迷宮 Ⅸ
ドボンッ!
重力に引かれるまま、落下してきた真を受け止めたのは水だった。
真は休憩する仲間のために、辺りにモンスターがいないか偵察に行こうとした直後、いきなり足場がなくなって落ちた。それが落とし穴であることはすぐに分かった。分かったのだが、どうすこともできない。情けない悲鳴を上げたと思う。慌てて体を動かしたが、掴めるのは空気しかなく、自由落下を止めるものはなにもなかった。
「プハーッ!」
真が水面から顔を出して、止めていた息を開放する。どれくらいの高さを落ちて来たのか。時間にして数秒程度だったと思う。ビルの高さで言うと3階~4階くらいだろうか。
(どこだここは……?)
真が上を見上げた。岩で覆われている天井に1メートル四方ほどの四角い穴が開いている。天井までの高さは3メートルほどか。あそこから落ちてきのは間違いないだろう。
次いで周りを見渡すと、岩で囲まれた湖であることが分かる。広さもかなりある。野球の球場くらいはあるだろうか。深さはかなり深い。立ち泳ぎをしながら水深がどれほどあるか見るが、底まで見通すことができないほどだ。
(地底湖か……。たぶん、これはゲームの方だな)
下水道の下に都合よくこんな大きな地底湖があるとは思えない。それに、ウィル・オ・ウィスプが周りにいなくても視界が確保されている。
(くっそ……、どうして現実世界に罠があるんだよ……)
真は完全に無警戒だった。罠が仕掛けられている部屋を突破して、安全地帯に着いたと思っていた。その矢先に、落とし穴という原始的な罠に嵌められた。そのことが単純に腹立たしい。
(あそこから行けそうだな)
真の目線の先には水面から出ている岩場が見えた。岩場には丁度足場になりそうなところがあり、岩を上った先には地面が見える。
真がその岩場のある方へと行こうとした時だった。水中に大きな影が現れた。
影の数は一つ。大きさにして7~8メートルほど。暗い水底から這い上がるようにして真目がけて巨大な影が近づいてきた。
「うわーッ!?」
真を狙って襲い掛かって来たのは巨大な甲冑魚だった。見るからに硬そうな鱗と頭部は、まるで全身に甲冑を纏っているようだ。そして、特徴的な大きな歯。鉄でも噛み切れそうなほど強固な歯を持っている。それはまさに太古の海に存在していたと言われる古代魚。それが真下から噛みつこうと大きな口を開けて突撃してきたのだ。
真は咄嗟に大剣を構えて、巨大な甲冑魚の鋭い歯を防ぐと同時に弾き飛ばされた。勢いよく突撃してきた巨大な甲冑魚はそのまま中空へ体を晒すと、体を捻って水面を叩き、盛大に水しぶきを上げる。そして、再び地底湖の底へと潜っていく。
(水中だと分が悪いッ)
真はレベル100の最強装備だ。あの巨大な甲冑魚より真の方が圧倒的に強いだろう。だが、場所が悪い。水中での機動力は魚の方が圧倒的に上だ。先ほどのように甲冑魚の歯を大剣で防ぐ方法くらいしか回避行動がとれない。しかも、こちらから攻撃しようにも、水底深くまで潜られると手が出せない。
(足場さえあれば!)
真は急いで水を掻き始めた。目指すは地面へと続いている岩場の上。本気で泳いだのは何時以来だろうか。中学校の体育で、水泳の授業で泳いだのが最後くらいか。その程度の泳ぎしかできないとなれば、当然甲冑魚が再度襲い掛かってくるまでに岩場に辿り着くことはできない。
(応戦するしか……ッ!)
真を捕捉した甲冑魚はどんどんと近づいてきていた。みるみる内にその影は大きくなっていく。
<ソニックブレード>
真下から襲い掛かってくる甲冑魚に向けてスキルを発動させる。目には見えない真空のカマイタチが水中を切り裂くようにして飛んでいく。
スキルは水中でも問題なく発動していた。水の抵抗や足場がない不安定な状態でも、普段のようにスキルを発動させれば自動で体が動いてくれる。まるで水中にも地面があるように、しっかり地に足が付いた動きでスキルは発現している。
(こういうところはゲームで助かるな!)
ゲームでも水中の戦闘は多い。その際に、水中であることをリアルに忠実に再現しているゲームはほとんどない。RPGでも、水中の敵との戦闘で、炎の魔法や風の魔法が通常通りに使えるし、物理攻撃にしても水の抵抗を受けて威力が下がることはない。
とはいえ、機動性では圧倒的に負けていることに変わりはない。となれば、できることは攻撃の手を緩めないこと。
<クロス ソニックブレード>
真は続けざまに十字に大剣を振る。ソニックブレードから派生する連続遠距離攻撃スキル。これも地上に居る時と変わらず発現している。
(くそッ!? まだ止まらないのか!?)
