ゼンヴェルド氷洞 Ⅱ
ケビーの言う氷の洞窟の入口があるという場所。そこはどう見ても現実世界のスキー場の中央施設であり、本当にこんなところに氷で覆われた洞窟があるのかという疑問を抱きながらも、一行は総志を先頭にして建物の入口までやってきた。
遠目でも分かったことだが、このスキー場の中央施設はかなり大きな物。入口が雪に埋もれてしまわないように土台が高く作られており、正面の入口に続く階段も広い。赤い三角の屋根と白い壁は特徴的だが、どこか時代を感じさせるものだ。
「現実の雪山にゲームの雪山が浸食してきたってことか……?」
スキー場の中央施設を見渡しながら真が言う。今朝までいたログハウス群も現実世界の物だった。これだけ離れた場所にスキー場があるということは、おそらくログハウス群の近くには別のゲレンデがあるが、そこにはゲーム化の浸食で行けないのだろう。
「そういうことだろうな。現実のログハウスがあった時点でここが元々山だということは分かっていたことだ」
腕を組みながら施設を睨んで総志が応える。
「それは分かってたことだけど……、スキー場があるとはな……。てっきり全く関係のない物があると思ってた」
真がまず思ったことは、なぜ現実世界と同じ物をゲーム化してきたのかということ。今までのことを考えると、突然ぶった切ったように、現実世界に全く別の物がゲームとして浸食してきていた。特にエル・アーシアなんかはその最たるものだろう。低地であるはずの現実世界から一歩踏み出せば、標高差すら無視して高地が現れる。雲ですら現実世界の地面より下に浮かんでいたほどだ。
だから、ゲーム化した世界が雪山であるのならば、現実では別の物だという発想になっていた。
「異常なことに慣れ過ぎた結果だ。ここは常識が通じない世界であることには間違いないが、必ずしもそうとは限らない。常識が通用しないという固定観念は捨てるべきだな」
眼鏡の位置を直しながら時也が言う。時也もこれから命を懸けて挑むことになるミッションの場所がレジャー施設であることに対しては、ふざけてるのかと言いたくなるところだが、ここで冷静さを失うわけにはいかない。それこそ足元をすくわれてしまう。
「まぁ、そういうことなんだけど……。結局どういう考え方が正しいのか……」
まるで常識が通用しないところもあれば、現実に沿ったところもある。それはゲーム化した世界の普段の生活でも見てきたところだが、バージョンアップでは常識から外れたことばかり起こってきた。そういう曖昧なところが真の頭を悩ませる。
「両方だ」
スキー場から目線を外さずに総志が応えた。
「ん?」
「この世界は先入観を突いてくる。葉霧が言ったように常識が通用しないと思わされていることは危険だ。常識であろうがなかろうが、ありとあらゆることを想定しろ。そして、その想定も覆されると思って行動しろ」
「ああ……、そうだな……」
総志が言いたいことは真にも理解できる。だが、そうなるとどの選択肢を取っていいのか分からなくなる。それでも、総志が率いる『ライオンハート』が決断をして行動できているのは、やはり、紫藤総志という絶対王者がいるからだろうか。どんな不測の事態が起きても倒れない強靭さからくる信頼というものか。確実に自分たちを導いてくれる存在がいるというのは非常に大きいのだろう。
「なあ、大将。どうするんだ? 俺が知ってるのはここだけだぞ。行くならこの先の案内もするけどもよ。ここでいいんだろ?」
何やらごちゃごちゃと言っている雇い主にケビーが問いかけた。どうやら目的地はここで合っているよなのだが、何か気に喰わないところがあるらしい。話は聞こえているが、ただ不満を漏らしているようにしか聞こえない。
「ああ、ここで間違いないはずだ。ケビー、この洞窟の広さはどれくらいある?」
「そこそこ広いぜ。今から一番奥に行って戻ってきたら、早くても日が暮れてる頃だな。それで、ガキの頃に帰りが遅くなって大目玉を喰らったってわけだけどもよ」
へへっと笑いながらケビーが応えた。早朝にログハウス群から出発してここまで来るのに人の足では昼になっていた。狼の原生種と言えども子供だったらそうそう時間も変わらないだろう。そこから洞窟内を探検して帰るとなると相当遅くなるはず。子供がそんなことをしたらこっぴどく怒られるに決まっている。
「お前の子供の頃の話はいい。取りあえず案内してくれ。どこまで行くかは俺が判断する」
ケビーが子供の頃にどんな悪さをしてきたかのなど総志にとってはどうでもいい話だ。それよりもゼンヴェルド氷洞の案内の方がよほど重要な案件だ。
「分かったよ、付いてきな。……ったく、もっと愛想よくできないかねこの大将は……」
不平不満を言いつつもケビーはゼンヴェルド氷洞の案内をするため、スキー場の中央施設の階段を登っていく。
「よし、中に入るぞ! お前ら気をし引き締めろよ! 何がある分からねえぞ!」
ケビーが歩き出したのを見て晃生が声を上げた。見た目はただのスキー場の施設だが、その見た目のままに判断することはできない。
「「はい!」」
一同が緊張した面持ちで返事をし、足を前に運んでいく。
正面の階段を上った先にある入口は二枚の大きなガラス戸の自動ドア。今は電力が供給されていないため、半開きになっている自動ドアを手動で開ける。
防滑用のマットが一面に敷かれた施設内。まず入口付近にあるのが、ウィンタースポーツ用品店だ。ゴーグルやニット帽、ワックスやプロテクターも並んでいる。そして、お土産物屋。スキー場のロゴが入ったクッキーに饅頭の他、名物の漬物もある。
それらの商品に手を触れることはできない。何か見えない壁のようなもので遮られていて、商品を持ち出すことができないのだ。これは、世界がゲーム化してから全ての店で共通していることだ。現実世界の物品をゲーム世界で使用することができないのである。
その他は広めに取られたフードコートにリフト券の販売場等が目に付いたが、何よりも異彩を放っているのが、真っ直ぐゲレンデに出るために伸びた中央通路をまる飲みするように口を開けている洞窟の入口。
全面が氷に覆われた青白い洞窟の入口は施設の天井も超える高さだ。何本もの氷柱が並び、自然の造形物としては美しい部類に入るであろうその洞窟だが、あからさまに現実世界を浸食しているその様は非常に不気味に見えた。
「これを見ると実感するな」
スキー場の中央施設を飲み込むほどの大きな氷洞を見つめて真が声を漏らす。まるで巨大な古代魚が餌をまる飲みするために大きく口を開けているように見える。
「そうだな。やはりここで間違いないだろう」
総志も真に同調して声を漏らす。現実世界を無秩序に浸食しているゲームの世界を見て、今回のミッションの目的地であることを確信した。
他のメンバー一同も緊張の色を濃くする。決して気が緩んでいたわけではないにせよ、目視できるものがレジャー施設しかなかったために、ミッションを遂行するという実感が薄まってしまっていた。だが、目の前に現れたゲーム化の浸食を見て一変する。これから立ち向かうのは今までと同じように異常なものなのだと。