迷宮 XVII
<スラッシュ>
飛び込んできたベルセルクは赤黒い髪を踊らせながら大剣を振りかざす。
「ゴォアァァーーーー!!」
キマイラの狙いはすぐにベルセルクに移った。パラディンの姫子が注意を引き付けていたにも関わらず、この一連の動作だけで簡単に敵のターゲットを奪ったのだ。
敵にとって最も厄介な相手が攻撃の対象になるのが、MMORPGの敵対心というシステムだ。敵にとって厄介なものとは、自身に対する強烈な攻撃や攻撃対象を回復させる行動。要するにやられたら腹が立つ行動だ。
パラディンやダークナイトといった盾役は敵の狙いを引き付けることに特化している。それは、攻撃や回復といった敵にとって苛立つ行動から来るものではなく、無条件に敵対心を上げるスキルを持っているからに他ならない。
だから、敵にとってよっぽど痛い行動を続けていなければ、おいそれと盾役の敵対心を他の職が上回ることはないのだ。
「ま、真ッ!?」
驚きと喜びに目を開いた美月がベルセルクの名を叫ぶ。何かが飛んで来た時に聞き覚えのある音だと思った。それは真のスキル、ソニックブレードが放つ高音。遠くの敵に対して真がよく使うスキルだ。そこからレイジングストライクで飛び込んでくるのも真がよくやるパターンだ。
「蒼井……?」
姫子は突然のことに呆然としていた。ついさっきまでキマイラの狂暴な攻撃にさらされてたのだが、一瞬で敵の狙いが逸れた。もはやキマイラは姫子の方を見向きもしていない。
「赤峰さん! 回復を!」
冷静に動いたのは椿姫だった。いきなり真が現れたことには椿姫も驚きを隠せないが、今はそれどころではない。深刻なダメージを負った姫子と悟の回復が優先だ。どういう経過があったかは分からないが、真が来たのであれば、化け物は任せておけばいい。
「あ……、あぁ……」
椿姫に指示されるまま、姫子はキマイラから距離を取る。悟もそれに倣って安全な場所へと後退する。
「美月、手伝って!」
真の方へと意識が飛んでいる美月に向かって椿姫が指示を飛ばした。
「は、はいっ!」
椿姫の声に意識を戻された美月が再び姫子と悟の回復に専念しだした。
「はぁ……。ありがとう……助かったよ……」
姫子から礼と共に安堵の息が漏れる。しかし、まだ戦いが終わったわけではない。一旦後退したに過ぎない。凶悪なキマイラは未だに牙を剥いて真に襲い掛かっている。
だが、真は一歩も引いていなかった。姫子と悟が盾で受け止めるだけで精いっぱいだった攻撃を難なく回避し、正面から斬りつけている。こんな戦い方ができるのは相手が格下の雑魚だった場合くらいのものだ。
(あいつにとって、あれは雑魚でしかないのか……)
姫子が複雑な思いを胸に心中で呟く。一方的にやられた相手が、真にとっては雑魚でしかないという事実。最強のパラディンと言われた自尊心が傷つくところはあるにしても、今はこれで助かるという事実の方を快く受ける。
その時、キマイラが大きく頭を上げた。胸を張って息を吸い込んでいる。この後にくるのは猛烈な炎の息。
「――ッ!? 蒼井! 避けろ! 炎だ!」
真の戦いを見ていた姫子が慌てて叫んだ。この炎を受けて、姫子も悟も戦線を離脱することになったのだ。
「!?」
姫子の声を聞いた真はすぐに反応を示した。『炎』という言葉から、キマイラの口から吐き出されるものと推測。前方が危険だと判断して側面に回り込む。
「だ、駄目だッ! そっちは――」
バリバリバリバリーッ!!!
姫子の叫びが真に届くかどうかの瀬戸際。キマイラの背から生える山羊の頭が電撃を撃ってきた。
「ぐっ!?」
電撃を直に受けた真の動きが止まる。山羊が放つ電撃にはダメージだけでなく、動きを止める効果も付与されていた。
ゴオオオオオオオオオオオオーーーーーーー!!!
