命の指輪
1
氷の洞窟を深紅に染め上げたイラプションブレイクの炎が消えると、場には青い静寂が訪れた。
シルディアとルフィールの死骸からは何かしらのアイテムをドロップしたことを伝える、白い靄が出ている。これで終わったのだということは誰もが分かったことだが、声を上げられない。
「はぁ……はぁ……」
地面に大剣を突き刺したまま真が肩で息をする。敵が真よりも強かったというわけではない。氷にされなければ真の敵ではない。だが、真は疲弊していた。怒りに任せて我武者羅に剣を振ったからだ。
「……くそッ!!」
膝を付いた真は力いっぱい氷の地面を拳で殴りつけた。真の声だけが虚しく響く。苛立ちが納まらない。どうしようもない後悔が纏わりついて離れない。
「蒼井、立て。先に進むぞ」
地面に蹲る真に対して声をかけてきたのは総志だった。いつものように低い声色。冷静で沈着。それでいて力の籠った総志の声だ。
「紫藤さん……、あんた、それだけかよ? 剣崎さんが死んだんだぞ!」
苛立ちをぶつけるようにして真が声を荒げた。大切な仲間を失ったというのに何故ここまで落ち着いていられるのか。それが理解できなかった。
「そうだ。お前を助けるために剣崎さんは死んだんだ」
「ッ!?」
辛辣な総志の言葉に真は何も言い返すことができなかった。
「剣崎さんはお前に命を懸けたんだ。その意味をよく考えろ。剣崎さんが何を望んでいるのかを考えろ。いいか、『ライオンハート』を見くびるな!」
総志の言葉にハッとなって真が周りを見渡した。『ライオンハート』の精鋭達はじっとこちらを見ている。誰一人として涙を流す者はいない。拳を握りしめ、歯を食いしばり、真っ直ぐこちらを見て耐えている。椿姫や咲良も同じ。泣きたい気持ちを必死で抑え込んでいた。
「……すまない」
真がそう呟いた。剣崎晃生は自分のために命を投げ出した。自分のせいで死んでしまったにもかかわらず、その後悔と苛立ちを総志にぶつけてしまった。言いたいことがあるのは真だけではないのだ。総志だって悲しくないはずがないのだ。
いつだったか、咲良が言ったこと。『ライオンハート』の第一部隊は紫藤総志の横に立つことを許された精鋭中の精鋭。命を懸けて戦ってきた英雄。誰よりも仲間の死を受け止めてきたのが『ライオンハート』の第一部隊なのだ。
「行くぞ。もたもたするな!」
「……あぁ」
真は素直に総志の指示に従い立ち上がった。自分を生かすために死んだ晃生。その意味が深く胸に突き刺さる。前を向いて進まなくてはならない。もう自分だけの思いを背負っているわけではないのだ。
『ライオンハート』の精鋭部隊だけの決起集会の時、真が『ライオンハート』の第一部隊に入ることに対して周りが反論してきたことを思い出した。あの時は重要なポストを取られることに納得がいっていないだけだと思っていた。だが、ここに来てようやくその気持ちが理解できた。
それぞれが背負っているのだ。死んでいった仲間たちの思いを、願いを。そう、それは晃生が決起集会の時にも言っていたことだ。この世界を元に戻すために命を賭して戦った仲間の意志。それを託されのだ。
「ミッションはまだ終わっていない。気を引き締めろ!」
既に歩き出している総志について行くようにして、時也が指示を飛ばした。
「「「はい!」」」
その指示に対して『ライオンハート』の精鋭達に混じって美月や翼、彩音に華凛も力強く返事をする。
2
シルディアとルフィールからのドロップ品は、ベルセルク用の大剣『ソード シルディア』とアサシン用の短剣『ホワイト ファング』。どちらもグレードはレジェンド、5段階あるグレードの上から2つ目だ。これらを回収し、隊列を組み直した一行は、ゼンヴェルド氷洞のさらに奥へと進んで行く。道幅は5メートルほど。住宅地の車道より少し狭いくらい。
