鋼鉄蟹 Ⅱ
フルメタル ザガドはなおも真に向けて大きなハサミ出襲い掛かる。大きく振り上げたそのハサミは勢いよく滝つぼの水面に突き刺さり、盛大に水しぶきを上げる。
「どうなってんだッ!?」
『王龍』に所属しているアサシンの男が声を上げた。ついさっきまで安全な位置から攻撃をしていたのに、なぜかフルメタル ザガドがこちらの方を向いている。だが、狙われているのは自分ではない。赤黒い髪をした奇麗な顔の少女だ。
「俺から離れてッ!」
フルメタル ザガドが真の方に向いたことで、周りにいる人にも被害が及ぶ可能性がある。当初の作戦では、赤峰にフルメタル ザガドの攻撃を集中させて、他の近接戦闘職は背後から攻撃をしていたのだが、その背後にいた真に攻撃が集中することになってしまった。
真の声を聞いて、周りにいた人たちがフルメタル ザガドから距離を取り出した。いつもやるNM戦とは状況が違うことを察知し、敵の攻撃範囲内から退避する。だが、そうなるとこちらの攻撃も届かない。今、攻撃をしているのは真と赤峰だけだ。
(こうなったら仕方ない……倒し切るか)
このまま真が何もせずにいたらいずれターゲットは赤峰に戻るだろう。だが、ターゲットが赤峰に戻ったところで、真が一撃入れればすぐにヘイトが上回り、再び真に狙いがいく。だったら、このまま押し切ってしまう方が良いだろう。
<スラッシュ>
真はそう思い、踏み込みからの斬撃を加える。こうなってしまったら遠慮することはない。普通に倒すだけだ。
「誰だ狙われてる奴は――って、お前かーッ!?」
いくらヘイトを増幅させるスキルを使っても一向に狙いが自分に戻らないことに業を煮やした赤峰が回り込んで様子を見に来た。一体誰に敵の注意が引き付けられているのか。それを確認しにきた。
「えッ!? ――おわッ!?」
真が連続攻撃を叩き込んでいるところに急に怒鳴り声が入ってきたため、思わず声の方へ向いてしまった。そこにフルメタル ザガドの鋭いハサミが飛んできたのだ。間一髪でこれを回避するものの、今のは直撃していてもおかしくなかった。
「てめぇ、危ないだろうがッ!」
何とかギリギリでハサミを回避した真に対して赤峰が再度怒鳴った。避けれたからいいものの、当たっていればどうなっていたことか。赤峰にはそれが心配だった。
「いや……あんたが急に声を上げるから……」
急に怒鳴った赤峰に注意が逸れてしまったため、フルメタル ザガドの攻撃を直前で回避することになってしまったが、それがなければ余裕で回避できている。もし、直撃をしたところで、真にはなんら問題はないのだが、当たらないに越したことはない。
「ごちゃごちゃと言ってんじゃないよ! さっさと代われ! お前に受けきれる相手じゃないんだよ!」
真の言うことも聞く耳持たず。赤峰はまくし立てるようにして言う。いくら真が強いと言ってもベルセルクは防御力が低い。直撃を受ければただで済むとは思えなかった。
「代われって言われても……」
横目で赤峰の方を見つつ、真の意識はフルメタル ザガドへと向けている。そうなると攻撃の手が緩んでしまうが、仕方がない。
代われと言われてもターゲットを真が取ってから、すでに何発か攻撃を入れている。今更赤峰にターゲットを返すとなると退却して最初からやり直す以外に方法はない。
「いいから代わ――ッ!?」
再びまくし立てるようにして赤峰が声を上げた時だった。フルメタル ザガドが二つのハサミを高く天に向けて上げた。
