迷宮 XXIV
「いい加減、貴様の相手をするのは嫌なのだがねッ!」
パチンッ
ヴィルムは怒気を含んだ声を発すると同時に指を打ち鳴らした。真との距離が空いたおかげで、ヴィルムに攻撃の機会が訪れたのだ。当然、ヴィルムはその機会を逃さない。再び真が押し迫ってくる前に次の一手を打つ。
「ッチ!」
真が舌打ちをする。ヴィルムとの距離を詰めようと動き出す寸前、ヴィルムの方が先に仕掛けてきた。どんな攻撃をしてくるのか予測できない以上、迂闊には動けない。
真がいればヴィルムは敵ではない。戦闘技術ではヴィルムに分があるとしても、力は真が圧倒的に上だ。そのことをヴィルムが理解しているから逃げ回って攻撃の機会を待つという戦法に出ている。
そう、普通に戦えるのであれば、勝が確定している出来レースなのだ。
しかし、そうはいかない。抜け落ちたパネルの先は奈落の底だ。落ちれば二度と上がっては来れない。ヴィルムからしてみれば、真を落とすことしか勝機がない。逆に言えば、真さえ落としてしまえばヴィルムが圧倒的に有利になる。
「次は何だ……?」
緊張の面持ちで姫子が身構える。次はどんな手を使ってくるのか。背中に嫌な汗を感じたその時だった。
残された19枚のパネルの内、3枚が赤く光だした。
「赤!」
咄嗟に声を出したのは翼だった。これは一度見たパターンだ。対処方法も分かっている。赤く光っているパネルの上にいなけれいいだけ。
別のパターンの攻撃が来ると思っていた矢先に、知っているパターンで来たことで、翼が声に出してしまったのだ。
だが、その赤い光はすぐに消えてしまう。何も起こらずに消えた赤い光に、一同は不思議な顔をする。
その束の間、次は16枚のパネルが青く光り出した。
「あ、青です!」
今度は彩音が声を上げる。赤く光ったパネルには何も起こらず、続いて別のパネルが青く光った。赤く光ったパネルはなんだったのか。それが分からないまま、とにかく青く光るパネルの上に乗る。青が来た場合は、光っていないパネルが崩れ落ちるのだが……。
その青い光も、何も起こらないまま消えてしまう。
「また……消えた?」
どういうことなのか分からず、美月が訝し気な顔をする。何かあるはずなのだが、単なるフェイントなのだろうか。
そして、すぐさま中央にある一枚のパネルが黄色く光った。
「今度は黄色……」
何も起こらず、床のパネルだけが光っている状態に華凛もどうしていいか分からずにいた。中心にあるパネルが黄色く光れば、その後、爆発が起きて吹き飛ばされる。その時に、空いている穴に落ちないようにして位置取りをしないといけないのだが……。
これも何も起こらず、黄色い光は消えた。
「何がしたい……?」
真がヴィルムの方に目をやる。ヴィルムがやったことは残っている床のパネルを赤、青、黄色の順番に光らせただけ。何の攻撃もしてきていない。ヴィルム自身も動かずに真達の方を傍観しているだけだ。
(なんだこの違和感は……。なんでヴィルムはあんなにも……)
真の目にはヴィルムが楽しそうにしているように見えた。実際には薄ら笑いを浮かべた仮面をしているため、仮面の下の表情は伺えない。声も出しいないので、楽しそうにしているというのは、真が単にそう思っただけにすぎない。
それでも、ヴィルムが楽しそうにしていると分かった。根拠はないが、漠然とそう思うのだ。そのことが真の勘に鋭い警告を鳴らしている。
(追い詰められてるのはあいつの方――ッ!?)
