迷宮 Ⅵ
ゴゴゴゴゴゴ……。
石造りの天井はゆっくりではあるが、着実にその高さを下げてきている。まだ見上げるほどの高さにあるが、それもいつまで持つか分からない。
だが、天井に気を配ってばかりもいられない。突然湧いて出てきた戦士の幽霊が剣を振り上げて向かってきている。
「チッ……もう囲まれてるな……。仕方ねえ、この場所で迎え撃つ! 幽霊共を近づけさせるな!」
天井の高さはまだ猶予がある。だが、幽霊の方はどんどんこっちに向かってきている。目先の処理としてはまず幽霊をなんとかしないといけない。姫子はそう判断するとすぐさま指示を飛ばした。
「で、でも、このままじゃ天井がッ!?」
咲良は短剣を構えて幽霊の迎撃態勢を取るが、幽霊の処理は根本的な解決にはならない。幽霊を撃退したとしても、天井に押しつぶされれば終わりだ。
「分かってる! おい、悟! とっとと扉を開ける方法を考えろ!」
「また、そんな無茶振りを!?」
ギルドを設立してから悟は姫子の腹心としてずっと働いている。こういう無茶を言っているくることは日常茶飯事だし、今までにも危機的な状況は何度も経験してきている。だからといって、そうそう都合よく打開策が見つかるわけでもない。
「無茶は分かってる! それでもやれ! あたしが時間を稼ぐ!」
かなり無茶苦茶なことを言っている姫子だが、こんな状況でも肝は座っていた。苛立っているのはいつものことだが、動揺してパニックになることもなく、毅然と目の前の脅威に向き合っている。
「分かりました……なんとかして……みます……。時間は稼いでくださいよ」
ここで泣き言を言ったところで姫子は聞いてはくれない。そのことは悟が一番よく理解している。やれと言われたらやるしかないのだ。
「任せておけ! あたしと蒼井で敵を引き付ける、八神は全力で敵を蹴散らせ! 椎名と橘は八神の援護、七瀬は近づいてきたやつを各個撃破! 真田はあたしの回復に専念しろ! 和泉は自己判断で動け!」
姫子の指示は的確だった。学はないが、状況判断能力はかなり優れている。こういう一瞬の判断ができるからこそ、第二位の巨大ギルドのマスターが務まるのだろう。
「いくぞ、おらー!」
<ライトオーラ>
姫子が叫び声と共に幽霊の群れに突っ込んでいった。そして、おもむろに周囲の敵のヘイトを増加させるスキル、ライトオーラを使用する。
敵は散開して囲んでいる状態であるため、一度にすべての幽霊の注意を姫子に向けることはできない。そのため、姫子の反対側は真に任せるしかない。
幽霊の数はどんどん増えていっているので、真の強力な範囲攻撃で一掃してもまた出てくるだろう。それでも悟が答えを出すまでの時間を稼げれば目的は達成できる……はずだった。
「ちょっと真! あんた何してんのよ!?」
唐突に声を張り上げたのは翼だ。彩音の範囲攻撃魔法の援護を始めたばかりなのだが、ふと見ると真が動いていないことに気が付いた。何やら考え事をしているようで、床に描かれた天秤の絵をじっと見ている。
「えッ!? なっ……! 言われた通りに動きなさいよ!」
翼の声を聞いた咲良が真の方を見た。この状況でじっと動かずに黙考している。その役割は悟のはずだ。真には指示された他の役割がある。
「コラッ! 蒼井! てめえ今どういう状況か分かってんのか! 言われたとおりに動けー!」
戦士の幽霊の攻撃を必死で食い止めながら姫子が怒鳴る。考えるのは悟に任せているので、真は幽霊の数を減らすことに専念してほしい。そういう指示を出している。
「赤峰さん。幽霊を引き連れてパネルの上に戻ってくれないか」
黙っていたが真が口を開いた。だが、その内容に一同が困惑する。
「はぁ? 何言ってんだよてめえは! そんなことできるわけないだろうが!」
馬鹿が何を言っているのだろうか。姫子は真の言っていることの意味がまるで理解できなかった。剣を持った幽霊を仲間の所まで引き連れて戻るなど、危険以外に何もない。
「この天秤が何を測ってるのかってことだ」
「あっ! そうか、それだ! 蒼井君ナイス! 姫ー! 幽霊を引き連れて戻ってきてください!」
真の意見を聞いた悟の表情が輝いた。真の言っていることの真意に気が付いたのだ。
「悟まで……。いってえな!? くそ、どういうことだよ? くそ、幽霊のくせに痛えな!」
幽霊の攻撃受けながらの会話。姫子としては早く受け持っている幽霊の数を減らしてほしいのだが、真が幽霊を連れて戻ってこいと言ったことで、彩音と翼、華凛の攻撃が止まっている。その間、ずっと美月が回復スキルを使ってくれているが、余裕があるわけではない。
「この天秤は生きている者を測るんじゃない。死者の重さを測る天秤なんだ!」
真はずっと天秤の意味を考えていた。天秤が重さを測るものであるというのは間違いない。それ以外に考えようもない。だったら、何の重さを測ろうとしているのか。
