迷宮 Ⅷ
「うあぁ――」
ガンッ!
真の悲鳴が一瞬だけ響いたが、何かがぶつかる様にして閉まる音がすると、真の悲鳴も聞こえなくなった。
「えっ――!?」
突然の出来事に美月が目を見開いた。偵察に行くと言って歩き出した真が急に下へと落ちていった。訳が分からず思考が一瞬停止してしまう。
他の皆も美月と同じだった。あまりにも突然のことであり、全く予想だにしていなかったことで反応ができていない。
「「真ーッ!?」」「真君ーッ!?」
数瞬遅れて思考が追いついた美月と翼、華凛が悲鳴のように真の名前を叫ぶ。そして、すぐさま真が落ちたであろう場所まで駆け寄るが、落ちるようなところは見当たらない。
「待って! 近寄らないで! 蒼井君は何かの罠に嵌ったんだと思う!」
咄嗟に警告を発したのは椿姫だ。慌てて真が落ちていった方へと向かう少女らにも罠が発動してはさらに被害が増大する。それは何としてでも止めなければならない。
「――ッ!?」
椿姫の『罠』という言葉で美月と翼、華凛は動きを止めた。
「焦る気持ちは分かるよ……。でも、お願い。ここは冷静になって……。でないと、蒼井君を助けに行くどころじゃなくなるよ!」
椿姫は美月たちの方へとゆっくり近づいてきた。ここで焦っては敵の思うつぼだ。
「で、でも……真が……」
美月は泣き出しそうな顔をぐっと堪えていた。
「分かってる……。分かってる……」
椿姫が宥めるようにして美月に声をかける。真は戦力としてだけでなく、『フォーチュンキャット』にとっては精神的な支柱だ。真がいるという絶対的な信頼感があってこそ、少女達は命がかかるミッションに参加できている。そのことは椿姫にも分かっていた。『ライオンハート』も紫藤総志という絶対的な支柱があってこそだから。
「まずは状況を確認しよう」
続いてやってきのは悟だった。努めて静かな口調で話す。まずは落ち着くことが先決だ。パニックになっては何も見えてこない。
「おい、悟。どう見ても蒼井は落とし穴に落ちたんだろ。ここはゲームの世界じゃなくて、現実の下水道だ。どうして落とし穴があるんだよ?」
少し遅れて姫子が来た。
「そこから確認しましょうか。姫が言う通り、蒼井君は落とし穴にはまって落ちたんだと思います。ただ、どうして、ゲームの世界ではない、現実の下水道に落とし穴があるのかということなんですが……。ちょっといいかな……」
真が落ちたと思われる場所の前に立っている美月達に場所を空けてもらい、悟が地面にかがみ込んだ。
「……姫。これだと思います。ちょっと見てもらってもいいですか?」
「何か見つけたのか?」
姫子は悟が指さす地面を見た。ぱっと見た感じでは、ただの下水道の通路にしか見えないが、よく見ると違いに気が付く。
「これは……コンクリートじゃねえな」
「どういうことですか……?」
悟と姫子は何かに気が付いたようだ。美月はまだ分からず二人に訊ねる。
「ウィル・オ・ウィスプの光だけでは見えにくいんだけど。ここの地面だけコンクリートじゃなくて、平らな岩なんだ」
悟に言われて美月もかがみ込んで、地面をよく見る。
「ッ!?」
美月も違いに気が付いた。コンクリートの通路の一部が1メートル四方ほどの平らな岩になっている。現代建築技術によるコンクリートの通路は凹凸がないつるりとした機械的な平面だ。そこに、平らとはいえ、波打つように凸凹とした自然の地面があった。
「ここだけがゲーム化してるってこと!?」
美月と同じように屈んでいる華凛が訊いてきた。
「そういうことだと思う。現実世界の下水道に落とし穴なんてないからね……。この一部分だけをゲーム化して落とし穴にしたんだろう……。してやられたよ……。さっきの部屋をクリアしたことで完全に油断してた……。こんなの注意して見てなければ分からないよ」
悟が顔を顰めた。罠が仕掛けられた部屋を攻略した直後。現実世界の方に入ったことで、勝手に罠がないものと思い込んでいた。警戒していたのはモンスターだけだった。
「真ー! 真ー! ねえ、聞こえてたら返事をして! 真ー!」
美月は部分的にゲーム化している地面をバンバンと叩く。だが、何も反応が返って来ない。
「美月さん、危ないですよ!」
美月の後ろから彩音が止めに入った。もし、これで再度罠が発動してしまい、美月まで落ちたら洒落にならない。
「真が……この先に……」
止めに入った彩音にしがみ付く様にして訴える。この先に真がいるのだと。それは彩音にも分かっていることだがどうすることもできない。
「少し試してみようか……。皆、ちょっと離れてもらってもいいかな?」
悟はそう言うと立ち上がり、全員が落とし穴から離れたことを確認してから、片足を落とし穴の上に乗せた。
「悟! 何してんだよッ!?」
いきなり罠の上に片足を乗せた悟に対して驚いて姫子が声を上げた。
「実験ですよ。この罠がもう一度発動するのかどうか。これは蓋が開閉するタイプの落とし穴のようです。そういうのは何度でも罠を発動させることができるんですよ。流石に岩の蓋が閉まっている状態で、蒼井君に声を届けることはできないでしょ? だったら、意図的に罠を発動させて、開いたところで蒼井君に向けて叫んだら声が届くかもしれない」