「蒼井ーッ! 誰もいないところまで走れッ!」
「えッ!?」
つい先ほどまで代われと言っていた赤峰が急に走れと言い出した。急な指示の転換に真の動きが一瞬止まってしまう。
「泡だッ! カニが泡を吹く! いいから走れッ!」
吼えるようにして赤峰が叫んだ。真も赤峰が言ったことをすぐさま理解して走り出す。事前に説明があったAOEがくるのだ。フルメタル ザガドが両ハサミを上げたら泡を吹く前兆なのだろう。当初の作戦では赤峰がフルメタル ザガドを引き連れて人のいないところまで誘導するはずだった。
しかし、フルメタル ザガドのターゲットは真に固まって離れない。だったら、赤峰がやるはずだった誘導役を真がやるしかない。
「来い! カニ野郎!」
真は滝つぼの奥へと走った。フルメタル ザガドは大量の泡を吹きながら真の後を追う。まるで蒸気機関の制御が壊れた汽車のように白い泡をまき散らしながら追いかけてくる。
フルメタル ザガドが噴き出した大量の泡は通った跡にも溢れんばかりに蓄積しており、毒が含まれているというフルメタル ザガドの泡のせいで他の人が近づくことができなくなっていた。
対処方法は誰かが囮になって、人のいないとこまでフルメタル ザガドを引っ張っていく。フルメタル ザガドはある程度泡を吹いたら止まり、残った泡も順次消えていく。それまで誰も手出しができない。
「ッ!? 泡が止まった!」
滝つぼの奥を走り回っていた真が、フルメタル ザガドの泡が止まっていることに気が付くと、一転攻勢。振り向きざまにスキルを発動させた。
<ソードディストラクション>
真は跳躍から体ごと斜めに一回転させるようにして大剣を振った。その斬撃から放たれるのは、破壊の衝動をそのまま顕現させたかのような圧倒的な衝撃。まき散らされる無尽の暴力。
ソードディストラクションはベルセルクが使える範囲攻撃スキルの中では一番攻撃力が高い。しかも、スタン効果まで付与されているのだが、巨大なNM相手にはその効果は発揮されなかった。
「馬鹿ッ!? さっさと戻れッ!」
赤峰は驚いて叫んだ。フルメタル ザガドの泡が打ち止めになったことは赤峰も確認していた。最初に出した泡はもう消えている。だから、誘導した場所からすぐに戻ってくればいいのだが、真はそこから一人で戦おうとしている。
<グリムリーパー>
着地した体勢から大剣をすくい上げるようにして振る。真下から円を描く軌道で斬り上げる。まるで死神の大鎌が命を狩り取るような斬撃。
ベルセルクのスキル、グリムリーパーは単発スキルであり、連続攻撃には組み込まれない。それでも、威力が高く、連続攻撃に入らないということは速攻で高威力のスキルを撃つことができるという利点もある。ただし、威力が高い分、再度使用するには時間を要する。
「だから戻れって言ってるだろうがーッ!!!」
戻れと言う指示に従わずに戦っている真に対して、赤峰がとうとうブチギレた。鬼の形相で怒鳴り声をまき散らす。
その声に真がビクッと反応した時だった。フルメタル ザガドは体全体を沈み込ませるようにして低くすると、そこから一気に跳ね上がった。
「と、飛んだ……ッ!?」
真が目を丸くしてその光景を見ていた。押さえつけていたバネを開放したかのような跳躍。フルメタル ザガドの巨体はまるでおもちゃのように軽々と宙を飛んだ。その高さは10メートル以上はあるだろうか。
ズドーンッ!!!