止まった的に目がけてキマイラが勢いよく炎を吐き出す。細身の体は一瞬の内に炎の奔流に飲み込まれてしまう。
「真ーッ!」
パラディンとダークナイトに致命の一撃を与えたキマイラの炎。そんなものが真に直撃した。堪らず美月が悲鳴じみた声を上げる。
「熱っちぃーッ!」
誰もが危機的な状況を想像したが、直撃を受けた真の方はぴょんぴょんと飛び跳ねる程度。熱そうにはしているが、それだけだった。
「グォアァーーーーー!」
キマイラの手は止まらない。吐き出した炎に続いて鋭い爪で真に襲い掛かる。熱で意識が外れたところに爪による強襲。これに真の反応は遅れてしまう。
ズシャッと振り下ろした狂爪が真の身体を引き裂いた。
「あっ、痛!」
キマイラの爪はパラディンやダークナイトが盾を使ってもダメージを受けるほどの強烈な攻撃だ。それほどの爪の直撃を受けたにも関わらず、真は少し痛がる程度でしかなった。どちらかと言えば、その光景を見ている仲間の方が息が詰まっていた。
「あー、もう! こいつ、鬱陶しいなっ!」
炎に焼かれたことに真は若干苛立っていた。そこに爪で攻撃をされたわけだから、さらに苛立ちが募る。
<ショックウェーブ>
真はキマイラを睨み付けると大剣を大きく振りかざした。放たれるのは獣の咆哮のような激しい剣圧。
ショックウェーブは一直線に伸びる範囲攻撃。攻撃の範囲が直線上に限られるが、その分威力は大きい。
「ゴォウワァァァーーッ」
真が放った激烈な剣圧に飲み込まれたキマイラは苦悶の泣き声を上げる。天井に向けて大きく口を開き、そのまま横倒しに倒れていった。
「ふぅ、こんなもんか」
真が一息つく。この程度であればノーダメージで倒したかった相手。だが、初見で炎までは躱せても、電撃との連携までは読めなかった。そこで思わぬダメージを受けてしまったのが悔しい。ただ、受けたダメージは大したことないのでよしとする。
「真ー!」「真君!」「真さん!」
キマイラを倒してすぐに美月、華凛、翼と彩音が駆け寄ってきた。
「悪い。遅くなった」
若干ばつの悪そうな顔で真が応える。落とし穴に落ちてしまったのは、完全に真のミスだ。それで仲間が危険な目に遭ってしまったのだから、責任を感じずにはいられない。
「よかった。真が無事でよかった……」
真が感じている責任とは別のところで美月が安堵の声を漏らす。真なら一人になっても問題はない。それは美月が一番よく分かっていることなのだが、根拠のない不安というものがどうしても付き纏っていた。
「真! 遅いわよ! ほんと、こっちは大変だったんだからね!」
少し涙目の翼が真に突っかかる。堪えていたものが、真という安心によって緩んでしまった。それが恥ずかしくて余計に突っかかる。
「あ、ああ、すまん……」
真には詳しい事情がよく分からないにしても、大体の想像はつく。落とし穴に落ちてから、ここに来るまでにも巨大な甲冑魚やサイクロプスに襲われたのだ。翼の言うように大変だったのだろう。
「あぁ……真君……」
華凛は華凛で泣きそうな顔をしている。不安というか、精神的に最も不安定だったのが華凛だ。華凛にとっての真は力の象徴であり、強さそのものであり、心の支柱でもある。
「ハハッ……こんなにあっさり倒せるのかよ……。でも、蒼井……おかげで助かった」
乾いた笑いとともに姫子がやってきた。その顔にはかなりの疲弊が浮かんでいる。隣にいる悟も同じだ。一気に年齢が倍増したのではないかというくらいに消耗した顔をしている。
「あ、あの……すみません……」
真が不注意にも落とし穴に落ちてしまったことを謝罪する。それがなければこの2人がここまで憔悴することもなかったのだ。
「いや……いいんだ、蒼井君。あれは仕方ないよ……。あの落とし穴は知らずに回避できるようなものじゃない」
謝る真に対して悟が声をかけた。光源の乏しい地下の下水道で地味な落とし穴を回避しろと言う方が無理なのだ。真に責がないと言うことくらいは悟だけでなく、他の皆も分かっていることだ。
「兎に角、無事に合流できて良かった……。蒼井……お前がいないことで思い知らされた……。蒼井がいなければ命がいくつあっても足りない……」
姫子が真の肩にポンッと手を置く。疲れ切った表情が緩んだように見えた。
「い、いや、そんな……そんなことはないよ……ですよ……」
いつも怒られていた相手から手放しで褒められるというのはなんともむず痒い。どう反応していいか分からず、真の日本語もおかしくなっている。
「そんなことはあるのよ。蒼井君、この先もあなたが頼りなのよ」
照れる真に椿姫が声をかけた。後方では咲良が複雑な表情をしている。その理由は真にも理解できる。総志との力の差を見せられて悔しいが、真が来なかったらどうなっていたのかと。その葛藤に悶えているのだ。
「真さんとも無事合流できたので、本格的に休憩しましょう……。私……もう、これ以上は……」
苦笑いの彩音が提案する。積極的に提案するようなことがない彩音がこうも言ってくるほどに消耗しているのだろう。それは、真以外全員に言えることだった。
「そうしよう……あたしもしばらくは動けねえ……」
彩音の意見に姫子が早々に賛成に意を示すと、他のメンバーも異を唱えることなく、続々と休憩に入っていった。