔書を持っていることを確認した。魔書を取ったことでワープの条件が整い、そして、入口にまで戻ってきた。結局何も罠は無かったということだ。
「これで、終わり……なんだよね?」
美月も今どこにいるのか把握していた。真の手に魔書があることも同時に把握する。となれば、もうこの迷宮に用はない。
「やっと終わったーーー!」
翼が心の底から声を出す。このミッションは本当にしんどかった。常に緊張が付きまとい、しかも途中で真と離れてしまった。そんな中で強敵と対峙した。肉体的にも精神的にもかなり疲労している。
「まだ気を抜くなよ! ミッションが終わったというメッセージが来るまでは何があってもおかしくないんだ!」
「あ、はい……」
姫子に言われて、翼が緩めた警戒を再度、引き締める。
「よし、こんな所とはさっさとおさらばだ。行くぞ」
姫子はそう言うと再び先頭に立って歩き始めた。イルミナの迷宮がある岩山の外に出るため、他のメンバーも追随して歩き出す。早くこんなところから出たいという気持ちは全員共通している。
歩くこと数分。早く出たいという気持ちが逸る中、それもで慎重に歩みを進めていき、出口が見えた。
外の景色は既に夜だった。岩砂漠の空には雲は一つもなく、乾いた空気は砂埃を舞わせながらも、空には満天の星が輝いている。
「戻ってきたか、ご苦労だった」
真たちがイルミナの迷宮のある岩山を出てきて、すぐに一人の男から声をかけられた。低く静か声だが、力のある声。
「そ、総志様ーーー!!!!」
その声にいの一番に反応してのは咲良だった。溢れんばかりの感情を瞳に宿して、総志の方へと駆け寄る。そして、軽くあしらわれる。
「紫藤さん……ずっと一人で待ってたのか?」
姫子も総志に近づいて声をかけた。このタイミングで自分たちが戻ってくるなど、総志には分かりようがないことなのだ。
「ああ、蒼井がいるのだから、それほど時間はかからないだろうと思っていたが、思っていたより時間がかかったな。何かあったか?」
「簡単に言わないでください! それはもう大変だったんですからね!」
淡々と言う総志に対して椿姫が口を尖らせた。どれほど大変な目に遭ったのか、総志なら想像できるはずなのだが、紫藤総志という超人は尺度が違うのだろう。
「そうか、すまなかったな。それより、全員無事帰還したようだな」
総志は、疲労困憊といった表情を見せているミッション遂行メンバーの顔を見渡した。ただ一人、余裕が残っているのは真だけ。
「ああ、蒼井のおかげだ。こいつがいなければ全滅していた」
姫子は疲れた表情の中からも優し微笑みで真を見る。最初は真がミッションに参加することを反対していた姫子だが、総志の言っていたことは正しかった――いや、正しくはなかった。ここまで飛びぬけて強いとは聞いていない。
「いや……まぁ……、その……俺もヘマしてしまったから……それは、悪かったと思ってる……」
年上の女性から褒められて、恥ずかしいような、ムズ痒いような、嬉しいような複雑な感情で、真は上手く返答ができない。
「蒼井がいればミッションは成功する。最初からそう言っていただろ? 兎も角だ、皆も疲れているだろう。タードカハルに戻る前にここで野宿だ。まずは体を休めてくれ」
戦闘特化の椿姫や咲良でさえここまで疲労しているにも関わらず、まだ戦えそうな真を見て、総志は静かに笑う。本当にこいつだけは測りようがないと。
そして、総志の提案に反対する者などいるはずもなく、総志が用意した食事を食べ、ようやく人心地着いたのであった。