そこで真はハッとなった。真がヴィルムを追い詰めているのだ。遊んでいる余裕などない。何か仕掛けてくるに決まっている。そう、既に仕掛けられているのだ。
「どこだッ!?」
何かに気が付いた真が辺りを見渡した。
「どこ……?」
真の様子が急変したことに美月が不安そうな目を向ける。真の様子は明らかに焦っていた。何に焦っているのか分からないが、とにかく焦っている。今までにないくらいの焦り方に美月の不安も大きくなってしまう。
「ここだ! ここに集まれ!」
唐突に走り出した真が、一枚のパネルの上に乗った。そこは中心のパネルの斜め横。部屋の入口がある方向を南とするなら、中心のパネルの北西に位置する場所、パネルの角と角が点で触れ合う位置だ。
「早くしろ! 間に合わなくなるッ!」
絶叫にも似た真の声が響いた。真がここまで声を張り上げることは珍しい。だが、そのことが仲間の動きを迅速にさせた。無類の強さを誇る真が、それほどまでに切羽詰まっているのだ。
全員が慌てて真のいるパネルの上に駆け寄ってくる。
最後の一人、彩音がパネルの上に辿り着いたかどうかという時、部屋の中心にあるパネルが猛烈な光を放った。
「きゃああーーーっ!?」
誰が上げたのか分からない女性の悲鳴は、火山が噴火したような強烈な光と爆発にかき消された。これは、黄色に光るパネルに起こる現象だ。
その眩い爆発の光に連鎖反応を起こすようにして、6枚のパネルが崩れ落ちた。崩れ落ちた場所は、先ほど赤く光ったパネル3枚と、青く光らなかったパネル3枚の計6枚。
「ぐっ……、大丈夫か……?」
視界が回復した真が仲間の安否を確認する。真達が吹き飛ばされた先は、部屋に残されたパネルのうち、四隅に唯一残った一枚だ。
「ああ、大丈夫だ……」
姫子の返事が返ってきた。
「ええ、何とかね……」
続いて椿姫が返事をする。どうやら他の皆も全員無事のようだった。
「赤、青、黄の全部が同時に来たってことか……」
膝を付いていた悟が立ち上がり、真の方に目をやる。それは驚愕に値した。真は何が来るのか分からない状況で、赤と青のパネルを覚えていたのだ。そして、全てが同時に来ると気が付き、瞬時に安全地帯を見つけて移動した。
「ああ、そうだ。何もしてこないなんてことは絶対にないからな」
真はヴィルムを睨みつけながら応える。
「凄い……」
椿姫から声が漏れていた。椿姫も起こったことに対して理解が追いついたところだ。理解したからこそ、真が取った行動の凄さを実感する。もし、敵の手の内を知っていたとしても、ここまで完璧に動くことができるだろうか。もしかしたら、強さだけでなく、瞬間的な判断能力も紫藤総志という超人を超えているのではないかと思えてくる。
「これはゲームだから、絶対に攻略法があるんだよ。ヴィルムもそのルールに縛られてる。絶対に対処できないような攻撃はしてこない……いや、できないんだ」
真はヴィルムから目線は外さず、椿姫に応える。これは現実をゲーム化した世界だ。ゲームである以上攻略法は用意されている。それに気が付くかどうかが問題なのだ。
ウルスラン神殿のミーナスにしても、ゼンヴェルド氷洞のシルディアにしても、即死攻撃を仕掛けてくるが、何らかの回避方法があったはずだ。犠牲を出さずに倒す方法は用意されているはずなのだが、初見でそれに気が付くことなど不可能に近い。
「貴様ァ……、何度も何度も何度も何度も……! しつこいしつこいしつこいしつこい! いい加減にしろ! いい加減にしろ! いい加減にしろ!」
ヴィルムが怒声をまき散らした。この攻撃で仕留めたかったのだろう。だが、真はヴィルムの手の内を見破り、見事に回避して見せた。そのことが、ヴィルムを逆上させる。
「ああ、そうだな……俺もそう思ってたところだよッ!」
真は大剣を手に、猛然と走り出した。一直線にヴィルムに向かて行く。