巨大モンスターの特徴として非常にHPが高いところがある。この甲冑魚もその例に漏れず、真の攻撃を二回も受けているのにまだ倒れない。
甲冑魚は大きな口を開けて喰らいつこうと、真の足元まで迫ってきた。
<ソードディストラクション>
甲冑魚の鋭い歯が真に喰らいつく直前、タイミングを見計らって真がスキルを発動させた。
ソードディストラクションは、そのスキルを発動させる際に一度跳躍する。そして、体ごと斜めに一回転させて大剣を振るという動作をする。それは蹴る足場のない水中でも同じこと。物理的に飛び上がることができなくてもゲームの技として発動すれば飛び上がる。それを利用し、真は水中から跳躍し、甲冑魚の攻撃を回避した。
それと同時、ソードディストラクションがその効果を発動させると、破壊の衝動をそのまま顕現したかのような衝撃が周囲にまき散らされた。
カウンターで入ったソードディストラクションの衝撃。ベルセルクの持つ範囲攻撃スキルの中で最も威力が高く、スタン効果まで付いている強力なスキルなのだが、大型のモンスターにはスタン耐性を持っているものが多い。
この甲冑魚にもスタンが効いてくれればと半ば祈りながら撃ったスキルだったが、その必要はなかった。
「ふぅ……」
真が安堵の息を漏らす。スタンが効くかどうか以前に、甲冑魚は事切れていた。レベル100の最強装備をしたベルセルクの高威力スキルを受けたのだから、当然と言えば当然の結果。むしろ、二発の遠距離攻撃スキルを受けても倒れなかったと褒めるべきだろうか。
(どうして、淡水に海水魚がいるんだよ……。まぁ、ゲームだから仕方ないか……。それに、まだいるだろうからな。さっさと水中から出てしまおう……)
さっき倒した甲冑魚が強かったというわけではない。真以外の人間ならかなり手強いだろうが、真からしてみれば少しHPの高い雑魚。なのだが、もう二度と戦いたくはない。
身動きの取りにくい水中で、人間よりも遥かに大きな巨大古代魚が口を開けて襲ってくるのだ。勝てるからといっても遭遇したくない部類の敵だ。
(落とし穴に落ちたのが俺で良かったと思った方がいいかな……)
もし、落とし穴に嵌って、この地底湖に落ちてきたのが他のメンバーだったら。水中であの甲冑魚に勝てる者がいるだろうか。協力すれば勝てるのだろうが、一人だとかなり厳しい。助かるとしたら、身を隠して敵に見つからなくなるスキル、ハイドを持つアサシンの咲良くらいだろう。
そう考えると、真が落とし穴に落ちたことは良かったのかもしれない。それに、真が落とし穴に落ちたことで、現実世界にも罠があると思って警戒して進むだろう。そうすれば、真以外に一人で強敵と戦わないといけないという状況に追い込まれることがなくなる。
(とは言っても、早く合流しないとな……。美月達がこの迷宮に挑めるだけの強さはあるにしても、危険なことに違いない)
真がはぐれたことによる最も大きな弊害が戦力の激減だ。現状で最強のパラディンと言われる姫子にダークナイトでは上位の実力者である悟。『ライオンハート』の精鋭部隊である椿姫と咲良がいて、『フォーチュンキャット』のメンバーもそれに準じた実力は持っているが、それら全員を足しても真の方が圧倒的に強い。
(さっきの部屋みたいに戦闘能力があまり関係のない仕掛けだったらいいんだけどな……)
真が他のメンバーと合流できるまでにも突破しないといけない障害はあるだろう。それが、先ほどの部屋のように仕掛けが発動して天井が下がってくるような、攻撃力に頼らないものだったら真が抜けたことの損害は少ない。だが、単純に強いモンスターを倒すというのであれば、真がいないことによる危険度はかなり増す。
落とし穴に落ちたのが真で良かったと思う部分もあるが、やはり一抹の不安はぬぐい切れない。そんなことを考えている間にも岩場に辿り着き、ようやく足の着く場所までこれた。
(さてと、どう行けばいいのか……)
地底湖から上がった真が改めて周りを見渡した。落とし穴に落ちる前に向かっていた方向を考えながら、どう進むか模索する。
(ゲームだと落とし穴に嵌ったら、順路に帰ってきても前の方に戻されてるんだよな……。でも、そんなこと知らなかったら、皆は先に進もうとするだろうな……。進んできた道は間違ってなかったようだし……)
ゲームでの落とし穴の役割は足止め。例えば上に進んでいくダンジョンで、落とし穴に落ちると、下層へと戻されて、再び上に向かって進むという回り道をさせられる。双六でいうところの振出しに戻るだ。
そう考えると、落とし穴に落ちた仲間と合流するのであれば、戻ってくるまでその場を動かないのが一番合理的ということになる。とはいえ、そんなことはゲームをやっていない人間からすれば考えもしない。彩音はゲームの知識を持っているようだが、はたしてこの発想をするだろうか。それは分からない。
(この落とし穴が戻されるようなルートに繋がってるかどうかも不明なんだよな……。もしかしたら、別のルートに繋がってる可能性もあるからな……)
落とし穴に落ちて、元のルートに帰ってきたら前の方に戻されているというのは、あくまでそのパターンが多いというだけ。ダンジョン攻略をメインにしたゲームだと、戻されずに別の場所に出ることもある。
(落とし穴に落ちるっていうのが正解のダンジョンもあるけど、これは違うだろうな)
ダンジョン攻略の正規ルートとして落とし穴に落ちた先を進むというものもあるが、そういう落とし穴は引っかからないような場所にあるため、この落とし穴は単純に罠だろう。だが、正規ルートに繋がっていないとも言い切れない。
(あれこれ考えていても仕方ない。進むか)
はぐれた仲間がどのような行動を取るか、この先がどこに繋がっているかは推測の域を出ない。ただ、少なくとも真は前に進んで順路に戻らないといけないことだけは確かだった。