申し出 Ⅰ
バージョンアップがあった日、昼食を食べた後も真の様子は少しおかしかった。ずっと何かを考えている様子で、昼からの狩りにも集中力の欠けた状態であった。
普段なら絶対に当たらないような単調な攻撃にも当たっている。真が集中力を欠いてモンスターと戦ったところで、傷一つ負うわけでもないのだが、明らかに効率が悪い。心ここにあらずといった様子であった。
流石に真の様子を見かねた『フォーチュンキャット』のメンバーは、早々に狩りを引き上げた。美月達が話し合って、今日は少し贅沢をしてレストランで食事をしようということになったのだ。
この世界の娯楽は少ない。劇場はあるにしても、真はそういう劇に興味を示さない。体を動かすことなら普段の狩りで嫌という程やっている。酒場に行って酒を飲むかというとそうではない。真以外は全員未成年で酒を飲めないし、真が25歳であることは誰も知らない。みんな同世代だと思っている。
もし、真が成人しているということが分かったとしても、問題は真が下戸だということ。だから、どちらにしもて酒を飲むという選択肢はない。
そうなると、美味しい物を食べるということしか、気分を変える方法は残っていないのである。
夜の王都は毎日が金曜日のようなものだ。王都の中心地では連日のように人々が飲食店で夜を楽しんでいる。ゲーム化した世界ではテレビもパソコンもなければスマホもインターネットもない。宿に帰ってもやることがないのだから、街に繰り出して酒を飲むのが唯一の楽しみと言っても過言ではない。
美月達が真を連れてきたレストラン『オウルハウス』も客が多い店の一つだ。酒場というよりは料理がメインの店で、夜遅くまで営業していることでも有名。値段のわりに料理の味も良く、高級店というわけでもないため、酒を飲むよりも美味しいものを食べたいというニーズに答えた店でもある。
「真、今日は私達が奢ってあげるから、好きな物食べていいわよ!」
翼が席に着くなり気前のいいことを言い出した。そこまで高い店ではないので真一人が食べるくらいを奢るのは大した負担ではない。
「あ、でも、お肉ばっかりはだめだからね!」
真が何を注文するのかは分かり切っている美月が先に釘を刺した。どうも真は同じものばかり食べる傾向にある。何故飽きないのだろうかと不思議になるくらいだ。
「なんか悪いな……。気を遣わせたみたいで……」
遠慮がちに真が言う。確かに今日の真はおかしかった。それは自覚するところでもある。だが、その理由が未だに分からない。そのことで皆に心配をかけてしまったことは申し訳なく思う。
「べ、別に気にしないでいいわよ……。真君には……いつも……その……助けて……もらって……」
華凛が顔を伏せてなにかゴニョニョ言っている。最後の方は声が小さくて聞き取れない。まあ、それはいつものことだから問題ないだろうと真は思った。
「真さんには、いつも助けられてばかりですからね。今日くらいはお礼をさせてもらってもいいですよね?」
彩音が笑顔で言った。素直にそう思ったから言っただけだったが。
「……」
華凛が言いたかったことを、こうもあっさりと彩音に言われてしまったことで、恨めしそうに彩音を睨み付けた。
(……なんかすごい視線を感じる……。何がまずかったのかな……?)
華凛が言ったことの最後の方は彩音にもほとんど何を言っていたのか聞き取れていなかった。だから、彩音は何で華凛の恨みを買ってしまったのか全く見当がつかない。ここはじっと我慢をしてやり過ごすしかない。
「まぁ、そういうことなら、今日は遠慮なく」
「この前の海賊退治の報酬もまだ残ってるからね。心配いらないから好きなの注文して!」
翼が快活に言う。以前、冒険者ギルドからの依頼でアンデットの海賊を退治した時に報酬がまだ手元には残っている。残っているというよりは手を付けないようにしているものだ。
「いいのか? 王国騎士団式装備買うんだろう?」
真が少し気にした様子で訊いた。アンデットの海賊を倒しに行った理由は高価な王国騎士団式装備を一式揃えたかったから。
真はゲームで深淵の龍帝ディルフォールを倒して手に入れた最強装備一式を限界まで強化している。それは目立ちすぎるので、装備外見変更スクロールというアイテムで見た目だけを変更しているから興味はないが、美月と翼、華凛は見た目の良い王国騎士団式装備が欲しくてお金を貯めていたのだ。
「うん、まぁ、そうなんだけどね……。王国騎士団式を一式揃えるにはまだ時間がかかりそうだからね。今日くらいは、多少使っても問題ないかな」
美月が微笑みながら答える。王国騎士団式装備より真の方が大切だ。真の様子がおかしいのに節約している場合ではない。
「お金のことは気にしないわよ……。真君が……別に……なんていうか……元気に……なって……くれれば……」
華凛が再び声を出すが、結局最後の方はゴニョニョ言っていて何を言っているか聞き取れない。
「お金のことより、真さんが元気になってくれる方がいいんですよ」
彩音は笑顔でそう言った。彩音も王国騎士団式装備が欲しくないわけではないが、高すぎるので諦めているところがあった。だから、お金の使い方として、真が元気になってくれる方が有意義だと思えた。
「……ッ!」
華凛がキッと彩音を睨む。恨めしそうに怒りも籠った目で睨み付けてくる。華凛が真に言いたくても言えなかったことをこうもあっさりと言われてしまった。
(……あれ? 私また何か地雷を踏みました……???)