数秒後、盛大に水しぶきを上げてフルメタル ザガドは元いた滝つぼの中央へと着地する。その水量に周りに居た人たちは吹き飛ばされるほど。
「お、おい……、こんな行動……前はなかったぞッ!?」
眉間に皺を寄せて赤峰が唸る。以前に戦った時には高く飛び上がるなんてことはしてこなかった。幸い、下敷きにされた者はいないが、これからどう対応していいのか分からず、身動きが取れない。
「たぶん、バージョンアップで変更があったんでしょうね……。迂闊に手を出さない方が賢明かと……」
『王龍』のサブマスター、刈谷悟が赤峰に進言してきた。『王龍』は赤峰の行動力と悟の頭脳で持っているギルドだ。想定外の状況の分析は悟に任せるのが一番いい。
「だろうな――全員、その場で待機! カニの動向から目を離すな!」
悟の意見を聞き、赤峰がすぐに指示を飛ばした。この後どんな攻撃をしかけてくるか分からない。様子を見る他ないのだが、フルメタル ザガドの方はそんなこちらの事情は知ったことではない。水面に着地し、少してから今度は急に回転し始めた。
「距離を取れ! 絶対に近づくな!」
赤峰がさらに指示を飛ばす。フルメタル ザガドの方はみるみる内に回転速度を速めていく。加速度的に増していく回転速度。たちまちフルメタル ザガドの高速回転は水を巻き上げて、竜巻を形成しだした。
「不味いですね……これは……」
巨大な身体を高速回転させ、さらには水竜巻さえも起こすフルメタル ザガド。どうやってこんな現象を起こしているだと思いながらも悟は警戒を強めた。
高速回転するフルメタル ザガドはゆっくりと螺旋状に動き出した。じわじわとその被害が及ぶ範囲を広げているのが分かる。
「……クソッ!? どうする……? 魔法で集中攻撃させるか?」
水竜巻と化しているフルメタル ザガドには手の出しようがない。近づけばあっという間に吹き飛ばされるだろう。だったら、魔法攻撃ならどうか。遠距離攻撃スキルなら近づく必要はない。
「後衛に狙いが行く危険があります……」
「チッ……分かってるよ……」
悟に言われるまでもなく、その危険性は赤峰だって想定している。想定しているのだが、他に打開案が浮かばない。
そうこうしている内にもフルメタル ザガドの移動速度は速くなっていた。螺旋状の動きはどんどんその範囲を広げている。そして、一瞬その場で待機すると、いきなり真っ直ぐ突進してきた。
「うわあああーーーーーーッ!?」
狙われたのは遠巻きに見ていた『王龍』の前衛たち。円運動をするものだと思っていたところに、急な直線運動でしかも速い。予想外の動きに誰もが反応に遅れた。
<レイジングストライク>
勢いよく回るフルメタル ザガドの水竜巻に突っ込んできたのは真だった。猛禽類が獲物を狙うかのような鋭い襲撃で一気にフルメタル ザガドを斬りつける。
だが、相手は高速回転する巨大なカニ。その体は鋼鉄と呼ばれる化け物だ。そんなものに突っ込んでいったわけだから、真は大きく吹き飛ばされていた。
「「真ッ!?」」「真君ッ!?」「真さんッ!?」
美月の翼の華凛の彩音の悲鳴のような声が響く。いくら真でも竜巻と化した巨大なカニに突っ込んでいくとは思いもしなかった。無事でいられるのだろうか。嫌な想像が頭をよぎる。
「くっ……流石に少し痛いな……」
そんな少女達の心配をよそに、真は平然と立っていた。大剣を構えて竜巻の中心を見やるとフルメタル ザガドは狙いを真に変更したようだった。どうやらさっきの一撃が効いたようだ。『王龍』のメンバーには被害が出ている様子も見られない。
「ヘイトリセットかな……。まぁいい、こっちに向いてくれるなら問題ない!」
ずっと真に狙いが向いていたものが、フルメタル ザガドの跳躍以降、狙いが変わっていた。そこに真の一撃入って狙いが真に戻ってきた。
MMORPGでも一部のボス格のモンスターやNMが使ってくるヘイトリセット。今まで蓄積されてきた敵対心を全てリセットされてしまう敵専用のスキルがある。ゲームでも非常に厄介であり、後衛にターゲットが移ってしまって全滅するなんてこともありえる。対処方法はもう一度敵対心を稼ぎ直すことだけ。
「おい、コラ! 逃げろッ!」
今日何度目になるか分からない赤峰の怒鳴り声が聞こえてきた。女性なのだからもっと言葉使いに気を付けて優しく言ってほしいものなのだが、真は後で怒られることを覚悟しつつも、向かってくるフルメタル ザガドに意識を集中させる。
<イラプションブレイク>
もうあと少しでフルメタル ザガドが直撃するというところで、真はスキルを放った。跳躍して、大地を叩き割る様に大剣を突き立てると、一瞬で大地にひびが入り、紅蓮の業火が噴き出した。