ミナン渓谷
NMとはネームド モンスターの略称で、普通のモンスターよりも巨大で強く、固有の名前を付けられているモンスターのことだ。その分倒すことができれば貴重なアイテムを手に入れることができる。
NMは一度倒しても、再度復活し、何度でも討伐に挑戦することができる。そこが大精霊シルディアやドレッドノート アルアインといった特別なモンスターとは違う点。ただし、普通のモンスターと違い、再度出現するまでの時間が長いという特徴がある。
このNMを狩ることがMMORPGでは醍醐味の一つではあるのだが、貴重なアイテムをめぐっていざこざが起きることも間々ある。
そして、先日の話し合いで、真の実力を試すために、『王龍』主導の下、NMフルメタル ザガドの討伐に参加することとなった『フォーチュンキャット』の一行はフルメタル ザガドが出現するミナン渓谷の奥地へと来ていた。
ミナン渓谷は王都から出ている馬車に乗り、片田舎のファルという村を経由して行く。それだけでも1日かかる上にミナン渓谷には歩いて行く必要がある。さらに、フルメタル ザガドが出現する奥地まで行こうとすると山道をひたすら歩いて、途中で野宿をしてようやく辿り着ける場所だ。
こんな辺境の地に出現するということと、フルメタル ザガドが非常に硬いNMだということで、討伐に来るギルドは少ない。
だから、この日は非常に珍しいと言っていいだろう。こんな辺境の地に『王龍』を主メンバーとする100人近い人が渓谷に流れる川岸を歩いているのだから。
「遠いな……」
赤黒い髪をかき上げて真が呟いた。渓谷を流れる川は清く透きとおり、崖にの上には深緑が広がっている。木々の葉から漏れる日の光が流れる水に輝き、清楚で幻想的な風景を見せてくれているのだが、如何せん歩いてきた距離が長い。
「もう、文句ばっかり言わないの! 付いて来てくれてる椿姫さんや咲良さんは文句ひとつ言ってないでしょ!」
何度目かになる真の愚痴に対して美月が注意をした。遠いということは皆思っていることなのだ。そもそも、真の実力を見るためにここまで大勢の人が来てくれているのだから、文句を言ってはいけない。
「あ、いいのよ私達は。紫藤さんに今回の件を報告しないといけないから付いて来てるだけだし」
椿姫が軽く手を翳して気にしなくていいというジェスチャーをする。今回のNM討伐は元々『王龍』が予定していたもの。それに便乗して真の実力を測るということで、その様子を見るために、『ライオンハート』から派遣されたのが椿姫と咲良だ。
総志から直接命令された案件であるため、咲良は絶対に逆らえない。本当は『フォーチュンキャット』と一緒に行動したくないのだが、何かと椿姫とセットで扱われて『フォーチュンキャット』と行動を共にすることが多くなっている。
「そういえば、『ライオンハート』もフルメタル ザガドを討伐したことがあるんでしょ? よくこんな秘境にいるNMを知ってるわよね」
感心したような声を上げたのは翼だ。翼も色々なところを回ってきたが、こんな場所まで来ようとは思わない。
「ああ、それはね情報収集を専門にする部隊が見つけくれたのよ」
「それでも、こんな場所まで見つけてくるなんて凄いですよね」
周りの景色を見ながら彩音が言った。通信機器がないゲーム化した世界でこれだけの探索能力があるというのは凄い。それを言えば、『王龍』もこの場所を知っていたのだから、驚愕に値する。
「まぁね。『ライオンハート』の大半は情報収集部隊に所属してるのよ。人海戦術でありとあらゆる情報を集めてくるの。だから、普段は散り散りになって各地を探索して情報を集めてくるから、戦闘が専門の私達には誰がいるのも分からないくらい」
「そうなのか。なんか、『ライオンハート』って戦闘特化のギルドっていうイメージがあったけど、裏方の方が多いんだな」
真からしてみれば、MMORPGで最強のギルドと言われるような集団は全員が最強を目指して、非常に高い戦闘能力を持っている。真もその一人だったため、ゲームで経験したギルドとは違うことに驚きがあった。
「大きなギルドはどこもそうよ。『王龍』だって、今回の討伐に来てる人は一部の人だけだと思うよ。構成員の大半は情報収集とか物資集め、寄付金集めとかの後方支援がなんじゃないかな? 『ライオンハート』の強さの半分は情報収集能力の高さだって言われてるし」