「人が乗っても天秤は何も反応しなかった。それなら、他に測るものがあるはずなんだ。そこに幽霊が出てきた! これしか測れるものはない!」
真が姫子に向かって叫んだ。沸いて出てくる幽霊の群れを集めるのは非常に危険だろう。だが、他に答えが見当たらない以上やってみるしかない。
「蒼井、間違ってたらただじゃおかねえからな!」
姫子は真を睨みながらも、言われた通りに幽霊を集めて天秤の描かれたパネルへと走ってきた。
「悟! お前が半分持て!」
「お任せあれ!」
<マリスヴォーテクス>
<デモンアクセル>
姫子が引き連れてきた幽霊の群れに向かって、悟が敵対心増幅のスキルを使用した。マリスヴォーテクスは足元から渦巻く黒いオーラで敵対心を増幅させる。デモンアクセルは前方扇型に限られるが、攻撃と同時に複数の敵の敵対心を増幅させることができるスキルだ。
悟が敵対心を増幅させるスキルを使ったことで、姫子に向かっていた幽霊の内、いくらかは悟へ標的を変えたが、それでも姫子が連れてきた幽霊の4割を取ったにすぎない。都合よく奇麗に半々というわけにはいかなかった。
「真田! 和泉! 回復に集中しろ! 他は手を出すな!」
「「はい!」」
姫子と悟が防御を固めているところに美月と椿姫が回復スキルで援護する。単純な回復量や使える回復の種類で言えばビショップである美月の方が上だが、エンハンサーも回復能力に優れた職。美月と共に必死で姫子と悟の回復に尽力する。
「扉はッ?」
必死の形相で耐える姫子が叫んだ。かなりの数の幽霊の攻撃に晒されている。現状では最強のパラディンと言われている姫子であっても、十数体の幽霊の一斉攻撃はかなり痛い。
「まだです! まだ、開いてません!」
彩音の焦る声が響く。扉は全く動いていない。
「天秤はッ?」
「は、反応してません!」
扉の上にある天秤はピクリとも動いていないし、絵の方は当然のことながら動いていない。
「違うじゃないッ!」
咲良が真に向かって吼えるようにして言う。生者ではなく死者を測る天秤なのではないのか。
「ど、どういうことだ……? どうして……。他に……他に方法は……」
真はこれが正解だと思っていた。敵を誘導して、特定の位置に連れてくるとスイッチが発動して、扉が開く。こういう仕掛けはゲームで何度か見たことがある。だから、確信を持って提案したのだが、扉はまるで反応していない。
「姫ー! ぼ、僕の方は……きつくなってきました……!」
悟が助けを求める。ダークナイトはどちらかと言えば1対1の戦闘に分がある。パラディンのように自己回復や守りを強化するスキルが乏しい。相手を弱らせて相対的な防御力を上げるのがダークナイトの戦い方だ。しかも、相手を弱らせるスキルは単体にしか効果を発揮しないものがほとんど。複数を相手にするのはパラディンの方が上だ。
「真田ー!」
姫子が叫ぶ。具体的な指示を出す余裕はもうない。これだけで意図を理解しろということだ。
「はいっ!」
そして、美月は姫子の意図を正確に理解し、回復スキルを発動させる。
<ブレッシング オブ ライフ>
美月が意識を集中させると、姫子と悟だけでなく、その周囲全体を生命の光が温かく包み込んでいく。まるで赤子を抱く母親のように、温もりが傷を癒していく。
ブレッシング オブ ライフはビショップが使用できる回復スキルの中でも特に回復量が多いスキルの一つだ。効果範囲内の味方全員を大きく回復させるだけでなく、その後も一定時間持続的に回復し続けるという効果がある。ライフファウンテンの範囲版といったところ。
中級レベルで覚えるスキルにしては破格の効果を持っており、最終レベルに到達してもなお、現役で使用することになるスキルだ。
「ね、ねえ……、これって幽霊も回復してない……?」
様子を見守っていた華凛が何か違和感を感じていた。
「えっ!? そんなこと――でも、たしかに……、幽霊にも回復の効果が出てるような……」
彩音が幽霊を見る。美月が使用したブレッシング オブ ライフは継続的にその効果を発揮し続ける。その効果中は優しい光が体の中からゆっくりと溢れてくることで分かるのだが、何故かその光が幽霊の身体からも出ている。回復効果が発揮されていなければ、絶対にこの光は出てこないはずだ。
「み、美月! 待って! 待って美月! その回復なし! キャンセル! それなし!」
翼が慌てて叫ぶ。どうやら美月の回復スキルは戦士の幽霊たちも回復しているようだ。敵を回復させるなど、すぐに止めないといけない。だが、
「そ、そんな、も、もう無理だよ!」
一度発動したスキルを途中でキャンセルすることはできない。ブレッシング オブ ライフの効果が切れるまで戦士の幽霊を回復し続けるしかない。