「貴様は邪魔なんだ! 邪魔なんだ! 邪魔なんだ!」
ヴィルムは大きく手を振りかざすと、何もない空中から無数のナイフが現れた。
「さっさと死ね!」
ヴィルムは走ってくる真目がけて手を突き出した。同時に空中に浮かぶナイフの群れが一斉に真目がけて飛来する。
「こっちのセリフだ!」
だが、真は回避行動の一切を取らずに、ヴィルム目がけて猛進する。
「なぜだ! なぜ止まらない! なぜ止まらないィッ!」
真は再び肉迫する距離にまでヴィルムに接近すると、踏み込みからの斬撃を放った。
<スラッシュ>
真の鋭い一撃はヴィルムの身体を袈裟斬りにする。
「くッ……!」
真を止めることができずにヴィルムは後退する。至近距離は真の距離だ。ヴィルムも攻撃手段はあるが、相打ちになる。相打ちの状態ではヴィルムの方が圧倒的に被害が大きい。だから、何としてでも逃げて、距離を取らなければならない。
「逃がさねえよ!」
ヴィルムが後退することは真も想定済みだ。49枚あったパネルも今はもう13枚。足場がほとんどないということは真にとっても不利になる要素だが、ヴィルムにとっても逃げ場をなくしていた。
「自分で仕掛けた罠に追い込まれてたら世話ねえな!」
<パワースラスト>
後ろに飛んだヴィルム目がけて真が大剣を突き出した。勢いよく押し込まれた大剣はヴィルムの身体を貫通する。
「クソガキがァー!!!」
けたたましくヴィルムが吼える。突き刺さった大剣はかなりの痛手だ。しかも、距離は相手の有利な至近距離。
<ライオットバースト>
真はそのまま連続攻撃スキルを発動させた。突き刺した大剣が激しい光を放つと、剣全体から猛烈なエネルギーが破裂する。
ライオットバーストはスラッシュから派生する連続攻撃スキルの3段目で、攻撃の後にも継続してダメージを与え続ける効果がある。
「追い詰められているのは貴様の方だ!」
ヴィルムは真の攻撃を喰らいながらも不敵な声を出してきた。
パチンッ
ヴィルムが指を鳴らすと、真とヴィルムが立っている場所の、すぐ横のパネルが黄色く光だした。ゲームであるため、敵が自分の攻撃を喰らって自滅するようなことにはならない。中には正攻法として、敵の攻撃で自滅させるということもあり得るのだが、そうでなければ、敵が自分の攻撃に対して、喰らったという判定はされないのである。
「さぁて、どこが安全なんだろうね?」
だから、黄色く光るパネルの爆発にヴィルムが吹き飛ばされることはない。
嬉しそうなヴィルムの声が聞こえてくるが、不快なその声にも真は耳を貸さず、すぐさま安全な場所がどこかを探す。
黄色く光るパネルが爆発するまでの時間は短い。その間に安全なパネルを見極める必要がある。真が咄嗟に判断を下し、素早く移動を開始する。
「残念でしたぁ~。そこはハズレだよ!」
ヴィルムが至福の声で言う。真が選んだパネルは危険なパネル。黄色く光るパネルの爆発によって、確実に穴に落とされる場所だ。
そして、黄色く光るパネルが激しく光り、爆発を起こす瞬間、真とヴィルムの目が合った。
「ッ!?」
ヴィルムは一瞬戸惑った。真の目には余裕があったからだ。なぜ余裕があるのかヴィルムには理解できない。理解できないが、構わなかった。もう終わるのだ。黄色く光るパネルは強烈な光を放ち、その爆発によって真は吹き飛ばされたのだから。その先に待っているのは奈落の底。
<レイジングストライク>
真は爆発に吹き飛ばされながら、スキルを発動させた。
猛禽類が獲物に襲い掛かるような強襲が、ヴィルム目がけて飛びかかってくる。
レイジングストライクはベルセルクの持つスキルで、離れた相手に向かって一気に距離を詰めることができるスキルだ。
真は吹き飛ばされた体勢からレイジングストライクを発動させ、ヴィルムに飛びかかることで、奈落の底に落とされることを回避したのだ。