「真田が叩いても何も起こらなかったんだ。片足だけじゃ罠は発動しねえだろ?」
「そうですね。一応、体重をかけてみたんですけどね……。できれば片足だけで発動してくれたら助かったんですけど……。やっぱり両足で乗らないとダメなんでしょうね……」
悟は元から片足だけ乗せて落とし穴が発動するとは期待していなかった。ただ、罠の発動条件を確認するためにも一応試してみたが、案の定といったところ。
「どうする? あたしが手を繋いでおこうか?」
「う~ん……。そうですねえ……。完全に落とし穴の上に乗るのであれば、誰かに支えてもらう必要があるんですが……。僕の体重って60kg後半くらいありますよ」
悟は細身の体形だが身長が高い。その分体重も増える。それに、男性であるため、女性よりも重い。
「だったら、お前が誰かを支える役に回れ。――で、この中で一番体重の軽い奴は誰だ?」
姫子が振り返り、女子たちを見渡す。その女子たちは一斉に一人の少女に目線を向けていた。
「ちょっ!? 私ッ!?」
皆の視線を一身に浴びていたのは咲良だった。このメンバーの中で最年少。小柄で細身。アサシンであるため着ている装備も軽装。間違いなく一番軽い人間だ。
「よし、七瀬。お前が来い」
すぐさま姫子が呼ぶ。
「ま、待ってください! そんな急に言われても! 落とし穴の上に乗るなんて、できませんよ!」
「大丈夫だ、悟が支える。実際に落ちることはない」
「いや、でも……。一緒に落ちたらどうするんですか!? 危ないじゃないですか!」
「大丈夫だって言ってるだろ! お前くらいの体重だったら余裕で持ち上げられる。そうだろ、悟?」
ごちゃごちゃと言ってくる咲良に姫子は苛立ち始めていた。咲良の他に適任者はいないのだから、さっさと腹をくくれと思う。
「七瀬さんくらいだったら、問題なく持ち上げれらると思うよ」
悟は細身であり、筋肉質というわけでもない。がっしりとした体格の男に比べて若干不安が残るのは無理もないことだが、それでも成人男性が小柄な少女一人を持ち上げることに問題はない。
「でも……」
咲良はそれでも踏ん切りがつかなかった。支えてくれる人が総志であれば、真っ先に手を挙げているところだが、それ以外であれば、落とし穴の上に乗るなんてことはやりたくない。
そんな、躊躇する咲良に対して、椿姫がすっと身を寄せてきた。
「咲良。このことは紫藤さんに報告するね。咲良が身を挺して頑張ってくれたって報告できるか。臆病風に吹かれて逃げたって報告するのか……。紫藤さんって、身を挺してミッションに挑んでくれる人をすっごく信頼するのは咲良も知ってるよね? 私、紫藤さんに咲良の雄姿を報告したいな……」
椿姫が発した言葉に咲良がピクリと反応を示した。
「やります!」
愛が恐怖を凌駕した瞬間。咲良の総志に対する想いは、何よりも強い。ということを利用されたのだが、当の咲良は総志に褒められるということしか頭にない。
「あなたって結構腹黒いよね」
華凛が椿姫を半眼になって見る。どちらかというと華凛も性格がいい方ではないが、ここまで上手く人を操れるほど、腹黒くはない。
「咲良の扱いには慣れてるからね」
ふふっと椿姫が返した。咲良に手を焼かされることはあるが、付き合いも長く、姉のような立ち位置の椿姫は上手く咲良を扱えていた。だから、総志も咲良に椿姫を付けている。
「それじゃあ七瀬さん。両手を持っておくからゆっくりと落とし穴の上に乗ってみて」
「う、うん……」
悟に手を取られながら、咲良が恐る恐る落とし穴の上に乗る。もしも、罠が発動したら、すぐに悟が引き上げてくれると信じて足を踏み出す。
「…………」
落とし穴が開いた時にすぐ声を出せるように美月が待機する。
「…………」
周りも固唾をのんで見守るが、落とし穴の蓋は咲良を乗せたまま全く動く気配はない。
「何も起こらないわね」
しばらく見守っていた翼がぽつりと呟いた。
「となると、この罠は単発っていうことになるのかな……。おそらく一度引っかかったら、もう二度と発動しないのだろうね」
悟が残念そうに応えた。横目で美月の方を見ると明らかに落胆した表情を見せている。
「だったら、ここに居ても仕方がない。休憩は終わりだ。蒼井を探しに行くぞ」
体力を回復させて、より確実にミッションを攻略することも大事だが、何よりも大切なのは仲間の安否。ほとんど休憩することはできていないが、落とし穴に落ちた真の探索の方が優先順位が高い。
「ですね。蒼井君抜きでこのミッションの攻略はあり得ませんからね。ただし、慎重に行きましょう。この先も罠があるはずです」
早く真と合流したいという気持ちは皆にもあるが、悟の言うように現実世界でも、部分的にゲーム化した箇所を設置して罠が仕掛けられている可能性はある。焦る気持ちとは裏腹に慎重にならざるをえなかった。