その道を黙々と進んでいく。ここまで来る道中と同じようにモンスターは徘徊していない。あるのはただ青い氷だけ。その氷も奥へ進んでいくにつれてどんどん深みと透明度を増していく。自然の造形というにはあまりにも美しく神秘的な光景なのだが、その景色に心奪われた者はいない。
あるのはただ一つ、ミッションを終わらせること。この先にもまだ罠がある可能性はある。強大な敵との戦闘もまだ終わっていないかもしれない。
一度引き返した方が得策だったかもしれない。だが、総志は前進することを選んだ。ここまで来て合理的な理由だけで引き返すということはできなかったからだ。
氷の洞窟の中を歩くこと1時間強。少し開けた場所に出てきた。その場所は今までよりも一層、氷の青さと透明度が増した部屋。まるで青い宝石の中に入っているような幻想的な部屋だ。天井は高く、無数の氷柱が下へと伸びている。
「ここだな」
総志の声が氷の部屋に響いた。道はこの部屋で終わっている。部屋の一番奥には白い氷でできた祭壇があり、祀られるようにして一つの指輪が祭壇の上に浮いていた。燃えるような赤い宝石がはめ込まれた指輪だ。
「そのようだな」
周りを見渡しながら時也が返事をする。祭壇の上に浮いている指輪が目的の『命の指輪』なのだろう。そこに向かって総志が近づいていった。
その様子を全員で見守る。何かあるかもしれない。罠が仕掛けてあるのかもしれない。指輪を取った瞬間に何かが襲ってくるかもしれない。常に警戒を怠らず、何が起きても対処できるように身構える。
一番危険なことは総志がやる。本来、総大将である総志が危険に晒されるようなことはあってはならないのだが、『ライオンハート』はこうしてきた。常に総志が先頭に立って導いてくれる。それがどんな危険なことであっても、総志が先頭に立つ以上は潜り抜けてきた。そして、今もこうして生きている。
祭壇の前まで来た総志はスッと指輪に手を伸ばした。その間、少しも警戒の糸は緩めない。何かあったらすぐに動けるように全方向に向けて注意を巡らす。
そんな気持ちとは裏腹に、『命の指輪』は何の抵抗をすることもなく、総志の手の中に入った。総志は手にした指輪をまじまじと見つめた。指輪のアームは太く、何やらルーンのような文字が彫られている。はめ込まれた赤い宝石はよく見ると陽炎のように揺らめきながら輝きを放っていた。
「総志、大丈夫か……?」
少し離れた位置から時也が声をかけた。何か罠が発動したというような気配はないが、何も起きていないということが逆に気になる。
「ああ、大丈夫だ。目的の物は手に入った。これより帰還する」
総志が振り返り声を上げた。指輪を取る際に何かあるのではないかと警戒もしていたが、結局何事もなくあっさりと指輪を取ることができた。
「よし、全部隊帰還する! まだ、気を抜くな! 帰路にも何か罠が仕掛けてあるかもしれないと思って行動しろ!」
総志の無事を確認した時也が指示を飛ばした。だが、まだ気を抜くわけにはいかない。今はまだゼンヴェルド氷洞の最奥。敵の腹の中にいるのと同じだと思った方がいいと判断していた。
3
ゼンヴェルド氷洞の最奥からの帰路は本当に何もなかった。ただ、氷でできた道を進むだけ。それでも警戒を怠るわけいにはいかない。常に張り詰めた状態を保ちながら復路を進む。
だから、ゼンヴェルド氷洞から出てきた時には全員どっと疲れた出ていた。激しい戦闘の疲労に加えて、精鋭部隊の仲間も失っている。何よりも『ライオンハート』の支柱の一人である剣崎晃生を失ったことは心的疲労を大きくさせていた。
ゼンヴェルド氷洞から出てきた時には既に日が落ちていたことと、身体的、精神的な疲労を考慮してその日は野宿することになった。
幸いというべきか、ゼンヴェルド氷洞の入口は現実世界のスキー場の中央施設の中にある。床は防滑のためのマットが敷かれており柔らかい。椅子やテーブル。ソファーもあるため、疲れた体を休めるには丁度良かった。
それもあってか、食事を済ませるとみんな泥のように眠りについたのであった。