彩音はなぜ華凛に睨まれているのか見当もつかずに、ただ、笑顔を崩さず、この場をやり過ごすことにした。
「ねえねえ、ちょっといいかな? 君たちさ、5人だよね? 俺たちも5人なんだけど、一緒にどう? 奢るよ?」
真達が会話をしているところに酒の入ったグラスを持った一人の男が近づいてきた。酔っているという感じではないが、非常にチャラい感じの男だ。年は20歳前半といったところだろう。
「えッ……。いや、私達は……」
いきなり声をかけられて美月が驚いたような声を出す。こういう時にどうしていいか分からない。
「ほら、あっちのテーブル。もう料理も来てるからさ、一緒に食べようよ。お酒も奢るよ? ね、いいでしょ?」
チャラい男が自分たちのテーブルの方を指さす。そこには同じように軽そうで頭の悪そうな男が4人座って笑顔を向けてきている。
「いや……あの……遠慮しておきます……」
彩音が勇気を振り絞って声を出す。この程度で諦めてくれるとは到底思えないが、意志表示はしておかないといけない。
「そんな遠慮しなくってもいいて。俺たちが奢りたいんだからさ。だから、ね、いいでしょ? ちょっと一緒にご飯食べるだけなんだからさ」
当然、その程度の抵抗では焼け石に水。チャラい男はぐいぐいと話をしてくる。
「ちょっと、あんたいい加減にしてよ! 私達は私達だけで食事をしたいの!」
しつこく言ってくるチャラい男に対して翼が声を上げた。こういう男は一番嫌いなタイプだった。
「もう、そんな意地悪言わないでさ、ご飯食べるだけなんだからさ、いいでしょ?」
「ねぇ、あなた気持ち悪いの。だから一緒に食事したくないの。すっごく頭悪そうだけど、私の言ってること分かる?」
ゴミを見るように冷たい目で華凛が言い放つ。流石にこの言葉には場が凍り付いた。
「ちょっと、華凛ッ!? それは……」
慌てて美月がフォローしようとするが、華凛が言っていることにすごく納得してしまって、それ以上言葉が出てこない。
「あぁん? 人が下手に出てやってるってのによぉ! ちょっと可愛いからって調子乗ってんなよ!」
華凛の辛辣な一撃にはチャラい男もキレたようで怒鳴り声を上げた。男のテーブルからは「おいおい、マジになんなよ」などの野次が飛んでいる。
「おい、お前いい加減――」
「お前らいい加減にしろ!」
流石に不味いと思った真が立ちあがり、声を上げたのと同時だった。低く威圧感のある声が割り込んできた。その声に一同が振り返る。
「なんだてめ……エッ!? し、紫藤さん……ッ!? それに葉霧さんもッ!?」
チャラい男の表情が一瞬で青ざめた。この場に現れたのは最強最大のギルド『ライオンハート』のマスター紫藤総志だ。一般には出回らない漆黒の軽装鎧とベルセルクの象徴ともいえる大剣を背負っている。
そして、もう一人、総志と一緒にいる葉霧と呼ばれたビショップの男。黒い短髪を後ろに流し、眼鏡をかけた背の高い男だ。着ている装備は白いコートに黒いボトムス。これも一般に出回っているような代物ではない。
総志と葉霧が登場したことによって、テーブルから野次を飛ばしていたチャラい男の連れも黙り込む。
「おい、お前。俺達のことを知ってるのか?」
名前を呼ばれた総志がチャラい男に詰問した。相手は総志と葉霧のことを知っているようだが、総志は相手のことを知らない。
「は、はい。あの……俺は、ゴ、ゴ・ダ砂漠から来ました! 紫藤さんと葉霧さんのことはよく知ってます!」
背筋を正てチャラい男が言う。緊張で言葉も碌に出ていない。総志がまとっているのは獣王の威厳ともいうべき圧倒的な威圧感。総志のことを知らない人間でも分かるくらいだ。だから、ゴ・ダ砂漠の出身者となればなおさら。さらにはそのカリスマ性もよく理解できている。
「お前らはゴ・ダ砂漠の出身者なんだな」
「は、はい」
「だったら、彼らが『ライオンハート』の同盟と知って絡んだってことだな?」
総志がチャラい男を睨み付けた。鋭い獣の眼光だ。明らかに狩る方の側にいる目。
「エッ……!? マ、マジ……っすか?」
『ライオンハート』の同盟と聞いてチャラい男達は背筋が凍り付いた。厳密にいうと『ライオンハート』の同盟である『フレンドシップ』と同盟関係にあるのだが、細かいことはどうでもいい。事実、対人戦エリアでは『ライオンハート』と『フォーチュンキャット』は同盟と同じ扱いを受けていた。
「何度も言わせるな。彼らは間違いなく我々の同盟だ。それともなにか? 総志が言ったことが嘘だとでも言いたいのか?」
葉霧が鋭い刃物を喉元に突きつけるような棘のある言い方で攻め立てる。
「い、いえ、そんなことは……ないです! そ、その……す、すみませんでしたーーー!!!」
大声で謝罪の言葉を述べるとチャラくて頭の悪そうな5人の男達は這う這うの体で店の外へと逃げだしていった。
「ふん、くだらない連中だな」
店を出ていく男たちの背中を見ながら総志が嘆息する。『テンペスト』ほど害悪というわけではないにしても、迷惑な連中であることには違いない。
「ああ、まったくだ」
葉霧も同意見だ。まったく品位の欠片もない連中。それでも、さっさと逃げて行っただけまだ利口な方か。
「……ところで、あいつら金払ってたか?」
「いや払ってないな」
総志の問に葉霧が端的に答える。
「仕方ない、俺が払っておくか……」
金も払わずに店を出て行った男達に総志は呆れた表情でもう一度嘆息した。