「100%総志様の強さよ……」
咲良がボソッと呟いた一言はとりあえず無視して真は話を続ける。
「それなら、情報収集部隊に来てもらってもよかったんじゃないか? 椿姫と咲良は戦闘専門だろ? しかも精鋭部隊所属の」
情報収集の大切さは真も理解している。『ライオンハート』もその情報の重要性を理解しているから、大半のメンバーを情報収集専門としているのだろう。だが、それは精鋭部隊がミッションを遂行するためにあると言ってもいい。その精鋭部隊所属の椿姫と咲良が裏方の仕事に回されているのはどういう理由なのか。
「紫藤さんはね、蒼井君をもう一度見て来いって言ったんだよ。前のミッションは私も咲良も余裕がなかったんだけどね……、それでもあの二体を同時に相手してた蒼井君の強さは分かるんだけど……いや、分かんないかな……」
どう言ったらいいのか分からないという様子の椿姫を真はじっと見ていた。
「正直言うとね……、前のミッション……、犠牲者の数が凄く少なかったんだ……。こんなに少ない犠牲でミッションをクリアできたのは初めてっていうくらいにね……」
犠牲者の数が少ない。そういう椿姫の表情は決して明るいものではない。少ないながらも犠牲は出ており、精鋭部隊の何人かが命を落としている。その中には『ライオンハート』のナンバー3である剣崎晃生もいる。
「だからね……私もちゃんと分かりたいんだ……。蒼井君がどれだけ強いのかを……。ドレッドノート アルアインを一人で倒したっていう強さがどれくらいなのかを、もう一度この目でしっかりと見ておきたいんだ……」
椿姫は、ほとんど真一人でミッションや巨大な化け物を倒してきたと聞いた時はまるで信じられなかった。紫藤総志という超人であっても一人でできることには限界があるのだから。だが、実際に真がゼンヴェルド氷洞で化け物を二体同時に相手して生きているというのは事実だ。
それでも、椿姫には前回のミッションを成功に導いたのは『ライオンハート』の力によるところが大きいという思いが強い。ただ、あの時は椿姫も必死で、他の人の支援に回っていたため、真の戦いをしっかりと見ている余裕はなかった。
総志がもう一度真の戦いを見て来いと言ったは、椿姫の認識が正しいのか間違っているのかをその目で確かめて来いということだ。そして、今後行動を共にすることが多くなるであろう真の実力を把握させるためでもある。
「そんなの、見なくても分かるわよ。真君は何よりも強い。それだけよ」
割り込んできたのは華凛の声だった。“誰よりも”ではなく“何よりも”と言ったのは人に限らず、モンスターであっても真より強いものはいないという意味。
「お、おい……そんなこと臆面もなく言うなよ……」
少し恥ずかしそうに真が言う。面前でこうも全肯定されるというのはやはり恥ずかしいものがある。
「えッ!? あ、あ、あ、いや……その……。今のはそう、そ、そういのじゃないからッ!」
思わず口に出してしまったことだが、自分の言ったことの意味を理解した華凛が真っ赤な顔をして弁明した。バタバタと取り留めもの無く動かす手が空を切る。
「じゃあ、どういう意味なのさ?」
呆れ顔の咲良が言わなくてもいい追い打ちをかける。咲良だったら、総志に対して全面的に肯定する言葉を言っても堂々としている。それが本人の前だとしても何も問題はない。
「う、うるさいわね! あんたは黙って付いてきなさいよ!」
犬猿の仲である咲良に言われて華凛はムカッときて言い返すも、負け惜しみくらいにしか効果はない。そんな華凛の相手をするのも馬鹿らしいとばかりに咲良はそっぽを向く。それにこれ以上揶揄うと椿姫が総志に報告を入れてしまう可能性があり、それは非常にまずい。
「おい、お前ら騒いでないで準備しておけよ! そろそろ蟹の巣に着くぞ!」
もうすぐ目的地であるフルメタル ザガドの出現場所に到着するのに、緊張感もなく何やら騒いでいる真達に苛立ちながら赤峰が声を上げた。遊びに来ているわけではないのだ。
『王龍』は以前にもフルメタル ザガドの討伐に成功した経験を持っているが、それでも気を抜くことはできない相手だ。フルメタル ザガドは単純に硬いだけというわけではない。その力も硬さと同様の強さを持っている難敵なのだ。